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伍/怪討のツルギ/肆

「真鈴、どうやって……?」


 もぞもぞと動きながら飛び込んだ姿勢から、座席に座りながら智磨は言う。

 午前二時。

 あきらかに深夜になっている訳だが、現在の霊河団地は夜間の車両侵入を防止するゲートが閉じられている。

 その為、車で団地の中には入れないのではないか、という疑問を口にしたという訳だった。

 これに対して真鈴は「甘いなあ智磨は」と言い、運転しながら口を開く。


「通れるところはあるんだよ」

「一応聞くけど、問題はないの?」

「もみ消す」


 暗に――いや、堂々と法に触れるような事をしてきた事を口にしている真鈴に対し、智磨は絶句する。

 そんな智磨に対して、「少しはいつもの調子に戻ったか?」と尋ねる。

 これには「あ」と智磨も声を漏らす。


 先程までは元々体調的に不調だったり、様々な外的要因もあって取り乱していた智磨だったが、こうして身内しかいない空間になれば少しは取り繕う事も可能となっていた。

 だからこそ、先程までの醜態を俯瞰して思い返した智磨は「ごめん」と謝罪を口にする。

 自覚症状以上に取り乱し、肉体的精神的にも本調子ではないなか、怪異を討伐できずこうして一時撤退を余儀なくされている。

 それは、智磨にとってこれまで経験した事の内明確な敗北であった。

 これに対し真鈴は「いいんだって。お前は失敗しなさ過ぎなんだ」と声をかける。


「普通はさ、初陣でこういう失敗を経験するもんだ。大体の怪討ってのは、自分に非日常的な特別な力を得た高揚感で、多少バカになって初陣で何らかのヘマをするのが普通なんだ。自分だって、初めて怪異と戦った時はそりゃあもう酷くて、上司に助けてもらったもんだよ」


 懐かしむように真鈴は言う。

 事実、多くの怪討は真鈴と同様に初陣で何かしらの失敗をして痛い目に遭うというのはよくある事であった。

 寧ろ、その初陣で怪異にやられてしまう怪討も少なくない。

 特別な力を得た優越感に浸ってしまう事が多く、自身と相手の力量差を把握しないままに飛び込んでしまう、なんて事は珍しくないのだ。

 それに対して智磨は生まれながらにして特等怪討――正式に認定されたのは六歳の時の事だが――という事もあって、そういった失敗や挫折といった経験はないに等しい。

 だからこそ、人々が失敗を経験してそれを糧に成長するという過程を智磨は理解しておらず、ここまで純粋に落ち込んでいるのだった。


 しかしながら、不利な条件でも生き残り続け、撤退できた。

 つまり、生きていて次があるという事。

 前線で怪異と対峙する怪討に最も重要な能力というのは、間違いなく“生き残る事”だろう。

 仮に未曽有の怪異が相手だった時に、無事に生きて帰る事ができれば、仲間にその怪異についての情報を共有するという方法で協力できる、貢献できるという訳だった。

 だからこそ、真鈴からしてみればちゃんと智磨が生還した事を褒めたい気持ちが強くあった。

 無論、相手がどのような怪異であっても智磨がやられる事はないだろうと考えていたものの、念には念を入れるという事でこうして智磨のいる霊河団地の中に進入して救出するという無茶をしたのだった。


「それにしても、ここまで苦戦するなんてな。――何があった?」


 とはいえ、である。

 真鈴からすれば智磨は経験不足な面こそあれど、順当に真正面から正々堂々と戦う事さえできればまず間違いなく敵なしだと考えていた。

 それ故に、こうして苦戦して倒し切れないなんて事が本当にあるとは思っておらず、真鈴からすれば予想外であった。

 ただの怪異であれば智磨が苦戦する筈もない以上、何らかの要因があって苦戦したのではないかと考え智磨に尋ねたのだった。

 その顔は普段の飄々とした雰囲気は一切ない、極めて真剣なもの。

 その様子に合わせるように智磨も確りと言葉を選び口にする。


「まず、相手はあの新しい神話の怪異だった」


 智磨のその言葉に、真鈴は合点がいって「ああ、あの夜の」と理解を示す。

 あの日、水流城一族の拠点に現れた怪異。

 その正体を当時の真鈴は知らなかったが、その後の調査でその正体を真鈴は聞かされていた。


 最新の神話。

 アメリカのとある作家の書いた小説内に登場する架空の神話。

 それは、本来ならば脅威となり得る筈のなかったものだが、作中内に登場する架空の神話と片づけるにはあまりにも世界中に広まってしまっていた。

 アメリカ国内に留まらず、日本でもその作品群は人気となり、様々な形でその題材は扱われている。

 怪談や怪異はその知名度が高いほど、その力をより強固なものとする性質がある。

 これは怪討の中では常識として広まっている定説である。

 そうであるならば、近年急速に広まってTRPGテーブルトークロールプレイングゲームやライトノベル等でも題材として扱われる等、知名度はかなり高いこの神話に類する怪異が強力な力を持っていてもおかしな話ではない。

 同時に、近年は本当の意味での宗教や神話は広まりにくいという土壌も影響している。

 宗教の経典や神話等の描写というのは、現代の科学では否定されるものが多く、言ってしまえば現代社会に生きる殆どの人間が宗教ではなく科学を信仰していると考える事ができる。

 その点、創作上の架空神話であろうとも、多くの人々に題材として扱われるようになったこの神話が強力な力を持っているのは自然と言えるだろう。

 それを理解しているだけに、真鈴の顔は極めて険しいものとなっている。

 だが、それでもそれだけであれば智磨が苦戦する道理はないと考えて「他にもあるんだろ?」と続きを促す。

 それに対して智磨は少し間を置く。そして、言葉を選びながら智磨は意を決して口を開く。


「……成美の姿をしていた」


 その言葉を耳にして真鈴は先程智磨を救出した際に見た怪異の姿を思い返す。

 あの一瞬において真鈴自身は怪異をちゃんと直視していない事からその場では気づかなかったが、智磨に言われてみれば“確かにそうだった”と認める。

 同時に「厄介だな……」と真鈴は口にする。

 成美の姿をしている怪異。これが何を意味するのかと言えば、“成美が怪人となった”という事である。

 怪人というのは、怪異が人間と接触する事で生まれるものである。

 存在があやふやな怪異というのは、その存在を確固たるものとする為に、人間を依り代とする事がある。

 実体を持つ身体を有するという事の意味は非常に大きく、身体のない怪異は周囲に対して何らかの影響を及ぼす事が難しいなか、身体があればそれを用いて暴れる事で十分な破壊行動を行える。

 つまり、身体を持たない怪異にとって、身体を得る事――怪人となる事は非常に大きな意味を持つという事になる。


 そして、今回のケースで言えば、運悪く坂本成美がその依り代になってしまったという事になる。

 怪人の中には、依り代となった人間が主体性を持って悪事を働く場合と、寄生した側である筈の怪異が主体性を持っている場合の二つがある。

 しかしながら、その両方とも一般的には依り代となった人間と怪異は一つになっている以上、怪異を倒すという事はその依り代となった人間諸共倒す事になる。


 ――要は、成美を斬らなければならない。


 それは、智磨に大きな心的負担を強いていた。

 その事に気が付いて、真鈴は次の言葉を発する事ができない。

 智磨に散々、“お前は人間だ”と口酸っぱく言ってきた真鈴にしてみれば、今回の出来事はあまりにもイレギュラーだった。

 智磨を人間として成立させているのは、成美がいるからだと真鈴は考えていた。

 成美という怪異や怪討を知らない、それでも智磨と一緒にいるという貴重な人間。

 そんな存在がいるからこそ、智磨は特殊な生まれながらここまで人間らしく振る舞えるようになった、と。


 もしここで成美を智磨が斬る事になったらどうなるか。

 恐らくは、智磨を人間として繋ぎ止めていたものがなくなって、より怪異を討つ剣としての振る舞いを強くしていく事となるだろう。

 それは、真鈴には受け入れ難い事だった。

 何より、成美は二人の共通の友人である坂本美波の娘だ。

 美波がどれだけ成美を溺愛しているかをよく知っている。

 美波が成美を怪異から可能な限り遠ざけたいと考えていて、智磨はそんな成美に近づく怪異をこれまで幾度となく屠っていた。

 その努力を真鈴はよく知っていて、今の状況を美波が知ったらどう思うだろうか、とつい成美は考えてしまう。


 しかしながら、智磨と真鈴は怪討。

 相手がなんであれ、人間に害を与える怪異を討伐するのが役割だ。

 怪異が知人を依り代にしたからと言って、見逃す等と言う事は許されない。

 その事実に真鈴は頭を抱えたくなるのを堪えるのが精一杯だった。



 暫くの沈黙。

 風を切る音と、エンジン音、パンパンと鳴り響くアンチラグシステム特有の音だけが二人の耳に届く。


「……ねえ、こんなに音出しちゃって大丈夫なの?」

「どうにかなるだろ、多分」


 現実逃避するように、智磨と真鈴は話題を転換する。

 しかし、そこから話は続かない。

 真鈴が思っていた以上に状況は深刻で、このような状態を解決する方法なんてどこにあるのか、と幾ら考えても結論は出てこない。

 結局、また沈黙が訪れる。


 そして、その状態で数分程経った頃、『……少しは落ち着いたか我が使い手』とこれまで沈黙を貫いてきた布津丸が急にそう言った。

 その事に「え?」と智磨は困惑の声を漏らす。

 とはいえ、先程まで怪異と相対していた時と比べれば落ち着いているのは事実であり「まぁ、うん」と智磨は返す。

 その様子に満足したのか『うむ、漸く本調子に近づいたか』と機嫌よく言う。

 もしも布津丸に人間の身体があったのなら、笑い転げているかのような声色で、智磨は内心では“うわなにそれこわ……”と自らの得物に対してそのような事を考える。


 そんな智磨の様子をよそに、『それよりも、だ』と布津丸は真剣そうな声色でそう言う。

 あまりの温度差に風邪を引きそうだと智磨は感じながらも布津丸の言葉に耳を傾ける。

 今、この状況において智磨と真鈴の二人は完全に手詰まりであった。

 相手が成美を依り代としている、その一点において二人では手の打ちようがなかった。

 成美の事を考えないのであれば、怪異を倒す事は可能かもしれないが、それはあまりにも智磨、それと成美の母である美波に対するダメージが大きすぎる。

 無論、このまま何も手立てがないようであれば、その通りにするしかないのだが、現状それを実行するだけの心の強さが智磨にはない。


『――我の事を見くびっておるな、お主ら』

 布津丸が、これまでになく力強く言う。


『儂に――この、布都御魂に任せろと言っているのだ』

次回更新予定時刻:

2025/07/29/08:00

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