18 全てを捨てた先
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早朝、七郎は兵法修行を始めた。
忠長が無刀取りを見たがっていると助九郎から聞かされていた。
(ただ事ではない)
七郎は死を予感した。
無手にて刀を握った対手を制するがゆえに、無刀取りという。
それを証明しなければ忠長は納得すまい。
全身全霊どころか命を捨てて挑まねばならぬ。
正直、七郎ですらが逃げ出したい。
川太郎に噛まれた右腕、浪人に斬られた胸元、いずれもまだ治癒していない。
それを理由に話を引き延ばす事もできるだろうが、遅くなれば切腹を命じられるかもしれぬ。
(昔はああではなかったが)
七郎はぼんやりと考えた。彼が江戸城で家光の小姓を務めていた頃、何度か忠長を見ている。
恐ろしい方ではあった。信長の血を引く忠長は御神君家康公に遠ざけられていた。その容貌は信長に似ていたという。
しかし家光よりはマシかと思わなくもない。文武に秀でていた忠長は諸大名に人気があった。
大阪城を欲したのも、将軍の弟として西国大名ににらみを利かせたいと思ったからだ。
それが快く思われなかった事が忠長の悲劇の始まりかもしれぬ。
何にせよ、無刀取りを見せるとなれば命がけだ。
――対手の中心に踏みこむのだ。
父の又右衛門の教えが、七郎の脳裏にこだまする。
なるほど、対手の中心に踏みこまなければ、無刀取りの妙技も発揮できない。
――全ては、一刀に始まり、一刀に終わる。
師事した小野忠明の言葉も思い返された。
そう、刃を手にした勝負は一瞬で終わるのだ。
それは無刀取りも例外ではない。
七郎は呼吸を整えると、道着を巻きつけた庭木に向かって、ゆっくりと技をしかけた。
それは後世の柔道における背負投の型だった。
柔よく剛を制す、それを体現した豪快かつ華麗な技だ。
(全て捨てるのだ七郎)
己を叱咤しながら、七郎は打ちこみを繰り返した。
忠長と対面する時は死を覚悟せねばならぬ。
恐怖もある。忠長の兵法は助九郎以上という。
自分が一刀で斬られて果てるかもしれぬ。それだけならば、まだ良い。父や先師の名に泥を塗るわけにはいかない。
消え入りそうな重圧の中で、七郎は全てを捨てる覚悟を決めた。
「――は!」
七郎は疾風のごとく技をしかけた。
手にした帯が引き絞られ、庭木が微かにミシリと鳴る。
全てを捨てた先に明日があるのだ。
そして満足できる死があるに違いない。