終/日常と怪異/前
二〇二五年三月三日午前八時一五分。
梅戸中学校二年三組の教室にて。
「いやあ、本当に心配かけたよー」
成美が元気にそう言うと、「ほんとだよー!」「心配したんだからね!」とクラスメートが口々に成美へ心配した事を報告していく。
その様子を智磨はいつもの眠そうな顔のまま、鞄の中身を机の中に入れながらぼんやりと眺める。
あの後――例の怪異を斬った後、真鈴が美波に連絡を入れ、美波が関係各所に適切な対応をした結果として成美は週明けの月曜日から学校に復帰する事となった。
書類上も問題なく、怪異を想起させる矛盾点や違和感を持たれるようなものは残していない、と美波は言っているが、その声に元気がない事を智磨は聞き逃していなかった。
とりあえず、成美に対しては体調不良で寝込んでいた事として美波が伝えており「いや、ほんと寝込んでてさー。何も返信できてなくてごめん」と成美も周囲に説明している。
実際には体調不良でもなんでもなかったわけだが、学校には体調不良として処理している以上はこれが自然であった。
そんな美波の苦労はともかくとして、無事に成美が学校へ復帰できた事に智磨はほっと胸をなでおろしていると「智磨も本当に心配かけてごめん!」と成美が声をかけてくる。
怪異の依り代にされていた成美の身体だが、特に異常もなく健康体である事は既に確認済。その事は既に智磨の耳にも届いていた。
強いて言うならば、依り代となっている間の飲食が少なかったせいか、やや栄養失調気味だった程度で、点滴を打つ程度でどうにかなるレベルといった所。元々の健康状態が良かったからこそこの程度で済んだ、とも言えた。
とはいえ、こうして実際に成美から話しかけられるまでは成美が無事と言う事実を実感できなかったという事もあり「無事でほんとによかった」と心の底から安堵した事を口にしつつ、成美に抱き着く。
普段ならしないだろうスキンシップに成美の方が「うおっと」と驚きの声をあげるが、抵抗する事なく抱き返す。
これには智磨と成美の二人の関係性オタクな一部のクラスメートは内心で「ひゅー」と口笛を吹きつつ、一般的なクラスメートは「えっ?」と驚きの声を漏らす。
二人の仲が良い事くらいは知っていても、ここまで仲が良いとは思わなかった層にも、智磨と成美の関係性が広まった事だろう。
「全く、寂しがり屋だよねえ、智磨って」
成美にそう指摘された智磨は急に恥ずかしくなって「うっさい」とだけ返して成美から離れる。
その耳は朱に染まっていて、智磨の感情を強く示していた。
成美が復帰して初日の授業、相変わらず眠そうにしながらも智磨は確りと話を聞きノートをとる。
所々、眠気にやられかけて字が汚くなりつつも堪える。
それは、智磨にとってはかけがえのない日常であり、これこそがなければならないものだと改めて実感する。
特筆するような出来事が起こらずとも、ただ日々が流れていくだけだとしても。
智磨は内心で笑みを浮かべながらその日その一瞬を過ごしていく。
そうして、あっという間に時間が過ぎてゆき気が付けば放課後を迎える。
普段であれば成美は部活動、智磨は帰宅という形で別れるのが常だったが今日に限っては「智磨、一緒に帰ろ」と成美が智磨を誘う。
あまりにも想定外な出来事に対し疑問を抱いた智磨は「部活動はよかったの、成美」と尋ねる。
智磨の問いに対して「えーっと……」と成美は声を漏らして言葉を選びながら口を開く。
「一応病み上がりって事で休んどけって言われちゃった」
「あー……なるほどね」
確かに、一応は体調不良から回復した事になっている成美は、今は病み上がりという事になる。
そこで無理させる必要もないだろう、という部活動の顧問の判断によるものなのは智磨にも察せられた。
中学女子バスケットボール部には市の春季大会も迫っているという事もあり、本番までに体調を確りと元に戻して欲しい、という意図もあってのものだろう、と智磨は理解した。
ともあれ、一緒に下校する事に対して特に異論はない智磨としては、部活動という問題がクリアになっているのであれば「うん、一緒に帰ろっか」と答えるのは極めて自然な事だった。
学校から各々の自宅への帰路。
普段は成美が部活動で一緒に帰る事がないだけに、どんな事を話そうかと智磨、成美の二人とも口を開かずただ帰路を歩くのみで時間が過ぎていく。
特に気まずいなんて事はないが、こうして一緒に帰るのは久々なだけに何かを話そうと互いに思いながらも、実際に一緒に帰るという段階だとなかなかその内容も思いつかない。
そんな中で「ねえ、智磨」と成美が意を決して口を開いて静寂を破る。
「な、何?」
そんな成美の言葉に僅かばかりの驚きから声を上ずらせながら智磨は尋ね返し、本題を促す。
それを受けて「えっと……」と成美は言葉を選びながら言う。
「もしかして、何かあった?」
その言葉にを耳にして、智磨は言葉に窮する。
美波から聞いた話によれば、成美は行方不明になっていた間の記憶――依り代にされていた時の記憶は有していないらしい、という事だった。
智磨としてはその方が好ましい為、その話を聞いた時は安堵したのだが、ここに来て本人がそのあたりに触れようとしていると智磨には感じられ、どのように答えたものかと考える。
素直に、正直に答える――というのは、真っ先に否定した。
智磨からすれば、幾ら結果的に無事だったとはいえ成美の身体に向かって自らの得物を振るったという事実なんて、口が裂けても言いたくない事の筆頭と言えよう。
逆に、知らないと言ってその問いかけを回避するという術も考えられたが、これもどうだろうと智磨は悩む。
成美は妙に鋭い所がある為、変に誤魔化そうとすると感づく可能性もある。
それは、成美を怪異から遠ざけたいという智磨や成美の母である美波の考えに反するものであり、どうにかできないかと智磨は考え続ける。
「えー……っと……」
「……いや、流石にそんな風にされたら何かあったって感づくよ?」
至極尤もな事を言われて智磨は「うぐ」と声を漏らす。
即答できなかった時点で詳細はともかくとして智磨が知り得る『何か』があったのだろう、とそれくらいは怪異について何も知らない成美でも気が付ける。
「いやまあ、それ以上の事は何もわからないけどさ」
成美の言葉に、智磨は暫し考え込む。
ここまで感づいているのならば、いっその事全てを洗いざらい話してしまった方がいいのだろうか、あるいはそれでもひた隠しにし続けるのが良いのだろうか。
結論はすぐには出そうにない。そんな智磨の様子を悟ってか「今は、いいよ」と成美は言う。
「なんかお母さんと智磨が何か隠してるって流石にわかるよ」
「……そんなにわかりやすかった?」
「普段はそう思わなかったけど、今回の体調不良の件は不自然過ぎるって。そこから思い返すと――うん、変だなって」
「う、うん……」
智磨としてはそこまで不自然なやりとりをしたつもりはなかったが、普段から意図せず怪異関係の噂を仕入れてしまう成美のアンテナが、周囲の人間に対して敏感でないわけがなかった。
ここ数日間、体調不良で寝込んでいたという説明に対して違和感を覚え、そこからそれまでの智磨や美波といった怪異に関わる人間の行動のおかしさに気が付く鋭さが、成美にはあった。
そして、その鋭さを過小評価していた事に智磨は気づいて僅かばかりの気まずさを覚える。
誤魔化せたつもりだった部分が、実はそこまで誤魔化せてなかったと聞かされて、自らのコミュニケーション能力の不足を嘆くしかできない。
智磨が自身の至らなさを気にしている最中、「――でもさ」と成美が口を開く。
「二人が隠しておきたいって思った事なんでしょ?」
「……それはまあ、うん」
成美の問いに対して、智磨はそう答える。それは紛れもない事実だった。
怪異と関わる事は基本的に危険が伴う。
確かに、怪異を知らない一般人でも、怪異という脅威に晒される事は少なくない。
しかしながら、怪異の存在を知るという事は怪討となる事とほぼ同義となる。
そして、怪討という存在となって怪異に自ら近づくような生活を送る事になる。
そのような生活を送るなんてものは一般人が怪異に巻き込まれるよりも危険なのは言うまでもない。
無論、仮に成美が怪討になったとて智磨には成美を守り切る自信はある。
それくらいの抜きん出た実力を智磨は持ち合わせている。
しかしながら、世界には成美しかいないという訳ではない。世界中には多くの人々が住んでいて、特等怪討である以上はより多くの人々を救う事を義務付けられる。
その為、智磨の意志はともかくとして、成美だけは絶対に守るとは智磨には断言できない。
だからこそ、可能な限り怪異からは距離をとっている状態――怪異を知らない一般人で合って欲しい、というのが智磨の願いであった。
「だったら、私からはこれ以上聞かない事にするね。必要になったら、言ってくれればいいから」
成美はそう言って、にこやかな笑みを浮かべる。それにつられて、智磨も笑みを零すのであった。
次回更新予定時刻:
2025/08/02/12:00




