壱/一三段の階段/弐
「――っていう話らしいよ」
成美の話を最後まで聞き終えた智磨の感想はと言えば、思った以上に状況は深刻であるという事だった。
とはいえ、そのような事を考えているとは察せられないよう智磨は自然体を装う。
成美から見た水流城智磨という少女は、常日頃から眠そうにしているものの真面目で大人しい少女でしかなく、まさか怪異――成美ら一般人に伝わる表現とすればオカルト――に造詣が深いとは思われていない。
だからこそ、あくまでも表立った反応としては「ふぅん……そんな事が……」と相槌を打つ程度。
そのような諸事情を知らない成美からすれば、「何その反応。信じてないでしょ」と智磨に疑いの視線を向けるものの、「いや、そういう訳じゃないって」と智磨はそれを否定する。
事実、智磨は成美の話について何かしらの疑いを持っている、なんて事はない。寧ろ、貴重な情報源の一つとして考えている位には、成美の話を確りと聞いている。
「ところで、誰かが実際にそれを見たっていう話までは出てないよね?」
「やっぱ疑ってるじゃん」
それはそれとして、智磨は気になった事を確認したいと思って問いかけてみるが、それを成美自身に対する疑いの目として捉えられてしまっていた。
これには慌てて「いや、ホント気になっただけだから」と付け加える。
そんな様子を見てか「ホントに?」と成美は尋ねて来る。「ほんとだってほんと」と智磨が念押しして漸く、「じゃあ、そういう事にしておいてあげる」と機嫌を直す。
智磨は内心でほっと胸をなでおろす。
「まあ、確かに智磨の言う通り実際に『見た』とまでは誰も言ってなかったかな。でも、なんか最近になってそういう話題が出るようになったんだって。不思議だよね」
成美のその言葉に対し「そうだね」と相槌を打ちながらも智磨は脳内で状況を整理し始めていた。
まず初めに、成美の所属している女子バスケットボール部の引退したばかりの先輩――つまりは上級生のクラスで、“学校の七不思議”が話題になる事が多くなったという。
勿論、中学校である以上そういった怪談話みたいなものが話題になる事はおかしくない。
おかくしないのだが、昭和や平成も過ぎて令和の世の中においてわざわざオカルト話が学校の話題のトップになる事はまずあり得ない。
特に、上級生ともなれば本来なら高校受験の話題がメインになってもおかしくないというのに、それを僅かにでも押し退けて“学校の七不思議”が話題になるのだからその異常さは顕著に表れている。
これについて成美は「受験生も現実逃避したいんじゃないのかなぁ」と漏らしており、これについては智磨も一理あると内心で頷く。
確かに、そういう意味では受験生だろうと受験以外の話題を口にするだろうし、その結果怪談に話題が変わるのもおかしくはないのかもしれない。
――とはいえ、実際に怪談話が噂になっているというのが怪異と相対するにあたっては重要だった。
怪異とは、ありとあらゆる非日常的な現象や物体や生物を一つにまとめたとても広義的な単語である。
触れてもいない物体が動いたり音を鳴らしたりするポルターガイスト現象や、河童や天狗といった妖怪の類も広義的にはどちらも怪異である。
その為、怪異に対処する怪討の役割というのは非常に多岐に及ぶ。
そんな中で怪談というのも勿論、怪異に相当する。
しかしながら、怪談はただそれだけでは脅威とはなり得ない。
怪談は言ってしまえばただの作り話であり、それそのものには悪意や罪もない。
あるとすれば、それを利用しようとしている悪霊の側にある。
幽霊、という存在もまた怪異に相当する。
そして、その中でも悪霊と呼ばれる存在は怪討にとっては討伐しなければならない悪性怪異に他ならない。
怪異の中には、うまく日常の中に溶け込んでそのまま周囲に害を及ぼさないようにしている者も存在する。
しかしながら、悪霊にはそういった意識は皆無であり、ただ周囲に悪意を振りまく存在。
そして、その厄介な手段というのが、人々に広まっている怪談を利用し、その形を得る事だった。
――つまり、“学校の七不思議”の形を悪霊が得ている可能性が高いという事だった。
悪霊はその場に留まっているだけで周囲に悪意を振りまく存在であり、討伐しなければならない対象である。
しかしながら、悪霊は単体だと周囲に何かしらの干渉すらできない。
そこで、悪霊は何かしらの怪談を利用して自らの姿形を得る事で、周囲への干渉できるようになる、という訳である。
噂されるのが先か、あるいは悪霊が姿形を得るのが先か。
鶏の卵のような問題について、怪討たちの中で話し合われた事があったような――と智磨は無駄に考える。
その時の話し合いについては、結論が出ていなかった事を智磨は思い出す。
結局の所、怪異というものは仕組みを解明できていないからこそ怪異と呼ばれているとも言う。
日常的で一般的な物理法則などは確りと理論で説明できるのに対し、怪異というのは一部の有識者が経験則でモノを語る以外に説明する方法がない。
これについては、今後の科学技術等の発達によってオカルトすらも解明できるような時代になるまで、このような曖昧な表現が続くのだろう、と智磨も諦めていた。
それはさておき。
「ところで、一番噂になってるのってどの七不思議?」
「うーん、先輩が言うには“一三段の階段”が一番流行ってるらしいとは聞いたかなー」
智磨が尋ねると、成美は思い出しながらそう答え、「ところで、七不思議って言う割には全部を数えると絶対七つで収まらないよね」と付け加える。
実際、学校の七不思議と呼ばれる怪談というのは、その全てを数えると七つを超える事が多い。
七つ全てを知っていると不幸な事が起こる――といった怪談もあるにも関わらず、七つを超えているというのは極めて不自然なように成美には思えたようであった。
「――八つ知ってれば七つ知った、に該当しないから、じゃないかな」
“学校の七不思議”なんてものはあくまでも作り物。
作り物だからこそ、抜け道も必ず存在している。
八つ以上存在するのは、たったそれだけの理由なのだろう、と智磨は考えていたのだった。
放課後。
成美は「それじゃ部活行ってくるねー!」と智磨に宣言しながら向かい、智磨は一人。何気なく“学校の七不思議”の一つ、“一三段の階段”の舞台となる場所――屋上へと続く怪談の前にやって来ていた。
一三段の階段と言えば、よく言われているのもので言えば昼間は一二段だったものが夜中に訪れると一三段になっており、一三段目の天井には絞首刑用のロープがあるという話や、一三段目を踏むと冥界に連れていかれる――といった話が存在している。
こういった怪談には派生形が多く、決まった対処法がないというのが智磨にとっては考えなければならない事であった。
少しでも手がかりがないか、と昼間の内に来てみたは良いものの、手掛かりは何もない。
基本的に、怪異というのは丑三つ時――午前二時から二時半前後に最も活性化すると言われている。
古くから魔物の類が跋扈するとされていた時間帯というものは、そう言い伝えられていたというだけで怪異にとっては都合の良い時間帯となっている。
怪異というものが身近にならなくなった現代でさえ“丑三つ時”という言葉そのものの知名度が残っている事から、これからの日本においては怪異が最も活性化するのは午前二時から二時半なのは変わりようがないだろう。
そして、最も活性化する時間帯が真夜中である、という事は昼間や夕方だと活性化していないともとれる。
これが既に実体を持っている妖怪等であれば話は変わるものの、悪霊という実体を持たない怪異だとその特徴はより顕著に表れる。
実体を持たないからこそ、怪異としての特徴がより色濃く出る事となり、真夜中に真価を発揮するものの昼間だとその存在を感じ取る事すら難しい。
これは、特等怪討と呼ばれる、対怪異のスペシャリストの中でも特に秀でている智磨であっても例外ではない。
そもそも、智磨が特別秀でているのはその戦闘能力であり、感知能力や索敵能力といった部分であれば一等怪討との差は然程大きくない。
――尤も、それでも一般的な怪討と比べれば抜き出ているのであるが。
さておき、そういった事情もあって、昼過ぎから夕方にかけての放課後に該当する場所を見てみたところで、何かしらのヒントがある訳でもなかった。
智磨は内心では知ってた、と呟きながら階段を後にして、下校する事にしたのだった。
帰宅した智磨がまず初めにしたのは、自宅の固定電話からある場所へと電話をかける事だった。
律儀に学校には携帯電話の類を持ち込んでいない以上、智磨が他者――特に他の怪討である――に連絡をとれる時間帯というのは、主にこの時間や真夜中であった。
何度目かの呼び出し音が鳴っただろう、と智磨が考えた頃に相手が電話に出た。
『――直接こっちにかけるなんてどうしたの水流城特等』
「ちょっと耳に入れたい事があったんだよ坂本美波支部長」
相手――美波は智磨のそんな物言いに対し、大きくため息をついたのが智磨の耳に届く。
支部長、と智磨がつけた肩書きは言ってしまえば、霊崎市全体の怪討をとりまとめている支部の長という意味である。
T都とK県の県境にあって人口も多い霊崎市全体をカバーするという意味で、そんな支部の重要性は高いと言える。
その長なのだから、この坂本美波という人物が如何に重要人物かがわかる。
更に言えば、“坂本”という苗字からも察せられるが、智磨にとっては数少ない親友の坂本成美の母でもある。
正確には、成美と先に知り合ってから成美と友達付き合いするようになった形ではあるが、智磨にとっては親子共々大事な知人友人なのは間違いなかった。
『直接って何よ……一応支部長だからできれば支部の人間に――』
「成美案件」
「――わかったわ」
本来ならば、支部長は支部の一般怪討を間に挟んで報告を受けるべき所を、智磨が“成美”の名前を出しただけであっさりと直接智磨の話を聞くことにしたのだった。