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伍/怪討のツルギ/弐

 とっくに陽は沈んで、日付すらも変わっている。

 二月二八日午前二時。

 人の気配がなくなっている霊河団地を一人で智磨は歩く。

 高度経済成長期に建てられた近未来的な姿形の集合住宅は、昼間に見ればかつての近未来SFを思わせるが、真っ暗闇の真夜中に見ればまたその印象が変わる。

 非日常的な形状の建物が外灯によって僅かに照らされて、不気味さを醸し出す。

 いくら形状が近未来的と言えど、建物そのものはそれなりに老朽化が進み、そう言った部分がより強調されているようにも見える。

 そんな中で、智磨は先程感じ取った奇力の主の姿を探していた。

 気配では確かにこの近所であるというのが智磨にはわかる。しかしながら、いくら周囲を見渡してもその姿形が一向に見えない。

 その事に、僅かばかりの焦りを智磨は感じる。早く成美の捜索に戻りたい、という意識が僅かに智磨の集中を乱している、と智磨自身が自覚できる位には。


「――どこだ、どこに……ッ!」

『落ち着け我が使い手。流石に焦り過ぎだ』


 焦りから無意識に漏れた智磨の言葉に、まだその場に姿を現していない智磨の得物――布津丸は智磨に落ち着きを取り戻して欲しくてそう返す。

 これには「わかってる、わかってるけど……」と年相応の焦った声色で智磨は言う。

 普段から落ち着いた言動で大人びている印象を与える智磨だが、実年齢はまだ一四歳。

 確かに対怪異の実戦経験で言えば並の怪討よりも修羅場を多く経験してきた大ベテランと言っても過言ではない。

 しかしながら、真っ当な人生経験という意味においては、同じ年ごろの少年少女と比べても乏しいと言える。

 そんな彼女にとって、数少ない――寧ろ唯一と言っていいだろう――親友である坂本成美の行方不明、というのはあまりにも大きすぎる出来事であった。

 人より乏しい人生経験の殆どに関わっているのが成美であり、そんな成美の事を智磨は大事に思ってきた。

 霊崎市に住み、そこに住む人々を怪異から守るという役割も、成美が住んでいるこの街の平穏を守りたい、と考える事ができる位には成美の存在は智磨にとっては大きい。

 だからこそ、成美の行方不明は智磨の心を大きく乱すに至る。

 普段であれば、誰かが行方不明になろうとも、怪異という存在をよく知る智磨からすれば、そのようなことは“よくある事”でしかない。

 だが、いざ成美がそのようになった時、普段通りができないという事実に智磨自身も驚いていた。

 平静を取り戻そうとしながらも、なかなか落ち着くことができないまま、智磨は真っ暗闇の団地を歩き成美の姿を探し続ける。

 その最中の事だった。



『――こんばんは、“つるぎたち”。ああ、今夜は本当にいい夜ね』


 智磨は唐突に背後から声をかけられる。

これに対して反射的に振り向きそうになるのを智磨は寸での所で堪える。

 怪異という非日常的な存在を相手にした際“振り向く”という行為はあまりにも危険である。


 それは、世界共通の認識として“振り向くなのタブー”があるからである。

 後ろを振り向く、という行為そのものがそのタブーを破る事に繋がり、それは振り向かせた側に優位性をもたらすというのが定説であった。

 だからこそ、智磨は背後から唐突に現れた奇力の主に対して、振り向く事ができない。

 ただ背後の気配に対して警戒を怠らない事しかできる事がない。

 そんな中で、智磨はその声の主の言葉に対して疑問を抱き、「つるぎたち?」と振り向く事なく尋ねる。


 つるぎたち。

 主に和歌において特定の単語の前に置いて語感を整えたり、情緒を添える為の枕詞、その一種である事という事は智磨にもわかる。

 梓美とは冗談、ふざけあってそう呼び合う事がある位なのだから。

 しかし、背後の声の主からそう呼ばれる事に対して智磨は強い違和感を覚えていた。

 これに対し『えぇ、そうでしょう?』と声の主は何も不思議な事はないと言わんばかりに同意を求める。


『だって、あなたは(つるぎ)なのでしょう?』


 その言葉を耳にして、智磨は絶句する。


 ――自身は怪異を討伐する剣である。


 智磨はこれまで、自身をそのように定義してきた。

 人間である前に怪討であると。

 怪異を討伐する刀剣の類であると。

 その事に、何も違和感を抱いていなかった。

 幼少期にそのように言われ続け、それを当たり前であると感じ、後から「智磨は人間だ」と言われようとも、その価値観は変わらないまま。


 しかしながら、この現代日本で日常生活を送るにあたって、人間らしく生活する事を覚えた智磨は、怪異を知らぬ一般人から不思議がられる事はまずなくなった。

 それにも関わらず、この初対面である筈の声の主、推定怪異は智磨のそんな本質をその場で言い当てて見せた。

 それは、智磨にとっては触れられたくない部分であり、「お前……!」とつい声を漏らす。


 智磨は普段、大人びていて年相応の子供らしい感情の機微を見せる事はない。

 しかしながら、それは自身を人間である前に怪討と定義していた為である。

 そんな彼女にとって、唯一気にしている点と言えば、やはり“自身を人間と定義できていない”という事に尽きる。

 その唯一の点をつかれたとあっては、例え普段は大人しい智磨であっても声を荒げるのは無理なかった。

 そんな智磨の様子に怪異は『あれ、そんな事を気にしてるんですか?』と更に煽る。


『私も、あなたも。どうせ人ではないんです。――なら、一緒に全てを悉く壊してしまいましょう?』


 その言葉に、智磨は苛立ちを募らせる。

 "一緒にするな”という感情がふつふつと湧き上がってくる。

 確かに、智磨は自信を怪異を討伐する刀剣の類と自認している部分はあるが、それは“自身には人間を守る義務がある”と強く心に決めているからこそである。

 そうである以上、智磨には全て――つまり、この世界にいる人間をも巻き込み――壊すなんて事は智磨には到底受け入れられない事であった。

 それを目論むような者と一緒にはされたくない、と思うのも自然な事であった。


『ふむ、どうやらかなり強情のようですね……』

「当たり前だ。怪異は討伐する。それが私の存在意義なんだから」

『それは、本当にあなた自身が決めた事ですか? あなたの周りにいる人間が勝手にそれを押し付けて来たのでは――』

「――うるさい」


 怪異の言葉を振り払うように智磨は否定する。

 これ以上の問答は無用と智磨は背を向けたままではあるが布津丸を構えて背後に意識を向ける。



 怪異の気配は間違いなく背後。

 どのくらいの距離にいるかを感覚である程度把握した智磨は、近寄って来て攻撃してきた時にその攻撃をいなし、反撃するという作戦を練る。

 相手の姿形はわからないまでも、感じ取れる奇力でその実力はある程度推し量る事が智磨にはできる。

 少なくとも、これまで智磨が討ってきた怪異と比べて間違いなく格上。

 最上級の怪異であるのは間違いない。

 もし、この場に三等――いや、二等怪討が居合わせたのなら怪異の奇力に中てられて正気を失う事があり得るレベルであるとまで智磨は見抜いている。


 しかしながら、そのような相手であろうとも揺るがないのが特等怪討。

 怪異の発する奇力で揺らぐ程度の抵抗力で特等と名乗る筈もなく、ありとあらゆる妨害を受け付けない。

 その完全無欠さがあってこその特等怪討である。

 じり、とゆっくりと怪異が智磨へと迫る。


『かわいそうに。あなたは本当なら神だというのに』


 神。

 そのような言葉に智磨が揺らぐ事はない。

 智磨が怪討として理解している神というものは、あくまでも信仰する者がいて、その者達によって神が生まれる、という事である。

 勿論、神が先とする説もあったりそういう実例があるのかもしれないが、それを確かめる手段は今の人間にはない。

 だからこそ、智磨はあくまでも神というものは人間が生み出したもの、と解釈している。

 その為、神というものを智磨は特に絶対視する事なく、多少生い立ちは特殊で自身を人間である以前に怪討と認識していようとも、生物学的には人間である事は理解している為、怪異の言う“あなたは神”という言葉については「戯言を。私は、単なる怪討だ」と一蹴しながら、布津丸を手元に呼び出してぎゅっと握り込む。


『本当に強情ね、あなた。頭が固いとか言われない?』

「生憎、言われた事はないよ」


 一歩、また一歩と怪異が近づいてくるのを智磨は感じ取る。

 不思議と、殺気を感じ取れない。

 その事を不気味に思いながらも、深呼吸をして気持ちを落ち着かせ集中を高める。

 怪異の方からあと数歩歩み寄り、先制攻撃を仕掛けてきたその瞬間に合わせて、反撃を試みる――とこの後の流れについて智磨は考える。


 ()(せん)やカウンター、返し技とも呼ばれるものである。

 先に振り向いてしまうと“振り向きのタブー”に定職する恐れがあるものの、相手が事を起こそうとしている最中であれば話は変わる。

 その上で、素早く動けば相手の先制攻撃に先んじて一太刀浴びせる事ができる――と智磨は考えながらその返し刃を浴びせる為に姿勢を整える。


『ふふふ、本当にあなたは面白い』


 背後でピタリと怪異が立ち止まったのを智磨は感じ取る。

 後は、怪異が智磨自身に手をかけようとしたその瞬間を即座に感知して、その瞬間に相手の先制攻撃そのものを封じる反撃をすればいい、と思考をシンプルにしていく。

 先程までの雑念を振り払い、ただ相手を斬り、討つ事だけを考える。

 そして、背後で動く気配を感じ取った智磨はそれを先制攻撃だと感じ取って、素早く振り向きながら背後の気配に向けて刃一閃。

 相手に先制攻撃をさせながら、その先制攻撃が的中するよりも先に反撃をする。

 正しく、後から動いて先手をとる後の先の神髄そのもの。


 ――だが、その瞬間智磨が目にしたものは智磨の想像していたものとは大きく異なっていた。


「ちゃんと後ろを見ないから」


 その声は、智磨のよく知る声。


「なんで斬ったの」


 その顔を、智磨はよく知っている。

 ぼとり、と落ちた右腕も。

 身長一六〇センチメートル程の身体もよく知っている。


「な……んで……」


 つい、そんな声が智磨の口から漏れる。


 ――そこにいたのは、右腕を斬り落とされた坂本成美だった。

次回更新予定時刻:

2025/07/27/18:00

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