付/山の侵略者/肆
「最近、ここで天狗を襲ってるのはあなた達でいいのかな。山童」
山童という妖怪――怪異が存在する。
その名前――特に漢字表記を見ればより有名なとある怪異を連想する事ができよう。
それは河童。
どちらも後ろに『童』という漢字が含まれている。
山童と河童、この共通点は何も偶然ではない。
伝承によれば西日本――特に九州のあたりの山において、この山童というのは現れる。
そして、この山童というのは端的に言えば河ではなく山にいる河童、という事である。
勿論、そう伝わっているというだけであり、全てがそうとは言い切れないのが難しい部分ではあるが、少なくとも智磨や風香はそう聞かされている。
そして、東日本の山における怪奇的な出来事の多くは“天狗のせい”という事になりがちだが、西日本においては“山童のせい”という事になっている。
しかしながら、そうであるとしたら智磨たちの眼前にいるこの山童はおかしい。
ここ御鷹山はT都――つまり南関東、東日本の山である。
にも関わらず、山童がいるというのは果たしてどういう事か。そういう疑問も込めた智磨の先程の問いかけであった。
そんな智磨の問いかけに対し「きひ、ひひひ」と不気味な笑いを一体の山童が浮かべる。
それに呼応する形で周囲の山童も一斉に笑い始める。その光景に気味悪さを風香が感じていると一体の山童がすっと笑うのを止めて「……そうだと言ったら?」と智磨に尋ね返す。
山童の姿形は河童と大きく差異はない。
やや小柄で小太りで――その情報だけを見ればそう強くは見えないだろう。
しかしながら、怪異の強さというのは外見情報では測れない。
そもそも河童は力持ちで知られている。相撲に関する逸話も伝わっている程であり、その身体能力の高さはその姿形からは逸脱していると言って良いだろう。
そんな河童と姿形が同様である事から、その身体能力は河童と同等と見るのが自然である。
これを理解しているからこそ、風香は智磨をちらりと見やる。どう受け答えをするのか、どう切り抜けるのか。
風香の視線を感じながらも智磨は、涼しい顔のまま口を開く。
「ここは元来より天狗の居場所でしょ? これは、侵略しに来たという認識でいいのかな」
智磨がそう言うと、一体の山童が「いかにも」と答えてから更に言葉を重ねる。
「我らの居場所は失われた。ならば、他の怪異からその居場所を奪い取るのが自然というものではないか?」
「それとも何か。お前は天狗の肩を持つというのか。……そこに天狗もいる事だしな」
一体の山童の意見に呼応するように、もう一体がそう言葉を重ね「そうだそうだ」と声をあげるその取り巻き達。
二対多という数的不利。これには風香は「智磨……」と不安げな声をあげるが「大丈夫」と智磨は返す。
「私は特等怪討だよ。この程度、不利でもなんでもない」
智磨はそう言いながら、咽喉無線で「これより状況を開始する」と一方的に口にして、無線を切る。
あまりに急な智磨の行動に風香は一瞬「え?」と困惑の声をあげる。それに対して智磨は「取り巻きはこっちでやっとく。あの奥にいる親玉っぽいのは任せてもいいかな」とさらりとそう口にする。
その言葉を受けて風香が山童たちの中でも自身から最も遠くにいるものへと視線をやる。
すると、この場に集まっている山童の中でもより一層目立つ服装をしており、明らかにこれがこの場に集まっている山童のトップなのだろうという事を察する事ができる。
そうして風香が納得した頃合で智磨は「いくよ布津丸」と口にする。
すると、どこからともなく智磨の手元には日本刀が現れて『応よ。我が担い手』という声が聞こえたかと思うと、智磨は地を蹴り一瞬にしてその場からその姿を消す。
いや、消えたようにしか見えない程、とても迅い踏み込みである。
風香はこれをなんとか視認できたものの、これを山童が視認できたかと言えば答えは否。
一瞬にして尤も近い一体の懐へと入り込んだ智磨は、眼にもとまらぬ迅さで布津丸と呼ばれた刀を一振り。
そうやって斬られた一体は、斬られてから「きひ……?」と何が起きたかもわからず笑みを浮かべながら、上半身がすーっとズレていって落ちていく。ごとり、という音に驚いて残りの山童たちの間には緊張が走る。
「やったな……!」
「この……!」
そう言いながら、周りの山童が一斉に智磨の方へと駆けていく。その力の差を推し測る事すらできぬまま、智磨の軽く振るった二の太刀によって子度は右半身と左半身とが綺麗に両断される山童も現れる。
正しく一方的。思わずそのまま眺めてしまいそうになるのを風香は堪え、先程この場にいる山童のトップと推測していた人影がいたあたりを改めて見てみる。
すると、仲間が一方的にやられていく光景を見て、自分だけでもと思ったのかこの場を去ろうとする瞬間を風香は見た。
「逃がすか――ッ!」
智磨と山童たちの乱戦――いや、正確には智磨による単なる一方的な戦いだが――の脇をさっと駆け抜けながら、風香は逃げようとする山童の懐へ一気に接近する。
そして、どこからともなく風香の手元には金剛杖を爪楊枝程度の大きさまで縮小したものが現れたかと思えば、それがみるみると大きくなっていく。
そして、一般的な金剛杖と同等のものになったかと思えば、風香はそれを素早く振るう。
「ぐゥっ!」
うめき声を上げながらも風香の一撃に対して、寸での所で腕を出してガードする山童。
初撃で仕留められなかった事に対して風香は舌打ちをしつつ、今度は身体を器用に回転させながら蹴りを繰り出す。
今度は一本歯下駄の先が山童に的中した感覚を風香は得られたが、踏み込みが足りなかったのか改心の当たり、という訳ではない。
そんな風香に対し、二撃をうまく切り抜けた山童は逃げるのでなく、この場で風香を仕留める事に決める。
智磨という特等怪討がこの場にいた事もあって、風香も同等の実力なのかと誤認した為の逃走であったが、どうやら同等の実力を持っている訳ではないらしい――と察した為の判断である。
仮にも、数的有利という条件ながらも天狗を既に倒した事もある怪異である。相手との力量差を測る事位は訳ない。
「これはどうだァッ!」
そうして繰り出される山童による拳。小柄で小太りという体型からは想像できない程の鋭い一撃。
これに対して風香は寸での所で反応して回避すると、その拳は風香の背後にあった木へと直撃する。
すると、ミシミシという音を立て始め、その直後に轟音を鳴り響かせながらいきなり倒れていく。
その威力に、風香は冷や汗がたらりと流れるのを感じる。背筋が冷えるとは正にこの事。気を抜いて直撃を受けていれば、木を倒す程の一撃をその身に受けていたかもしれないのだから。
だが、驚いている場合ではない。そんな風香に対して山童は二撃目を繰り出そうとしている。
「させるかッ!」
風香はその一撃を放たせまいと金剛杖を鋭く振るって山童の手首に杖の先を当てる。
そうして手元が物理的にブレた山童は思ったような一撃を放つ事ができず「ぎィッ!」と声を漏らす。
これを見て風香はここでたたみかけなければ、と一瞬怯んだ山童に向かって今度は正面から下腹部辺りを狙って一本歯下駄を振り下ろす。鋭く突き刺さり「きッ……ひィ……」と山童は痛がっている素振りを見せる。
それを見て手を緩めるような風香ではない。
これでも二等怪討。怪討の中では上澄みも上澄みである。
自らの奇力で得物――金剛杖の伸ばしていき、その長さを三メートル程にまで伸ばした風香は、遠心力も加わった一撃を山童の脳天へと叩きつける。
しかし、その程度でやられるようなら仮にも既に天狗を伸している山童ではない。
寸での所で腕を出して「ぐゥ……ッ!」と呻き声をあげながらも耐える。
そして、大きな得物を振るった直後の風香の懐へと迫る。
大きな得物を振るう――それは確かに、その一撃で相手を仕留めうる強力な一撃だろう。
しかしながら、それは端的に言えば諸刃の剣とも言える。
強力な一撃を放った直後というのは、次の行動をとるまでに時間を要する。
これは、どのような実力者であっても避けられない純然たる事実である。
才や練度によってこの時間を限りなく無に近づける事はできるだろうが、皆無にする事はできない。
そして、風香に才はあるだろうがまだ怪討としてはまだ三年程度の経験しか積んでいない。
故に、その隙をつくべく山童は風香の懐へと入る。金剛杖は長く伸びている事もあって、その内側に入られた以上はそれを咄嗟に振るうという事は現実的でない。
そして、山童が腕を後ろに大きく引き絞り、この戦いでは三度目の拳を繰り出そうとする。
直後にドォンという轟音が山林に響き渡る。
その轟音が晴れた朝護に「……天狗倒しって知ってる?」と風香が口を開く。
山童から放たれた筈の拳を寸での所で躱し、そのカウンターという形で風香が拳を山童の頬骨へと叩き込んでいた。
懐へと入り込まれたその直後、風香は得物である金剛杖をあっさりと手放していた。
そして、山童の拳が繰り出されたその瞬間、それを寸での所で躱しながらストレートのパンチを繰り出していた、と言う訳だった。
天狗倒しという言葉がある。
言葉からは、天狗を倒すという意味で連想するものもいるだろうが、そうではない。
山で木々を倒したかのような謎の爆音、轟音が鳴り響く現象。
真偽の程はさておき、それをかつての人々はこれを“天狗の仕業である”とした。
この天狗の仕業、という部分については西日本では一部山童の仕業である、と変わっていたりする訳だが――ともかく、山童と天狗にはそういった事が可能である位の身体能力を有しているのは事実であった。
――つまりは、烏天狗である風香にもそれが可能である。
「生憎。拳が強いのはアンタの専売特許じゃないんだよね」
その言葉と同時に、山童は何も言わずその場に崩れ落ちる。
風香の一撃によって気を失い、完全に伸した形となった。
暫し、風香は山童が立ち上がってこないか、と警戒をしたが幾ら待っても起き上がる気配はない。
ふぅ、と安堵の息を吐くと「終わったね」と智磨が言って風香の肩をポンと叩く。
その声に反応して「智磨」と風香はその名を口にしながら、智磨の方を見てみれば、そこには細切れになって霧散していく山童の姿があった。
智磨の顔には疲労の色など欠片程もなく、文字通りの鎧袖一触であったことが風香にはわかる。
何なら、風香がこの場にいなかったとしても、風香がこの場で倒した山童も含めて討伐できていたのではないか――と思う位には、あまりにもあっさりとしている顔であった。
「……よくやったね。ご苦労様」
智磨のその言葉に、風香ははっとする。
これは風香に経験を積ませる一貫でもあった、という事に思い至る。
ただ怪異を討伐するだけであれば、特等怪討という特記戦力である智磨一人で御鷹山に入れば事が済む。
しかしながら、特等怪討は日本に五人だけ。――世界という尺度でも同様に五人。
そんな数少ない特等怪討に頼り切りではいけない。地元の怪討の練度を高めていかなければならないのは自明の理である。
何はともあれ。
風香は智磨からの労いの言葉に「ありがとう」と返す。
それを聞いてから智磨は咽喉無線のスイッチを入れて「状況終了。推定頭目の無力化とその配下の討伐を完了。回収願う」と口にするのだった――。




