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第5話 魔法使いをやめた日Ⅴ ―嵐の前兆―

 夕暮れ前の丘の上。

 学舎の屋根に夕日が反射し、瓦は黄金色に輝く。

 空は茜色から紫へと移ろい、森の木々は影を長く伸ばしていた。

 風はいつもより重く、少しざわついている。

 小鳥の鳴き声がかすかに途切れ、空気には異変の気配が漂う。


 教室で魔法の練習をしていた子どもたちは、窓の外の変化に気付いた。

 木々がざわめき、葉が渦を巻くように揺れている。

 ミナは窓辺に立ち、視線を森の奥に向ける。

 遠く、木々の間に黒い影が動いているのが見えた。


「……魔獣……?」


 低く、唸るような音が風に乗って届く。

 子どもたちは怯え、声をひそめる。

 小さな手が机の下で絡み合い、誰も動けない。


 ミナは深呼吸し、心を落ち着ける。

 指先に残る魔力を意識し、昨日完成させた魔法陣の力を思い出す。

 心臓が早鐘のように打つが、子どもたちのために逃げるわけにはいかない。


「みんな、落ち着いて。私がなんとかするから……!」


 背後で、レオンが静かに見守る。

 杖も魔法も使えない男だが、目には知識と経験が宿っていた。

 微かな手振りで指示を送る。


「魔法陣の中心を意識しろ。風の流れを読み、外側に力を分散させるんだ」

「はい、師匠……!」


 子どもたちは恐怖に震えながらも、ミナの言葉に励まされ、机の下から顔を上げる。

 小さな勇気が少しずつ芽生える。


 森の中で風が渦を巻き、黒い雲が低く垂れ込める。

 木々が軋み、枝が折れる音が響いた。

 遠くで魔獣の咆哮が轟き、地面が微かに震える。

 学舎の窓ガラスが揺れ、埃が舞う。


 ミナは書庫で描いた魔法陣を思い浮かべた。

 昨日完成させた風の循環の魔法。

 これを応用し、暴風を抑え、魔獣の動きを封じるしかない。


 手のひらに微かに残る魔力を集中させ、魔法陣のイメージを空中に描いていく。

 微細な線が光を帯び、空気がわずかに揺れる。


「集中……集中……」


 だが、恐怖は簡単には消えない。

 風が渦を巻き、魔獣が近づくたびに胸が締め付けられる。

 手が震え、息が乱れる。

 子どもたちはミナの周囲に固まる。

 小さな目が大きく見開かれ、涙が頬を伝う。

 レオンは落ち着いて指示を続ける。


「符号を修正しろ。流れが乱れている。左側の線を伸ばし、右側の循環を意識するんだ」


 ミナは指示に従い、空中に線を描き直す。

 微かな光が渦を描き、空気の流れが変わる。

 魔獣の咆哮が一瞬止まり、風の渦もわずかに弱まった。


 外の空気は嵐の前触れで重く、湿っていた。

 雷鳴のような轟きが遠くで響き、光が森の奥を赤く染める。

 その様子を見た子どもたちは恐怖で固まり、泣き声やすすり泣きが混ざる。


「大丈夫、私がいる……! みんな、信じて!」


 ミナは声を震わせながらも、確固たる決意を込めて叫ぶ。

 彼女の手のひらから、魔力が渦を巻き、空気に触れるたびに風が生まれる。

 魔法陣は微かに光を放ち、暴風を抑えながら力を分散させている。

 レオンも手を伸ばし、彼女の背中を支えるようにして助言する。


「力任せに押さえるな。魔法は風と対話するものだ。恐怖を力に変えろ」


 ミナは深呼吸し、恐怖を受け入れる。

 風の中に自分の意志を乗せ、魔法陣の中心に意識を集中させる。

 すると、空気の渦が徐々に安定し、子どもたちの周囲に守りの風が生まれた。


 魔獣が学舎に近づくにつれ、風は勢いを増していく。

 。屋根が軋み、木々がしなり、地面に落ち葉が舞う。

 ミナは手を大きく動かし、魔法陣の中心を回転させ、風の流れを制御する。

 手のひらに微かな痛みを感じながらも、集中力を切らさない。


 子どもたちは目を見開き、息をひそめてその光景を見守る。

 小さな手が空中で魔力を感じ取り、初めて風の存在を理解したかのように震える。


「……できる……!」


 ミナの心に小さな確信が芽生える。

 未だに恐怖は消えないが、恐怖を制御できる力が自分にはあるのだ。

 風の流れを操る感覚が、手のひらを通じて体中に伝わる。


 黒い雲が学舎を覆い、嵐の中心に魔獣が姿を現した。

 巨大な影が木々の間を駆け抜け、鋭い牙と爪が光を反射する。

 子どもたちは震え、息を詰める。


 ミナは目を閉じ、魔法陣に全ての意識を集中させる。

 昨日学んだ符号のすべて、風の循環のすべて、そしてエリオの想い――全てを手のひらに乗せる。


「……行くよ、私の風!」


 魔法陣が光り、渦巻く風が学舎の周囲に広がっていく。

 魔獣の足元に強風が巻き上がり、動きを鈍らせる。

 屋根瓦が飛び、木々が揺れ、嵐の力が抑えられる。


 子どもたちはその光景を目の当たりにし、恐怖と感動で息を詰める。

 風が暴力ではなく、守る力であることを初めて理解した瞬間だった。


 夕暮れが深まる中、風の渦は次第に落ち着き、嵐の前触れは静かになった。

 魔獣は森の奥に退き、学舎の屋根に残った埃だけが舞う。

 ミナは膝をつき、息を整える。

 手のひらは汗で湿っているが、心は安堵と達成感に包まれていた。


「……守れた……」


 背後で、レオンが静かに微笑む。


「……よくやった。お前ならできると思っていたが、こうして目の前で見ると感慨深いな」


 夕日に染まる丘の上、学舎と子どもたちは無事だった。

 嵐の前兆は、少女の決意によって防がれたのだ。

 風が静かに吹き抜け、木々のざわめきが希望のように耳に届く。


 この日、ミナは初めて、真の意味で風の継承者となった――まだ未熟ながらも、確かな手応えを胸に抱きながら。

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