表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

魔法使いをやめた日

 世界がまだ、奇跡という言葉を信じていた時代。

 俺は、魔法使いだった。

 千年を生き、数えきれぬほどの人間を見てきた。

 王も、英雄も、盗賊も、乞食も。

 皆、同じように願い、同じように滅びていった。


 かつて俺は「黒の賢者」と呼ばれた。

 戦乱の時代、王の軍勢を支え、数多の敵を葬った。

 そして、同じ数だけの民を救った。

 だが最期に残ったのは、感謝ではなく、恐怖と憎悪だった。


 彼らは俺の存在を“災厄”と呼んだ。

 千年生きる化け物だと。

 ……その通りだと思う。

 俺はもう、人間ではない。

 魔法を使えば使うほど、魂が削れていく。

 他人を救うたびに、何か大事なものを失っていく。

 そうして残ったのは、灰のような心と、果てしない時間だけ。


 だから俺は、人の世を離れた。

 森の外れに小屋を建て、畑を耕し、煙草をふかし、ただ陽が沈むのを待つだけの暮らし。

 もう二度と魔法は使わない。そう決めた。

 ――あの日までは。


 ◆


「……ここが、レオン様の小屋ですか?」


 その声は、まるで長い眠りの中で聞く夢のように響いた。

 振り向くと、まだ少年と呼ぶのがふさわしい年頃の青年が立っていた。

 背は高くも低くもなく、やせぎすで、目だけがやたらとまっすぐだ。


「お前は?」

「村の者です。あの……魔法を教えていただきたくて」


 あまりに唐突な言葉に、俺は思わず吹き出した。


「はっ、魔法だと? もうそんなもの、どこにも残っちゃいねぇよ」

「でも、あるはずです。俺、見たんです。夜に、森の奥で光が――」

「見間違いだ。帰れ」


 そう言って、扉を閉めた。

 だが、翌日も来た。

 その次の日も。

 雨の日も、風の日も、俺の小屋の前に立っていた。


 最初は鬱陶しく思った。だが、日が経つにつれて、不思議とその姿を待つようになっていた。

 俺が畑を耕している間、少年は黙々と石をどけ、倒れた柵を直した。

 言葉少なに働き、日が沈む頃になると、飯包みを置いて帰っていく。

 粗末なパンと干し肉。だが、それが久々に食う“人の手の味”だった。


 ◆


 一週間が過ぎた頃、俺はとうとう折れた。


「……おい、坊主」

「はいっ!」

「そんなに魔法を習いたいのか」

「はい! 本気です!」

「なら、教えてやる。ただし――退屈だぞ」


 少年はぱっと顔を輝かせた。

 その笑顔に、何故か胸が少しだけ痛んだ。


「名前は?」

「エリオです!」


 エリオ。

 素朴で、古い村に似合いそうな名だった。

 俺は空を見上げた。

 灰色の雲の切れ間に、細い陽が差していた。


「……久々だな、人に名前を聞いたのは」


 ◆


 教えるといっても、最初は“遊び”のようなものだった。

 火を点ける術、風を集める術、水を浄める術。

 どれも千年前には子どもでもできた初歩中の初歩。

 だが、エリオは一つ一つに驚き、喜び、目を輝かせた。

 その反応が、懐かしくも新鮮だった。


「これが……本当に、魔法なんですね」

「まあ、今となっちゃ、ただの現象操作だがな」

「それでも、俺には奇跡に見えます」


 俺は苦笑した。

 そうだ、昔の人間もそう言った。

 “奇跡だ”“神の力だ”と。

 けれどそれは、いつだって祈りの代用品にすぎなかった。


「……師匠」

「誰が師匠だ」

「だって、教えてくれてるじゃないですか」

「口が減らん小僧だ」


 だが、心の奥では悪くなかった。

 久しぶりに“誰かと過ごす時間”というものを思い出していた。


 ◆


 季節が少しだけ進んだころ、夜の焚火の前で、エリオがぼそりと言った。


「俺、魔法で人を助けたいんです」

「助ける?」

「俺の母さん、病気なんです。村の薬師にも見放されて……でも、魔法なら治せるって、昔の本に」


 俺は焚火の炎を見つめた。

 それは、遥か昔、同じように“誰かを救うため”に魔法を学んだ少年の姿を思い出させた。

 それが誰だったのか、もう思い出せないけれど。


「エリオ。魔法はそんな便利なもんじゃない。犠牲の上に立つ術だ」

「それでもいいです。俺、誰かを助けたい」


 純粋で真っ直ぐな瞳で告げるその声に、ため息が漏れた。


「なら勝手にしろ。ただし、命は落とすな」

「はい!」


 素直すぎて、少し怖かった。


 ◆


 それからの日々、俺は本気で教えるようになった。

 魔力の流れ、詠唱の理、意思の集中――。

 エリオは一つ覚えるたびに、子どものように喜んだ。


 彼の成長は遅かった。

 だが、努力だけは俺の誰よりも上だった。

 何度倒れても立ち上がり、呪文を唱え続けた。

 俺はその姿を見ているうちに、かつての“人間らしさ”を取り戻していくのを感じた。


 夜、眠る前に、焚火の前で話した。

 くだらない世間話や、魔法の失敗談。

 エリオはいつも、俺の話を面白がって聞いた。

 俺が笑うと、彼も笑った。

 ――笑うという行為が、こんなにも温かいものだと、忘れていた。


 ◆


 そんな穏やかな日々が、いつまでも続くと思っていた。

 だが、世界はいつだって残酷だ。

 ある日、村の方から煙が上がった。

 黒く、濃い、焼けるような煙。


「師匠、盗賊です!」


 エリオが叫びながら駆けてくる。


「村が襲われてます!」

「落ち着け! 村に戦える者は?」

「いません! みんな逃げて――」


 その言葉を最後まで聞く前に、エリオは走り出した。


「待て!」

「俺、行ってきます! 俺の魔法で、少しでも――!」

「やめろ、まだ未熟だ!」

「でも、母さんが!」


 その名を聞いた瞬間、俺は言葉を失った。

 あの目。あの真っ直ぐな瞳。

 千年前、同じように“誰かを救おう”とした自分と重なった。

 気づけば、俺も杖を握っていた。


 ◆


 村は地獄と化していた。

 家々は炎に包まれ、悲鳴と剣の音が混ざり合う。

 エリオはその中央で、必死に魔法陣を描いていた。


「エリオ! やめろ!」

「師匠……俺、できるんです。みんなを守りたい!」


 未熟な術式。崩れた詠唱。

 止める暇もなかった。

 白光が走った。

 爆風が全てを呑み込み、炎と風と悲鳴が混ざった。

 俺は反射的に叫んでいた。


「《永劫の環よ、我に還れ――》!」


 千年封じていた魔法。

 世界が軋むほどの力が、空を割った。

 次の瞬間、全てが静まり返った。

 風も、炎も、音さえも止んでいた。

 焦げた地面の中央に、エリオが倒れていた。


「馬鹿野郎……」


 抱き起こすと、彼はかすかに笑った。


「師匠……すごいです。風が……止まった」

「お前が止めたんだよ」

「俺……できた、んですね」

「ああ、立派な魔法使いだ」


 その言葉を最後に、エリオの瞳から光が消えた。


 ◆


 夜明け。

 村は静かだった。

 焦げた木々の間を風が吹き抜け、朝の光が差し込む。

 俺は小高い丘の上で、エリオを埋葬した。

 杖を地に突き立て、静かに手を合わせた。

 墓標に刻む言葉は、何も浮かばなかった。

 ただ一言、呟くだけ。


「お前の風が、村を救ったぞ」


 その瞬間、杖の先から小さな光が生まれた。

 風が吹き、草が揺れた。

 まるで彼の笑い声のように、柔らかい風だった。


 俺は杖を見つめ、ゆっくりと手を離した。

 木の杖は、土に沈み、やがて草に覆われた。

 それを見届けると、胸の奥で何かが静かにほどけた。


「……これでいい」


 俺は空を仰いだ。

 初めて、朝焼けが美しいと思った。

 何百年も繰り返した夜明けの中で、ようやく心から感じた“始まり”だった。

 俺はそっと呟いた。


「今日から俺は、ただの人間でいい」


 ◆


 その日を境に、森の小屋には誰も来なくなった。

 だが、風だけはいつも吹いていた。

 春の風、夏の風、秋の風、冬の風。

 それは、まるで少年の笑い声のようだった。

 魔法など、もう使う必要はない。

 風が吹く。陽が昇る。人が笑う。

 それで、十分だ。


 ――俺は、魔法使いをやめた。

 そしてようやく、人間に戻れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ