弐/呪いの人形/肆
「なんです、あなた」
言い争いの中、急に智磨に割り込まれたケイトは不機嫌そうにそう口にする。
智磨との面識があまりないケイトは、智磨を妙な服装――コスプレ用学生服――の怪討とだけ認識しており、心底から鬱陶しそうな感情が漏れ出ている。
それを理解して智磨は「私が誰とか関係ないでしょう」と一蹴する。
「言い争っている時間が無駄だって言ってるんです」
「なんですって……!」
「だってそうでしょう? 私達は怪討です。怪討が戦うべきは怪異であって、仲間内で争うのは本当に無駄ですから」
これには支部長と副支部長の言い争いで怯んでいた順平も同意して「そうですね」と頷く。
これに対し「高橋三等……!」とケイトは声を荒げるが、「不満があるなら正式な手段で訴えればいいでしょう」と智磨は言う。
これにはケイトも「うっ……」と言葉を詰まらせるしかなくなる。
全日討は日本全国の怪討をとりまとめている大きな組織であり、霊崎支部は霊崎市の怪討をまとめている全日討の一部である。
つまりは、支部に関する不満不平があるのなら、本来ならば支部内で対立しあうのではなくて全日討に直接訴えて、対応してもらうというのが筋である。
それをしない時点で、ケイト副支部長の支部長に対する徹底抗戦の図は正式なものでなく、正当性に欠く。
そうである以上、これ以上の言い争いは本当に無駄だ、と智磨は考えていた。
「――ありがとう」
これには美波も感謝を口にするが、「支部長も支部長です」と智磨は美波にも釘を刺す。
「時間が解決する問題もあるけれど、解決しない問題もあります。人間関係って複雑なんですから、早い内から全日討の方とも話し合っておくべきなんですよ?」
「ご、ごめんなさい……」
「とりあえず、私としては支部長の案で賛成です。有志のものだけで構いませんから、“メリーさんの電話”について皆さんで協力して事にあたりませんか?」
そう言って、智磨は支部内を見渡しながら頭を下げる。
智磨としては、どちらかと言えば未然に防ぎたいという美波の考えの方に同意できるため、そちらでこの問題を着地できないかと考えての行動だった。
智磨との面識の薄い者からすれば、幼い少女が支部長の側に立ち、危険を顧みず事にあたろうとしているように見える。
自身よりも若い者がそうしているとなれば、自分が日よっている場合ではない――と考えてしまう。
逆に智磨をよく知る者からは、“特等怪討”であるにも関わらずその立場から下位の怪討に対して偉ぶる事をせず、丁寧な物腰で頼み込んでいるという状況で、こちらも対立している場合ではないと認識を改める。
「それじゃあ、“メリーさんの電話”の件、可能な限り未然に防ぎましょう」
あの後、支部を後にして小型貨物車に再び乗り込んだ智磨と順平。
ゴミ捨て場を可能な限り周り、人形が捨てられていないかを確認するという途方もない作業がこれから始まろうとしている。
仮眠を可能な限りとりたい智磨だったが、今回は支部であのような発言をした以上、仮眠をしている場合ではない、と気合を入れていた。
――それはそれとして眠そうな目をしているのだが。
そんな中、「先程はありがとうございました」と車のエンジンをかけながら順平はそう言った。首を傾げる智磨に対して、順平は言の葉を重ねていく。
「正直、あの空気感が苦手だったんです。あの空気を変えて下さっただけでも、正直もう頭が上がらないというヤツです」
「いやいや、運転するんだから頭は上げてね?」
冗談に聴こえない真面目な言葉だからこそ、智磨は慌てて頭を上げるように言う。
勿論、それくらい感謝しているという意味の比喩なの智磨にも理解できてはいるのだが、真面目過ぎるために“本当に頭を上げないのではないか?”という疑惑が拭えずにいた。
そんな焦った様子の智磨を見て、順平は「ああ、すみません」と自身の言動について謝罪をしながら頭を上げる。
それを見て智磨はほっと安堵の息を一つ。
「とにかく、あの空気を一旦でも解消して下さったのは本当に感謝しかありません」
「正直、その場しのぎにしかなってなさそうなのが不満だけどね」
智磨は支部内の様子を思い返す。
確かに、一旦は支部長――美波の意見が通った事にはなるが、これは一時的にそういう事にして一旦協力しよう――以上の意味を持ち合わせていない。
時間が経てば再び支部長と副支部長による対立が始まり、支部内の空気がまた悪くなっていくのだろう――と智磨は直感していた。
これには順平も同意なのか「それは……すみません」と謝罪を一つ。霊崎支部の人間として、支部内のことについて特等怪討にそのような手を煩わせるというのは、痛恨の極みであった。
そのような様子の順平に「大丈夫。問題ないよ」と宥める。
「とにかく、行こう。何にせよ、早く解決できた方が都合いいからね」
智磨がそう言って順平を急かそうとしたところで、「あ。今気づいたんですけど」と口にする。
「何、どうしたの?」と智磨が尋ねると、神妙な面持ちで順平は言った。
「このままだと学生を連れまわす社会人男性っていう酷い絵面だと思うのですが」
あまりにご尤も過ぎる一言。
そもそも、もっと早く気付かなかったのか、とも思う人間はいるだろう。
しかしながら、智磨は逆に「……何か問題が?」と順平に尋ねる。
これには「ありますよ!」と珍しく順平は感情的に智磨を否定する。
「多少の事なら全日討がもみ消して下さるんでしょうけど、そういう人として見られる瞬間そのものはどうにもならないじゃないですか! せめてビジネススーツとかないんです?」
全日討は怪討が怪異を討伐する為の行動であれば、その行動によって何らかの法に抵触してしまった場合について、抵触してしまった法の種類にもよるが、多少の事であれば全日討が警察や裁判所といった所に圧力をかける事となっている。
数少ない怪討をそのような事で動かせなくなるような事は避けたいという事であり、そういう意味では確かに恐れる事はない。
ないのだが、だとしても今回のケースであれば周囲の人々にはそういう人間だと認識されてしまう事を考えると順平は憂鬱であった。
「持ってたら着てるかな」
「……いいです、もう我慢しますよこっちが……」
こうして、社会人男性とコスプレ少女という異色の組み合わせで市内のゴミ捨て場を確認しに行く事となった訳だが、どう考えても社会人男性――順平については不審者にしか見えない。
この二人の場合、主導権を握っているのは間違いなくコスプレ少女――智磨の方なのは間違いなく、順平の心労は察するに余りある。
そんな順平をよそに智磨は咽喉無線のマイクとイヤホンを身に着けて「マイクテスマイクテス」と無線――マイクやイヤホンの調子を確認している。
順平もそれに倣って咽喉無線一式を身に着けて同様に確認し、「感度良好」と口にして、ハンドルを握る。
「それじゃあ、出発します。シートベルトはしてますよね?」
「勿論。非常事態を除けば法令順守するのが怪討としての基本だからね」
そうやって始まった智磨と順平の二人組によるゴミ捨て場捜索だが、状況は芳しくない。
ゴミ捨て場の住所が載っている資料には、既に見終えた住所を塗りつぶした後が片手では数え切れない程にあった。
そして、たった今確認したゴミ捨て場にも人形の類は見つからなかった事で、智磨は七度目の住所の塗りつぶしを行っていた。
「こちら水流城高橋班。ポイント七まで空振り。ポイント八に向かう」
咽喉無線のスイッチを入れて智磨は報告する。
報告する相手というのは、霊崎支部の長――坂本美波である。
『本部了解。これから坂本も出発する。引き続き、報告は私宛でお願い』
その報告を受けた美波はそう返す。
智磨と順平が七か所まで捜索している間に、出発準備――それと“もしも”に備えての引継ぎ――が終わったようで、慌てて出発しようとしているのか僅かに息が荒いのを智磨の耳は聞き逃さなかった。
「――ったく、美波に何かあったら成美が悲しむだろ」
無線のスイッチを切り、そう愚痴りながら智磨は車内に戻る。
その様子に「本当に仲がいいんですね」とその愚痴を耳に入れてしまった順平がそう漏らす。これに「そうかな」と智磨は首を傾げながら返す。
「私にとっての交友関係って限られ過ぎて比較対象がないからわからないんだよね、そういうの」
智磨のそんな独白を耳にしながら、順平は「そうなんですか?」と続きを促しつつもギアを一速に入れ、サイドブレーキを解除してブレーキペダルを踏みこんでいた右足でアクセルペダルを踏み込み、左足で踏み込んでいたクラッチペダルを少しずつ戻しながら車を発進させる。
そんなマニュアル車特有の複雑な発進手順を流れ作業で行っている順平の様子を見る事なく、智磨は続きを口にする。
「ほら、私って生まれつき特等怪討だからさ。子供らしい事って殆どしてないんだよね。親もいないし」
親もいない、という言葉に順平は「え?」と困惑の声を漏らす。
これには「ごめん、一般的にこの話をするとそうなるっていうのはわかってたのに軽く言っちゃった」と智磨が謝罪を口にする。
その様子から、親がいない事についてを気にしているという訳ではなさそう、と順平にも理解できる。
だが、子供にとっては親という存在は極めて重要な存在だ。
子供にとっての親というのは、最も身近な他人――ここで言う他人というのは、自分以外の人間という意味である――と言える。
親と接する中で、外で誰かと接する時のコミュニケーションというものを少しずつ学んでいく訳だ。それと同時に、一般的には親は子にとっての安全地帯でもあり、親からの無償の愛を一身に受ける立場である。
これによって、失敗を恐れず他社と接する能力というのが徐々に培われていく。
しかし、親ないしその代わりになる存在がいない場合には、その前提が全て崩れていく。
そして、智磨もその類の人間であり、他社とのコミュニケーションについての経験値は決して高くない。
先程、支部で啖呵を切った件についても、怪討としての役目が前に出た結果であり、対人スキルによって出て来た対応策ではなかった。
「いや、ほんとごめんて。ほら、早くポイント八に行くよ」
思いもよらずに変な空気を作ってしまった智磨はもうこの話題は終わらせようという意図でそう言うと、「は、はい!」と順平もそれに合わせて返事をする。
――特等怪討って、複雑なんだな。
順平は心の内でそう呟いた。