19 隻眼の七郎
助九郎の元に情報が集まる。
いくつかの外様大名が、忠長と密かに交流しているという。
(幕府への不満ゆえだな)
幕府は金山銀山を発見したら届け出よとしている。
せっかく発見した金山銀山の利益を、幕府は丸々横取りしようとしているのだ。
幕府密偵の中には、隠し金山銀山の発見のために命をかけ、そして散った者もいる。
それにしても外様大名が裏で手を取り合うとは。その先にあるのは反乱だ。
それを促す者もいるに違いない。
(おそらくは伊達政宗公か)
奥州の雄、伊達政宗公にとっては泰平の世という認識はない。今は徳川幕府の力が強いという認識だ。
強大なものを倒すには、どうすれば良いか?
力を合わせれば良いという事を政宗公は知っている。戦国の梟雄だ。今、全国に政宗公と同等に戦える大名がいようか。
政宗公が兵を起こせば、たちまちのうちに平和が崩れる。
日本各地で戦火が起きる。
この駿河もどうなるか?
悲しいが、今の駿河では千人の兵に攻めこまれても危うい。
駿河五十五万石、家臣となれば五千人ほどだろう。
だが、その五千人は江戸旗本の次男三男ばかりだ。
家にいても冷や飯食い、城勤めも兵法修行もせずに、日々を過ごしてきた者達だ。忠長に忠誠心があるわけでもない。命がけで働くとは思えない。
また、京の内裏へ大大名が接触しようとしているという。
政宗公や薩摩の島津だ。内裏も幕府に恨みがある。数年前に徳川の血を引く皇女が誕生している。幕府に不満があるのも当然だろう。
「となれば、どうなりますかな」
助九郎は七郎を前にして問答する。
「諸大名の動向、内裏の不満、そして忠長様……」
七郎は父の又右衛門から今の世の動向を聞かされている。
又右衛門は各大名に弟子を放っていた。彼らの多くは藩の剣術指南役として登用されている。
それゆえに藩の動向がわかる。藩内の政治状況もわかる。又右衛門の弟子達は剣術指南役であり密偵でもある。
そうして得た膨大な情報が江戸に集まり、七郎の父の又右衛門は動かずして世間を知っていた。
「内裏の詔勅を得て忠長様が幕府打倒の兵を挙げ…… それに呼応した伊達政宗公や薩摩も起つ。外様大名も起つ。全国で幕府打倒の兵が挙がる……」
考えたくもないが、日本中を巻きこんだ大乱になる。
下手をすれば新たな戦国時代になるだろう。
「しかし、まだ機は熟しておりますまい」
助九郎の見立てでは、そのような状況になるまで数年はかかるという事だった。
だが、のんびりしてはいられない。
「俺は何をなせば良いか」
「心配無用、若にはやってもらいたい事があります」
「なんだ」
「城下に蠢く浪人どもと接触していただきたい」
助九郎が言うには、浪人のふりをしている武士が多数いるという。
彼らも主命を帯びて駿河に入ってきていた。
「奴らの目的はわかりませぬが、無刀取りには興味を引かれている様子」
助九郎はニヤニヤしている。何か悪企みをしているのか。
「城下に噂を流しました。船宿にこもった浪人らを成敗したのは隻眼の七郎、その者は上泉信綱の無刀取りを習得していると」
「……ほう?」
「そして、隻眼の七郎は船宿の用心棒になったと…… それを聞いて、血の気の多い者が船宿を訪れていると、おたまからの報告です」
「な、なんだって……?」
七郎の顔から血の気が引いていた。引きつった笑みを浮かべる今の七郎には、奇妙な愛嬌があった。
「それにしても、おたま様々でありますよ。あの娘のおかげで、駿河に入ってきた大名が次々と判明しております」
「そ、そうか……」
「いい嫁を見つけましたな」
「いや、そういうつもりはないが……」
「さて、若も目立つようにしませんと。なにせ隻眼の七郎なのですから」
「……ならば政宗公にちなんで」
七郎は刀の鍔を取り外し、それで潰れた右目を隠す眼帯とした。
伊達政宗は助九郎にも幕府にも快い人物ではない。
だが七郎にとっては恩師の一人だ。
「どうだ、似合うか」
七郎は晴れ晴れとしている。独眼竜と呼ばれた政宗公に、一歩近づけた気がした。
今の七郎を見れば政宗公は豪快に笑ったかもしれぬ。
――なかなか似合うぞ、一つ目小僧。見事な独眼竜だ。
七郎は政宗公の声を聴いたような気がした。
数日後、船宿に浪人がやってきた。
「七郎殿と一手、手合わせ願いたい」
浪人は槍の遣い手だった。仕官先を探して旅をしているという。
真偽はわからないが、この浪人もまた武の深奥を探る者だ。
「いいだろう」
と、応じた七郎は船宿の外に出た。
両手に長短の木剣を握り、右目には眼帯をかけている。
「七郎〜……」
船宿の女中おたまが心配そうに見ている。彼女は僅かな期間で美しくなった。
それは七郎への秘めた思いと、玄蕃から寄せられる好意ゆえか。
それへ七郎は笑顔を向けた。心配するなという意味だ。
男は挑戦で、女は色恋で成長する。
全て思いが始まりである。
そして七郎の始まりの思いとは、父や師に近づきたいという憧れだ。
――無駄を全て省け。
父、又右衛門の言葉が脳裡に蘇る。
――ただ一刀にて敵を仕留めるが故に一刀流というのだ。
師事した小野忠明の言葉も思い返される。
言葉こそ違うが二人とも同じ事を言っていた。
勝機は一瞬、ただ一手で勝負はつくのだ。
「きぃえーい!」
浪人は叫んで槍を構えた。
全てを捨てた烈火の気迫だ。
す、と七郎は一歩前に出た。そして右手の木剣を浪人に突き出した。
浪人は七郎の木剣を槍で打ち払う。
次の瞬間には七郎の左手が動いた。
短い木剣の横薙ぎの一閃が、浪人の槍を打ち払った。
そして七郎は両手の木剣を手放し、浪人の懐へ踏みこんだ。
七郎の右足が地を這うようにして、浪人の左足を払った。
それで体勢を崩した浪人は横倒しになった。
僅か数秒で浪人は地に倒されて、呆気に取られて青空を見上げていた。
刹那の一手は、後世の柔道の技である小外刈だ。
「……まいった!」
起き上がった浪人は苦笑して敗北を認めた。
手合わせしながら双方、傷一つ負っていない。
これが先師、上泉信綱の目指した無刀取りの境地なのか。
「ふふっ」
七郎もまた笑う。おたまも安心して笑顔を見せた。
駿河の空は青く晴れ渡っている。〈了〉