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56.最期の景色

こんなに眠ったことは初めてかもしれない。

今朝、俺は生まれて初めて心地よく目覚めた。


いつも聞こえていた。

一人にしないで。お兄ちゃん、お腹すいたよ……。


すまない。忘れたわけじゃないんだ。

もちろん一生消えない。俺の過ち。

わかっている。


でも、こんな気持ちは初めてだった。

また話を聞いてほしい、

いや、今度は千鶴子さんの話を聞いてあげよう。

僕にも出来ることがあるかもしれない。


鏡を見た。前髪を少し上げた。

今まで前髪がうっとおしいと思ったことがなかった。

何を着て行こう。そんなことばかり思い浮かんだ。

母親の記憶はない。

でももし母親がいたら、千鶴子さんみたいな

感じなのかもしれないと思った。



生きている。そう、今日も生きなければならない。

ならば少しは前を向いて生きたい。



俺は職場へ急いだ。



職場の近くに着くと、数台のパトカー見えた。

嫌な予感がした。

炭谷病院の入口には人だかりが出来ていた。

野次馬なのか、病院の関係者とは思えない人も多い。


「清掃員が殺されたらしいよ」



どこからか声が聞こえた。

まさか?


俺は人ごみをかき分け、玄関先に向かおうとした。


一人の刑事らしき男が事務局長と話しているのが見えた。


事務局長が俺を見つけ、指を差し、

刑事と思われる男に何か説明をしている。



男がゆっくり歩いて俺に近づいてきた。

威圧感を感じた。


「穂高 大地さん?」


「そうです。あの……何があったのですか?」


「石田 千鶴子さんを知ってるね?……昨日の

夜はどこで何をしていたんだい?」


男は警察手帳を俺に見せた。

田中というその男は、俺の親父によく似ていた。


「ちょっと待って下さい。

千鶴子さんがどうしたのですか?まさか千鶴子さんが?」


「昨日の夜、殺害された。おそらく犯人は顔見知りだ」


田中が俺をじっと見つめる。


「ちょっと別室で話を聞かせてもらえないかな。

大した話じゃないから」


和ませようと笑顔を見せたが、

目はするどく俺の全てを見逃すまいとしているのがわかった。


俺は狭い会議室に通された。

もう一人、若い刑事が待っていた。


田中刑事に座るよう促され、俺は椅子を引き腰を下ろした。


「君、石田さんが資産家だってことを知っていたそうだね」


俺は驚き田中刑事を見上げた。


「石田さんの娘さんが証言してくれたよ。

昨日、会話を聞いていたと」


「聞こえただけです。詳しくは知りません」


田中刑事はまたジロリと俺を見た。


「君……万引きしたことあるね?」



確かに俺は一度、警察に突き出されたことがある。

しかし、それは弟のりくが熱を出して、

どうしてもアイスが食べたいといいはったんだ。


俺は町の小さな商店をのぞいた。

お店のおかみさんは、いつも俺たち兄弟のことを

気にかけてくれていて、

その日もそっと俺にアイスが入った袋を持たせてくれた。


「出世払いでいいから」


中には2つアイスが入っていた。

俺は自分の分はおかみさんに返した。


「ありがとう。必ず今度払うから」


その時だった。旦那が出てきて俺を見つけた。

旦那は俺がもらった袋を取り上げ

泥ぼうだと叫んだ。


違う!俺だってお金があれば払いたいんだ。

そう思った。


おかみさんが必死で止めようとしてくれたが、

旦那はおかみさんを突き飛ばし警察に電話をした。


逃げようとした。

だが小さかった俺は旦那に押さえつけられた。

そう、万引きしたと警察に突き出されたのだ。


でも、今回のことと一体何の関係が?


「石田さんのね、財布が見あたらないんだ」


田中は俺を睨みつけるように見た。


「お前がやったのだろう?」

そう目が語っている。


「知りません。僕は何も知りません」


俺は必死で首を振った。


「まあ、とりあえず署で話を聞こうか」


俺は椅子をひかれ、半ば強制的に立たされた。


怖い。怖い。怖い。


「違う、父さん、やめて!」


正直そこからの記憶はあまりない。


俺は何かを叫びながら部屋を飛び出した。


刑事たちが俺を追いかけてくる。

逃げた。ただ逃げた。


刑事から逃げていたのか、

親父から逃げていたのか、

自分でもわからない。


ただ怖かった。また殴られる。

また狭い部屋に閉じ込められる。

また……。



知らない間に俺は出口に出ていた。

後ろから待て!という声が聞こえた。


前に出た。

トラックの大きなクラクションとライトが見えた。


それが俺が見た最期の景色だった。

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