肆/霊ノ川の河童/捌
智磨が凍える身体を温めるべく自宅へ向かう道中、「よ、お疲れさん」と話しかける声が一つ。
それは、遠くで智磨を車から降ろした張本人、坂本真鈴であった。
近くにはいつものスペシャリティカーが停まっていて、「さ、乗れよ」と言う。
だが、智磨は知っている。
サーキットやラリーでの限界走行を目的に改造されているこの車には空調の類等ない事を。
「……絶対寒いでしょ……」
「いやいや、タオル位はあるから。濡れっぱなしは流石に風邪引くぞ?」
その言葉に「……いや、風邪とか引かないけど……」と智磨は返す。
生まれ持って特等怪討としての力を持っていた智磨は、その身体能力は勿論、免疫能力等も一般的な人間を遥かに上回っている。
そんな彼女の性質をもってすれば、風邪等というものはまずあり得ない。
現に、智磨は現在一四歳だがこれまで一度たりとも風邪やその他病気に罹った事がない。その事を思い出して「あー……」と真鈴の方が言葉に窮する。
「とりあえず、タオルだけ借りて良い? というか、この状態で真鈴の車の中入ったら車内がビショビショでしょうに」
「智磨の為に来てやったっていうのによー」
ぶつぶつと文句を言いながらも、車内からタオルを取り出して「ほらよ」と智磨に手渡す。
先程まで川の中で人魚によってあちこちに連れられた関係で、身体中が濡れていてコスプレ用学生服がぴっちりと肌にくっついていた。
年相応よりはやや小ぶりな胸部の膨らみもわかりやすくなっており、「このまま外歩く方がよっぽどまずいだろ」と真鈴は一人呟く。
一通りタオルで吹き切った智磨は、「それじゃ。家でシャワー浴びて暖房で温まるから。タオルは洗って返せばいいかな?」と尋ねる。
ここで、「――あ」と真鈴はとある事に気が付いて声を漏らす。
これに智磨が「何、どうしたの?」と問いかける。
「……成美に出くわした時どうするんだ、その格好」
その言葉を耳にして、一瞬「ん?」と疑問の声をあげながらも自身の格好をもう一度智磨は確認する。
コスプレ用学生服なのは怪討として活動する際はいつもの事ではあるが、ルーズソックスといったアイテムをいつもは流石に身に着けていない。
更に言えば、落とし切れなかった褐色肌用ファウンデーションが水玉模様のようになっていて、いかにも普通ではない。
それを、成美に見られた場合はどうなるか。
それについて漸く理解できた智磨は「……家の前までお願い」と観念して真鈴の車に乗り込む事を選んだのだった。
「――で、どうなったの怪人の件は」
「里帆が色々と片づけてくれたよ。黒幕は小川ケイト副支部長。動機についてはさっぱりだけどねぇ、そのあたりは里帆がなんとかするでしょ」
そう言いながら真鈴は車を淀みなく発進させる。
その発言の中に出て来た“里帆”という名前に少しの引っ掛かりを覚えた智磨は「里帆……倉橋二等の事?」と尋ねると、「うん、それで合ってる」と肯定する。
本人を前にすると“倉橋二等”と呼ぶように努めている割に、本人がいない時はこうして下の名前で呼んでいる辺りに、真鈴と里帆の関係性が見てとれる訳だが、智磨にはそのような機微を感じ取る事もなく「……倉橋二等の事を信じてるの?」とただ純粋に尋ねる。
「そりゃあねえ。長い付き合いだからね私と里帆は。というか、なんで長い付き合いになったかもイマイチわからないけど」
全日討本部直属の里帆に、各支部を転々としている真鈴。
接点はかなり少ない筈だが、その数少ない接点で今のような関係に至っていた。
これには真鈴自身が首を傾げていた。
「というか、人魚からケイトって聞き出した私の努力は不要だった?」
「その辺りもちゃんと聴いてたっての。これでね」
そう言って、真鈴は胸元から一枚の札を取り出す。
探索札にも似ている札だが、書かれている内容が異なる。それを見た智磨は「……通信札か」と零す。
「そう、ファウンデーションに通信札を粉末状にしたものを混ぜておいて、一方的に智磨の声を聴けるようにしておいたんだよねぇ」
最後の方は音質最悪だったけど、と真鈴は付け加えつつ「ただまあ、状況的には人魚の討伐さえ完了すればあとはどうとでもなるから。そのあたりは大人の力を見くびるなって話」と言う。
「そうだったの?」
「まぁねぇ……。一応、私の調べではとっくにケイトは灰色だったし、“水難事故は河童の仕業”と周りにも言っていたから、実行犯が河童じゃなくて人魚だったって時点で殆ど黒だから」
「……そういうものなの?」
「応よ。だから、あともう一押しで良かったんよ。まあ、結果として人魚からもその発言を得られたから裏も取れて万々歳だった訳だが。だから、智磨のやった事は無駄じゃねえよ」
そう言いながら、左手で智磨の頭をわしゃわしゃと撫でる。
これに「やめてよ」と智磨は嫌がる素振りを見せるが、本気の抵抗はしていない。
それだけ、智磨は真鈴をちゃんと受け入れているという証でもあった。
これには真鈴も気をよくして「それに、あの状況で人魚を仕留めるのは智磨にしかできないっての」と褒め続ける。
「でも、河童も協力してくれたし」
「それでも、だよ。智磨は特等がどれだけ抜きん出てるかをまだ理解できてない」
真鈴のその言葉に、智磨は首を傾げる。
ただ、智磨からすれば生まれた時から特殊だった以上、そういう認識になってしまうのも無理はない。
他の二等や一等が血の滲むような努力を重ねて強くなっていったのに対し、特等怪討となった者の大半は生まれつき一等を上回る力を持っているという特異性がある。
その事の重要性を理解しろと言われて、当人に理解できるかと言えば難しいだろう。
「まあ、その辺りは少しずつ覚えていけばいい。それこそ、大人になって色んな支部を転々とすればよりわかるだろうよ」
一等怪討として様々な支部を転々としている真鈴からすれば、これは経験に基づいた発言であった。
霊崎市は人口が多い事もあって二等怪討である美波を支部長に据えるという形をとっているものの、多くの支部では三等怪討が主力となっていて、二等怪討がいない支部だって珍しくない。
智磨は夏休みなどの長期休暇以外で霊崎市以外の怪異を相手にする事が少ない事もあって、他の支部についてはまだ知らないというのが正しい。
後々、霊崎市を離れて広い範囲を担当するようになれば、その事を否が応でも理解する事になる。
その事を真鈴はよく理解していた。
だから、「まあいずれわかるさ」と智磨に笑いかける。
そんな子供扱いに対して智磨は「……そういうのやめてって」と嫌がる素振りを見せつつも、その表情は年相応のそれであった。
一方その頃、全日本怪討組合霊崎支部。
美波は里帆によって拘束されて連行されていくケイトを見て「そんな」と声を挙げる。
これまで幾度となく対立はしてきたものの、それでもケイトがそのような人間だとは一切思っていなかった美波にとっては、正しく寝耳に水であった。
そんな驚きの表情をしている南に対して、ケイトは「何そんな顔してるんですか」と声をかける。
そんなケイトを里帆は静止しようとして、辞める。
ケイトは拘束札で間違いなく身動きが取れない状態であり、少なくとも拘束を解いた所で二等怪討である里帆がいる。
周囲に被害を出す前に里帆が持っている得物がケイトへと放たれるのが先である。
それを考慮に入れての行動であった。
そんな里帆の様子を視界に入れながらケイトは「あなたにとってはこれでよかったんじゃないですか。よく対立していた怪討がこうして失脚するのは?」と問いかける。
ケイトにしてみれば、美波は幾度となく対立してきた相手であり、逆の立場であれば少なくとも自身を許す事はないだろうとまで思っていただけに、美波のケイトが拘束されている事に驚いてショックを受けている様子というのはケイトにしてみれば予想外であった。
「何って……仲間がそうだったなんて信じたくないって思うのはそんなにおかしいの?」
「てっきり、敵と認定されてるんだと思ってましたよ」
そう言って、ケイトは笑みを浮かべる。
拘束され、これ以上はもうどうしようもないからなのか、どこか憑き物落ちたかのような表情をしていた。
そんなケイトの表情は初めて見たと美波は純粋に驚きつつも、そもそもケイトが“怪人だった”という情報を受け入れる事ができずにいた。
「私は、あなたの事を敵だと思ってました」
「バカね。怪人になんてなってなければ私は味方だったわよ」
美波は心の底から思っている事を口にする。
これは、これまで美波が直接ケイトには伝えてこなかった本心。
支部長と副支部長が馴れ馴れしくするのは対外的にどうなのか、という思いから口にはしなかったもの。
それを耳にしたケイトは「……そう、ですか」とぽつりと言葉を漏らす。
組織において、上に立つ者同士が慣れ合うとその組織はうまくいかない。
その為、美波は何かと対立する事の多いケイトという存在に対しては大事な仲間として認識していた。
勿論、この対立によって支部内が必要以上にぎくしゃくしてしまった点については美波にも非がある部分だ。
しかしながら、こうして支部長と副支部長とが対立関係にある事は、どちらかが誤った方向に進もうとしたとしても、もう片方が修正できるという意味でも大事であった。
そんな二人のやりとりを見つつも、ちらりと腕時計の時刻を見た里帆は、「時間です。行きますよ」とケイトと美波に告げる。
その言葉に従って、ケイトは里帆に連れられて支部を後にする。
その後ろ姿をただ眺めながら、自分に何かできていれば今回の事は起きなかったのだろうか、と美波は考えるのだった――。
次回更新予定時刻:
2025/07/20/18:00




