12.いくらなんでも、まだ早い
最後のデートのお相手は、赤ジャコブ様。ジャコブ・エドガー様よ。
赤ジャコブ様はご自身で商会を立ち上げられて、商会長をなさっている。
主力商品の一つは、あのプリンというエッセレ王国のデザートで、自分の店で売る他に、レストランにも卸したりしているらしかった。
もう一つは、『ポップコーン』というお菓子。エッセレ王国の特産品の一つである『爆裂種のコーン』を、鍋で炒って作るらしいわ。
王都では『女神様と黒衣の三騎士』の舞台が始まって、この『ポップコーン』なるお菓子は、その舞台のお供として売れているらしかった。
『女神様と黒衣の三騎士』の舞台は、地方公演も始まる。『ポップコーン』がドルミーレ王国全土で食べられる日も近いはずよ。
わたくしはジャコブ様に連れられて、『女神様と黒衣の三騎士』の舞台を見るために、内部が馬蹄型になっている豪華な劇場に行った。
ジャコブ様はこの観劇のために、わたくしにドレスやアクセサリーを贈ってくださっていたの。
ドレスはジャコブ様の瞳に似た青色。アクセサリーがルビーなのは、赤ジャコブ様の赤からだろう。
ジャコブ様の方は、派手で人目を集める真っ赤なジュストコールよ。
ジャコブ様はわたくしのために、豪華絢爛たるロイヤルボックス席を用意していてくれていた。扉は王宮でも使われているオーク材。重厚な赤いベロアのカーテンがついている。壁には、身だしなみを整えるための楕円形の鏡までかかっていた。
ジャコブ様も、わたくしも、王家の者ではないけれど……。三つしかない公爵家の嫡男と、大聖女なので、たぶん使って良いのだろう。
ジャコブ様が小さな双眼鏡をご用意してくださっていて、わたくしは肉眼と双眼鏡越しの両方で、舞台を堪能した。
『ポップコーン』なるお菓子も、三種類も買ってくださった。素材の味が楽しめるシンプルな塩味、おしゃれな味のハーブソルト&バター、スイーツみたいなキャラメル味よ。どれもとってもおいしくて、劇場の名物になるだけのことはあると思ったわ。
舞台は素晴らしくて、わたくしが想像しながら書いた文章が、舞台向けにアレンジされて、さらに面白くなっていた。
楽団が奏でる音楽は、時に激しく、時に切なく、舞台の雰囲気を盛り上げていた。
照明もすごかったわ。ガストンが敵を殲滅した後、暗い舞台の真ん中で、ライトに照らされて一人で立っているところなんて、鳥肌が立ったほどよ。
どうやら舞台の手前から、鏡張りのバケツにロウソクを入れた道具で照らしていたようよ。どうやって照らしているのか気になってしまって、双眼鏡越しに舞台のまわりを観察してしまったわ。
役者さんも美男美女揃いで、演技がお上手で、しかも、運動能力が高かった。戦いのシーンでは、バク転や側転をしたり、崖から飛び降りるシーンで本当に飛び降りてみたり、迫力満点だったわ!
さらに影絵の技術が取り入れられていたりして、わたくしが想像していた王立学院の学生劇みたいなものとは、まるで違っていた。
「楽しんでくれたみたいだな」
舞台が終わると、ジャコブ様は満足げにほほ笑まれた。
「ええ、とても! お誘いいただき、ありがとうございます!」
わたくしは『原作者である大聖女様による特別観覧』などという恥ずかしい催しは断ってしまった。
ジャコブ様に誘っていただけなかったら、見に来ることなんてなかったわ。
ロイヤルボックス席を出ると、他のボックス席から出てきた貴族たちに「大聖女様!」と叫ばれながら囲まれた。けれど、ジャコブ様が連れている護衛騎士たちが、身体を張って道を作ってくれた。
「興味なさそうだったので少し心配だったが、喜んでもらえて良かった」
ジャコブ様が華やかな笑みを浮かべると、女性たちの悲鳴のような声が上がった。
ジャコブ様の魅力は、日に日に高まっているのではないかと思う。
……きっと『攻略対象』になってしまう呪いのせいよね?
◇
劇場を出ると、ジャコブ様はわたくしを、ご自身の経営している商会へと連れて行ってくださった。
ジャコブ様とわたくしが乗った馬車は、真っ赤に塗られ、金で装飾が施されていた。この豪華絢爛たる馬車は、ジャコブ様が経営されている商会が所有するものであるらしかった。
以前ならば、この国で赤、黄、青といえば、三つの公爵家を示す色だった。けれど、今では、三人のジャコブ様を見分けるためのものになっていた。
商会の本部となっている石造りの建物は、王都からほど近い丘の上にあった。大昔には、別な商会の本部としても使われていたらしい。
ジャコブ様は一度、ご自分の仕事部屋に行って、貴族服から平民服に着替えられた。白い綿製のシャツに、厚手の薄茶色のスラックスというラフなお姿だ。
「商会長としてだと、このような平民服姿の方が、都合が良いことも多くてな」
ジャコブ様は少し照れたように笑った。
「わたくしは、元はほぼ平民なので、そのようなお姿の方が親しみやすいですわ」
貴族として着飾ったジャコブ様は、あまりにも素敵すぎて、まるで雲の上のお方みたいだった。けれど、こうして平民服姿をしておられると、わたくしのいる地上へと降りてきてくださったように感じられた。
「では、サンドリーヌ嬢も平民服を着てみては?」
ジャコブ様はご自分の仕事部屋から紙の箱を持ってきた。中身は、ココア色のシンプルな平民用ドレスだった。
わたくしは部屋を借り、侍女に手伝ってもらって、ココア色のドレスに着替えた。
「貴族令嬢の姿も美しかったが、平民服姿も愛らしい」
ジャコブ様がうれしそうに目を細められた。
ストレートな褒め言葉に、顔が熱くなる。
ジャコブ様は当たり前のように、わたくしと手を繋いだ。
「平民はデートをする時には、このようにすると聞いたのだが……」
「ええ、そうですわ」
商会長として、平民と接する中で、このようなこともお知りになったのだろう。
ジャコブ様は繋いだ手を口元に運び、わたくしの手の甲に口づけた。
「な……っ、あ……っ!」
わたくしの顔がさらに熱くなる。わたくしは片手で頬を押さえた。
「ずっと、こうしてサンドリーヌ嬢に触れたかった」
わたくしは頬に当てていた手を、今度は胸に当てた。ドキドキしすぎて、心臓の音がジャコブ様に聞こえてしまいそうだわ。
「サンドリーヌ嬢、あなたを他の二人と共有したくない」
ジャコブ様がわたくしの手を引いて歩き出した。
わたくしはなんと返事をしたら良いのかわからなかった。
ジャコブ様は商会の庭に出た。レンガで仕切られた花壇があったりする素朴な庭だ。
わたくしたちの前を、ボルドー・マスチフを連れた厳つい男性が歩いていった。
「あれは……、ジャコブ様の猟犬では?」
「ああ、あの三匹には、今はこの商会の商品や材料などの番をしてもらっているのだ。『地獄の番犬』などと呼ばれて、従業員にかわいがられている」
「そうだったのですね」
ジャコブ様が出征されてから、あまりにもいろいろなことがあって、犬たちのことを気にする余裕もなかった。商会で元気に仕事をしているのなら良かったわ。
「サンドリーヌ嬢が私だけのものになるなら、私は爵位などいらないと思っている」
ジャコブ様はわたくしの手を強く握った。このジャコブ様は平民と共にお仕事をされているからか、物言いがとてもストレートで、なんだか胸が痛くなってくる。
お気持ちはありがたいし、わたくしだってジャコブ様が好きだ。
けれど、今のわたくしにとっては、三人のジャコブ様からお一人だけを選ぶということが難しかった。
わたくしは、自分がジャコブ様の一人を選んだところを想像してみた。そして、残りのお二人が、他のご令嬢と婚約されるところも。
――そんなの許せない。
わたくしは胸が苦しくなった。想像しただけで、こんなにも、苦しいほどに、嫉妬してしまう。
「申し訳ありません……」
ジャコブ様たちも、こんな気持ちなのかしら……?
「こちらこそ、すまない。サンドリーヌ嬢への気持ちをどうしたらいいのか、自分でもわからないのだ」
ジャコブ様は商会本部の建物の横に建っている、旧ルイド邸へと案内してくれた。
この石造りの建物は、平民の出の大商会の長と、貴族から平民に落ちた女性が暮らしていたと伝えられている。
ジャコブ様は、この場所で平民として商売をしながら、わたくしと二人で生きていきたいと思ってくださっているのだろう。
ジャコブ様の本気の想いが、この建物を通して伝わってくるようだった。
「サンドリーヌ嬢は、元は下位貴族で、身体もあまり丈夫ではない。公爵夫人となるよりも、平民として暮らす方が、気楽で良いのではないかと思ったのだ」
たしかにその通りだった。身分が高ければ高いだけ、果たすべき義務もまた多い。わたくしの体力で、公爵夫人としての務めを果たせるか心配になったこともあった。
今でこそ、寝込むことはほとんどなくなって、公爵夫人としてやっていけると思えるようになったけれど……。
「商会を経営するような裕福な平民は、貴族と同じように家事を使用人に任せているそうだ。貴族と比べたら、人数は少ないがな」
「ええ、そうですわね……」
わたくしは困惑しながら、ジャコブ様に笑いかけた。
「ここで一緒に暮らしてくれないか? 室内を見せよう」
ジャコブ様はどこか思いつめたような目をして、わたくしを見ていた。
わたくしはジャコブ様に手を引かれて、旧ルイド邸に入った。平民の家らしい素朴な緑色の絨毯が敷かれている。
居間となる部屋には、すでに灰色の布張りのソファーセットが置いてあった。
食堂にも、樫の木の一枚板で作られたテーブルと、お揃いの椅子が置かれていた。食器棚には食器まで並んでいる。
わたくしが同意したら、今日からでも、ここで一緒に生活できるだろう。
――前のめりすぎる。
いくらなんでも、まだ早い。
「このままここに、あなたを閉じ込めてしまいたい」
ジャコブ様は玄関を背にして立ち、わたくしを抱きしめた。
いやいや、待って! そこまで!? 思い詰めすぎでしょ!?
「そんな……、困りますわ……」
わたくしは遠慮がちにジャコブ様の身体を押し戻した。
「あなたが他の二人とデートしていると思うと、気が狂いそうだった」
重い重い重い! 赤ジャコブ様の愛、重すぎじゃない!?
他の二人は、こんな嫉妬剥き出しではなかったわよ!?
このジャコブ様だけ、なんでこんな風なの!?
「他の二人にも、このように抱きしめられたのか?」
わたくしは、なんと答えたらいいのかわからなかった。
ジャコブ様は腕を緩めた。そして、わたくしの頬に手を添えた。
「あ、あの……」
このジャコブ様は……、なんだか怖い……。
「口づけは……? もうどちらかと交わしたのか……?」
ジャコブ様の親指が、わたくしの下唇をそっとなでる。わたくしは背中がゾクリとした。
「そんな……。そんなことは……。いたしませんわ……」
わたくしはジャコブ様から顔を背けた。
思えば、わたくしはジャコブ様のことを、あまりよく知らなかった。
一度目の結婚式までの約半年間は、ジャコブ様と一緒にいたけれど、あまりゆっくり話をすることもできなかった。
次期公爵夫人として教育を受けたり、ダンスを練習したり、ウェディングドレスの試着を何度もしたり……。やることがたくさんありすぎたのよ。
「無理はするなよ」
なんて、ジャコブ様は声をかけてくださったりしたから、やさしい方なのだろうとは思っていた。
それに、ヴァーシヴル公爵家の巨大なお城の庭で、初めてお会いした時だって、公爵ご夫妻に比べたら、非常識な方だとは思えなかった。
こんな風に、ご自分の欲望を押しつけてくるような方ではなかったはずよ。
「クッ、頭が痛い……」
ジャコブ様はわたくしを放し、両手でこめかみを押さえた。苦し気に息を吐き、目を閉じる。
「あ、あの……。どうなさったのですか……?」
「すまない、サンドリーヌ嬢……。三人になってしまってから、自分が自分ではなくなるような感覚に襲われる時があるのだ」
ジャコブ様は、その場で頭を抱えて座り込んだ。
わたくしはおろおろしながら、ジャコブ様を見下ろす。
「サンドリーヌ嬢が……、ものすごくかわいく見えるのだ。戦地に行く前から非常に愛らしいと思っていたが、戻って来てからは、そんなものではない。煌めき、光り輝いて見える」
そのキラキラ感は、おそらく、わたくしが黄ジャコブ様に覚えたような感覚なのだろう。
「それは、おそらく呪いのせいかと……」
「まさに大聖女様だと思った。どこもかしこも清らかで、美しく、聖女の中の聖女と呼ぶに相応しい……。あなたを見ていると、柄にもなく胸が高鳴るのだ」
わたくしは両手で顔を覆った。なんという恐ろしい呪いなのだろう……。呪いのせいで胸がどきどきしすぎて、終いには止まってしまうのではないかしら……?
「あなたを好きすぎて苦しくなる。王都に戻って再会してからは、あなたと離れている時、『サンドリーヌ嬢は今、なにをしているのだろう?』とよく考えるようになった。あなたと離れているのが辛い。いつも私のそばにいてほしい……」
わたくしは、このどうかしてしまった方の言葉にも、「はい」とは答えられなかった。
この方を選ぶという意味になってしまうから……。
それでジャコブ様は楽になるかもしれないけれど、今度はわたくしが大変なことになってしまうわ。
「こんな風になってしまって、サンドリーヌ嬢を困らせているとわかっている。申し訳ない……」
この方はきっと、自分で自分を抑えている。それでも、これが精一杯なのだろう。
「きっと呪いのせいですわ」
「呪いか……。そうなのだろうな……」
ジャコブ様はどこか痛いところでもあるかのような緩慢な動きで、扉の前から横へと移動した。
「すまないが、出ていってくれないか……。屋敷まで送れなくて申し訳ない」
「あの……、ジャコブ様は大丈夫なのですか……? 誰か人を呼びますか……?」
「いいから、早く出ていってくれ! 大変なことになるぞ!」
ジャコブ様から予想外に大きな声が返ってきて、わたくしは弾かれたように旧ルイド邸の外に出た。
季節の花が咲く素朴な庭に、心地よい風が吹いている。
わたくしは庭の石の敷かれた通路に、青ジャコブ様と黄ジャコブ様が立っている姿を見つけた。
青ジャコブ様は青の騎士服姿で、黄ジャコブ様は黄色のジュストコール姿。
お二人はわたくしの元に駆けて来てくださった。
「大丈夫だったか? あいつの様子がおかしいので、心配で来てしまった」
青ジャコブ様が心配そうに、わたくしを上から下まで見た。
「なにかあったのではないか?」
黄ジャコブ様も、心配そうな表情だ。
「ご心配されているようなことは、なにもありませんでしたわ」
わたくしはなんとかほほ笑みを浮かべた。
「いや、しかし、『出ていけ』という声が……」
「サンドリーヌ嬢に向かって、あのような声を出すとは……」
青ジャコブ様と黄ジャコブ様が、わたくしの後ろにある扉に目をやった。
「本当に、なんでもなかったのです」
赤ジャコブ様はあの言葉と大声で、ご自身からわたくしを守ってくださった。
わたくしは、そんな赤ジャコブ様の名誉を守りたかった。
わたくしの後ろで扉が開き、赤ジャコブ様が旧ルイド邸から出てきた。
「今日は私とのデートだ。なぜここにいる!?」
赤ジャコブ様が他のお二人をにらんだ。
「「サンドリーヌ嬢が心配だったからに決まっているだろう!」」
青ジャコブ様と黄ジャコブ様が、声を合わせて言った。
赤ジャコブ様は、どこか不満そうにため息を吐く。
「サンドリーヌ嬢が一人で館から出てきたということは、お前とのデートはもう終わったということで良いな?」
黄ジャコブ様に問われ、赤ジャコブ様は渋々といった雰囲気で「ああ」と小さくうなずいた。
「それでは……。どうせ三人揃っているのだ。ここでサンドリーヌ嬢に誰と婚約するか決めてもらおう」
青ジャコブ様が、わたくしと他の二人を見た。
「それが良いかもしれないな……」
「そうするより、仕方あるまい……」
黄ジャコブ様と赤ジャコブ様は、あまり乗り気ではなさそうだった。
青ジャコブ様はなんだか自信ありげだけれど、他の二人は不安そうだわ。黄ジャコブ様と赤ジャコブ様は、わたくしへのアピールが不十分だったと思っているのかもしれない。
右から赤、黄、青の順番で、ジャコブ様たちが、わたくしの前にひざまずいた。
「サンドリーヌ嬢、これからも私のそばにいてくれ」
「もう一度、私と結婚してほしい」
「あなたを愛している」
赤、黄、青のジャコブ様が、わたくしを見上げて、片手を差し出してきた。
わたくしの答えは、すでに決まっている。
「わたくしは、ジャコブ様全員と結婚します」
誰か一人を選ぶなんて、わたくしにはできなかった。




