根/その少女は正しく剣だった/肆
状況は、御鹿が当初想定していたよりも深刻であった。
水流城一族の拠点内には幾つもの触手のようなものが点在していて、それらによって多くの水流城一族の者が既にこと切れていた。
そのような事態に気づけなかった事に対し「くそっ」と悪態をつきながらも地を蹴り疾走する足を止めない。
時すでに遅しとわかっていようとも、一族の者を貫いている触手に対して自らの獲物、大剣を振るい切り捨てる。
ボト、と触手が落ちてそれでもなお触手は暫くのあいだうねうねと動き続ける。
その気色悪い様子に僅かに顔をしかめながらも、御鹿は触手の数を減らす事に集中していた。
一つ、二つ……と数えようとして、あまりにも膨大な数がいる事に気が付いて、数える事を辞める。
それくらい、触手は水流城一族の拠点を浸食していたという事だった。
「……なぜ、気がつけなかった……?」
触手をまた一つ切り捨てながら、御鹿は考える。
先程、数名の怪討と一か所に集まっていた際、そこに集まっていた数名の怪討が突如として触手に貫かれるまで、怪異が接近していた事にすら気が付かなかった。
これは、御鹿にとっては初めての出来事。
生まれ持って高い才能を持ち、幼い頃から現場を知っている御鹿であっても経験していない事という時点で、異常事態という事がよくわかる。
更に言えば、先程までは感じ取れていた水流城一族の拠点を取り囲むように配置されていた怪討たちの奇力が感じ取れなくなっている。
何者か――恐らくは怪異怪人の類――によって外部と遮断されたのだろう、と御鹿は推測する。
そして、考え事をしつつも手と足は止めない。
手足を止める事は自らが助からないというのと同義。
同時に、今も御鹿と同様に戦っているだろう鹿波に対しての裏切りに他ならない。
自らが戦い続ける事によって、鹿波が相手にしなければならない触手の数も減るというもの。
そうである以上、御鹿は最後の最後まで諦めずに戦うしかなかった。
「くそ、きりがない」
とはいえ、悪態の一つや二つは口から漏れ出る。
あの少女を起こして逃がすか、こちらに協力してもらうかのどちらかをしなければならないだろう――と御鹿が考えた時だった。
『――ふふ、やはり、ここはおもしろい』
唐突に、そのように話しかける声があった。
その瞬間になって、かなり強力な奇力を感じ取る事になり、御鹿はその声のする方へと振り返る。するとそこには、一人の女性が佇んでいる。
しかしながら、その口元は歪んでいて気味が悪い。そして、御鹿はその女性の顔を知っていた。
「内藤穂波二等怪討……?」
それは、全日討が水流城一族に誘拐されたと主張している怪討だった。
長い黒髪を三つ編みにしていて大人しく地味な容姿に、身なりは整えられていて、スーツ姿。
どこから見てもおかしな所がない。
――しかし、それこそが異常であると御鹿の本能が告げていた。
「いや違う。……あなたは、誰です?」
『くくく、あっさりと見抜くんですねぇ……流石は水流城の一族だ』
愉しそうに嗤う女性の姿をしたナニカ。
それに対して御鹿は大剣の切っ先を向ける。
直感的に、御鹿はこのナニカこそが全ての元凶であると確信した。
既にここは戦場となっていて、じっとしていたらそこら中を跋扈している触手たちによって襲われるのが普通となっているにも関わらず、身なりがキレイなスーツ姿というのはあまりにもおかしい。
つまり、触手たちから襲われないような存在であるという事が考えられる。
更に言えば、水流城一族はこの触手達について、多少の知識を持ち合わせていた。
全日討はまだ知らない。
既存の怪異とは異なる恐ろしい存在がこの世には潜んでいる事を。
そして、それに対抗する為、水流城一族は研鑽を積み重ねてきたという事を。
既存の怪談や神話にはない、新たな神話。外宇宙からの侵略者。
それらを駆除しなければならない、と水流城一族は様々な方法で強力な怪討を生み出そうとしてきた。
しかしながら、全日討はその事を知らない。
だからこそ、水流城一族が異常なまでに強さに拘っている、非人道的な方法をも使っていると水流城一族への不信を募らせていった。
つまり、全日討には既にその外宇宙からの侵略者の魔の手が入り込んでいたという事を、御鹿はこの僅かな間に感じ取っていた。
「あなたが、全ての元凶ですか? 私達に誘拐の容疑を擦り付け、その上で私たちを滅ぼそうと――?」
『ふふ、くくく……』
ナニカは笑みを浮かべるのみで何も語らない。答えようとしない。
それに焦れた御鹿は「何がおかしい!」と声を荒げる。
そんな御鹿を無視して一頻り笑った後に、ふぅ、と息を吐いてからナニカは答える。
『だって、面白いじゃないですか。全日討は地球の為に働いていたあなたたちを、よりによって敵と認識しているんですから。これが面白いと言わずして何と言うのでしょう?』
心底から愉しんでいる様子を見せるナニカに対し、「あなた……ッ!」と御鹿は大剣を振りかぶりナニカを叩き斬ろうとする。
しかしながら、『ふふ、遅いですね』とその一撃をナニカはあっさりと回避する。
その光景に御鹿は目を大きく見開く。
確かに、今の御鹿は多少冷静さを失っている部分がある。
それは、御鹿自身も多少は自覚のある部分故に致し方ない。
だが、そうだとしても一等怪討の中で十本の指にも入る御鹿程の実力であれば、その程度で回避されるような一撃など繰り出さない。
しかしながら、それを間一髪ではなくあっさりと回避するというのは、御鹿の想定の外にあった。
『ふふふ、知っている癖に。あなたでは、私には勝てないと』
そう言いながら、ナニカの肌が少しずつ黒ずんでいくのを御鹿は見る。
そして、徐々にナニカは内藤穂波という姿形から逸脱していく。
歪んだ口元が更に歪んでゆき、顔には五つの口。
身体のあちこちから無数の触手が生えて来ていて、遠目からみればかろうじて人型かもしれにないが、明らかに異形と成り果てていた。
その姿に、その存在感に御鹿は気を失いそうになるのを堪える。
水流城一族は知っていた。この脅威がある事を。
水流城一族は備えていた。この脅威に対抗する為に。
それにも関わらず、この脅威というのはこの短い間、あっという間に水流城一族を壊滅しようとしている。
その事実に御鹿は頭を抱えたくなるが、そうも言っていられない。
この脅威が本当に現れたのならば、この脅威をしっかりと討伐しなければならない。全日討に任せる訳にはいかない。
例え、このままでは勝ち目がないとわかっていようとも、御鹿は立ち止まる訳にはいかなかった。
「――やってみないとわからないでしょうが!」
御鹿は大剣で斬りかかる。
それをナニカは触手で受け止めようとするが、そこに対して御鹿は自身の奇力を上乗せして、刀身が稲妻を帯びる。
そして、その稲妻に触れた触手が焼かれていき、ナニカの腕を一本斬り落とすに至る。
これには『……む?』とナニカも多少なりとも驚いたようで、目が大きく見開かれる。
対する御鹿は、大きく息が乱れそうになるのを必死で堪える。
この一撃が決死の一撃であったと相手に悟られる訳にはいかない、と表向きは平静さを保ちながら「どうしました……? あっさり斬れましたよ……?」と煽る。
『なるほど、水流城一族はあの神社の祭神に縁ある一族。その一族の長ともなれば、雷も繰り出せるわけか』
ナニカは御鹿の様子に気づいているか、はたまた気づいていないのか。
傍目からはどちらともとれるような様子で、ナニカは今の現象について納得したかのようにそう口にする。
水流城一族が本拠を構えるI県にはとある神社がある。
そこに祀られている存在というのが、建御雷神――古事記等で描かれる日本神話における雷神かつ剣の神。
それに縁のある一族というだけあって、水流城という剣の当て字の家名を名乗り、一族に名を連ねる怪討の多くの得物が刀剣の類である。
そして、その長である御鹿は建御雷神の力の一端を扱える。
それが、たった今披露してみせた雷の刃であった。
その一撃は、本来の建御雷神が行使するそれと比べれば児戯にも等しいが、人間の身体で行使するものとしては最上級なのは間違いない。
事実、この未曾有の怪異であるナニカに対して手傷を負わせる事に成功している以上、それは間違いない。
『本当に、厄介ですねぇ……』
そう言ってナニカはじり、と御鹿から距離をとる。
一歩、二歩と御鹿から離れていく。
それに対して「逃げるんですか?」と声をかける。
御鹿としては、そのまま大人しくこの場を去ってくれるのであればいいが、そうではなくて仲間たちの方に向かわれるのは厄介と考えていた。
故に、少しでも注意を引き付けておきたい、と考えての行動だった。
しかしながら、『その手には乗りませんよ?』とそれは言う。
『今のうちに、アレを片付けておかなくては』
肥大化していて鈍重そうな見た目からは考えられない速度でナニカが地を蹴りその場を去る。その様子を御鹿はただ眺める事しかできず、呆然とする。
そこへ「実里!」と鹿波がやってくる。
その身体と来ている巫女装束はボロボロで、顔には疲労の色が見える。
御鹿の事を幼名の“実里”と呼んでいる事からもそれは明らかだった。
そんな中、太刀を片手に持ちながら鹿波は報告する。
「産屋の方は全滅だ。一応、離れの方に非戦闘員が残ってるが……」
その報告を聞きながら、御鹿は考える。
先程の怪異が一体どこへ向かおうとしているのか。一体何を目的としているのかを考える。
非戦闘員がいる離れの方が無事であったという事は、怪異の目的は一族の根絶やしではないと推測できる。
そうであるならば、怪異の目的は一体何だろうかと。
そして、ある一つの結論へと至る。
「鹿波、非戦闘員を連れてここから逃げて」
御鹿のその言葉に、鹿波は「え?」と困惑の声を漏らす。
そんな鹿波の様子をよそに御鹿は言葉を重ねる。
「今回現れた怪異の狙いはあの子――水流城一族の最高傑作よ。恐らく、ただ逃げるだけなら逃げ切れる」
「な、なら、実里も一緒に――」
「でも、そうしたら今度こそすべてが終わる。今回、現れたのは間違いなく外宇宙からの侵略者よ」
その言葉を耳にして、鹿波は目を大きく見開く。
水流城一族が長い間敵として認識してきた怪異。
外宇宙からやってくる侵略者。
それに備えて研鑽を積み重ねてきたのが、この水流城一族である。
全日討が見落としていた、気づけなかった脅威に対して、水流城一族は備えて来た。その為の“最高傑作”。
それを失うのは人類にとっての損失である、と御鹿は判断した。
だがそれは、御鹿の安全を保障するものではない。
鹿波には今の御鹿が相当無理をしている事がわかる。
御鹿が無事でいる為には、この場は逃げるのが最優先だ。
しかしながら、御鹿には逃げるつもりがないという事も、鹿波には理解できた。理解できてしまった。
「……絶対に許さないからな、実里」
「こっちこそ、すぐに会いに来ようとしたら許さないから、波子」
互いに幼名で呼び合って、二人は別れる。
言葉はそれだけで十分だった。
次回更新予定時刻:
2025/07/23/08:00




