8
駿河城下町に旅芸人一座がやってきていた。
好奇心に駆られた人々が、城下町の外れの広場に続々と集まってくる。
見物料を払えば、縄を張られた区画内に踏み入る事ができる。
その区画の中で、旅芸人は群衆に芸を披露していた。
「おお〜」
高所に張られた一本の綱の上を、長い棒を手にした美女が渡っていく。
別の美女の着崩した襟元からは、蛇が現れて群衆を驚かせた。
大男ははしごに登って、軽業を披露する……
更には鉢巻をしめた凛々しい美少女が、人を立たせた的に向かって短刀を投げつける。
「えい! えい!」
美少女の投げた短刀は、人を避けて的に突き刺さった。
ほんの少し手元が狂えば短刀は人に当たる。
命がけの技であり芸であった。
「す、すごいべ!」
おたまは興奮して鼻息を荒くしていた。おたまの隣には玄蕃がいる。
「奴ら忍びか……?」
玄蕃は口の中でつぶやく。おたまを連れて旅芸人一座の見物に来たが、これは彼の任務でもある。助九郎の命によって、おたまも連れてきたのだ。
「いやあ、すごかったべな〜」
おたまは旅芸人一座の見世物が終わっても、興奮冷めやらぬ様子だ。
「あ、ああ」
玄蕃は苦笑した。任務ではなく、おたまと共に個人として訪れたかった。
「なんだか夫婦みたいだべ」
おたまは言った。深い意味はなかった。男と女で連れ添うなど、夫婦でなければしない事だと思っただけだ。
「ふ、夫婦……!」
玄蕃は目頭を抑えた。彼の心には何かこみあげるものがあったらしい。腕は立つが残念だ。
「どうしたんだべ、玄蕃さん?」
「な、なんでもない!」
「七郎と来たかったべな〜」
おたまのつぶやきは玄蕃の耳には入らなかった。
おたまは七郎を呼び捨てにする。女心は海より深い。
「がんばんなよ〜」
「また来てね〜」
高所渡りの美女と蛇使いの美女が玄蕃に声をかけた。彼女らは玄蕃の男心に気づいたようだ。
(旅芸人一座が真田の残党か)
七郎は川の水面を見つめていた。着流しの身には寸鉄も帯びていない。
ただ黒く細長い杖を手にしていた。これは丈夫な竹の枝を、数本まとめて紐で隙間なく縛り上げ――
更に上から黒漆で塗り固めたものだ。隻眼である七郎の視力を補うものだが、それだけではない。
打ち据えれば肉が裂け、痛みが体の芯にまで響く。
後世に名を残す「十兵衛杖」かもしれない。
(という事は、あの大男も芸を見せているのか)
七郎は昨夜の手合わせを思い出す。大男は本気でなかったが、それでも七郎は及ばなかった。
(次は…… どうすればいいのだ?)
水面を見つめる七郎の顔から血の気が引いていく。大男との実力の差は、それほどに開いていた。
ふと、七郎は川原に人が集まっているのに気づいた。土左衛門が上がったという。土左衛門とは水死体の事だ。
「川太郎め……」
漁師は涙を拭った。土左衛門は友人の漁師だという。昨日、川に船を出して戻ってこなかった。
「ちくしょう、川太郎のせいで!」
人々の話を聞いてみると、川太郎とは川に現れる巨大魚だという。
なるほど、川幅は半町ほどもある。巨大魚が生息していても、おかしくはない。
「俺の爺さまも川太郎にやられたんだ!」
漁師が産まれる前に、祖父は川太郎に襲われて帰らぬ人になったという事だ。
「か、仇を取ってください!」
女は涙ながらに七郎に頼んできた。七郎は驚いた。なぜ女は七郎に川太郎退治を頼むのか。
あるいは誰でも良かったのかもしれない。仇を取ってくれるのなら。
「……わかった、やってみよう」
七郎は静かに力強く言った。