弐/呪いの人形/弐
昼休みに“メリーさんの電話”及び“見るなのタブー”についての話をしていた智磨は、放課後になるや否や帰路につく。
速やかにこの情報を霊崎支部の支部長、美波に伝えておかなければと思った智磨だったが、そんな智磨の自宅前に一台の小型貨物車が停まっているのが見えて智磨は「あー……」と声を漏らす。
その近くには、スーツ姿の男性が一人いて、スマートフォンの画面と智磨の顔とを交互に見てから「水流城特等?」と声をかけた。
これに対して智磨は「そういうあなたは?」と尋ねる。
特等、等と言う言葉を日常会話で聞く事はまずないと考えれば、この男性が怪討の関係者であると智磨には一発で伝わる。
そんな智磨の様子を受けて「失礼致しました!」と男性は姿勢を正して口を開く。
「私は霊崎支部に所属する高橋順平三等怪討と申します。支部長より水流城特等をお呼びするようにとの指示で此方に参りました」
そう言って、男性――順平は綺麗に頭を下げる。
ピシ、という文字列が当てはまるような畏まった動きに智磨は面食らってしまう。
傍目から見れば、女子中学生に見事なまでに頭を下げている成人男性の図である為、智磨からすれば気まずい以外の何物でもない。
「一旦、着替えて来るから待ってもらえます……?」
つい、智磨自身も丁寧語で返してしまう位には、異質な空気がその場に流れていた。
例によってコスプレ用の学生服に着替えて順平のもとに戻った智磨は、順平が乗って来た小型貨物車に乗り込んで全日討霊崎支部へと向かう事となった。
美波に電話をかけて速やかに仮眠をとろうと思っていただけに、呼び出されるとなると仮眠時間が短くなる事に智磨は憂いていた。
そんな智磨をよそに順平が運転しながら口を開く。
「ところで水流城特等って、支部長とどのような関係なのですか?」
順平のこの問いに対して、智磨は「んー……?」と気のない声を漏らす。
どういう意図の問いなのかを測りかねる、という意味合いもあった。
これには順平も「いや、失礼しました。困らせるつもりはなかったのですが」と申し訳なさそうな顔をする。
その顔をバックミラー越しに見た智磨は「どういう意味の質問かわからなくて」と口を開く。
智磨とて、相手を困らせるつもりはなかった。
どうやって仮眠の時間を確保しようか、という思考に差し込まれた質問という事もあって、反応に遅れたというのもあった。
そんな智磨の様子に順平は「そうですね……」と言葉を選びながら口にする。
「……現在、霊崎支部は一枚岩ではないのです。ご存じでしょうか?」
真剣な面持ちで順平はそう口にして「いや、初耳かな」と智磨は返す。
怪討の人数は一般人と比べると極めて少ないとはいえ、そんな怪討があつまっている全日討の、霊崎支部ともなれば人手不足と言えどそれなりの人数の怪討が集まっている。
それなりの人数がいる組織というのは、大なり小なり意見の相違が起きるのは常である事を考えれば“一枚岩ではない”のは自然とも言える。
しかしながら、そもそもが“怪異を隠匿し、討伐する”という目的で一致しているにも関わらず一枚岩になれないというのもおかしな話であった。
智磨の“初耳”という言葉を耳にした順平は「もしかして支部に入られた事あまりなかったりしますか?」と尋ねると、「そりゃ電話で済む事が多いんだから、支部には立ち入らないかな。そもそも、特等怪討は特定の支部には在籍しない事になっているから」と智磨は答える。
特等怪討という存在は、全日討――いや、世界にとって貴重な人員である。
全世界に特等怪討と呼ばれている人物は現時点では五人しかおらず、その五人ともが全世界で最も怪異が活発化している日本に在住している。
その為、特等怪討は一つの支部に籍を置くのではなく、複数支部に跨った広い範囲を一人で担当するという特殊な形式となっており、智磨の場合は霊崎市に住んでいるが霊崎支部には籍を置いていないというのが実情だった。
その事を思い出した順平は「あっ……」と声を漏らす。
「す、すみませんでした」
「いいって。私の場合はまだ中学生って理由で可能な限り霊崎市をメインに担当するって事になってるから。霊崎支部の人間のように見えててもおかしくないよ」
順平の謝罪に対し、智磨はさらりとそう口にする。
特等怪討は可能な限り広い範囲を担当する事が求められる――とされているが、水流城智磨という少女はまだ一四歳。
中学二年生で義務教育の真っ只中である以上、怪異を知らない一般人に違和感を抱かせない工夫が求められる。
その結果、智磨の場合平時は霊崎支部を中心に担当し、学校の長期休暇を利用して広い範囲をカバーするという方式がとられている。
智磨の事を深く知らない霊崎支部の人間が智磨を見れば、霊崎支部の人間であると勘違いしてしまうのも無理なかった。
「で、結局どういう意味で聞いたの?」
話が脱線した為、智磨は元の話題――支部が一枚岩ではない、というものに戻すべくパスを出す。
これには順平も「ああ、度々すみません」と謝罪を口にしてから、その意図を口にする。
「実は、支部長派と副支部長派で支部内が二分されているんです」
順平からもたらされた情報に対し、智磨は「面倒な……」と感想を漏らす。
よりによって支部内の権力者一番手と二番手の争いともなれば、その下にいる一般怪討の支部員は居心地が悪いだろう。
支部長の側につくか、あるいは副支部長の側につくか――最終的に現支部長の美波が失脚するような事になれば、現支部長派の支部員の未来は暗いものになるのが目に見えている。
半面、それができないようなら副支部長は勿論、副支部長派の支部員の未来が逆に暗いものとなる。
本来ならば対怪異で協調しなければならないというのに、そのような対立構造があるというのは非常に良くない事態である。
智磨は思わず意味もなく天を仰ぎ目を覆った。
智磨の個人的な意見としては、個人的な繋がりもある支部長――美波の側なのは間違いない。
しかしながら、特等怪討という立場で見れば、どちらかに肩入れするのはあまり良くないというのも智磨は理解できていた。
はぁ、とため息を一つ。そして、「で、あなたはどっちなの?」と尋ねる。
そのような話をするという事は、順平自身にも何らかの意見があるだろう、と。
これに対して順平は「そうですね……」と運転の手を止めずに言葉を選びながら口を開く。
「私としては、どちらかと言えば支部長の側、でしょうか。余程の理由がない限りは、支部長の方が上の役職ですから。その指示に反するような事はまず思いつく事すらできませんよ」
やれやれ、と暗に副支部長派について呆れているように順平は言う。
積極的な支部長派ではないにせよ、少なくとも副支部長の側につきそうにない人物だと智磨は順平を分類する。
その上で、「支部長に何か文句があるとしたら何?」と好奇心に駆られてそのような質問を投げかける。
そんな問いかけに対して真面目な顔のまま「そうですね……」と考える素振りをしてから口を開く。
「もっとちゃんと休んでくれないとこっちが休みづらい事ですかね」
順平のそんな言葉に智磨は「もっと休めよ美波」と小さく呟いた。
そうこうしている内に、智磨を乗せた小型貨物車は全日討霊崎支部の入っているオフィス棟と商業部分を兼ね備えた複合施設に到着する。
東西二棟の二四階建て高層オフィスに地上部にはガラス式ドーム屋根と円形の池を持つアリーナが特徴的である。
その独特な形状はよくドラマの撮影地としても使用される事が多く、ある種の聖地になったりもしているが、地元民からすれば単なるビルに他ならない。
そんなビルの地下駐車場に順平は車と停めて、二人は支部へと向かう。
霊崎支部があるのはこのオフィス棟の中でも低層部分。
表向きはどこにでもありそうな会社名を名乗り、そのオフィスとしてスペースを借り受けているという構図であった。
そうして霊崎支部に到着した智磨が見たものは、あからさまに良くない空気の支部の様子だった。
傍目から見ればそれぞれが自らの仕事をこなしているようには見えるのだが、順平からの事前情報もあってか智磨には良くないもののように見えていた。
僅かに面食らった様子を見せる智磨だが、数瞬もあれば落ち着いて支部長――美波のもとへと向かう。その途中でチラリと副支部長の席を智磨は見る。
そこには不機嫌そうな副支部長――小川ケイトの姿がある。
金色の髪を腰ほどまで伸ばしていて、瞳は翠色。
その容姿と名前から察せられる部分はあるが、海外暮らしの長い英国と日本のダブルであると説明を受けた事を智磨は思い出す。
智磨が知る限り、副支部長はこの支部に来てからの期間はまだ浅い。
霊崎支部は常に人手不足であり、その人員補充として海外からやってきたというのを智磨は覚えていた。
怪異という存在は何も日本だけに留まらない。
あらゆる単語が現地のものに変わるものの、海外にだって怪異の脅威は存在する。ただし、その中でも最も怪異の脅威がある場所というのが日本であり、全日討は海外の怪討の集まりに対して協力要請を出す事は珍しくもない。
海外の怪討にとっても、日本という怪異が活発な環境というのは経験を積むのに最適であり、出し惜しみをせずに人員がちゃんと補充されている。
そのような背景がある以上、海外から来たというだけでこのような不和になるとは考えにくく、智磨にはどうしてこのような事になっているのかがさっぱり理解できないでいた。
ただ、今回は少なくとも支部長である美波に呼ばれているため、順平とともに美波のもとへと向かう。
その途中で智磨と順平に気が付いた美波が「お、来たね」と口にする。
その顔はどことなく疲労が見てとれ、「私が言うのもなんだけど、休んでる……?」と智磨はつい尋ねてしまう。
これには順平も「そうですよ」とすかさず同意を示す。
「休みたいのはやまやまだけど、この支部の空気を放っておくわけにはいかないでしょうに」
支部長と副支部長の二人が揃っている状態のせいで空気が悪くなっているのでは、と口を開きかける智磨であったが、寸での所でそれを抑え込む。
その一方で、放っておけないという感情についても智磨内心では一定の理解を示していた。
智磨個人としては美波の事を信頼しているからこそ、今回の不和については多分に智磨の独断と偏見混じりではあるが、副支部長――ケイトの側に責任があるのではないか、と智磨は考えていた。
そんな状況で美波が不在でケイトだけがいる状況を作るのはまずい――と智磨は薄っすらと感じていた。
とはいえ、それをケイトがいる状況で口にする訳にもいかない、と智磨は「それで、どうして呼び出したの支部長」と美波に本題を切り出すのだった。