第4話 緊迫
「……一ノ瀬さんが噛みつく理由は分かりました。ですが、できれば話し終わるまで抑えてください。事件解決の為には赤城さんから情報を得なければいけませんから」
彼の怒りは無下にできない。……が、それはそれとしてできるだけ喧嘩はしてほしくない。
一ノ瀬の恨みは理解できるし同情もするが、はっきり言ってそれだけだ。二見からすれば仕事には関係のない私情とも言える。円滑に仕事をこなす。それが二見のポリシーであり望みだった。
「…………分かったよ」
一ノ瀬は納得のいっていない顔をしながらも口を閉ざした。子供か、と二見は思わず呆れて心の中でツッコんでしまった。
「面倒な上司持って大変だな」
「……赤城さんもいちいち煽らないでくださいね」
二見は赤城に釘を刺した。一ノ瀬が噛みつく原因はこの人にもあるのだから。
「それでは……一応赤城組に恨みがある人間の犯行という体で話を進めますが、心当たりは?」
「あり過ぎて特定できねぇな」
再び煙草に火をつけ、肩を竦めて笑う赤城。まあしょうがないか、と二見は納得した。
そもそも、管理人は有り体に言えば裏社会の人間の集まりだ。管理する区の秩序を守っているという話は別に嘘ではないが、もちろん汚いことにも手を出しているし抗争だって幾度とやっている。
それこそ、管理人がもっと活発に活動していた頃____三十年程前の争いをまだ根に持っている人間もいる。
恨まれていない管理人など存在しない。見当をつけるのは相当厳しいだろう。
「直近で揉めた相手などは?」
「いねぇな。最近……つーかここ数年は赤熊区から出てねぇ。他の管理人ともほとんど関わってねぇしな」
「ほとんど?」
「二か月ほど前に彼方と煙草の話をちょっとな。それだけだ」
二見は思い出すように宙を見上げた。彼方、というとおそらく彼岸区の管理人である彼方組のボスのことだろう。直近で関わったというならかなり怪しい。
「(けど……それじゃ流石にあからさま過ぎる)」
関わった二か月後に事件を起こすなんて、疑い深い人間ならばすぐに彼を疑うだろう。本当に犯人だったとして、仮にも裏社会の人間がそんな迂闊な行動を取るだろうか?
しかし一般の人間があんな残忍な犯行ができるとも思えない。
謎はますます増えるばかりだ。
「管理人の犯行だと決めつけるわけではありませんが、一応調べておきたいので三十年間の記録や資料があればお借りしたいのですが……」
「ああ、いいぞ」
三十年の間に抗争があったとすれば、その抗争相手が報復の為にやったという可能性も捨てきれない。できるだけ可能性を広げる為に資料を頼むと、赤城は意外にもすんなり了承した。
「ノゾム、その資料取ってくれ」
赤城は煙草を咥えたまま側近の一人に声を掛けた。ノゾムと呼ばれた少年は短く返事をすると一ノ瀬達が座っているソファの後ろにある棚を漁り始めた。
パッと見、十六歳くらいだろうか。少なくとも成人しているようには見えない。
一ノ瀬はノゾムを見つめながら「その子供は?」と口を開いた。
「ああ、そいつは一年前に拾ったガキでな。お前と同じ、親が犯罪者で路頭に迷ってた奴だ」
「……ふーん、お前にしては珍しいじゃん。慈善活動?」
嘲笑うような言葉に、赤城は眉を顰めた。
「……別にそんなんじゃねぇよ。気が向いただけだ」
「へえ!じゃあ俺の時は気が向かなかったってことか」
「…………」
一ノ瀬からの皮肉に、赤城は何も答えず煙を吐き出した。しかし何か思うところがあるのか表情は険しい。
それに気を良くした一ノ瀬は楽しそうに話を続けた。
「ああ、別に俺のこと拾わなかったことを恨んでるわけじゃねぇよ?お前が子供を拾うような性格の良い奴じゃないことはよ~く分かってるからな。犯罪者のガキを養う義務がないって主張もよく分かる。ただ……お前も人間なんだなあって思っただけ」
「……あ?」
凄む赤城の姿に目を細める一ノ瀬。
「俺は分かってるぜ。お前がその子供を拾ったのは______昔の自分にそっくりだからだろ?」
一ノ瀬の言葉に、赤城は目を見開いた。まさかそれを知られているとは思いもしていなかったとでも言いたげに。
「いつかお前の復讐してやろうと思って色々調べてた内に、お前の過去も知ったんだよ。お前の親が犯罪犯したせいで捕まって独りぼっちになったから、当時管理人だった叔父に引き取られたんだってな。けどその叔父から酷い虐待を受けて育った。そしてお前は十年前、その叔父を殺して赤城組を乗っ取った」
「……よくもまあそこまで調べたもんだ。警察は随分と暇なんだな」
「お前の昔の写真も出てきたけど、目がその子供と結構似てるよなあ」
煽るように笑う赤城を無視して話を続ける一ノ瀬。
「似た境遇のそいつに同情したんだろ?昔の自分にそっくりの子供を拾って大事に育てれば、自分の過去も罪も許されて救われた気持ちになる……そんなとこか?」
赤城は何も言わなかった。しかしそれこそが、一ノ瀬の言葉が正しいと肯定しているようなものだ。
一ノ瀬は楽しそうに声を上げて笑った。
「やっぱそうか!はは、お前もそんなこと考えたりすんだな。けど残念!お前が罪のない人間を殺してきたことも子供を見捨ててきたことも全部無かったことにはならねぇんだよ!今更何したって、お前は所詮人殺し_______」
「おい」
赤城を嘲笑う言葉が最後まで紡がれることはなかった。頭に何か硬いものが当たる感覚がした一ノ瀬は口を閉じて視線だけを後ろに寄こした。その感覚の正体は見なくても分かる。
ノゾムは銃口を一ノ瀬の頭に突き付けたまま口を開いた。
「それ以上赤城さんを愚弄したら殺すぞ」
それは脅しでも何でもなく、ノゾムの本心だった。尊敬してやまない、命の恩人である彼を馬鹿にされるなど彼には耐えられないことだった。
しかし一ノ瀬は意にも介さない様子で赤城に声を掛けた。
「お~怖。赤城ぃ、部下の教育どうなってんの?客脅すとかありえねーんだけど」
「黙れ!!赤城さんは……!赤城さんはな……!!」
「ノゾム、下ろせ」
怒り狂うノゾムに、赤城は静かに一言だけ発した。完全に撃つ気満々だったノゾムは赤城からの命令に酷く動揺した様子を見せる。あれだけ言われて赤城が黙るなど、普通はあり得ないことだったからだ。
しかし赤城にとって一ノ瀬の言葉は、「正しい」としか言いようがない。彼の言うことは何も間違っていないのだ。
それに煽ってきた相手とはいえ、一応扱いは客。客を私情で殺すなどあってはならない。
「そいつを撃ったらいくらお前でもタダじゃ済まねぇぞ」
「でもっ……!!」
「何度も言わせんな。下ろせ」
赤城の鋭い視線に、ノゾムは悔しそうに顔を歪めながら銃を下ろす。命の恩人にあそこまで言われて何もできないなんて。赤城さんはそんな人じゃないのに、とノゾムは歯を食いしばりながら定位置に戻った。
その姿に、一ノ瀬はため息を吐いて姿勢を崩す。
「ったく……ちゃんと教育しとけよな」
殺されそうになったというのにこの余裕っぷり。殺せないと踏んでいたのか、それとも死をそこまで恐れていないのか。一体何なのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。
それよりもこの地獄のような雰囲気をどうにかしたいと二見は思っていた。
「今のは一ノ瀬さんが悪いですよ」
なので、もう遠慮なくバッサリ言うことにした。
「俺ぇ!?」
二見の言葉に、目を丸くして自身を指差す一ノ瀬。まさか味方である二見から叱られるとは思っていなかったのだろう。
「言いましたよね、できるだけ噛みつかないでくださいと。銃口を向けたノゾムくんも悪いですが、そもそもの原因は貴方が作ったものなんですから」
「うっ……!ま、まあ……それはそうなんだけど……」
「赤城さんのことを恨む気持ちは分かりますが、今は仕事中です。私情を挟まないのが警察でしょう?」
二見の言っていることは至極真っ当だ。一ノ瀬はバツが悪そうに視線を逸らした。
一ノ瀬は今まで、境遇が境遇なだけに何をやらかしてもさほど叱られなかった。署長も五木も、軽く叱るだけで基本的には注意して終わるだけ。
そうやって甘やかされてきた一ノ瀬にとって後輩である二見からの叱りは中々キツイものだった。
「それに……」
二見はそこまで言って、ハッとして口を閉ざした。まるで言いかけた言葉を飲み込むかのように。
「……?二見?」
「……貴方だって、関係のない時に過去のことをウダウダ言われたら嫌な気持ちになるでしょう。同じことですよ」
「まあ、それはそうだけどよ……」
拗ねたように唇を尖らせる一ノ瀬は本当に子供のようだ。成人しているとは到底思えない。
これでよく先輩風を吹かせようとしたものだ。
「別に構わねぇよ。そいつの言ってることは全部合ってるし」
赤城がフッと笑って二見を制した。
「……が、あんまウジウジ言ってると性格もそうなっていくぞ。気を付けとけよ」
「うるせぇ!余計なお世話!!」
再び始まったやり取りに二見はホッとしたようなそうでもないような、複雑な感情が心の中に渦巻いた。だがまあとにかく、あの地獄のような空気を変えることができたしようやく話を進められる。
二見は咳払いをし、「話を戻しますね」と赤城に向き直った。
「今回の事件を経て、輪廻市にいる全ての管理人が動いていると聞きました。それについて、赤城さんは知っていますか?」
管理人とはほとんど連絡を取っていないという証言が本当であれば答えられないだろうが、念の為聞いてみることにした。
赤城は初めて聞いたのか「へえ」と興味深そうに笑った。
「そんなことになってんのか。……ま、「管理人の部下が殺されたからウチも狙われるんじゃないか」って勘繰ってるだけだと思うけどな」
「まあ、普通はそうなりますよね……。今回の件について他の管理人と連絡を取ったりはしていないんですか?」
「一切してねぇ。さっきも言ったが知らされたのは今朝だし、お前らの予想通り管理人が犯人だったとしても、問い詰めたところで素直に吐くわけねぇしな」
管理人の下っ端が殺された話は既にニュースにもなっている。一般市民ですら知っている情報を、管理人が知らないわけがない。おそらく赤城と同じタイミングかそれより少し後くらいに情報を得たのだろう。
自分達も狙われるかもしれないと警戒する気持ちは分かる。しかし、全員が同じように警戒しているというのは少し過剰すぎるような気もする。
「他の管理人も、同業者が犯人だと疑っているんでしょうか……」
「さあ?あー、ただ……アヤトに調べさせたら妙な噂を聞いてな」
アヤト、と呼ばれたもう一人の側近は二人にニコリと微笑みかけた。
「妙な噂?」
「どうやら一部の管理人は、今回の件をただの猟奇殺人だとは思っていないらしい。もっと別の……人の力を超えた何かだと踏んでる」