10.これが英雄!
三人になったジャコブ様たちは、お互いを別な人物として認識しているようだった。元は同一人物なのに……。
だけど、本人たちにしてみたら、自分の目の前にいる二人の人物を自分自身だと考えることができないのだろう。
わたくしも三人どころか二人にだって分裂したことがないから、そのあたりの心理はわからない。自分がもう二人増えた時の対処法なんて、きっと勇者召喚されてきたサラリーマンだって知らなかったはずよ。
いきなり一卵性の三つ子になったみたいな感じなのかしら……? それなら、お互いを別人だと思っても仕方がないわよね。
そんなジャコブ様たちは、三人になってしまって、いつ戻れるかもわからない状態なので、それぞれ働くことにしたようだった。
青ジャコブ様は騎士団で団長をなさるらしい。
黄ジャコブ様は、引き続き公爵家の嫡男としてのお仕事をなさるとのこと。今は王太子殿下の補佐官が主なお仕事で、いずれ宰相になるかもしれないわ……。
赤ジャコブ様はというと、エッセレ王国で得た知識を生かして商会を立ち上げられた。すでにエッセレ王国の品物を王都に運び入れて、順調に商会を大きくしていっている。赤ジャコブ様の未来は、この国を牛耳る大商会の商会長かしら……。
もうね……、『逆ハーレムエンド』の香りしかしない……。
元は平民の出の聖女が、騎士団長と宰相と大商人を侍らせる『逆ハーレムエンド』だよね、これ!? 今後の元エッセレ王国の状況によっては、宰相はエッセレ王国の国王になるかもしれないし……!
どこで、どうして、こうなった……!?
あの凱旋式が『エンディング』とかいうものだったの!? この国の国歌が、『エンディングテーマ』とかいう曲だったの!?
いやいや、こうはならないでしょ……!?
わたくしは自分のローズブロンド色の頭を抱えることになった。
けれど、ジャコブ様たちの方は、他の二人とわたくしを共有するつもりはないようだった。
三人そろってわたくしを訪ねてきて、「一人ずつとデートを重ねて、誰を選ぶか決めてほしい」などと言い出した。
わたくしは大聖女ではあるけれど、元は平民だし、やはり王家やヴァーシヴル公爵家の意向は気になるところだ。
勘違いして付け上がった結果、命を落とすようなことにはなりたくない。そんな『ピンク髪の女』の末路みたいなことになるのはご免よ。
そんなわたくしにとって、ジャコブ様たちはやっぱり公爵令息様で、彼らの意向に逆らうのは心配だった。
まあ……、デートするくらいならね……。すぐに一人を選ぶわけではないし……。
こうして、わたくしは、まず青ジャコブ様とデートをすることになったのだった。
◇
青ジャコブ様は青い騎士服を着て、わたくしを自分が所属している騎士団の訓練施設に連れて行ってくれた。王都郊外にある騎士団の王都砦で、灰色の武骨な石造りの建物よ。
わたくしはジャコブ様に連れられて、まずは砦の見学をさせてもらった。地方から出てきた平民の出の騎士たちの宿舎からは、ローズブロンドの少年騎士が出てきて、わたくしとすれ違う時に耳元で「コイバラ」とささやかれた。
わたくしは少年騎士を追いかけたわ。
「ちょっと待って。どういうこと!?」
こいつ、絶対になにか勘違いしているわよね!?
少年騎士は鬼の形相で、わたくしの方に向き直った。
「『恋の薔薇咲く紅き夜』」
「『コイバラ』……!?」
つまり、略称が『コイバラ』で、正式名称が『恋の薔薇咲く紅き夜』ということを言いたいわけよね!? なんとなくだけど、理解したわ!
「やっぱり知ってるんじゃない! あたしはTS転生までして主人公になったのよ! モブ令嬢がセコい裏技で逆ハーレムなんて狙わないで!」
「え……!?」
わたくしがなにを知っているというの!? モブ令嬢!? TS転生ってなに!? 主人公というのは、ヒロインという意味!? このは少年騎士は『あたしがヒロインなのよー!』という意味のことが言いたいの!? たしかに逆ハーレムを形成しそうではあるけれど、わたくしの意思でやっているわけではないわよ!?
「ジャコブ様は絶対に渡さないわよ!」
わたくしにライバル心を剥き出しにして見せた少年騎士は、砦に向かって走って行ってしまった。
「すまない、サンドリーヌ嬢。おかしな者が紛れていたようだ。副団長に言って、退団させて故郷に帰すことにする」
「い、いえ……」
その『退団させて故郷に帰す』というのが、言葉通りの意味なのかが、まず心配で仕方ないわ……。わたくしはこの国の大聖女よ。そんなわたくしに対して、あの言葉遣い……。あれだけ様子がおかしいのだから、病院にぶち込まれるか、殺されるかしても不思議じゃないわよ……。
「私には……、騎士学校時代から、あのような者が寄って来ることが多くてな……。すでに三人目だろうか……」
「三人も……」
あの様子では、やっぱり呪われているのよね……? もしかしたら、『ジャコブ様専用の祠がある』まであるかもしれないわ……。そんな祠があるなら、三度もなんて壊されすぎじゃない!? 経年劣化していて、ちょっと触っただけで壊れるとか?
「なにも心配することはない。副団長に伝えれば、毎度上手くやってくれている。あの者が姿を見せることなど、二度とないだろう」
ジャコブ様はやさしく笑って、わたくしの両手を励ますように握ってくださったけれど、別な意味で不安しかないわ……。
ジャコブ様は内心で絶対に怒っていると思う。
わたくしは少年騎士のご冥福をお祈りすることにした。あの少年騎士は、この宿舎に住んでいるということは、平民の出なのだろう。この国に三つしかない公爵家の権力の前では、平民など吹けば飛ぶような存在ですもの……。
このジャコブ様の行動が、ヒーローの圧倒的な権力での『ざまぁ』に分類されないといいんだけれど……。すっごくそれっぽいけれど……。『ざまぁ』なんて、わたくしとは関係ないわよね!?
◇
わたくしはジャコブ様に促されるまま、宿舎の前から立ち去った。砦には敵を狙い撃ちできる中庭があったりして、ここで戦うことが想定されているらしい。
砦の裏庭には広い訓練場があって、馬に乗って矢を射る訓練をしている騎士たちを見せてもらった。
この訓練場には、騎士たち目当ての貴族のご令嬢や夫人たちが来ていて、訓練場を囲う木の柵の向こうで、静かに騎士たちを見つめていた。
ジャコブ様も馬に乗り、わたくしに騎射を披露してくださった。
最初はゆっくりと馬を走らせながら、矢を一本ずつ的の中央に正確に当てていった。これだけでも、すごいことだった。他の訓練している騎士たちは、的には当たっても、中央からは外れていることが多いもの。
ジャコブ様は馬のスピードを上げていき、馬の鞍をつかんで後ろ向きに乗り直した。わたくしにはそれだけでも神業に見えたのに、さらにそこから三本の矢を一度に放って、三つの的の中央に当てたのよ……!
見ていた騎士たちや、訓練の見学に来ていた女性たちから、すごい歓声が上がった。
――これが英雄!
わたくしは驚きすぎて、言葉を失ったわ。いくらなんでも強すぎでしょ!?
ジャコブ様はまた鞍をつかんで、前向きの騎乗スタイルに戻ると、わたくしの元に戻って来てくださった。
「すごかったですわ……!」
わたくしが言うと、ジャコブ様は満足げに笑って、わたくしの腕を引き、腰を支えて、馬上に引き上げた。
わたくしはジャコブ様の前に横乗りになった。ジャコブ様はわたくしの髪に頬擦りすると、まるで自分とわたくしの姿を見せつけるように、訓練場を一周してみせた。
「サンドリーヌ嬢、あなたを守るためならば、私はどんな敵も倒してみせよう」
ジャコブ様のほほ笑みが眩しいわ。眼差しもとてもやさしくて……。こんな元は平民だった女で、本当にいいの……!?
わたくしは最近はほとんど発熱しなくなっていたけれど、熱が出たのかと思うほどに顔が熱いわ。
「ジャコブ様!」
年若い騎士二人が、わたくしたちの乗る馬に荷物袋を取りつけて、ジャコブ様からお礼を言われた。
「サンドリーヌ嬢、見せたい景色があるのだ。柵を飛び越える。私にしっかりつかまっていてくれ」
ジャコブ様が馬の手綱を操ると、馬は勢いよく走り出して、木の柵を飛び越えた。わたくしは驚いて、ジャコブ様のたくましい身体にしがみついた。ジャコブ様は、そんなわたくしの背中を片腕でしっかり抱きしめてくれた。
「絶対に落としたりしない。安心してくれ!」
いや、そんなことを言われましても……!
柵を飛び越えたのにも、力強く抱きしめられたのにも、ものすごくドキドキしたわ……!
背後では、男女の歓声が聞こえた。騎士たちと女性たちは、大興奮なようね。
ジャコブ様はそのまま王都を出て、『女神シャンタル様が初めて戦闘を行った』という伝説のある森の方へと向かった。『いたずら小枝』などという、ふざけた名前の木の枝の魔物だったと伝えられている。けれど、きっと森を抜けようとして、野盗に襲われたのよ。野盗となった孤児たちが襲ってきたから、女神シャンタル様は『小枝にいたずらされた』ということにして、お許しになったのではないかしら? お心の広い女神シャンタル様が、いかにもなさりそうなことだわ。わたくしたちは、女神シャンタル様のこの寛大なお心をこそ、学ぶべきなのよ。
――なんて思っていたことが、わたくしにもありました……。
こうしてジャコブ様が呪いで三人に分裂したお姿を見てみると、本当に女神シャンタル様が『いたずら小枝』と戦った、なんてこともあるかもしれないと思い始めてしまうわ……。
意外と人生って、なんでもありなのかもしれないわよね……。
だいたい、わたくしのような『ほぼ平民』と蔑まれていた子爵令嬢が、公爵令息様の腕に抱かれて、こうして馬で草地を駆け抜けているんですもの。そんな風にも思っちゃうわよ。
――ピューィ!
空で鳥が鳴いた。わたくしが雲一つない青空を見上げると、一羽の黒っぽい鳥が飛んでいた。
鳥の鳴き声なんて、ずいぶんと久しぶりに聞いた気がした。戦争が起きて、大聖女になって、できる限りのことをしているうちに三年が過ぎて、ジャコブ様が戻ってきたら三人になっていて……。
――三人だっていいじゃない。
急に、そんな風に思えた。
ジャコブ様は大した怪我もなく、病むこともなく、無事に戻って来てくださった。わたくしは、それで充分に幸せだわ。
「こうして連れ出してくださって、ありがとうございます」
わたくしはジャコブ様を見上げた。ジャコブ様はやさしく笑って、うなずいてくださった。
草地を心地よい風が吹き抜けて、ジャコブ様の金色の髪を揺らしていった。
ああ、わたくしは、この方を好きなのだ……、と思った。
そんなことを考える余裕すら、長いことなかったけれど……。
大聖堂でステンドグラスから光が差す下を、ジャコブ様に抱えられて大神官の前まで行った、あの時――。わたくしはあの短い時間で、ジャコブ様に恋をしてしまった。わたくしを抱く力強い腕や、決然と前を向く端正な顔。そのすべてが、わたくしの心を震わせたのだ。
「無事に……。いいえ……、元気で戻って来てくださって……、本当によかった……」
わたくしの目から、涙がこぼれた。
ジャコブ様は手綱を操り、馬がゆっくりスピードを落としていき、草地の真ん中で止まった。
わたくしはジャコブ様の胸にすがりついて、子供のように泣いてしまった。
――この方が帰って来てくださって良かった。
ジャコブ様の無事を祈りながら暮らした三年の結婚生活が、『白い結婚』と言われ、結婚が解消されて、すっかりなかったような扱いになって悲しかった。
たしかに三年間、ずっと離れ離れだったわ。
けれど、それでも、あの暮らしもまた、わたくしにとっては、わたくしとジャコブ様のかけがえのない結婚生活だったのよ……。
いろいろな思いがこみ上げてきて、それらは言葉ではなく涙となり、とめどなく流れ落ちていった。
ジャコブ様はそんなわたくしを胸に抱き、「すまなかった」と何度も謝ってくださった。
「寂しい思いをさせてしまった」とか、「悲しい思いをさせた」とか、「辛かっただろう」とか……。
それに、何度も「愛している」と教えてくれた。
「あなたのような女性は他にいない」
と言われた時には、泣き笑いになったわ。
夫に援軍を送るために、物語を書いて本にして、その結果、大聖女になる女性なんて……、まあ……、なかなか他にいないわよね。
「戦争は……、もう嫌です……」
こんな子供のわがままのようなことを言っても、ジャコブ様を困らせるだけだとわかっていた。けれど、心から、戦争なんてもう嫌だった。
わたくしはジャコブ様の青い騎士服の胸に顔を埋めた。
「ああ……、そうだな」
ジャコブ様の大きな手が、わたくしの背中を何度もなでてくれた。わたくしはそれが心地よくて、甘えるようにジャコブ様の胸に頬を押しつけた。
「英雄になんて、なっていただかなくてよかったのです……。それよりも、ただ一緒にいてほしかったのです……」
父と兄も戦争で英雄になって、その縁で、わたくしはジャコブ様と結婚することになった。それはいろいろな意味で、すごいことだったのだろう。
だけど、わたくしは父と兄が戦争に行った時も、ただ『無事に戻って来てくれるように』と、毎日毎日、女神シャンタル様にお祈りしていた。『英雄になって帰って来てほしい』なんて祈ったことは一度だってない。
わたくしだって、戦わなければならない時があることくらい、ちゃんとわかっている。
いくら戦争は嫌だと思っていたって、他国が攻め込んでくることもある。そして、そんな戦争に負けたら、わたくしたちは他国の奴隷にされたりする可能性だってある。
今回の戦争は、フィデリス砦のあるあたりの土地を巡ってのものだった。よくある、どちらの領土かという話よ。わたくしの生まれる前からの両国間の揉め事ね。
戦争が嫌だからって、領土なんて大切なものを、簡単にくれてやるわけにはいかない。
すべて、わかっている。
それでも、心から、戦争なんて嫌だと思った。
「すまなかった」
ジャコブ様は謝ると、ゆっくりと馬を歩かせ始めた。
わたくしはなんだか恥ずかしくなって、ジャコブ様の胸に顔を埋めたままじっとしていた。
ジャコブ様は、わたくしが落ち着いてきたと思ったのだろう。またゆっくりと馬のスピードを上げていった。
わたくしとジャコブ様は、森の中にある美しい小さな泉や、森を抜けた先にある山々を映す湖を見てまわった。
湖の畔では、地面に敷布を広げて、二人でサンドイッチを食べた。サンドイッチは、かつて旧ハビリセン城に幽閉されていた悪役令嬢も食べたという伝説が残っている。とても長い歴史のある食べ物なのだ。異界からサラリーマンが勇者召喚されて来なかったら、もしかしたらサンドイッチはこの世界に存在しなかったかもしれない。サンドイッチはおいしいし、いろいろ便利な食べ物だから、サラリーマンがこの世界に来てくれてよかったわ。
「悪役令嬢の伝説になぞらえて、プリンも持ってきた」
ジャコブ様は愛らしい瓶に入ったプリンを渡してくれた。
「プリン!?」
この瓶に入った茶色とクリーム色のものがプリンなの!?
そんな伝説の食べ物をここまで持ってきたというの!?
「ジャコブ・エドガーが、エッセレ王国の書庫でレシピを発見したのだ。あいつはこのプリンで財を成すつもりのようだ」
ああ、そうやって赤ジャコブ様は、大商人になるというわけなのね……。なんとなく……、そんな感じの話を聞いたことがあるような……?
ジャコブ様が銀色のスプーンを渡してくれた。
わたくしは呆然としたまま、クリーム色の部分をすくって口に入れた。やさしい甘みが口に広がり、舌の上で蕩けて消えた。
「この茶色の部分はカラメルと呼ばれていて、プリンの美味しさの一翼を担っているらしい」
クリーム色の部分だけでも、すでに相当おいしかったのだけど……。
わたくしは瓶の底までスプーンを突っ込んで、茶色の部分を食べようとした。茶色の部分は液体だったようで、クリーム色の部分と混ざりあってしまった。
これでいいのかわからない……。けれど、混ざってしまったものは、もうどうしようもないわよね……。
わたくしは茶色にまみれたクリーム色の部分を口に運んだ。
――すごくおいしかった。
ほろ苦い茶色の部分――カラメルと、クリーム色の部分の甘み。
それらが蕩けて消えた末に、舌の上に残るのは、滋味――。
「材料は、牛乳と卵と砂糖だけらしい。カラメルは、砂糖水を焦がしたものだと聞いた」
牛乳と卵の栄養あふれる味に、焦げた砂糖水が上品な深みを与えている。
プリンというのは、こんな奥深い味わいの食べ物だったのね……。
「おいしいですわ……。ありがとうございます」
「礼なら、ジャコブ・エドガーとのデートで言ってやってくれ」
ジャコブ様が少し拗ねたような顔をされた。
「はい。そういたします」
わたくしはそんなジャコブ様に苦笑しつつ、プリンを食べ続けた。
ピクニックを終えると、わたくしたちは王都への帰途についたのだった。




