11.この方は、不器用な方
次にデートをしたのは、黄ジャコブ様だった。ジャコブ・ガストン様であり、王太子殿下の補佐官が主なお仕事で、いずれ宰相になるかもしれない方よ。
ガストン様一人分だけでも、すでに情報が多くて、覚えられる気がしなくなってくる……。
理解が追いつかないわ……。
黄ジャコブ様とのデートは、王宮でジャコブ様の呪いの調査結果を教えてもらうというものになった。
「あまりデートらしくないが……。サンドリーヌ嬢は、こういった話が好きなのではないかと思ったのだ」
ジャコブ様の遠慮がちな提案に対して、わたくしは「はい、大好きです!」と答えたわ。
デートも甘々でロマンチックなものばかりではなくて、博物館や美術館に行ったりする知的で落ち着いた雰囲気ものだってあるわよね。
青ジャコブ様とのアクティブなデートとは、また違った楽しさがありそうだと思ったわ。
わたくしはヴァーシヴル公爵家から出された迎えの馬車に乗り、王宮に向かったの。
元は平民上がりの子爵令嬢だったのに、もうすっかり公爵家の豪華な馬車にも慣れてしまっていた。
王宮は尖塔が何本もある、とても大きな城だった。白い石造りで、屋根は青。城のまわりを取り囲むように川が流れていた。
馬車は城門へと続く木製の跳ね橋を進んでいく。この跳ね橋は常に下ろされたされたままで、『この跳ね橋が跳ね上げられる時は、この国が敵に囲まれて滅びる寸前だろう』と言われている。
城の前には、国王陛下と王妃殿下、黄色い服のジャコブ様が立っておられた。わたくしが大聖女だから……。どう考えてもおかしいわよね。特に国王陛下と王妃殿下が立って出迎えてくれているのはおかしいわ……。だけど、もう、きっと気にしたら負けなのだと思う……。
ジャコブ様は今日は貴族らしく、ジュストコールという長い上着を羽織り、首元には白いヒラヒラのクラヴァットを巻き、ベストと共布のキュロットを身につけておられた。このようなお姿をしておられると、いかにも貴族といった雰囲気で、なんだか細身に見える。どうやらジャコブ様は、こういう格好だと着やせして見えるタイプのようね。
わたくしはジャコブ様に手を取られて馬車を降りると、国王陛下と王妃殿下に向かってカーテシーをした。
お二人もわたくしにお辞儀をしてくださった。わたくしが大聖女だから……。
お二人はわたくしとジャコブ様に、ゆっくりしていくよう言って、それぞれ政務に戻って行かれた。
「大聖女様というのは、本当にすごいものなのだな」
ジャコブ様は心から驚いておられるようだった。
「ええ、そうなのです……」
わたくしは、なんだか申し訳なくなってうつむいた。
『戦地に行った夫が、英雄になって戻って来る』
まあ、わかる。うん、普通にあることだわ。
『戦地に行っている間に、妻が大聖女になっていた』
普通ないわぁ……。しかも、大聖女になった理由だって、なにか奇跡を起こしたとかでもないしね……。
この国で崇められている女神様が逆ハーレムを形成する物語を書いて、大聖女認定とか……。意味がわからないわよ……。
わたくしもジャコブ様が三人になって戻って来て、理解が追いついていないけれど……。ジャコブ様の方だって、わたくしに対する理解が追いつかないかもしれないわ。
「サンドリーヌ嬢が私のために力を尽くしてくれたことはわかっている」
ジャコブ様はわたくしの手を取り、指先に口づけをしてくれた。
「なっ、あ……っ」
わたくしが驚いて顔を上げると、ジャコブ様はどこか満足げにほほ笑んでいた。
「心から感謝している。なにも恥じるようなことはない」
わたくしの脳裏に、唐突に『美しい美丈夫』という言葉が浮かんだ。なんだろう、この『頭痛が痛い』とか『新製品が新発売』みたいな言葉……。
言葉というのは時代と共に変化していくものらしいけれど、さすがに『美しい美丈夫』は二重表現だわ……。
今日のジャコブ様はなんだかキラキラしている。煌々と輝いているわ。光を放ちすぎて眩しいくらいよ……!
「どうかしたか?」
「い、いえ……」
ただちょっと、まるで関係ないことを考えないと冷静さが保てないくらい、ジャコブ様が素敵すぎるだけ……、とは言えなかった。
騎士服姿も素敵だったけれど、貴族服もとてもよく似合っておられる。もう似合っているとか、そんなレベルではないくらいに……!
ジャコブ様はわたくしを腕につかまらせると、王宮の中に入っていった。
王宮の使用人たちを代表して、総侍従長と総侍女長が、使用人たちを引き連れて並んでいた。
「大聖女様、ようこそお越しくださいました!」
総侍従長と総侍女長、使用人の方々が、一斉にお辞儀をした。
豪華な王宮と相まって、これは壮観だわ!
わたくしは大聖女の務めとして、並んでいる方々に向かって、笑顔を浮かべ、胸の前で手をふった。
思わず漏らしたといった感じの感嘆の声が、あちらこちらから聞こえた。手をふっただけなんだけど……。
わたくしは自分の人気について、よく把握していなかったみたいだわ。
自分というか、女神シャンタル様の人気? ……人気じゃないわね。信仰の対象ですもの。『信仰心の強さ』よね……?
わたくしはジャコブ様に連れられて、並んでお辞儀をしている王宮の使用人たちの間を抜けた。
石造りの廊下を歩き、美しい庭園の見える回廊を抜け、王太子宮にあるジャコブ様の執務室へと案内される。
大きな窓の前に、マホガニーの執務机。茶色の革張りのソファーセット。壁を覆い尽くす本棚には、ファイリングされた書類や、いろいろな本が並べられていた。
ジャコブ様は、わたくしを執務机の前に連れて行った。執務机の上には、様々な大きさの箱や、書類の束、何通もの手紙が置かれていた。
「王太子殿下の許可を得て、ここで呪いを解く方法を調べていたのだ。これらはその過程で収集した品々だ」
ジャコブ様は一通の手紙を手に取った。まったく飾り気のない白い封筒だ。
「そのお手紙は……?」
「『呪われし古城の魔女』に送った手紙の返事だ」
わたくしは絶句した。『呪われし古城の魔女』は、有名な伝説を元にした物語だ。わたくしは以前、この伝説に興味を持って調べてみたことがあったのよ。
『呪われし古城の魔女』は、似通った二つの伝説が残されている。千年を生きる魔女ジェルメーヌが、善なる者である場合と、悪なる者である場合よ。よくあるわよね、時の為政者の都合によって、伝説が改変されることなんて。
勝てば官軍、負ければ賊軍。この魔女の伝説も、権力者の民への働きかけに使われたのだろう。
――なんて、賢しらに考えていたことが、わたくしにもありました……。
ジャコブ様だって三人になるくらいですもの。古城の魔女が二人いたって、別に不思議でもなんでもない。むしろ、別な二人の魔女の物語である可能性が高いとまで思うわ。
「作者の方が生きておられるのですか?」
伝説を元に、二つの物語を生み出した方がいたということだろう。『呪われし古城の魔女』は、わたくしが幼い頃から存在していた物語だ。作者の存在なんて考えたこともなかったわ。
「それが、どうも創作ではないようでな。魔女ジェルメーヌが生きているという話があったため、手紙を出してみたのだ」
ああ……、まあ……、そういうことも……、あるかな……?
うん、あるある……。
ジャコブ様が呪いで三人に分裂するのよ。魔女ジェルメーヌが呪いで千年の時を生きていることだって、絶対にないとは言えないわ。
――サンドリーヌ、あなた、疲れてるのよ……。
わたくしは、自分がなにかを頑張りすぎているのではないかと思った。
「戸惑うのも無理はない。私としても、藁にも縋る思いで手紙をしたためたのだからな」
「すみません、少し驚いてしまって……」
本当は、少しどころではない。わたくしが暮らしていた世界は、呪われて千年生きている魔女に手紙を出したら、返事が来るような世界ではなかったはずよ。
「なぜか、勇者リオネル殿から返事が来た」
「あの……、魔女ジェルメーヌが惑わせたのだか、救出されたのだかした勇者は、フローリアン様では?」
「そうなのだが……。思うに、リオネル殿とフローリアン殿は勇者同士だ。付き合いがあるのではないだろか?」
これは魔女ジェルメーヌが二人いて、惑わせた勇者と救出した勇者も別人だった可能性が高いわね。
千年も時間があったのよ。同名どころか、同姓同名だっていっぱいいるわよ。
「リオネル殿は、『呪いを解くとか、二度と言ってくるな』とご立腹だ」
「なぜ……!?」
呪いは解きたいでしょう!? 解きたいわよね!? わたくしは解きたいわよ!?
「『長生きは良いことだ』とおっしゃっている」
「ああ、まあ……。そうですわね……」
健康で幸せでご長寿なら、それはね……。
おそらくリオネル様は、古城に囚われていた恋人を助け出した方の勇者様ね。
「なんとか魔女ジェルメーヌ殿に、呪いを解く方法をご存知ないか訊きたかったのだが……。リオネル殿が攻め込んで来そうな勢いでな……。諦めることにしたのだ」
「そうなのですか……」
もうそれは……、訊ねる相手が間違っていたとしか……。
「気を取り直して、今度は『呪いで鏡にされていたが、人間に戻った』という人物に問い合わせの手紙を送ってみたのだが……」
そんな人物の話は聞いたことがなかった。
ジャコブ様が手紙を手にして苦笑する。
「また呪いを解きたいなんて、まったく思っておられない方だったのですか?」
ジャコブ様が三人に分裂している状態も、わたくしがもし『複数のジャコブ様に取り囲まれて暮らしたい』という望みを持っていたら、夢が叶った状態ですものね。
「いや……、『呪いではなく、自分は元から鏡だった』という返答でな……」
「ああ……、そういう……」
わたくしとジャコブ様は、そのお気の毒な方のご病状が、少しでも良くなるよう願った。
「同様に、『自分は元から宇宙人だった』という返答をしてきた方もいてな……」
「各地でそのような症状の方が出ている、ということなのでしょうか? 伝染病である可能性がありますわ。この国も防疫に力を入れて、奇病を蔓延させない対策が必要ではないかと思います」
『自分は元から人間ではなかった』などと思っている人物が複数いるなんて……。その発想がもう、おかしすぎる。伝染する類の病気であるなら、この国に入り込ませてはいけないわ。
「この奇病については、すでに調査を始めている」
ジャコブ様は、書類の束を手に持って示した。中身はおそらく国家機密だろう。
「そうなのですね。ありがとうございます。わたくしがお礼を言うのも変ですけれど……」
ジャコブ様はご自分が呪われてしまっても、この国のために力を尽くしてくださっている。そんなジャコブ様は、誰かからお礼を言われた方が良いと思った。
「こちらは、時を巻き戻す力のある秘宝だと言われている。品王朝時代の品物らしい」
品王朝というのは、はるか東にあった国だ。皇帝が後宮なる場所にたくさんの女たちを集めたり、独特の文化を形成していたと聞いたことがある。
ジャコブ様は縦長のガラスの箱に入れられた、たくさんの金色の歯車が動いている物を見せてくれた。だいぶ前に見た、時計の中身の絵と似ていると思った。
「時を巻き戻す秘宝……」
どうやら品王朝時代には、『時間というのは、糸やリボン状になっている』という思想があったようね。糸車を使って糸紡ぎをしている様子を見た人が、『時も巻いて戻すことができるのではないか?』という発想をしたのではないかしら?
それとも、『機織り機』なるものを見たのかしら? 時の糸が、歴史という布地を織りなしていくけれど、それを解いて、糸玉に巻いて戻す……?
「巻き戻った、その時間は、どうなるのでしょう……? 消えてなくなるのですか……? 今、こうしてジャコブ様といる時間が、すっかり消えてなくなってしまうのは……、なんだか寂しく思えます」
「ああ、そうだな……。それに、巻き戻ったところで、同じ運命を歩まないようにする方法がわからないのだ」
「そうなのですか……。同じことをくり返してしまうのでは、意味がありませんものね」
「さらに、こちらは他国の女王陛下から借り受けた品物だ。使って壊してしまった場合、補償の問題が出てくる」
わたくしとジャコブ様は、動き続けている秘宝の歯車を見つめた。『使ってみたら、壊れて止まってしまいました』では許されないのでは……?
「この女王陛下の王配殿下が、先ほどの『呪いではなく、自分は元から鏡だった』という返答を寄越した狂人でな……。あの国とは、揉め事になりたくない」
「それは……、そうですわね……」
そんな国なのでは、秘宝を壊してしまったら、どう出てくるかまったく予測がつかないわ……。
「これはこのまま送り返すことになるだろう」
「そうですわね……」
返却する時に、壊れないでほしいわ……。信頼できる者に命じて、慎重に送り返してほしい……。
「国王陛下たちが呪術師を探してくれているが、まったく情報が集まらないようなのだ。それで、私が独自に『呪い』や『時を戻す』などの情報を集めてみたが、この有り様だ……」
ジャコブ様は、マホガニーの机の上を示した。
「少しずつ前に進んでいるはずですわ」
「早く元に戻って、サンドリーヌ嬢を安心させたいと思っているが……。力不足で申し訳ない」
「力不足など……。そんな風におっしゃらないでください」
『呪い』などという、これまでに体験したことのない、とんでもない災難。そんなものに対して、ジャコブ様はこれだけいろいろ考えて、調べてくださっているんですもの。充分に力を尽くしていただいていると思うわ。
「今は、このような状況だ」
「わかりました」
わたくしはジャコブ様に連れられて、ジャコブ様の執務室を出た。
◇
今度は、王宮図書館に向かう。
国王陛下から今日一日だけ、図書館の奥にある禁書室への出入りを許していただいているのだ。
ジャコブ様はこれまで、王宮図書館に普通に並べられている本を読み、調査してくれていた。
禁書室には、表に並べることができない本が置かれている。
わたくしとジャコブ様は、オークでできた大扉を開き、禁書室に入った。
古い本に張られた革や、虫よけとして置かれているハーブが混じりあった香りがした。
女神シャンタル様の活躍が描かれた天井画が、大きなシャンデリアの光に照らされている。
想像した以上に大きな本棚は、梯子を使わないと上の方の本が取れないだろう。
表に出すことのできない本が、これほどたくさんあるとは思っていなかった。
「サンドリーヌ嬢、まずは正攻法で、『呪い』や『呪術』に関連する本を調べてみようと思うが、どうだろうか?」
「それが良いと思います」
わたくしとジャコブ様は、『呪い』や『呪術』に関する本の並ぶ棚を探すことにした。
わたくしはジャコブ様の腕につかまって、閉じられた禁書室を歩いていく。
二人分の足音しか聞こえない。
まるでこの世界に、ジャコブ様と自分しかいないような気持ちになってくる。
「サンドリーヌ嬢は、本がかなり好きなのだろう?」
「はい。いつかこうして、王宮図書館の禁書室に入るのが夢でした。今日はジャコブ様に、わたくしの夢を一つ叶えていただきましたわ」
「本の好きな者は、この王宮図書館の禁書室を目指すと聞いたことがあったのだ。私はこの通り、仕事一筋で気の利かない男だ。このようなことしか、思いつかなくてな……」
ジャコブ様を見上げると、申し訳なさそうな顔をしていた。
ああ、この方は、不器用な方なのだわ……。
「とてもうれしいですわ」
わたくしがほほ笑むと、ジャコブ様は顔を真っ赤にして、顔を背けられた。耳も、首も、赤い。
「それは良かった」
その一言は、どんな甘い言葉よりも雄弁に、ジャコブ様のわたくしへの気持ちを表しているように思えた。
「ありがとうございます、ジャコブ様」
ジャコブ様は片手で顔を覆ってしまわれた。その手の甲までが真っ赤だった。
「戦地で、ずっとサンドリーヌ嬢のことを考えていた。御三家の争いのせいで、望まぬ貴賤結婚をさせてしまって、申し訳ない、苦労ばかりさせていると思っていた」
「そんなことは……」
ない、と言ったら、嘘になってしまう。たしかに最初は望まぬ貴賤結婚だったし、苦労もした。
だけど、あの結婚式の日――。
わたくしはこの方の力強い腕の中で、この方に恋をしてしまったのだ。
だから、ジャコブ様に生きて帰ってきて欲しくて、どうしてもまた会いたくて……。
おかしな物語を書いたり、エッセレ王国の王都に絵と文章を貼ったりした。
「サンドリーヌ嬢、それでも……。それでも、もう一度、私と結婚してほしい」
この不器用な愛しい方の求婚に、わたくしは「はい」とは答えられなかった。
それは、この方を選ぶという意味になってしまうから……。
わたくしにはまだ、三人のジャコブ様から一人を選ぶことなんて、できなかった。
その後、ジャコブ様とわたくしは、なんだか気まずい雰囲気になってしまった。
その上……。
禁書室でたくさんの本を調べてみたけれど、『呪術師本人か、より強い呪術師に解呪してもらう』以外には、呪いを解く方法は見つからなかった。




