60.優輝の記憶②
すみれが葵の身代わりになると言った。
誰もが危険だと思ったが、
明らかに敵が葵を狙ってきているとわかった今、
止める者はいなかった。
命をかけて身代わりになると言ったすみれのために、
またすみれが葵だと敵に信じ込ませるために、
別部隊は最低限の人数で動くしかなかった。
別部隊。
そう葵と俺と優輝。
細く険しい道を通り、泉まで先回りをする。
敵は本隊が引きつけてくれるはず。
まさか葵がこんな少数で移動しているとは思わないだろう。
すみれが葵ではないと気づくまで、
どれほどの時間が稼げるかはわからない。
とにかく早く泉を見つけなければならない。
だが休息は必要だ。
俺たちは森の中、少し開けた場所に出たところで
腰を下ろした。
優輝が枝を集め、そっと手をかざすと炎が上がった。
「やっぱ便利だな。優輝、今度一緒にバーベキューしようぜ」
優輝はふっと笑ったが、少し悲しそうな顔をした。
「そうだな。クラリサを取り戻したらな」
「そういえば火は苦手だと言っていたな。
悪い、嫌なこと思いださせた」
「いや、いいんだ……。
拓海、今でも私を放火犯だと思っているか?」
俺はじっと優輝を見た。
まだ出会って数日。
話した回数も数えるほどだ。
でもわかる。どんな奴かは。
命をかけて一緒に戦ってきた。
「優輝、俺はお前が放火犯だとはどうしても思えない」
優輝は俺と葵を見つめて頷いた。
「ありがとう。私には弟がいたんだ。
炭谷病院の跡取りになるべき弟。
私が医者になりたかった。
跡取りは男だと決まっていたのに、
諦められなかった。
もしかしたら喜んでくれるかもって
期待したこともあった。
でもさすがに諦めた。
親は弟しか見ていなかった。
でも弟は医者になりたくなかったんだ」
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また近くで消防車のサイレンが鳴った。
数日前、弟が不在の時に、弟の部屋に入ってみた。
弟の部屋は……真っ赤な絵画で埋め尽くされていた。
炎を描いたのだろう。
そして医大の赤本が無惨に破られていた。
昔から弟は絵が上手だった。
全国の学生展覧会などにも出展されたこともある。
もし医者にならなくて済むのであれば、
きっと弟は美大や芸術大に進学していたに違いない。
浪人生の気持ちは私にはわからない。
相当のストレスを抱えていることは想像できる。
まして医大に受からなければ、
存在すら否定される我が家の現状だ。
ストレス発散は大事だ。
だからって、やっていいことと、
いけないことはある。
おそらく放火犯は弟の翼なのではないかと思う。
消防車のサイレンの後、いつも弟は慌てて帰ってくる。
そして叫び声が聞こえる。
野獣のような叫び。
翼が帰ってきたら、今日こそ確認しよう。
バーン! という扉を閉める音が聞こえた。
翼が帰ってきた。
私は翼の部屋の扉をノックした。
「翼、ちょっといい?」
「うるさい。どっかへ行け!」
ここまではいつも通りだった。
異変を感じた。
匂い、そして……煙。
扉の隙間から白い煙がでている。
何か燃えているにおい。
私はドアノブを回した。
意外にも鍵はかかっておらず、ドアはすんなりあいた。
部屋の真ん中に置かれた真っ赤な絵画が、
本物の炎に包まれかけていた。
隣で翼は頭を抱えワーーと叫んでいる。
野獣のような叫び。
「お母さん! 消防に電話して!早く!
あと、消化器持ってきて!」
私は一階にいる母に向かって叫んだ。
階段下に現れた母は、煙にきづき
叫び声を上げた。
私は服の袖で口と鼻を塞ぎ、部屋に入った。
弟を落ち着かせようと、叫ぶ弟を抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だから」
火は回り始めていたが、母が消化器を持ってきたら
まだ消火できるかもしれない。
扉の向こう、母が見えた。
私はとりあえず翼を母の元へ渡した。
「翼!大丈夫よ、翼」
母は弟を抱きしめ、泣いていた。
「お母さん、消化器は?」
私は母を見た。煙の向こう。
母の手に消化器は見えない。
だんだん火が回ってきた。
おそらく消火は間に合わない。
私もこの部屋から出なければ。
そう思い、私は母へと手を伸ばした。
「お母さん、引っ張って」
私と扉の間に少し火が移りかけていた。
私は母へと手を伸ばした。
「貴女がやったのよ」
母から思いもよらない言葉が発せられた。
「え?」
「放火犯が翼だと困るの。
翼はうちに必要な子だから。
だから、貴女がやったのよ」
そう言って扉は閉められた。
扉は……閉められたのだ。
ああ、そうか。
私は今、初めてこの家に必要な人間になったのだ。
弟の身代わり。
きっと警察はもうすぐ翼に辿り着く。
だから、そのために私が必要だったのだ。
燃え盛る炎の中、最期に見た景色は
母の無表情な顔だった。
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「私は今、必要とされているのかな?」
優輝が火を見つめつぶやいた。
「当たり前だろ?お前がいないと困るんだよ。
俺は……俺たちは優輝が必要だ。
頼りにしてるぜ」
優輝は力強く頷き、そして微笑んだ。




