12 夢と野望
翌日、七郎は川に小舟を出した。
彼は漁師らから川太郎退治を依頼されている。
駿河湾へと続く大河に潜む巨大魚。
まさか駿河に来て奇妙な死闘に臨む事になろうとは。
「旦那あ、どうすんですか」
「まずは餌でおびきよせよう」
七郎は小舟の上から水面に餌をまく。川で釣った小魚を細かく刻んだものだ。
「来ますかね……」
漁師は小さな声でつぶやいた。彼も命がけだ。川太郎に殺された友人の仇を取るために、七郎に協力していた。
「来てもらわねばな」
七郎は右手を伸ばす。小舟には銛を積んでいた。
水中で刀は、ましてや無刀取りは無力だ。そのために銛を用意した。
鋭い切っ先は人間の胴体を簡単に貫くだろう。
「旦那、腹が減っては戦はできませんぜ」
漁師は包を開いた。中には握り飯が入っていた。
「いただこう」
そう言って七郎が漁師に振り返った時だ。
彼の背後の水面に、魚影が浮かんだのは。
それは頭部だけで一尺を越える巨大魚、川太郎が現れた瞬間であった。
「だ、旦那あ!」
漁師の絶叫が虚空に響き、次いで豪快な水音と共に七郎は小舟から姿を消していた。
川の水面に大きな波紋が生じて広がっていく。
漁師は悪い夢を見ている気分だ。まさか七郎が川太郎によって水中に引きずりこまれるとは!
朝から助九郎の屋敷を訪れたのは忠長からの使いである。
「'詮索無用」
そう言い残して使いは去った。
忠長は知っているのだ。助九郎は駿河の剣術指南役であると同時に、幕府の放った密偵である事を。
これは脅しだ。忠長と真田の遺臣の接触を邪魔するな、という事だ。
「いかがされますか」
幾分、血の気の引いた顔で玄蕃は言った。
若き江戸城御庭番として、剣と忍びの技を磨いた玄蕃。
彼はこの度、七郎の護衛として駿河に赴き、その後は助九郎の命によって密偵働きをしてきた。
が、力や技に長けても、どうにもならぬ事を知った。
駿河は得体の知れぬ世界になりつつある。
大納言忠長による猿狩りのお触れが出され、多くの浪人が駿河にやってきていた。
中には気晴らしに人を殺すような凶賊もいるのだ。江戸も治安が悪くなってきたが、駿河はそれ以上だ。
忠長と接触を図る大名もいる。真田の遺臣は伊達政宗公の名代らしい。
「これまで……とは言えんなあ」
言った助九郎は厳しい顔をしていた。強い決意の現れだ。
「敵が大きければ大きいほど勝負というのは面白いではないか」
助九郎はニヤリとした。
格上の対手に得意技一つで挑む……
七郎の心意気が助九郎にも伝染したようだ。
かつては助九郎も七郎と同じだった。
永遠の挑戦者だったのだ。
「ははっ」
玄蕃も怯んではいなかった。侍になる野望が胸の奥で燃えている。
おたまを妻に迎える、それも玄蕃の野望だ。