壱/一三段の階段/参
『どうして成美っていつもそう……』
智磨からの報告を受けた美波はそう口にした。
そう言いたくなるのも無理はない。
水流城智磨にとって坂本成美が日常の象徴である。
それは、成美自身は怪異との関わりがないどころか、怪討としての素質が皆無であるからだ。
怪討としての素質は基本的に遺伝する事が多いとされてはいるものの、絶対ではない。両親に素質がなかったとしても突然変異的にその子供が素質を持っているなんて事があり得る。
同様に、親が怪討だとしても必ずしもその子供が怪討になると決まった訳でもない。珍しくはあるが、過去に前例はある。
そして、それは美波にとっても成美は日常の象徴である。
我が子に怪討の素質がないとわかった際に、美波は内心では怪討として危険な現場に出る事はない、と安堵した位だ。
つまり、美波にとっては帰ったら日常の象徴である娘が待っている、という事をモチベーションにして非日常である怪異と戦い続けているのである。
さて、そんな坂本成美だが、どうしてか怪異に関わる噂についてよく耳にしているのが二人にとっては懸念事項であった。
智磨と美波、二人にとっての日常の象徴にも関わらず、非日常的な怪異に近い情報を得てしまうのか。
これについては、二人の中で結論は出ていない。
ただし、二人の間で結んだ約束事が一つ存在する。それが――。
――成美に危険が及ぶ場合、智磨がそれを排除する――というもの。
本来ならば第三者を経由して怪討から支部に報告がされて、その報告を受けて支部長が支部に在籍している怪討に、怪異の討伐を依頼――命令するのが、怪討の集まり――全日討霊崎市支部の支部長の役割である。
適切な現場に適切な人員を送り込む事こそ、人口の多い霊崎市で怪異に対処する事において最重要と言える。
しかしながら、そんな支部長も人間の心はある。
それこそ、親としての心がある。
――つまり。
本来の人事を無視して、特等怪討である水流城智磨にそのままその案件について対処してもらう、というもの。
水流城智磨は特等怪討である。
特等怪討は全世界で見ても五人しかいない怪討の中で頂点とも言える人材だ。
そのような人材を一般的な怪異の案件に放り込むというのは、トランプゲームの大富豪で三を一枚出している相手にいきなり二を一枚叩きつけて勝負するようなもの。
戦力過多と言い換えてもいい。
しかしながら、智磨がそのまま事に当たるのならば、美波の娘――成美の安全は保障される。
「どうする? 今ならまだ美波が聞かなかった事にすれば、一般的な対応になると思うけど」
智磨は冷静にそう返す。
内心では、友人である成美のために自分で“学校の七不思議”、“一三段の階段”について対処したい、とは思ってはいる。
しかしながら、数少ない特等怪討の一人として、できればこの案件は支部の他の怪討に任せた方がより支部の為にはなると理解してもいた。
同じことを美波も考えている。
特別に危険な案件であれば智磨が担当し、そうでなければ支部の怪討に任せて経験を積ませる――あるいは、突発的に危険な案件が来てもいいように智磨をフリーにしておく――というのは、支部長としては当たり前の考えだ。
しかしながら、美波は梅戸中学校の生徒である坂本成美の母でもある。
梅戸中学校に現れるだろう怪異を相手に智磨が担当しても良い、と言ってくれているのは美波個人にとってはあまりにも魅力的な言葉だった。
『わかった。私は聞かなかった事にする』
報告など受けていない――つまり、この案件はそのまま智磨が片づけて欲しい――それが、美波の結論だった。
その返答に対して智磨は「了解。後はこっちが片づけるから」と軽く言い残してから電話を切った。
翌七日。午前一時半。
水流城智磨はアラーム音が耳に届いて目を開ける。
放課後に美波と電話をしたその後、智磨は仮眠をとっていた。
人間の身体には三大欲求と呼ばれるものがあり、その内の一つが睡眠である事から、一日中寝ずにいる事は智磨にとっては苦痛以外の何物でもない。
そのため、早めに仮眠をとって真夜中に目を覚ますという他の中学生が聞いたら卒倒するような生活リズムになっていた。
『起きたか、使い手』
そんな智磨に話しかける声。
しかし、その場――智磨の部屋には智磨以外の人影はない。
だというのに、智磨は驚く事もなくスマートフォンから流れていたアラーム音を消しつつ「うん、おはよ布津丸」とその近くに立てかけてあった日本刀に返答する。
――布津丸。
それは、智磨の得物である特別な刀剣だった。
この刀自体はかつて作られた古刀という訳でもなく、逆に新しく作られたものでもない。この刀そのものが智磨の怪討としての力――怪奇力、略して奇力とも呼ばれる――によってできている刀剣である。
怪討は各々自らの奇力によって自分の得物を生成する。
怪討としての素養はその得物の生成がまずできるかどうかが一つの基準となっており、怪討であれば基本的には一つ自らが生成した得物を手にしている。
だが、この布津丸についてはその中でも異例の存在である事は智磨もよく理解していた。人格を備えており、所有者に話しかける事もある。
他の怪討が所有する得物にはない特徴が多く、広義的に言えば人格を持つ奇力でできた刀剣という名の怪異と言われても仕方のない代物である。
とはいえ、智磨からすれば自らの得物という以上の感情はない。
同時に、智磨にとっては大事な仕事道具である以上は、その扱いは丁寧である。
智磨が鞘から刀身をちらりと確認してみれば、日々確りと手入れをされている事が明らかな程、美しい刀身が僅かに見える。
刀身を確認した智磨が「納刀」と唱えると、布津丸の姿は霧散する。
決して布津丸が失われたという訳ではなく、これも怪討としての基本の一つで、自らの得物を隠すというもの。
現代日本において、得物を携行するのに厄介な法律――つまりは銃刀法である――を避けては通れない。
しかしながら、あくまでも奇力によってその姿形を保っている得物である。
そうであるならば、奇力によって得物を隠す事くらいは造作もない。
――尤も、等級の低い怪討であればこのあたりに四苦八苦する事も珍しくないが、智磨は特等。苦労する筈もなかった。
そして、寝巻姿から外出する為の衣類に着替えるのだが、ウォークインクローゼットから自らの学生服――ではなく、一つの衣装――コスプレ用の学生服を手に取った。
なぜコスプレ用なのか、という点については智磨自身の趣味、という事ではない。
しかしながら、ファッションに頓着しない智磨は私服を持っておらず、かといって普段の学生服で夜間外出しようものなら在籍している学校に対して“夜間外出している生徒がいます”という報告がされてしまう恐れがあった。
それを避けるためのコスプレ用学生服だった。
――これについては、智磨をそう言いくるめた犯人がおり、智磨も「なんでこれ?」と首を傾げてはいるものの、私服を買うのも面倒だった智磨はそのまま受け入れたのだった。
さて、着替えを終えた智磨はそのまま家を出る。
外は既に真夜中。人通りなんてものはない。
特に、駅から徒歩一五分も離れてしまえば繁華街も抜けて住宅地や学校が並ぶエリアとなる。そうなれば態々夜間に出歩く人間はそう多くない。
学校までの道中、車も数台疎らに走っている程度。
そこから智磨を見た人物が智磨をどう思うだろうか、などとは智磨は一切考えない。そのような事よりも、智磨にとって重要なのは学校の七不思議――怪異についてだった。
梅戸中学校の七不思議が学内で流行し出したとなれば、学校に悪霊がいてそれが悪さをしているあるいはする前兆と捉える事ができる訳だが、それはつまり梅戸中の全生徒――智磨を除く――にとっての危険に他ならない。
怪異に対抗できる力を持たない一般人にとって、怪異に接触してしまうというのはそれだけでリスクでしかない。
だからこそ、怪討は一般人が怪異に振れる事がないように怪異を人知れずに討伐し続けている。
とはいえ、智磨にとっては梅戸中学校にいる多くの生徒は他多数の生命としか認識していない。
特等怪討として多くの怪異と相対してきた智磨からすれば、学校の七不思議は脅威ではない。他の一般的な怪討に任せてしまってもいい、とまで思う位には。
その過程で生徒に被害が出てしまったとしても、然程気にしない。
その間に自身が対応しなければならないような大物が現れる可能性を考えれば、今回のような些事に智磨が出張るのは本来なら割に合わない。
しかしながら、梅戸中学校には成美がいる。
智磨にとって、成美というのは日常の象徴であり守るべき存在。
成美の事を知る前から美波と付き合いがあった智磨にとってみれば、成美は同い年でありながら娘のような母性本能を刺激する存在でもあった。
要は、成美が危険に晒される可能性というのを許容できないでいるのが智磨だった。それを大人になり切れない証と智磨は自覚してはいる。
だが、特等怪討として怪異を倒す機械のようになりつつあった智磨を人間らしくさせているのは間違いなく成美がいるからだ、とも智磨は考えていた。




