間/水流城智磨について/美波/参
美波が薙刀の切っ先を怪物に向けるや否や、互いに示し合わせた訳でもないのにほぼ同時に接近する事を選択した。
しかしながら、先に敵を射程範囲に捉えたのは美波。
薙刀は刀のような近接戦闘用の武器だが柄が長く、遠くから敵を屠る事ができるという利点を持っている。
対する怪物の方はその身こそが武器であり、手持ちの武器は持ち合わせていない。
体格こそ美波を大きく上回っており、互いに素手で戦うとなれば美波の不利は間違いなかっただろうが、実際には美波は確りと薙刀を用意していたのだった。
まずは薙刀を横に一振り。
槍や薙刀と言えば、突きを連想させる事が多いが実際には横払いや振り下ろし等の攻撃も非常に有効であった。
突きが一点に向けての攻撃なのに対し、振り払えば切っ先の刃の部分全てが有効な攻撃範囲となる。
そういった定石を踏まえての美波の攻撃に対し、怪物は直感でも働いたのか寸での所でそれを回避する。
しかしながら、咄嗟の回避となった以上そこからの立て直しや反撃といったものは至難の業。
それを見てとった美波はすかさずそんな怪物の胸元に対して切っ先を突き刺す。
それを怪物は脅威の身体能力で強引に回避しようとするが、それでも肩に直撃して「ギギャアァ――!」と悲鳴をあげる。
仕損じた、と思って美波はすぐに薙刀を引き抜いて一旦後ろに跳んで距離をとる。
薙刀の柄が長く遠くから攻撃できるというのは確かに利点であるが、同時に柄が長い事で相手が懐に飛び込んで来た場合には不利に働く。
これを嫌ったが故であった。
同時に、周囲の気配を美波は探るが、怪物の気配が眼前の一体だけではない事を理解してため息を一つ。
ここで悠長にしている場合ではない。時間をかければかける程、家族――夫と成美の身に危険が迫るという事だ。
今一度美波は集中し直して再び地を蹴った。
肩に薙刀の切っ先を突き刺された怪物はと言えば、未だに「ウ……ガァ……」とうめき声をあげながらではあるが、立ち上がり再び美波へと迫る。
今度こそは美波の懐へと飛び込むつもりか、先程よりも素早く力強く地を蹴って美波へと迫る。
しかしながら、これに対して美波は冷静に右へと避けながら野球の左打者かのように薙刀を横払いする。
遠心力も働いて切っ先はかなりの勢いをもって怪物の身体へと食い込む。
そして、そのまま怪物の上半身と下半身を両断して、怪物の上半身がごとりとその場に落ちる。
「――まず一匹」
無線で報告をしながら、最も近くで感じて他の怪物のもとへと美波は駆ける。
そうして怪物を見つけ次第、より強く地を蹴って走り幅跳びの要領で跳躍し、一気に怪物へと迫る。
その怪物の意識の外からの接近だったのか、怪物は美波の存在に気づくのまでにワンテンポ遅れる。そのワンテンポの間に美波は上から薙刀を振り下ろす。
怪物の右肩から左腰にかけて斬り裂くが、刃の入りがやや浅くなったのを見て、美波は素早く薙刀の刃をくるりと上に向けて今度は振り上げる。
今度こそその怪物を両断する事に至り、「二匹目を討った」と再度の報告をする。
並の怪討が四等から三等と呼ばれている中で、美波はその並から抜き出ている二等である。妊娠出産育休と多少のブランクはあろうとも、その経験値は色あせない。
それどころか、育休を終えてからはブランクを取り戻すべく妊娠前よりも現場に出る頻度を上げている事もあって、今こそが全盛期と言わんばかりに怪物相手に得物の薙刀一つで大立ち回りを繰り広げていく。
彼女が「三匹目」「四匹目」と次々と怪物の討伐報告をしていく様に、『元気だねえ……おっと、一〇匹目だ』と真鈴は感心する。
二等が抜き出ていると言っても、一等はその更に上をいく。
その事実に美波は自身の実力不足を痛感していた。
既に三〇歳を超えて肉体的全盛期はもうとうの昔に過ぎ去っている。怪討になってからの美波はと言えば、一等を目指して日々努力を重ね、実績も積み重ねて来た。
しかしながら、一等と認められる事はなく、逆に一等と二等の間に大きな差がある事を真鈴によって何度も痛感させられてきた。
そして、今日も。――だが、違う点があるとすればそこに『こちら水流城、二〇体目』と更に上の数字を口にするものがいた事だった。
「――え?」
真鈴の実力はよく知っている。
何度もそれを美波はよく見て来た。
しかしながら、その真鈴の討伐するペースよりも圧倒的に早い者――水流城智磨の存在はあまりにも非現実的で信じられないでいた。
だからこそ、この報告も冗談だろうと美波は思おうとした瞬間だった。
近くの怪物を一通り討伐した為周囲の気配を探ろうとしていたその瞬間、最もその気配があってはならない場所にあり、「しまった、旅館の中に!」と言いながら美波は旅館へと戻る。
力強く素早く地を蹴り、加速していく。
そうして、旅館の中へと戻った美波が見たものは、今にも美波が泊まっていた部屋へと入ろうとしていた怪物の姿だった。
「おまえェエ――!」
跳躍し、怪物へと一気に接敵する美波。狭い旅館の通路において、美波の得物である薙刀はあまりにも使いにくい。しかしながら、美波は器用に薙刀を扱い、怪物に切っ先を向けて突き刺そうとする。
だが、怪物は美波の攻撃をあっさりと避け、返しの一撃として腕を振るう。
四肢が肥大化し、人間では考えられないほどの力を持つ怪物による、腕を振るうという攻撃はその単純さとは裏腹に、その一撃はあまりにも強大である。
重量と速度の合わさったそれは、当たっただけでもかなりのダメージが入ると想定される。
美波は薙刀を回避されたのを見た瞬間に、薙刀を引き戻しながら怪物との距離をとろうとする。
轟音、ただ怪物が腕を振るっただけでそう表現できる音が鳴り響く。
同時に、先程まで美波の身体のあった場所を腕が通り過ぎる。
その腕が当たった先にある壁には大きな凹みができており、美波は間一髪と安堵すると同時に“後処理が面倒くさい”とも考えていた。
しかし、美波には落ち着いて物事を考えるだけの余裕などない。
再度、怪物が腕を振るう。
今度は旅館へのダメージを避けなければ、とその腕に対して薙刀の切っ先を当てていく。腕に切れ込みが入るが、腕を切断するには至らない。
しかも、空いている手で直接美波を殴ろうとしてきている。
片腕を犠牲につつも、空いた腕で美波を仕留めようとするその攻撃は、今度こそ美波に回避する手段は残されていなかった。
この場で自分が倒れれば、そのまま近くにいる夫や成美に危害が及んでしまう。万事休すか――と美波が諦観して目を瞑るその瞬間だった。
「――時間稼ぎ、感謝する」
その美波の足元を駆けていく存在が一つ。
何事か、と美波が認識するよりも前に、美波と怪物の間に青白く輝く太刀筋が幾重に描かれる。
その直後、美波の眼前では怪物が細切れになってその場にボトボトと音を立てながら落ちていく。あまりの早業、一瞬過ぎて美波はそれを目で追う事すらもできない。
ただ、理解できたのはその声の主があの少女――水流城智磨特等怪討であった事と、その少女が美波や真鈴を遥かに上回る、それこそ常識の外にある存在なのだという事だった。
「大丈夫?」
あまりの状況に冷静さを失い、放心する美波に智磨はそう言った。その一言でハッとした美波は「え、えぇ。大丈夫。助かったわ」と感謝を口にする。
これに智磨は「いや、これが私の役目だから」とあっさりとした対応をしつつ、「――これで二七体。近くに気配はない」と無線で真鈴に報告をする。
『いやー、本当に智磨ってすげえや……なあ、美波?』
智磨の報告を受けた真鈴は、智磨の実力を美波が見た事を知ってか、からかうような声色でそのように言う。
これに対し美波は「これが見せたかったの?」と少々苛立ちの感情混じりでそう言い返す。これには『いやいや、そういうつもりじゃないって言ってるだろうに』と真鈴は否定する。
それでも、智磨という存在について疑問を抱いていた美波が、経緯はどうであれ智磨の実力を眼前で見るというシナリオは、真鈴にとって都合の良いものだったのではないかと考えてしまうのも無理なかった。
『いや、本当に違うんだけどな……』
「……わかってる。わかってるけど、そう思いたくなるくらいの状況よこれは」
とはいえ、流石に真鈴が狙ってこのような状況を作れる筈もなし。
それくらいは理解できている美波であった。ため息をつきながらそう言うと、真鈴も安心したのかイヤホンからは『ふぅ』と安堵の息をつく声が美波の耳に届く。
「美波?」
そんな美波の様子に疑問を抱いた智磨が首を傾げながらそう口にする。智磨にしてみれば、この状況で美波がため息をつく理由が一切思いつかず、その頭の中には疑問の二文字が浮かび上がっていたのだった。
これには「いいや、大丈夫」と美波は返すのみ。
これには美波と真鈴のこれまでの関係値等も関係している以上、そう簡単に説明できるようなものでもなかった。
そんな美波の返しには「そう……?」と引き続き首を傾げるものの、そこから意地でも口を開かなかった美波の意図を汲み取った智磨は「……そっか」とこれ以上のツッコミを入れる事を思いとどまるに至った。
美波と智磨の初邂逅はこのような形となった。
以降、美波は智磨を恩人として見るようになり、真鈴と共に智磨の面倒を見る事が多くなった。
特等怪討と言えど、その身体はまだ小学校低学年のそれである以上、誰かしら大人がしっかりと面倒を見る必要があったというのが大きい。
そして、智磨と同い年の娘――成美がいた事も美波が面倒を見るようになった理由の一つと言えよう。
そんな出会いから既に六年以上。
成美と智磨は共に市立梅戸小学校を卒業して、そのまま同じく市立梅戸中学校に進学。
気が付けば娘の成美と智磨は親友同士となっている他、その成美を守って欲しいと美波が智磨に頼んだりと、親子共々智磨には世話になりっぱなしであった。
「ほんと、頼りっぱなしで申し訳ないわね……」
そんな独り言をぽつりと漏らしていると、唐突に霊崎支部の電話が鳴り響いた。
それに支部の職員が応答すると、その顔が徐々にこわばっていく。
その様子に何かがあった、と美波の顔も次第に険しくなる。
そして、職員が「坂本支部長! 内線一番です!」と言った事で美波は手元の受話器をとって電話に出るのだった――。