17 死中に活あり
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――どうした、一つ目小僧。
幼い七郎に声をかけたのは隻眼の伊達政宗公だった。
ニヤリと笑った政宗公の迫力に七郎は圧倒された。
そして政宗公からの一言が、七郎の魂を震わせた。
――お前も隻眼、わしも隻眼…… ならばできる。せめて世に一矢報いてみろ。
あるいは、それは政宗公の信念だったのかもしれない。
何にせよ、七郎は再び父との兵法修行を再開した。
七郎にとって政宗公は恩師の一人だ。
「うう……」
七郎は目覚めた。彼は布団に横たわっていた。
「七郎、良かった、良かったべ!」
七郎を看病していたおたまは、泣きながら七郎の胸に突っ伏した。
「い、い、い、いてえ……」
七郎はうめいた。だが痛みは生きている証だ。
彼は胸元を刀で斬られ、外道医に縫合してもらったが、丸一日以上意識を失っていた。
「おら、嫁ぎ先をなくしちまうとこだったべ……」
涙を拭いながら笑顔を浮かべるおたま。
平凡な村娘のはずだが、さりげなくとんでもない事を言っている。
「ん、なんだって?」
「――なんでもねえべ」
おたまは急に怖い顔になったので、七郎は震え上がった。
女心は海より深く、山より高い。
負傷している七郎は、助九郎から静養を命じられた。
「若に何かあったら一大事ですからな」
助九郎はそう言うが、七郎は隠密には向いていないという達観がある。
今、駿河に集まっている大名の名代だけでも数十人に及ぶ。
その名代が互いに密議を交わしているようでもある。
忠長公の使いが京の内裏へ向かったという報告もある。
幕府密偵である助九郎は、寝る間を惜しむほど忙しい。
(それにもまして)
助九郎の顔から感情も理性も消えた。
頭髪を剃り上げて僧のような相貌になった助九郎。
その顔に深い憂慮の陰がある。
――城下にて狼藉者を捕らえたそうだな。
大納言忠長は助九郎に言った。
――天晴な事だ…… ならば余に見せてみよ、無刀取りを。
忠長の言葉が助九郎の心に、重く沈みこむ。
無刀取りの技を見せよという事ではない、忠長から刀を奪って実践せよという事だ。
戦国の魔王と呼ばれた信長の血を引く忠長は、その容姿も似ているらしい。
兵法の名人たる助九郎すら震え上がる迫力がある。それゆえに御神君家康公から遠ざけられたとされる。
また、忠長は七郎の父の又右衛門、一刀流の小野忠明の両名から兵法指導を受けている。
殿様芸どころではない、忠長の剣術指南役たる助九郎すら危ういほどの腕前だ。
その忠長が無刀取りを見せろというのだ。真剣で打ちこんでくる忠長を相手に無刀取りを披露できるのか?
(これは如何なる天の配剤か)
助九郎も神妙な気分になる。
七郎が駿河に来たのは偶然か。
忠長が求めるのは、無刀取りの妙技を体感する事だ。
夜であった。
七郎は助九郎の屋敷の庭に出て、夜空の満月を見上げていた。
(今回は生き延びた、だが明日は?)
七郎は自問する。駿河という魔都は一日が長い。
今こうしている間にも、駿河城下で押し入り強盗があるかもしれない。
大名の名代らも密議をしているかもしれない。
七郎は自分が消し粒か、小さな虫にでもなってしまったような気がした。世間は広く、一人の人間は小さかった。
「やる!」
傷も癒えぬまま、七郎は庭木に組みつき技をしかける。
又右衛門の技の見様見真似だ。
左手で庭木に巻きつけた帯を握り、素早く身を沈めると共に回転――
右足を外に出して、庭木の根付近に添える。
左手一本での体落だ。
学んだ無刀取りの技術の中に、明日への光明が――
死中に活があるはずだ。
一寸の虫にも五分の魂という。
この五分とは五分五分の事だ。
七郎の魂は、忠長と五分と五分だ。




