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伍/怪討のツルギ/参

 思いがけないものを目にしてしまい、智磨は気が狂いそうになるのを感じながらも、狂い切るまでには至らず寸での所で堪えて一旦距離をとる事を選ぶ。

 珍しく感情に揺さぶられながらも、極限状態において可能な限り普段通りの行動を無意識にとろうとするあたりに、智磨が普段から自身を人間ではなく怪討と定義しているのが強く出ていると言える。


「……どういう、事だ……?」

 咄嗟に距離をとったものの、それでも眼前に映っているのは間違いなく坂本成美――智磨がほぼ一日中その行方を追っていた少女であった。

 そして、先程の智磨の一太刀によってその右腕が斬り落とされている。

 智磨にとって、坂本成美は数少ない人間の友人であり、最優先の保護対象だ。

 智磨のこれまでの人生において、関わって来た人間の殆どが怪異絡み――つまりは怪討が主であり、一般的な人間との交流というのはあまりにも少ない。

 そんな智磨にとって、怪異に関わりのない人間の友人というだけで、かなり重要な保護対象であるのは間違いない。


 だからこそ、この場に成美がいるという事そのものが、智磨には理解できない。

 そして、そんな成美の腕を自身が斬り落としてしまった、という事実が追い打ちをかける。

 理解し難い状況を前に、思考が停止してしまうのを智磨は自覚していた。

 何らかの仕掛け、カラクリのようなものがあるのではないか。

 そのような事を考える。

 第一、成美には感じ取れるような奇力を持ち合わせて等いない。

 成美に怪討としての才能がない、というのは智磨と成美の母である美波、そして真鈴の三人が幾度となく確認済の事実である。

 それはつまり、外界に干渉できるような奇力を持ち合わせていないという事でもあり、その程度の奇力しか有していない者を智磨は正確に把握する等できない。


 それにも関わらず、今現在眼前にいる成美や先程まで智磨の背後にいた怪異からは間違いなく奇力を感じ取れている――つまり、眼前にいるのは本当に成美だろうか――とまで考え始める。


『ふ、ふふ……』


 そんな困惑しながらも確りと布津丸を中段に構えて切っ先を成美の方へと向けている智磨を見て、智磨の眼前にいる存在は妖しげな笑みを浮かべる。

 普段の成美ならばそのような笑い方などしない、不気味そうな笑み。

 すると、腕を斬り落とされた断面からぬるぬると触手が生えて来る。

 互いの断面から生えて来た触手同士が接合したかと思うと、瞬く間に腕が再度くっついて元通りになる。

 更に、「ふふ」「あはは」と二重に声が聞こえ始める。

 気が付けば、成美の顔が大きく歪んでいて、口の数が増え肌も黒ずんでいくのを見た智磨は、過去に感じ取った事のある怪異を思い出す。


「まさか、お前――ッ!」


 その姿を智磨は見た事がある。

 口が無数にあり、肌は黒ずんでいる。

 そして、うねうねと動く触手。


 その気配を智磨は感じた事がある。


 約八年前。

 水流城一族が壊滅した日に。

 目の前で一族の長が倒されるのを見るしかなかったのを、智磨は思い出す。

 それは、外宇宙からの侵略者。

 新たに認知された神話。

 その脅威を、水流城智磨はよく知っている。

『えぇ、お久しぶりですね、“つるぎたち”』

 “混沌”の象徴、化身というべき怪異が、智磨の眼前に立っていた。



『あれから約八年ですか。ふふ、やはりあなたは神になれるというのに』

『その力で人間に肩入れするのは不可解ですねぇ』


 同時に二つの口が開いてそのように言う。

 先程までは坂本成美がいた筈の空間には、気が付けば異形の怪異がいる。

 成美の姿をしているよりは戦いやすい、と感じると同時になぜここで種明かしをしたのかが智磨には理解できず、動く事ができないでいた。

 ただ、中段の構えを解く事はなく、警戒心を緩める事無く眼前の怪異と対峙する。

 心は動揺していても、身体は怪異を討伐するべく勝手に動く。

 焦りで注意力散漫になっていようとも、長年の経験から状況に応じて勝手に身体が動いている。

 こればかりは幼少期からの鍛錬、自身を人間ではなく怪討として認識していたからこその賜物であり、集中力を欠いている自覚がある智磨はその事に珍しく内心で感謝する。


 そのような智磨の様子を見て『本当にかわいそうに』『あなたは人間なんかじゃないのに』と煽るかのような声を複数の口から怪異は投げかける。

 その言葉に、平静さを失わないよう智磨は自身を律する。

 あくまでも敵が勝手に言っている事。

 怪異が我が身可愛さでそのような事を口走っているだけだ、と言い聞かせようとする。

 するとその瞬間、怪異の姿形にモザイクのようなものがかかったかと思えば、そこには先程まで智磨の眼前にいた坂本成美の姿となる。


「ねえ、私達って友達だよね……?」


 その言葉に、不意を突かれた形になった智磨は目を大きく見開いて「え?」と困惑の声を漏らし、それを見てとった怪異は成美の姿形のまま、成美ならしないような歪んだ笑みを浮かべながら智磨の下へと駆ける。

 元々の坂本成美も女子バスケットボール部で主将を務める位には運動神経抜群で、身体能力に優れている。

 しかしながら、今の地を駆ける速度はその比ではない。

 姿形こそ成美になっているものの、やはり正体としては異形の怪異。

 奇力をうまく利用して一瞬にして智磨の懐へと迫る。

 その間に怪異は腕を触手に変化させてそれを智磨の腹部へと突き立てようとする。

 常人であれば、その一撃をなす術もなく受ける事になるが、それをさせないのが特等怪討。

 僅かばかりの猶予時間で反応し、布津丸の刀身でそれを弾く。

 そして、虚をつかれた状態で距離を詰められているのはまずい、と智磨は地を蹴って再度距離をとる。


「……その顔で喋るな、怪異が」


 絞り出すように、智磨は言う。

 元々、本調子ではない。常日頃からの睡眠不足、坂本成美の行方不明――本調子を出せない理由は幾つもある。

 しかしながら、それ以上に智磨がやりにくい、と感じているのは怪異が坂本成美の姿形でいる事だった。

 智磨にとって成美は守るべき対象であって、斬る対象ではない。

 眼前にいるのが怪異とわかっていても、視覚情報があるだけに成美と対峙しているような錯覚に陥っていた。

 その錯覚を払拭しつつ、布津丸を振るう事になる為一つ一つの動作が普段よりもほんの一瞬だけ遅れている。

 その一瞬の遅れというのが、今回の本調子でない智磨にとっては十分過ぎる隙となっていて、こうして防戦一方になっていた。


「ふふ、どうして?」

「……だから、その顔で喋るなって言ってるだろ!」


 歪んだ笑みを浮かべながらそういう怪異に対して、普段なら御している筈の感情に突き動かされて智磨は地を蹴り怪異との距離を一気に詰める。

 これには『いかん、我が使い手――!』と布津丸も静止をかけようとするが、智磨は止まらない。

 一瞬にして怪異の懐へと迫り、布津丸を上段の位置まで振り上げる。後はそれを振り下ろすだけ、という所で――。


「――私を斬るの?」


 智磨の耳に成美の声が届く。

 それと同時に振り下ろした刀は怪異を両断する事なく、その手前で停止してしまう。

 それを見た怪異は「ふふふ、ありがとう智磨」と煽るように言いながら腕を再び触手に変じさせてそれを振るう。

 僅かに反応が遅れた智磨は、咄嗟に布津丸の刀身でそれを防ぐが、その力に弾き飛ばされてしまう。

 宙に浮いた智磨は咄嗟に空中で姿勢を整えて綺麗に着地する。


 しかしながら、その顔には未だに動揺の色が濃く浮き出ている。

 不調ながらも、普段通りの動きができてはいる。

 できていはいるのだが、それでもやはり一つ一つの動きの精度や速さ鋭さという意味において、普段からは数段階落ちている。

 智磨自身の体感では一段階程と感じていた所が、実際にはより落ちているという事を今の一瞬で理解して、智磨の顔には焦燥が見える。

 


 特等怪討には本来、絡め手は通用しない。

 怪異の世界において、ジャイアントキリングや下剋上という概念は一切存在しない。

 絡め手というのは、格上の存在が格下の存在を相手にした場合どれほど楽できるかという手段でしかない。

 例えば、相手の精神を乱すような奇力を発して相手の調子を崩させるというものや、相手の意識を奪うようなものがあるとする。

 しかしながら、一等怪討や特等怪討のような抜きん出た奇力を持ったものというのは本人が何をするでもなく、その持ち合わせた奇力だけでそういった術を全て弾いてしまうという特性がある。

 その為、絡め手というものは怪奇やそれと相対する怪討の中ではあまり良しとはされない術であった。


 そういった背景から、智磨にしてみれば絡め手等と言うのは初めから警戒すらしていない。

 事実、今智磨の眼前にいる怪異は常人が見ればそれだけで気が狂ってしまうような奇力を有しそれを放っている。

 しかしながら、このようなものは智磨には通用しない。

 その手の絡め手は智磨の有する奇力を前に霧散し意味をなさなくなる。


 にも拘らず、こうして智磨が本調子を出せていないのは、この怪異が徹底的に奇力に依存しない方法で智磨を揺さぶっているからだった。

 どれだけ奇力が抜きん出いている智磨と言えど、その身体や精神は一四歳の少女に過ぎない。

 類まれな奇力と年齢離れした経験や技術等で普段は露呈しない部分であるが、そこを徹底的に怪異がついているからであった。


 ――自身を人間と定義していない事。

 ――坂本成美という少女に対する執着。


 この二つが、水流城智磨にとって触れられたくない部分であると怪異は見抜いていた。

 約八年前。

 水流城一族を壊滅させた怪異は、あの日に智磨から手痛い一撃を浴びてから今日に至るまで、水流城智磨という怪討をどのように倒すか。

 あるいは、水流城智磨を怪人にできないだろうか、と考えていた。

 だからこそ、この怪異は密かにその気配を悟られぬように智磨を観察し続けていた。

 それは、水流城智磨にとっては初めての経験。

 これまで、水流城智磨の戦いは互いに初見の状態での戦闘が主であった。

 その場で出会い、その場で仕留めるというのが智磨にとっては常識であり、二戦目が行われることなど滅多にない。

 あったとしても、近い日に行われているのが殆どであり、今回のように怪異の側が徹底的に智磨の事を調べ尽くして智磨を倒そうとしている等というのは、これまでなら考えられない事だった。

 


「ふふふ、やっぱり、あなたは面白いわ“つるぎたち”」


 怪異は成美の口で煽るように智磨にそう言う。

 その言葉を耳にして智磨は自身の感情を御するのに精一杯だった。

 普段のように布津丸を中段に構えるが、やや身体をふらつかせ、本調子でない事は明らかだった。


 その様子に成美の姿をする怪異は心底から面白そうに笑みを浮かべている――その時だった。


 智磨と怪異だけという静寂な空間に、クラクションが鳴り響く。

 その音に驚いた智磨が音の方を見てみれば、真っ暗闇の団地の中を純白のスペシャリティカーが疾走しているのを見た。

 ターボエンジンが唸りを上げ、燃料を推進力に変えて猛スピードで智磨たちの下へと迫って来たかと思えば、そこから急ブレーキをかけて智磨と怪異の間に割り込むように停止し、ドアが開かれる。


「乗れェっ!」


 その声の主が誰かを判断するよりも先に、智磨の身体は反射的にスペシャリティカーの開かれていたドアへと飛び込む。

 ワンテンポ遅れて怪異が触手で車へ攻撃を仕掛けようとするが、寸での所で車の運転手――真鈴が咄嗟の判断でバックギアに入れてアクセルペダルを踏み込む。

 後方への急発進で回避しつつ、巧みなハンドルさばきとペダルワークで一八○度ターンを決めて、怪異をその場に置いてこの場を去るのだった――。

次回更新予定時刻:

2025/07/28/08:00

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