伍/怪討のツルギ/伍
それから暫しの時間が経って陽が昇り、二月二八日正午頃、所謂昼休み。
智磨の姿は梅戸中学校の教室にあった。
真鈴と布津丸との話し合いの後に帰宅し、短いながらも仮眠をとった智磨は真面目に学校に向かい授業を受けて――いや、普段以上に授業中の眠気に抗えず突っ伏して昼寝し、教諭からは厳重注意を受けたのだった。
午前の授業を終えて昼休みを迎えても、成美の姿は学校にはない。
友人と呼べる者は特におらず、ただ一人で学校での時間を過ごす。
黙々と弁当を鞄から取り出して机の上に置くと、「ねえ、水流城さん」と声をかけられる。智磨はその声の主の方を向きながら「何?」と尋ねる。
声の主は、成美の友人であるクラスメートの女子生徒三人だった。
智磨は学校でまともに会話する相手が成美しかいないのに対し、成美は広く深い人間関係を構築している事から智磨以外の友人が多かった。
そんな三人の内、一人が代表して口を開く。
「ねぇ、成美ちゃんの事何か知らない?」
成美の友人からそう尋ねられる。
担任の先生からは引き続きあくまでも“体調不良”という事になっているものの、成美は特に病弱という訳でもないためか、二日続いての欠席ともなれば成美の友人が不安に思うのも無理はない。
成美が特に仲良くしているように見える智磨に対して、そのように問いかけるのも自然というもの。
とはいえ、“実は行方不明”だとか“怪異に乗っ取られてる”等と口にする訳にはいかない。
周囲に怪異の存在をひた隠しにするのが怪討の役目である為、智磨は当たり障りなく「ごめん、私も詳しくは知らないんだ」と答える。
これには「そっかー……ごめんね、こんな事聞いちゃって」と言って、成美の知人は自分の席へと戻っていく。
智磨と成美の友人との間にこれ以上の会話が続く事もなく、再び一人の時間を迎える。成美のいない学校の時間に虚無を感じながら、智磨は午後の授業も仮眠にあてて怒られたりしながら放課後を迎え、下校する。
自宅に着き、固定電話を見てみれば着信があり留守電となったものがある事を示すランプが点滅していた。
智磨はそれを見て留守番電話を聞くのではなく、近くにおいてあったスマートフォンでとある番号に電話をかける。
すると、ほんの僅かな時間で相手が電話に出て『もしもし智磨? だから支部の方にかけなさいよ』と支部長――美波がそう口にする。
美波の様子をよそに、智磨は「成美の事は聞いてる?」と尋ねれば『……真鈴から聞いた』との返答。
その声色は震えていてどことなく不安だった。
娘のまさか過ぎる現状を聞いて憂いない親がいる筈もなく、普段通りなやりとりも可能な限り平静さを装った結果のものであると智磨には察せられた。
『智磨。正直、今回の件については私からはもう何も言えない。支部長としての判断と、親としての判断とが対立しあってて、私じゃもうどうしようもできない』
「うん、そうだろうね」
支部長としての判断を下すのであれば、成美諸共怪異を倒すというのが基本線となるだろう。
怪異という人間に対する脅威を取り除くのが怪討の役割であり、それに尽力しなければならない。
しかしながら、その討伐対象が娘となれば、親としてはなんとしてもそれを回避したい、と考えてしまう。
この相反する二つの考え、判断を持ってしまっている以上、美波は最早冷静にこの件について判断する事はもうできなくなっていた。
『だから、これだけ言わせて』
「何?」
『――後は任せた。どんな結果でも私は恨まないから』
声色は相変わらず震えていても、その声には力がこもっている。
これに対して智磨は力強く「任された」と返すのだった。
電話を終えた智磨は仮眠をとり、そうして迎えた翌三月一日午前一時。
ゆっくりと起きていつものコスプレ用学生服へと着替える。
そんな中、スマートフォンには一通のメールが届く。
その画面を見てみれば送り主は坂本成美――の身体を利用している怪異によるものだろう――であった。
その内容はと言えば、とある建物の名前と、屋上とだけ記されている。
「――なるほど、話が早い」
そう言いながら、寝起きの頭を確りと目覚めさせるためか、自ら頬を軽く叩く。
気合が入ったのか「よし」と声を漏らしながら玄関で靴を履いて家を出る。
智磨が成美を取り込んだ怪異がいるという緊急事態の中で、ゆっくりと仮眠をとり準備をしていたのには理由がある。
時を少し遡り二月二八日午前四時。
怪異との戦いから撤退した後、真鈴のスペシャリティカーの中での話し合い。
布津丸からの話を聞いたあと、真鈴は「それじゃあ、智磨はちゃんと仮眠をとって万全にしておきな?」と言った事に対して智磨は「本当に仮眠とっちゃって平気なの?」と不安そうに尋ねる。
今回現れた怪異は、智磨がこれまで戦ってきた怪異の中でも最上級と言っても過言ではない。
幾ら智磨が本調子ではないとはいえ、その辺りの力量を測れない訳でなく、今回の怪異はとても強力だと認識していた。
その度合いで言えば、二等怪討ではなす術もないだろうというもの。
一等怪討――真鈴でも時間稼ぎができるかもしれないという程度。これが智磨の見立てであった。
そうであるならば、なるべく智磨自身が早めに今回の怪異に接敵する他ないのではないか、というのが智磨の考えであった。
しかしながら、これに対して真鈴は「いいや。智磨はちゃんと仮眠をとってくれ」と否定し再度仮眠するよう念押す。
「どうして?」
少し納得のいかない智磨は首を傾げながら訪ねる。これに対して真鈴は少しだけ考える素振りをして、言葉を選ぶように口を開く。
「……相手は愉快犯だ。恐らく、智磨だけを狙っていると言っていい」
「愉快犯?」
「考えてもみろ。――それだけ強いのに、被害がまだ依り代にされた成美だけだろ」
真鈴の言葉に、すとんと納得できた智磨は「――あ」と声を漏らす。
確かに今回の怪異はとても強力で、その気になれば周囲に対して多大な影響を及ぼすのは間違いない。
しかしながら、冷静に今回の怪異が現れてからの事を考えてみれば、やっている事というのは智磨にちょっかいを出しているだけである。
その仮定で成美が依り代とされているものの、その他の一般人に対する被害は今の所でていない。
尤も、あくまでも“今の所”である以上、いつまでも楽観視できるものではないが、現時点の行動指針を決めるのには十分過ぎる材料である。
また、今回智磨が苦戦したのは本調子でなかったという要素も多分に含まれている事から、真鈴としてはその二点を理由に智磨には仮眠をとって欲しいと口にしたのだった。
「そもそも、だ。本調子のお前が負ける訳ないだろ。なぁ、水流城智磨特等怪討?」
そのように言われてしまえば、智磨としては頷く以外にない。
世界で五指に入る特等怪討。同じ怪異に二度目の敗北は許されない。その事を智磨は改めて意識したのだった。
そうして迎えた午前二時。
丑三つ時とも言う深夜帯。
霊ノ川沿いには高層建築物――所謂タワーマンションが幾つも建ち並んでいる。
その中の一つを智磨は見上げる。
元々、坂本親子が住んでいる――と言っても下の方の階だが――建物であり、夏には霊ノ川を挟んで向かい側の花火大会がベランダから見られるという事もあって、一緒に花火を見た思い出もある智磨にとっては思い入れのある場所である。
そんな建物の外壁に近づくと、ひょいと軽く跳躍して壁を蹴りながら上へと向かっていく。
先程、智磨の下に届いたメール。
そこに記されていた建物の名前というのがこの集合住宅、タワーマンションのもの。
つまり、智磨は地上二一階もの高層建築物の屋上へ向かっていた。
一つの跳躍で数メートル以上を優に超え、あっという間に智磨は地上約六〇メートル程の高さに到達していた。
そこには、智磨を待ち受けるかのように坂本成美の姿があった。
「くくく、待っていたわ“つるぎたち”」
相変わらずの、成美ならしないであろう不気味な笑みを浮かべながら怪異はそう口にする。
その事に対して、智磨は嫌悪感を感じつつも「……いい加減、その口で喋るなよ怪異が」と返しながら布津丸を手元に出して中段に構える。
そこには一切の迷いはない。
これには「……ほぉ?」と怪異は成美の顔のまま面白そうに口にする。
そうくるか、と言わんばかりの態度であり、これがもしも昨日であれば智磨はかちんときていた所だが、それにも動じない。
十分な睡眠は智磨に心の余裕をもたらし、普段通りの落ち着きを取り戻していた。明らかに昨日とは違う様子の智磨に対し怪異は成美の口を開く。
「私を殺すんだ?」
その問いに、智磨は何も答えない。
成美の声に成美の顔。
だからと言って、揺らぐ心はない。
「ねえ、智磨。どうして?」
重ねて怪異は問いかけるが、智磨は答えない。
智磨がやるべき事は決まっている。
すぅ、と智磨は軽く息を吸い込んで吐き出す。
小さな深呼吸を経てより集中力を増した智磨は鋭い目つきで怪異を見やる。
「それは、あなたの意志なの?」
怪異は問いかける。
しかし、そのような言葉にも智磨は揺るがない。
「――何か勘違いしてない?」
ここに来て、智磨が口を開く。
その顔はこれまで以上に冷徹で、平静さを保っている。
智磨は、これほどまでに本調子なのは久々という事もあって、極めて冷静に現状を把握できていた。
大前提として、この怪異はひたすらに智磨に思いとどまらせるような事を口にしている。
端的に言えば成美の身体を人質にして、討伐しようとするのなら成美を殺す事になるがそれでいいのか、と問いかけている。
実際、この問いかけは心身の調子を崩していた智磨には非常に効果的だったは間違いない。
智磨にとって成美は最大の保護対象である以上、そんな彼女の身体に手をかけるというのは智磨にはかなりの抵抗感がある。
そして第二に、あなたは神になれたというのに、という発言。
これは、智磨の特殊な出生とその体質に関わるもの。
水流城一族という閉鎖された特殊な環境で生まれた特別抜きん出た才能を持つ少女、それが水流城智磨である。
ここまでの奇力を有しているのなら、怪討という枠組みに収まる事無く、怪人として自由気ままに過ごす事も可能ではないか、という怪異からの誘いと表現できる。
事実、特等怪討というのは既存の怪討の枠組み――四等から一等まで――には収まらない超越者であるからして、確かに元から枠組みに収まっていないと言えばその通りではある。仮に一等と特等が模擬戦を行うとしたら、一人の特等に一ダースの一等でもつり合いがとれない。
それくらい、特等怪討は抜きん出た存在である。
つまり、怪討をやめて怪人になれば、成美を殺さずに済むぞ、というのが怪異の主張である。
特等怪討が怪人の側に着いた場合、怪討の側がその特等怪討に対処する為には、最低限同格の怪討――つまりは数少ない特等怪討を差し向けなければならない。
そうなると、他の怪異や怪人は特等怪討の監視下から漏れて自由に暴れる事が想定される。つまり、より怪異にとって都合の良い世の中になる事が予想される。
要は、この怪異がやっている事といのは、智磨の勧誘。怪異の道を歩めば、智磨は自由になれると言っている訳だった。
――だが、そのような誘いに智磨が乗る訳もなし。
「私は、怪異を討つ剣だよ」
「言ったな“つるぎたち”……!」
智磨の宣言に対して、怪異はこれ以上の言葉は意味がないと判断したのか、成美の姿から醜悪な異形の姿へと変貌していく。
辛うじて人型を保ちながら、幾つもの触手をうねうねと動かしながら、触手の隙間から見える赤く爛々と輝く眼光が智磨を貫くかのように睨みつけるのだった。
次回更新予定時刻:
2025/07/30/08:00




