間/水流城智磨について/成美/壱
「おはよー、智磨」
二○二五年二月一○日の朝。
梅戸中学校の教室に入って来た智磨に成美は挨拶をして、「ん、おはよ」という返しがある。
これが成美にとっての朝の日常そのものだった。
水流城智磨という少女は社交的かと問われれば答えは否。
挨拶には挨拶を返すが、そこまでだ。
そこから智磨の方から何かを発信する事はまずない。
それは、この教室にいる梅戸中学校二年三組の生徒皆の共通認識である。
だからこそ成美は「いやあ、今日も寒いねえ」とするすると智磨の座る席の近くにまで寄って来て会話を続行する。
坂本成美は自身が周囲から注目されている事を自覚している。
身長は一六〇センチ前後と女子平均の僅かに上、女子バスケットボール部で鍛えた体は適度に引き締まっていて、容姿端麗。
決して成美自身はナルシストの類ではないにせよ、客観的に見て注目されない訳が無いと成美は認識していた。
事実、過去には異性からの告白があり、それを断ったのが一瞬にして広まった時点でその認識に間違いないだろう。
それはさておき、話しかけて来た成美に対して智磨は「何かあった?」と荷物――主に教科書である――を机の中に入れながらそう尋ねる。
その様子に成美はにこやかに「それがさあ――」と話したかった事を口にし始める。
比較的長身な成美と、低身長な智磨はどちらとも容姿端麗という事もあって、ごく一部周囲からは「……もしかして二人って……?」との声もあったりするが、そのような声は二人には届かない。
水流城智磨という少女は、坂本成美にとっては特別な存在である。
成美と智磨の出会いは小学二年生の頃にまで遡る。
二〇一九年六月。
梅戸小学校一年一組の教室にて。
成美が近くの席の生徒と談笑していると、教室前方の扉がガララと音を立てながら開き、そこから担任の先生が入って来たのを見て、その談笑をピタリとやめて教室前方を注視する。
だが、その先生の傍らに小学二年生の女子としても小柄で華奢な少女が一人いる事に気が付く。
これまで見た黒色の中で最も黒いと直感する程の黒髪が腰ほどまで伸ばされていて、まるで人形のようだと成美は直感した。
更に言えば、これまで接して来た同い年とは異なり、誰よりも大人びているのがより人形らしさを強調しているように感じたのだろう、と成美は後に懐古した。
「さて、と。今日は転校生が入って来たから自己紹介してもらうぞ。ほら、自己紹介して」
「――水流城智磨。よろしくお願いします」
鈴の音が鳴るような声は、転校生の存在に気づいてざわついた教室をシンと静まり返させるような力を持っていた。
水流城智磨と言う少女はこの教室にいるだれよりも華奢で小柄だというのに、誰よりも大人びて見えていた。
自己紹介の後、智磨の周りには多くの生徒が群がっていた。
容姿端麗なのは誰の目にも明らかだった訳で、そんな存在が転校してきたともなれば、注目されないはずもなく。
しかしながら、智磨はその質問攻めに対して当たり障りのない事をそのまま返すのみで、特筆するような内容を返してはいなかった。
そのうち、飽きた生徒からはそのまま距離を置かれるようになった。
そうなってからも、成美は智磨に声をかけ続けた。
「今日も雨だね、ちま」
当時の成美がチョイスしたのは会話のデッキとしてはあまりすぐれないとされる天気デッキで、「まあ、梅雨だし」と案の定会話を弾ませるようなものにはならない。
しかし、ここで成美は「そろそろ体育は水えいのじゅぎょうもあるから、そろそろ晴れの日ほしいなあ」とたたみかけた。
心底晴れて欲しい、という表情をしていた成美に対して思う所があったのか、智磨は成美の方を見ながら口を開く。
「……成美って、水泳好きなんだ?」
「すきだよ! ほら、水の中ってきもちいいでしょ?」
心底から水泳の授業を楽しみにしている成美は笑顔で智磨の問いに答えるが、肝心の智磨は「そうかなあ……」と首を傾げる。
そんな智磨の様子に成美はある事を閃く。
「もしかして、およげない?」
あまりにも直球過ぎる問いかけに対して、智磨は「いや泳げるよ」と反射的に返す。
そこには普段なら漏れ出ない感情がにじみ出ていて、同時に嘘を言ったような雰囲気もない。
それを成美は無意識に察して「お、そうなんだね」と同意を示す。
その上で「じゃあ、なんで?」と更に問いかける。
泳げるのなら水泳の授業は楽しいはずだ、という成美の考えからすれば、智磨の回答はおかしなものだったからだ。
そんな成美の問いかけに、「うーん」と智磨は考える素振りを見せる。
そして、数瞬の間をおいて智磨は口を開く。
「普段の授業は楽しい?」
智磨からの逆質問に今度は成美が「うーん」と考える素振りをしてから、「……つまんないかも」と答える。
これに「それと同じ」と智磨は答える。
智磨からすれば、水泳の授業に限らず学校の授業は授業でひとまとめになっているというだけの話。
水泳だからと言って特別になる訳もなく、それは他の体育の授業も同様だった。
「変わってるね!」
そんな智磨の回答に対し、にこやかにそう言い放つ成美。
そこに悪意は欠片もないとなぜか理解できた智磨は「変なの」と口にする。
これには「そっちこそ変でしょ」と成美も返し、互いに笑い合う。
そんな、他愛もない思い出が成美にはある。
智磨とのやりとりは数えられない程してきていて、その全てを覚えるのは至難の業だった。
しかしながら、成美には気になる事が一つあった。
それは、智磨と出会うよりも少し前。
具体的な時期を成美は既に覚えていないが家族旅行に出かけた先での事。
真夜中に目が覚めてしまって、トイレに行きたくなってしまった時だった。
何か不思議なものを見たのを成美は微かに覚えている。
そこにいたのは、黒い髪を腰まで伸ばした自分よりも幼く見える小柄な少女。
「私が見張っておくから、早くトイレ済ませた方がいいよ」
それにも関わらず、あまりにも大人びていて、子供ながらに不思議な存在だと思った記憶が確かにある。
真夜中で僅かな灯りしかなく、その容姿をしっかりと記憶できていないにも関わらず、なぜか成美がその時の事を思い返すとその顔が智磨で再生される事が多かった。
まさか、そんな筈はないと成美がそう思おうとも、何度もその時を思い返しても、その顔が智磨になっている。前後の事は一切の記憶がない。
どんな旅行だったかの記憶も朧気だ。
しかしながら、その時に誰かに会ったという事だけは、微かに覚えていた。
「そう言えば――」
あれから六年程経った今、成美は智磨に思い切ってその時の事を聞こうと思い立って口を開く。
分からない事があるのも気持ち悪い上、もし仮に智磨であった場合は智磨との思い出がまた一つ増える事になるのだから、聞いてしまえばいい、と成美は考えた。
しかしながら、仮に違ったとしたら、と考える。
更に言えば、智磨からはその時の事についての言及は一切ない。
覚えているとしたら、成美の記憶している初対面――小学生の頃に何かしらの言及があっても良い筈だった。
それがないという事は、やはり違うのではないか、と成美は改めて考え直す。
「――ごめん、ど忘れしちゃった」
どう考えてもそのような理由ではなく、ど忘れした訳でもない。
しかし、そんな言の葉であろうとも「ふぅん、そっか。そういう時もあるよね」と智磨は軽く受け流す。
その時の事を成美は思い出せない。
もしかしたら、智磨とはその時からの付き合いで、成美が忘れているだけかもしれない。
だが、そうだとしても、成美にとっては小学二年生に知り合ってそのまま友人となった存在だ。
それ以上でも、それ以下でもない。




