1.あなたと婚約しに来たんですけど!?
わたくしが後に夫となる方と初めて会ったのは、落ち葉の舞い散る秋。
十六歳になったばかりの頃のことだった――。
わたくしの実家は、わたくしの母が亡くなった三年後に、父の戦功により叙爵して男爵家となった。
さらに、男爵となった父が子爵令嬢と再婚したことと、兄がその見目麗しさと勇猛さでもって伯爵家から妻を迎えたことにより、子爵家に格上げとなった。
我がリズヴォー子爵家の二人の男たちは、最近では『当代の英雄』などと呼ばれている。
わたくしは今でこそ子爵令嬢だけれど、人生の大半を『元平民の男爵家の令嬢』として生きてきた。
だから、本来であれば、わたくしはヴァーシヴル公爵家の白一色の壮麗なる城の、裏庭という名の森の手前で、夫となる方と出会うなんてことはなかったはずなのよ。
その日、わたくしはローズブロンドの髪を流行りのスタイルに結い上げて、紫色の瞳と同じアメジストのネックレスをし、ピンクのフリフリのドレスを着ていた。
新興の子爵家の令嬢にできる精一杯の豪華な装いよ。
あの時のジャコブ・ヴァーシヴル公爵令息は、『神速将軍』などというスマートそうな二つ名よりも、ずっと荒々しいお姿をしていた。
ジャコブ様曰く『小ぶりな猪』を左肩に、右肩に弓矢を担いでいたの。ジャコブ様は金髪に青い瞳で、服装はよく覚えていないけれど、たしか白いシャツと茶色のパンツを身につけていらしたわ。
ジャコブ様のまわりには三匹の猟犬たちがいた。茶色くて、顔がしわくちゃで、耳が垂れていて、目つきが鋭くてね。それに、とにかく体力がありそうな犬たちだったわ。
わたくしの目は、十歳も年上の未来の夫より、猪に釘付けだった。お貴族様ならばハンティングトロフィーとして、猪なんて見慣れているでしょうね。あら、猪はハンティングトロフィーにはしない? 鹿だけだったかしら……? よくわからないわ。
とにかく、わたくしは陰で『ほぼ平民』なんて呼ばれているだけあって、この日、初めて『狩られた猪』を見たのよ。豚の頭なら肉屋で見たことがあるんだけど……。あの時は恐ろしくて倒れたわ。
わたくしは病弱なせいで王立学院にもまともに通えていなかったから、貴族の令嬢のお友達なんてものもいなかった。ハンティングトロフィーも、狩りの獲物も、見る機会がなかったの。
わたくしのお友達なんて、体調が良い時に読む本くらいのものよ。
「あなたは……、ルノーの妹か?」
ジャコブ様に問われて、わたくしは慌ててカーテシーなるお辞儀をした。あまりちゃんとはできていなかったと思う。あれってかなりの筋力が必要なのよ。
ルノーはわたくしのお兄様で、見習い騎士の時にジャコブ様の従騎士をしていたの。この婚約は、その縁で結ばれたのよ。
普通ならば公爵家の一人息子は、いくら自分の元従騎士の妹でも、子爵令嬢なんて娶らないけどね。
「リズヴォー子爵家のサンドリーヌでございます」
わたくしはちょっと腹が立っていた。だって、ジャコブ様は、わたくしが訪ねて来ることをご存知だと思っていたんですもの。ご自分が婚約するのよ。当然でしょう。
「ルノーによく似ているな」
だからなんなの、と思ったわ。わたくしが気に食わないの? こっちだって気に食わないけれど、子爵家は公爵家に婚姻を申し込まれたら断れないのよ。
「ここでなにをしている?」
「……はっ?」
思わず、声が漏れちゃったわ。あなたと婚約しに来たんですけど!?
わたくしはすごい勢いで、ここに案内してきた年嵩の侍女を見た。どういうことなの!? 説明しなさいよ!
「坊ちゃまの婚約者様でいらっしゃいますよ」
「なんだと!? どういうことだ!?」
ジャコブ様は侍女に向かって、まるで凄むような声を出された。
「旦那様と奥様がご相談されて、坊ちゃまの従騎士の家に申し入れられたのですよ」
侍女は平然としている。
ジャコブ様は信じられないとでもいうように、わたくしを見ていた。半ば瞳孔が開いていたのではないかしら……?
「そうではない……!」
ジャコブ様は猪と弓矢を放り出し、その場にしゃがんで頭を抱えられた。
なにが『そうではない』のだろう……?
ヴァーシヴル公爵家は、このドルミーレ王国にたったの三つしかない公爵家の一つだ。勇猛のヴァーシヴル家、英知のヴラドライ家、博愛のヴァーズ家である。御三家なんて呼ばれていて、姓は違えど、御三家とも王家のご親戚よ。
侯爵家は今では……、八つだったか、五つだったか……。元は建国の功臣たちよ。力をつけると王家にすぐ粛清されているわ。
伯爵家も建国の功臣で、侯爵家に従って戦った者たちね。三十ほどはあるかしら?
子爵家と男爵家は、ものすごい数よ。建国時には、子爵家は王家寄りで静観していた者たちで、男爵家は王家の対立派閥でなんとか生き残った者たちだった。どちらも、今では、お金持ちの平民が買ったり、騎士や研究者などが叙爵されてなったりしているわね。
建国当時には、異界の日本なる場所から勇者召喚されたサラリーマンなる男性によって、寄親寄子制度なる貴族の結束を高める制度が敷かれたことがあったらしいの。サラリーマンは戦国大名がどうとか今川家とか言っていたらしいけれど、詳しく記録が残っていないのよね……。気になるのに。高位貴族は寄親となり、寄子の下位の貴族たちの世話をして、有事には寄親が寄子たちを指揮しながら戦場で戦うの。
その制度も、ドルミーレ王国が軌道に乗ると、王家によって貴族の弱体化のために廃止されたのだけど……。
王族は権力争いが激しくて、この国では『臣籍降下』なんて言葉はほぼ死語よ。権力争いに破れたら、死ぬか平民落ちするしかない。
とにかく、ヴァーシヴル公爵家はほぼ王族で、普通はご嫡男の奥方様なんて王族から誰かを迎えるはずなの。それなのに『ほぼ平民』の子爵令嬢に婚約を申し入れるなんて、いかにも訳アリでしょう?
「なぜ、そうなるのだ……!?」
知らんけど……、というのが、わたくしの感想よ。
わたくしはここでなにをやっているのだろう……?
新興の我がリズヴォー子爵家は、寄親なんていたことがない。ヴァーシヴル公爵家とは、特になんの関係もないの。本当に、お兄様がただジャコブ様の従騎士だったというだけなのよ。
……これだけいろいろ考え事をしながら待っていても、ジャコブ様は立ち直ってくれない。
正直、もう帰りたかった。
お城の見学とかも、別にどうでもよかったし。
ジャコブ様は、どうも人がお好きではないという噂だった。わたくしがお嫁に来たら、どうせこの壮麗なお城にある白一色の美しい尖塔のどれかに幽閉されて、そのうち死ぬだけでしょう? そういう小説を読んだことがあるわ。
「サンドリーヌ嬢、申し訳なかった」
ジャコブ様は蒼白な顔をして立ち上がった。
犬たちが心配そうにジャコブ様を見上げている。犬たちはかわいくていいわ。癒される。
「いいえ、とんでもありません」
わたくしが聞いていた話では、ジャコブ様という方は、小柄で小太りだというお話だった。
小柄とはなんだったのか……? どう見たって、背が高い。なにとの比較によって、小柄ということになったのだろう? 意味がわからない。
体格はたしかに良いわ。だけど、太ってなんていない。服を着ていても、全身がすごい筋肉の鎧で覆われているのがわかるわ。どれだけ鍛錬しているのかしら……?
さらに、『神速将軍』なんて呼ばれて、呼び方こそ格好良いけれど、せっかちで軍紀に従わない不良騎士みたいに言われている。
副官が敵の中に取り残されたのを、総大将である王太子殿下の出撃命令を待たずに救出しに向かったのよね。
それは、たしかに『上官である王太子殿下の命令に従わなかった』ということになるのだろう。だけど、それを軍法会議で責めまくる必要はないのではないかしら? しかも、責めたのは戦地に行っていない上位貴族たちなのだから呆れちゃうわよ。
わたくしは軍隊のことはよくわからないから、部下思いなんだなあ、と思ったわ。
しかも、手勢の百騎を率い、自ら先頭に立って敵を蹴散らして救出したというのだから、ものすごく強いんだなあ、という感想しか出てこなかった。まるで英雄譚の主人公よ。
ああ、でも、ジャコブ様は英雄譚の主人公みたいな美麗な男性ではないわね。英雄の方たちって、みんな『均整の取れた細身の美男子』だもの。
ジャコブ様はとにかく厳つい。腕も足も胴体も太い。『小太り』とは違うけどね。
どうしてこの方が『小太り』なんて話になったのだろう……? いろいろよくわからない。
まあ、そんなことよりも、もう帰りたいわ……。
「私の噂は聞いているか」
「ええ、まあ……」
この返事が礼儀正しいのかわからないけれど、こう答えるしかない。
どれも聞いていますわ。『小柄』で『小太り』な『神速将軍』で『不良騎士』なのよね。
年齢の近い王太子殿下と他の二つの公爵家のご嫡男とつるんで、王立学院時代はだいぶヤンチャなこともしていらしたとかもね。
「ディディエに子供が生まれてな。両親が自分たちも孫を見たいと言い出したのだ」
ディディエ様は、博愛のヴァーズ公爵家のご嫡男だ。ヴァーズ公爵ご夫妻は、初孫フィーバーですごいと噂になっていた。
これ、「それは大変ですね」なんて返事をしても良いのかしら……? 不敬に当たりそうよね? 公爵令息みたいな高位の貴族となんて話したことがないから、どう返事をしたらいいのかわからないわ。
「たしかに私は『不良騎士』などと呼ばれて婚約破棄され、新たな婚約者の目途も立っていない。だが、子爵家ごときの成り上がりに利用される気はない。帰れ」
すごい棒読みで侮辱されたんだけど……。なんなの……?
まあね……、我がリズヴォー子爵家は、上昇志向だと思われても仕方ないのよね……。父の代で男爵家になり、兄の代で子爵家になり、兄の妻は伯爵令嬢ですものね。これで、わたくしが公爵家に狙いを定めても、不思議ではないわよね。
だけどさ、ここ、王立学院じゃないんだわ。子爵令嬢が公爵令息様の腕にしなだれかかって、婚約者の方を蹴落とすとか、そういうことはできないんだわ。
「ここは王立学院ではないのだ」
こいつ、ぶん殴っていいかな? お前が言うな、だわ。
わたくしだって帰りたいけど、そうもできない。
もう今日の今日から行儀見習いに入っていて、今もう城の内部を覚えている途中なんだわ。
わたくしの父と、ヴァーシヴル公爵との間で、すでに婚約を成立させられちゃっているんだわ。
わたくしはすでにあなたの婚約者で、半年もしたら結婚して公爵令息夫人になるんだわ!
こっちは子爵令嬢だから、断るに断れないんだわ!
「あー、わんちゃん、厳ついわ。そんなにモフモフでもないのね」
わたくしは公爵令息様を無視することにした。たしか、サラリーマンがボルドー・マスチフと呼んだという伝説のある犬種だ。ボルドーってなに? サラリーマンが語ったダンボールとかいう紙製の箱の仲間?
わたくしは身を低くして、わんちゃんたちと視線を合わせようとした。飼い主さんのお許しを得られそうにないので、撫でようとしたりはしない。知らない人にいきなり撫でられたら、わんちゃんたちだって怖いわよ。それで怯えたわんちゃんが噛みついたら、わんちゃんたちの方が悪者になってしまうの。世の中って理不尽よね。
「ジャコブ、おお、もうサンドリーヌ嬢と会ったのか!」
ヴァーシヴル公爵の声が聞こえてきた。
わたくしは慌てて立ち上がって、声のした方へと向き直った。
ヴァーシヴル公爵が奥方様をエスコートしながら、こちらに歩いてきていた。お二人ともジャコブ様と同じ金髪に青い瞳で、とても上品な中年のご夫婦だ。
「あなたがよくお話をしていた美貌のルノー元従騎士の妹ですよ!」
という奥方様の声を聞きながら、わたくしはヴァーシヴル公爵ご夫妻にカーテシーをしてみせた。
ヴァーシヴル公爵家では、お兄様のどんなことが語られていたのだろう……。不安しかない。
「あらあら、サンドリーヌ嬢、そんな他人行儀なことしなくていいのよ!」
ほぼ他人です。まだ他人です。さっきご子息と婚約しただけです。
「サンドリーヌ嬢は先ほど私に侮辱されたので、これから怒って帰るところです」
ああ、さっきのはそういう策略だったの……。普通に腹が立っただけだったんだけど……?
ジャコブ様の言葉を聞いたヴァーシヴル公爵ご夫妻は、その場で流れるような美しい動作でもって、二人そろってひざまずかれた。
「えっ!?」
わたくしはヴァーシヴル公爵ご夫妻と、わたくしの背後に立つジャコブ様を首をブンブン振って見比べた。
公爵ご夫妻が子爵令嬢に向かってひざまずくことなんてある!?
なんなの!? なにが起きているの!?
わたくしも急いでひざまずいた。
公爵ご夫妻がひざまずいているのに、子爵令嬢が立っているわけにはいかないわ!
「サンドリーヌ嬢、どうか息子を許してほしい! 我が家は他の二家に後れを取るわけにはいかんのだ!」
ヴァーシヴル公爵が悲痛な面持ちで叫んだ。どういうこと!? 他の二つの公爵家となにを競っているの!?
「ヴァーズ家には先を越されましたけれど、ヴラドライ家には……! ヴラドライ家には先んじたいのです!」
奥方様まで!? 子爵令嬢にひざまずいて許しを乞うほど!?
えっ!? これってさっきジャコブ様との話に出た初孫フィーバーのことだよね!?
「恐れながら……。わたくしが嫁いだとて、必ずしもお子を授かれるとは限りません。人の身体は不思議なもの。どれほど強く望んだとて、お子を得られぬこともございます」
こう言えばわかるかしら? お貴族様方はどうか知らないけれど、平民は子供が欲しくても授からないってこともけっこうあるのよ。
「それはわかっている……! わかっているが……!」
ヴァーシヴル公爵ご夫妻が泣き出してしまわれた……! そんなに……!? そこまでなの……!?
「お願いよ、サンドリーヌ嬢……。勇猛のヴァーシヴル公爵家が……、他の二家と並び立てるよう……」
そんなんなの!? 高位のお貴族様がわからない……! 初孫とか、そんなことまで!? この方々は常になんでも競っているの!?
「そんなことで子爵令嬢に泣いてすがるな」
ジャコブ様がひどく冷たい声で言われた。温度差がすごい……!
もう無理! いろいろ無理! 公爵家がわからない!
「お嫁に来てくれるだけでいいの! そうしたら、孤児院からでも赤子を連れて来られるから!」
手段……! それで実子が生まれたら、その孤児はどうなるの!? 嫡男のまま!? ヴァーシヴル公爵家の血塗られた歴史が、ここに開幕しちゃわない!?
「そんなことダメに決まっているだろう」
ジャコブ様がまともなことを言っている。
それより公爵ご夫妻を立たせて……!
「あなた方がそんな風だから、私は『私の元従騎士であるルノーの方が、ずっとまともで付き合いやすい』と言ったのだ」
この公爵ご夫妻に比べたら、お兄様はたしかに常識人だけど……! 比べる対象が、ただの子爵令息であるお兄様でいいのですか……!?
「サンドリーヌ嬢、今日はもう帰りなさい」
ジャコブ様はそう言うけれど……。本当に帰っちゃっていいの……!?
「ダメよ! 帰さないわ! ジャコブの評判が地に落ちて、めぼしい令嬢からは、ことごとく婚約の申し込みを断られたのよ! ジャコブ、サンドリーヌ嬢と結婚して子供を作るのよ!」
「それは令嬢たちが、あなた方の奇矯な振る舞いに恐れをなしたからなのではないのか!?」
ジャコブ様、わたくしも恐れをなしております……! わたくし、さっきからぶるぶる震えております……!
「貴族は名誉を重んじる! 絶対に負けられぬ!」
最上位の貴族、恐ろしい……!
わたくし、子供を授かれなかったら、絶対に殺されると思う!
「すでに嫡男の婚姻で、かなりの後れを取っているの。わかるでしょう?」
奥方様がジャコブ様に言い聞かせるように言った。
なに一つわかりません……!
「サンドリーヌ嬢、絶対に大事にするから結婚して!」
奥方様が叫ばれた。
わたくしが結婚するのは、奥方様なのでしょうか!?
だいたい、子爵令嬢でいいの!? 公爵家でしょう!?
「どうか妻になってほしいの、サンドリーヌ嬢!」
わたくしが妻になるのは、奥方様の!? ではないですよね!?
「結婚とは本来、愛しあう者同士が結ばれるものでございました。今でこそ、貴族の婚姻は家のため、政略によってするものとなっているようでございますが……。このドルミーレ王国の前身たるドラス王国を建国した女神シャンタル様も、ケルベロスと愛しあい婚姻したと伝えられています。ジャコブ様も今のご年齢まで独身を貫かれたのですから、このまま愛しあえる方との出会いを待たれることが、女神シャンタル様のお心に適っているのではないかと思われます」
わたくしは建国の女神様の神話を持ち出して、公爵ご夫妻の説得を試みた。
神話では『女神様がケルベロスと愛しあって建国した』なんてことになっているけれど、実際はただの王女様だったらしいシャンタル様が、三人の忠犬のような騎士たちを従えて建国したのでしょうね。神話なんてそんなものよ。
「女神様はケルベロスの生贄に差し出されて、そこでケルベロスに見初められたそうよ! あなたもわたくしたちに見初められたのよ!」
奥方様が叫ばれた。まあ、そういう説もあるとは聞いたことがあるけどね……。これだから『諸説あります』っていうのは厄介なのよ……。
「女神様が生贄にされたなど、女神様と三人の騎士たちを貶めるために作られたお話です。女神様への冒涜ですわ」
ちゃんと考えてみてほしいわ。王女様が三人の男に生贄に差し出されるとか、かなりハードなお話じゃない。王女様がそんな境遇に陥ったら、建国以前に死んでしまうわよ。
「なんですって!?」
奥方様が叫び、公爵閣下が「冒涜はまずいぞ」とつぶやかれた。
だいたい、ケルベロスなんていないじゃない。この国の空をガルーダが飛んでいるのも、フェンリルが疾く駆け抜ける姿も、なんなら専用BGMと共に巨大エビが海から上がってきたことだってないわ。
建国神話に出てくる魔法だのモンスターだのなんて比喩に決まっているじゃないの。実際には、気性の荒い王女様が、配下の騎士三人と共に王位を簒奪したのよ。
「女神シャンタル様は『淡い桜色の髪に、菫色の瞳を持つ』と伝えられております。つまり、『ピンク髪』をお持ちだったということです。『ピンク髪の女が現れて逆ハーレムを形成した』という伝承は、世界各地に残されております。女神シャンタル様も三人の騎士たちを魅了し、騎士たちは女神様にドラス王国を捧げたのでしょう」
わたくしは公爵夫人に向かって畳みかけた。
記録などは残っていないけれど、その三人の騎士たちが、我が国の御三家の祖となったと考えられている。シャンタル様に仕えた彼らには、幼馴染の三人組だったという言い伝えが残っていた。
公爵ご夫妻は、わたくしに反論して来なかった。ただその場でぶるぶると震えていた。先ほどまでとは立場が逆転したわね。
「母上を言い負かすとは、なんという女だ!」
ジャコブ様が笑い出した。誰のために反論したと思っているの!? 笑い事じゃないわよ! ジャコブ様がわたくしと望まぬ婚姻をしないで済むよう、こうしてご両親を説得しているんじゃないの!
「サンドリーヌ嬢」
ジャコブ様がわたくしの腕をそっと引っ張って立たせてくれた。そして、わたくしの前でひざまずく。
えっ、今度はジャコブ様まで!?
「あなたを気に入った。絶対に大事にすると誓う。どうか我が妻になってほしい」
ジャコブ様はわたくしの前で、右手を胸に当てた美しい騎士の礼をした。
えっ、どのあたりを!? 気に入られる要素なんてあった!? 身分の差を完全に無視して、公爵夫人様に力いっぱい反論した無鉄砲なところ!?
「あなたを我が妻に迎えられたなら、これ以上の幸いはないだろう」
ジャコブ様がわたくしを切なげに見上げてきた。
わたくしはジャコブ様に向かって右手をさし出した。
ジャコブ様はわたくしの手をとると、指先にそっと口づけた。
◇
我が国と隣国とは、今は停戦中だ。
けれど、おそらく、そう遠くないうちに、また戦が再開されるのだろう。
ジャコブ様は、ヴァーシヴル公爵家の一人息子だ。
公爵閣下は、あまり丈夫ではない奥方様を心から愛していて、どうしても他の女性との間に子供を作る気になれなかったという話は有名だった。
ヴァーシヴル公爵家は、女神様に仕えた英雄の家系を、ここで途絶えさせるわけにはいかない。
そして、この国は、次世代にも『英雄となれる者』を求めている。
わたくしの父も兄も、体格が良く、容姿に優れ、武芸に秀でている。そんな『当代の英雄』リズヴォー子爵家の血を、ヴァーシヴル公爵家は欲したのだろう。
――戦況が、次世代の誕生を急ぐほど悪いなんて、まったく知らなかったわ。
わたくしには、必ずジャコブ様のお子を産めるなんて保証はない。
だけどね、わたくしにもリズヴォー家の血が流れているの。
進む時も、転ぶ時も、常に前よ。
たとえ地面に押さえつけられても、砂をつかんで起き上がる。
その砂を敵の顔面に投げつけて目を潰し、武器を奪って、すべての敵をなぎ倒す。
ただ立つだけでは満足しない。
それがリズヴォー家なの。
わたくしだって、なにかしらで、この国の役に立ってみせるわ。
役に立つ方法なんて、子を産むこと一つだけじゃないもの。
病弱だとか、女だとか、そんなことは関係ない。
わたくしは、サンドリーヌ・リズヴォー。
ヴァーシヴル公爵ご夫妻にも、ジャコブ様にも、わたくしを選んで良かったと思わせてやるわ!




