間/水流城智磨について/美波/壱
坂本美波にとって、水流城智磨とは恩人であり親友である。
娘の成美が耳にしたら「嘘だ」と言う事間違いなしだが、美波にとっては本当の事であった。
二〇一七年八月。
まだ美波が霊崎支部の支部長になるよりも前の事。
小学生になったばかりの成美の母としての振る舞いと、二等怪討の仕事――表向きには会社員と説明している――とでパンクしがちだった美波。
美波が怪異なんて存在と戦っているとは知らない美波の夫――つまりは成美の父である――が、家族旅行を提案した。
当初は難色を示した美波だが、当時の支部長からも「少し休め」と言われた事から、三人で家族旅行へと赴く事となったのだった。
そうして向かった旅行先。
しかしながら、そこで怪討関係の連絡先だけを入れた携帯電話が鳴った事で夫には「ちょっと仕事先から電話がかかってきちゃって」と断りを入れて少し離れた所で電話に出る。
すると、陽気で愉しげな声で『よう、美波次期支部長さん』と言うのが美波の耳に届く。
「もう何なの稿科一等」
稿科真鈴。若くして一等怪討になった女傑。
美波にとって真鈴とは、自らとは住んでいる世界の違う怪物、という認識を持っていた。
一等怪討と二等怪討の間には明確は差があり、凡人が努力の果てに到達するのが二等怪討であり、一部の天才が努力の果てに到達するのが一等怪討である――と言われる位には、一等というのは才能ありきの到達点というのが怪討の間では定説となっていた。
これまで大小様々な怪異を相手にしてきた美波だが、一等怪討である真鈴との模擬戦を行った事もある。
しかしながら、結果は惨敗。
一等と二等が模擬戦を行えば接戦にはならない、と言われていた為、その結果にショックを受ける事はなかったにせよ、美波が一等怪討という存在に対して「敵わない」と言う感想を抱かせるには十分過ぎる結果であった。
そんな真鈴からの電話という事に、美波はどういう事かと不満を口にする。
上司――支部長からも「休め」と言われているにも関わらず、真鈴と接する事になろうもんなら心が休まらない――というのが美波の思いであった。
そんな美波の思いを知らぬまま、『いやあ、ちょっと私今休暇中でさあ』と呑気に真鈴は口にする。
『今、芦根にいるんだよねえ』
「え?」
“芦根”という地名に、美波は言葉を失う。
K県西部、古くからある温泉町。
年始にはT都から出発して往復する駅伝が有名な観光地。
そう、有名な温泉町で観光地。旅行客も当然多い。
――美波もまた、現在地が芦根であった。
つまり、両者とも芦根にいる訳で、もしかしたら鉢合わせしてしまうかもしれないという事実に思い至った美波の顔は青ざめる。
そんな美波の様子を知らぬまま、あっけらかんと真鈴は『美波の姿を見ちゃったから電話かけちゃった』等と宣う。
「――は?」
これには美波は僅かばかりの怒りを露わにせざるを得なかった。
折角の休暇だというのに、なぜ仕事仲間とも言える怪討が同じ場所にいるのか。
その上、相手からはこちらを目撃されているのに、こちらはまだ相手の姿すらも見ていない。その事実に美波は怒りを覚えていた。
その怒りを含んだ声を耳にしてか『おっと……』と真鈴は自らの言動が美波に火をつけたのを理解してそう声を漏らす。
『――何をやってるの真鈴』
そこへ、鈴の音が鳴ったかのような、澄んだ声が美波の耳に届く。
その声は、真鈴を制しているようで『いやだって』と口答えする彼女に対して『今のやりとり必要だった?』と詰めている様子が更に耳に届く。
聞き心地の良い声を耳にした事で僅かに怒りの和らいだ美波は、「……えっと……今のは……?」と真鈴に対し、今聞こえた声が誰なのかを暗に聞こうとする。
これを助け船と見た真鈴は『そうコイツを紹介しようと思ってさ、後で会ったりできない? 確かコイツ、美波のとこの子と同い年だった筈だから』と口にする。
そう言われて、美波は真鈴の年齢を思い返そうとして、彼女自身は年齢を周りに明かしていない――状況証拠的には最低でも二〇は超えている――事を思い出す。
それなら――と美波は思いついた事をそのまま口にする。
「もしかして、真鈴の娘?」
美波からすれば極めて自然な推測は、『産んでねーわ!』と真鈴によって一蹴される。
そうされて漸く、美波は仮にその声の主が実の娘――成美と同い年で真鈴の娘だったした場合、美波と真鈴が初対面だった頃に真鈴が妊娠して出産していないと辻褄が合わない事に思い至る。
当時から今まで真鈴は対怪異の最前線を常に担い続けており、貴重な一等怪討として霊崎支部に軸足を置きつつもK県全域をカバーしている非常に多忙な怪討である。
美波はその頃に妊娠出産、育児を経験していたからこそ、真鈴も同様な境遇だとしたらあり得ない、という事に時間差で思い至った。
『とりあえず、またあとで連絡するわ』
「え、ちょ。流石に家族旅行を邪魔しないで欲しいのだけ――」
れども、と言葉をつけ足すよりも前に『んじゃ』と真鈴が言ってピッと通話が切れた音。
ツーツーという無情にも電話が切れている事を示す音が美波の耳に届く。
はぁ、とため息を一つ。
折角の家族旅行、心身ともに休めると思いきや、怪討の関係者――それも知人――が近くにいると考えるだけで気が休まらないというのが美波の本音であった。
「あっ奇遇ですね坂本さん!」
「……え、えぇ、そうね稿科さん」
家族で泊まる旅館に着いた美波を待ち受けていたのは、先回りして旅館に着いていた真鈴だった。
美波の家族は美波や真鈴が怪異なんてものと戦っている怪討という事を知らない以上、そういった裏事情を周囲に察せられないような会話となるよう努める必要があった。
待ち構えていた真鈴はそのつもりで美波を待っていたから良いとしても、不意に遭遇する羽目になった美波からすれば災難以外の何物でもない。
夫からは「えっと、職場の知り合い?」と尋ねられ、真鈴は「えぇはい! よくしてもらってます!」とにこやかに受け答えをしている。
その様子に美波は苛立ちをなんとか表に出さないよう努力するのが精一杯だった。
「――で、どうして稿科ここにいるの? それにこの子は?」
荷物を部屋に置いた後、「折角だから二人で話して来たらどう?」等と夫に言われてしまった美波は真鈴の泊っている部屋にやって来ていた。
そこには、真鈴だけではなく見覚えのない少女がいた。
これまで見て来たあらゆる黒いものと比べても更に黒い黒髪はとても艶やかで、それを腰程まで伸ばしており、極めて精巧な芸術品と呼んだ方が相応しいのではないか、と思える程美しい容姿に真鈴は目を奪われていた。
歳は美波の娘――成美と同じかそれより下か、と美波は見立てていた。
それはともかくとして、美波の最大の疑問としては、なぜ同じ旅館に真鈴も来ているのか、という方である。
せめて違う旅館であったのならば、偶然鉢合わせる以外にはこのような事が起こり得なかったと考えれば、同じ旅館で顔を合わせる事となってしまったのはあまりにも美波にとっては不都合だった。
そして、美波がこの旅館に泊まるつもりだという事を知っている人間は限られている以上、その誰かが真鈴に情報を漏らした事になる。
それを追求する為に、美波は鋭い眼で真鈴を睨みつける。
これに対し、真鈴は「いやぁー……」等と口を開きながら真実を口にする。
「支部長に聞いたらココだって言うからさ。コイツの紹介も兼ねてちょいとね」
「くっそ支部長め……!」
美波にとっては意外過ぎる人物からの情報漏洩に対し、悪態をつく他なかった。
家族旅行に出かけると報告した相手であり、いざという時のために所在地を明かしている相手。
つまり、美波の旅行日程を最も話している人物である。
そのような人物から真鈴に美波の情報が筒抜けというのが、美波からすれば信じられない事であった。
少なくともそういった秘密を守ってくれると思って伝えている以上、支部長の行いはその信頼に反するものなのは間違いなかった。
それはともかくとして、である。
“コイツの紹介”といって真鈴が指し示したのは幼いながら艶やかな髪を持つ少女だった。
これが、先程の電話で特徴的な声を発していた主だろうか、と美波はその顔をまじまじと見つめる。
そんな美波の様子に少女は首を傾げて「どうかした? 私の顔に何かついてる?」と尋ねる。
そのようなつもりではなかった為「ご、ごめん」と美波は軽く謝罪を口にする。
美波と少女の様子を見ながら、真鈴は咳払いを一つしてから口を開く。
「この子は水流城智磨。こう見えて特等怪討だよ」
「――は?」
これが、美波と智磨の初対面であった。