大嫌いな義母へ
私は義母が嫌いだ──。
だって、義母は私を嫌いだから。
私を産んだお母様は社交界でも評判の人だった。
絹のように美しく長い黄金色の髪にサファイアのような輝きを持った瞳。
それは男女問わずに魅了した。
そんなお母様の髪色を受け継いだ私は、お母様にもお父様にも、そして五歳年上のお兄様にもたくさんの愛情を注がれて育った。
しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。
私が10歳の時、お母様が流行り病で亡くなったのだ。
墓石の前でむせび泣くお父様と寄り添うお兄様の姿は、とても痛々しいものだった。
そんな二人の後ろ姿を見ながら、私は涙を堪えるのに必死だった。
その時、隣にいた彼が私に声をかける。
「泣いてもいいんだよ。大丈夫、フェリスのことは僕が守ってみせるから」
彼はお兄様の御学友で私の婚約者である第二王子ミスリル殿下だった。
「うぅ……」
私は彼の胸で泣いた。
お母様との別れから一年が過ぎた頃だった。
私の家に新しい人がやってきた。
「これからは、このアリアがお前たちのお母様となる。仲良くしてほしい」
お父様はそう言って一人の女性を紹介した。
彼女はお母様より背がうんと高く、整った顔立ちだった。
お母様のようにウェーブのかかった髪でなく、真っすぐに真珠のような色。
でも、お母様のように笑顔は見せず、寡黙で冷静そうに見える。
義母はそんな人だった。
「よろしくお願いします。アリアお義母様」
お兄様はそう言って頭を下げた。
「フェリス、お前も挨拶しなさい」
お父様にそう言われたが、私はどうしてもお兄様のようにすぐに受け入れることができなかった。
「よろしくお願いします」
渋々口にした言葉はそれだけだった。
「おかあさま」とは、その時の私はまだとてもじゃないが言えなかった。
それから義母と共に新しい生活が始まった。
お父様は王宮で経理部門の責任者をしているが、義母はどうやら部下の一人だったらしい。
女性で部門働き、いわゆる士官として一定の社会的地位を得て働いている人は少ない。
義母は類稀なる賢さを見出されて、子爵令嬢でありながらその地位を得たそう。
そんな彼女がなぜうちに嫁いできたのか、私はいまだに謎だった。
義母が嫁いできて少し経った頃、私は婚約者のミスリル殿下と会っていた。
「フェリス、寒くないかい?」
「はい、殿下がこのマフラーをくださったので、寒くないです!」
「よかった。君が風邪を引いたりしようもんなら、お前のお兄様になんと言われるか」
殿下といると心地がいい。
そう思っていると殿下が私の手を握ってくださる。
「殿下……」
そう言った私の唇は塞がれた……。
甘いこんなひとときは、私の心の癒しだった。
殿下との逢瀬を終えて屋敷に戻ると、廊下で義母とばったり会う。
目が合うがどちらも口を開かない。
両者ともじっとその場に立ち尽くしていたが、私がようやく動く。
何も言わずただ彼女の横を通り過ぎる。
そうしてすれ違って部屋に入った。
あの人は苦手だ。
それにきっと義母も私のことを嫌っている。
義母は庭で遊んでいた私を無理矢理屋敷に戻し、そのまま私の部屋に閉じ込めた。
ただ、私は植えた花を眺めていただけなのに。
義母の私への嫌がらせはこれだけではない。
学院の友だちと行く予定だったカフェにも行かせてもらえなかったし、友だちからもらった贈り物のぬいぐるみも捨てられた。
お父様に嫌がらせの全てを伝えたけど、代わりものを買ってあげるからと言われるばかり。
お兄様に言ったら、今度僕が一緒にカフェに行ってあげるからとなだめられるだけ。
なぜみんな義母の味方をするの?
私は愛されてないの?
そう思い過ごしたのだった。
そうして私と義母は険悪な関係のまま、今日という日を迎えた。
ついに私はミスリル殿下の妻となる。
今日の結婚式には多くの貴族たちが参加している。
第二王子と公爵家の娘の結婚であるため、当たり前かもしれない。
お父様とお兄様は少し涙ぐみながら、私のドレス姿を見ていた。
そして、二人の後ろには私の嫌いな義母もいる。
その顔に相変わらず笑顔はなく、晴れやかなこの日に相応しくないように思えた。
そういえば彼女の笑顔を見たことは一度もない。
彼女は人形なのかもしれないとさえ思うほどに。
そう思っていた時、誓いの聖杯に水が注がれていく。
この国では新郎新婦がその聖杯の水を一緒に飲む風習がある。
「フェリス、愛している」
「はい、私もでございます」
誓いの言葉をたてた後、私たちは聖杯を神父から受け取る。
そうしてゆっくりと水を飲もうとしたその時、聖杯に衝撃を感じた。
「え……?」
見ると、聖杯にはナイフが刺さっていた。
どうしてナイフが、と考えていると後ろから義母の声が届く。
「ミスリル殿下! 毒でございます! 神父が毒を盛りました!」
義母の訴えを聞いた殿下は急いで私から聖杯を取り上げると、その場で床に叩きつけた。
「殿下、これは……」
私が困惑していると、神父が私にナイフをかざしてくる。
「死ねっ!」
何も動けずにいた私を守るように、殿下が神父のナイフを鮮やかに跳ね返した。
私を背に守るように対峙する殿下と神父だったが、私の後ろからも衛兵に紛れていた敵が襲ってくる。
「アリアっ!」
殿下が義母の名を呼んだ。
その声に応えるように義母は私の傍に駆け寄って来る。
私を挟んで殿下は神父と、義母は敵兵複数と対峙している。
その時、敵の一人が私に向かって叫ぶ。
「死ね! ラエンバートの王女がっ!」
「え……?」
ラエンバートは確か20年前に滅びた隣国の名前。
どうしてそんな国が今ここで……?
ううん、それよりどうして私を「王女」と呼ぶの?
混乱を極める私の傍で義母が敵を倒して告げる。
「あなたですね、5年前から何度も王女の命を狙っていたのは」
「え……」
「ルーベリア公爵家の庭に忍び込み、王女の好きな花を使って誘き出そうとしたり、王女の御学友を買収してぬいぐるみに毒を塗ったナイフを仕込んだりしたのは」
義母の言葉を聞いて私は驚く。
それらの全てに心当たりがあって、それは全て義母の嫌がらせだったはずだから。
私はそこで悟ってしまう。
自分が幼い頃から命を狙われていたのだということに……。
そう気づいた瞬間、怖さで震えそうになった。
義母は目に留まらぬ速さでナイフを振り、敵兵を次々に倒していく。
王国の衛兵たちが敵兵を全て捕獲した時、ようやく事態は落ち着いた。
すると、ミスリル殿下が私の傍によって謝罪する。
「フェリス、黙っていてごめん。君の母親はラエンバートの王女だったんだ」
初めて聞く内容だった。
「彼女は国が滅びるときに、親交があった我が国を頼り、亡命してきた。そして、君の父親と結婚して君を産んだ」
「では、私は……」
「ラエンバート王家の血筋を引くものが生きていることを知った者が、君や君の母親を狙うようになったんだ。そんなとき、君の母親は病で……」
お母様が王女でこの国に亡命してきていた。
その事実を知って一つの疑問が湧く。
「では、お兄様は……?」
私の問いにお父様が申し訳なさそうに返答する。
「ヴィルラートは私と前妻の子なんだ。黙っていてすまなかった。君の実の母親の願いだったんだ。君に平穏な幸せを与えたいっていうのが」
じゃあ、義母は?
義母はどうしてうちに来たっていうの?
私が義母に視線を送ると、彼女は跪いていた。
「アリア様は、君の本当のお母様の侍女だった人だ。全てを君と君のお母様へと捧げ、君のお母様が亡くなった後は、君に気づかれないようにそっと守り、支えていた」
「まさか、そんな……」
私は何も言えずに立ち尽くしてしまう。
すると、義母が私の前に来て口を開く。
「長い間、貴方様を騙し、申し訳ございませんでした」
私は初めて義母に話しかけられた。
そうか。
義母は私に話しかけるが嫌なんじゃなくて、正体を偽っている罪悪感と彼女の忠誠心から話しかけられなかったんじゃないだろうか。
「なんだ、そうだったんだ……」
私だけだけ全て知らなかった。
みんなに愛されてないんじゃない。
ちゃんと愛されてたじゃない。
だから……だから、こんなにもたくさんの人が私のために……。
私は跪く義母を抱きしめた。
「フェリス様……?」
「ずっと、私はあなたが嫌いだった」
「……はい」
私はそっと義母の手に自分の手を重ねた。
私は今日、嫁ぐ。
私を産んでくれたお母様、ありがとう。
私を支えてくれたお父様、ありがとう。
私を溺愛してくれたお兄様、ありがとう。
それから、殿下。
これから共に生きられることがとても楽しみです。
あなたをとても愛しています。
そして、もう一人。
「ありがとう、お母様」
私は笑ってそう告げる。
すると、彼女は母として私に返事をしてくれた。
「幸せになってね、フェリス」
ようやく私は、もう一人のお母様の笑顔を見た。
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