鋼鉄製レール
1850年 イギリス ロンドン
鉄道狂時代が終わりを告げ、今や狂乱の中に造られた無数の鉄道網はとある1人の男の手の中に集まりつつあった。そしてその男は今、己の進退をかけた危機の最中にあった。
「しかし、鉄道事業において意外と金を喰うのがレールとその交換費用だ。」
ロンドンのロンドンのナイツブリッジにあるアルバート・ゲートに居を構えるジョージ・ハドソンは頭を悩ませていた。
鋳鉄製レールでは、列車の往来の激しい区間では3ヶ月で交換を行わなければならずその費用は馬鹿にならない。しかもその間は、通常通りの運行はできず収益も落ち込む。
世間では彼のことを鉄道王とはやし立て遂には保守党より出馬し、1845年8月14日にサンダーランドより国会議員に選出された。
しかし、彼の会社の実態は詐欺によって成り立っていると言っても過言ではない状態だ。
ことの始まりは、1848年、「時代のバブル」あるいは「鉄道投資、鉄道会計、そして鉄道配当の誤り」と題されたパンフレットが世間にばら撒かれた。その内容は、ハドソンの会社が支払った配当金は収益ではなく資本から支払われていると主張するものであった。
そしてこの疑惑は、彼の敵達にとって格好の攻撃材料となった。1849年2月、ハドソンはミッドランド鉄道の株主でありリバプールの船主でもあるJ・H・ブランクナーから、グレート・ノーザン鉄道との争いを理由に攻撃を受けた。
加えて、ハドソンがグレート・ノーザン鉄道とバートン・サーモン航路の使用を認める契約を結んだことにより、事態はより一層悪化した。多くの人々は、この契約によって事実上ハドソンは裏切られたと感じた。
そこでハドソンは、いくつかの会社を存続させるために高金利で借金を行った。そのせいで1849年には40万ポンドの支払いを余儀なくされる事態に陥った。追い討ちを掛けるようにこれらの会社の多くは、収益の減少、経済不況、そして将来の株主配当の見込みの薄さという困難な状況に陥っていた。
彼は敵と戦う資金・借金の返済・青天井の生活資金を稼ぐために利益の最大化を求めていた。しかし、鉄道王から稀代の詐欺師へと転落しつつある彼に手を差し伸べるものは現れない。頼りになる同盟者達もその多くが選挙で敗れた。議員でない政治家は何の役にも立たないのだ。
「ハドソン様、ご来客が。」
「どうせ、粗探しに来たブン屋だろう。忙しいと言って追い返せ!」
来客を知らせに来た老執事を怒鳴りあげる。主人の怒声を浴びながら彼は震える手で盆に載せた一通の手紙を差し出す。
「ご主人様、それがその客人がデンマーク王の紹介状を携えて来ておりますので、ご主人様の判断を仰ぎたく。」
デンマーク王、大英帝国から見れば中小国家出会っても、平民からの成り上がりの資本家から見れば雲の上の存在である。
「デ、デンマーク王の紹介状だと?」
恐る恐る手紙を受け取ると、ジョージ・ハドソンに向けてこの手紙を携えている人物の身元を保証すると共にその人物の話を聴いて欲しい旨が書かれていた。
「客人には、粗相の内容にしてあるだろうな。」
「はい、今屋敷にある最高級の茶葉で作った紅茶と菓子で出迎えております。」
「分かった。私も直ぐに身支度を整えて会いに行く。客人には、その旨を伝えておいてくれ。」
執事を応接間に向かわせると、ハドソンは急いで身支度を整え始めた。疑惑が発覚して以来彼の元を訪れるのは特ダネを求める記者と金を借りた銀行員だけだった。故に非常にラフな格好をしていたのだ。
そして、彼の山師としての才能が告げている。これは起死回生のチャンスが巡って来たのだと。
「お待たせしました。」
そう言って、応接間に入っていくとそこには初老の紳士が椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいた。
「ジョージ・ハドソン殿、今日は忙しい中時間を割いていただき感謝します。」
「デンマーク王陛下からの紹介状をおもちとあれば私の方から出向く所を、わざわざこちらにまで御足労おかけしました。」
「申し遅れましたな。私アグナー・カールセンともうす者どうかお見知りおきを。」
そう言って一枚の名刺を手渡してきた。その中には、フレデリック製鉄、アグナー・カールセンと書かれていた。
「今回、ジョージ・ハドソン殿には鉄道のレールのことに関して商談に来ました。」
「と言いますと。」
「単刀直入に言いましょう。従来の鋳鉄製レールから鋼鉄製レールに切り替えませんか。」
「カールセン殿、ご冗談を。鋼鉄製レールの価格をご存知ですか。そういえば確かデンマークにはまだ鉄道はございませんでしたな。これでは知らぬのも無理はないですな。」
当たり前である。どの鉄道会社も鋼鉄製レールに変えられるのならとっくに変えている。鋼鉄は1トンあたり40ポンドもする高級品。消耗品であるレールに使う等到底できないのだ。
「確かに鋼鉄は高級品です。しかしこの価格を見てもそのような事が言えますかな。」
そう言って複数の紙を差し出して来た。ハドソンはそこに書かれた鋼鉄製レールの価格に目を向いた。その価格は、従来の鋳鉄製レールの約2割増であった。本来なら6倍はあっても可笑しくない鋼鉄製レールが僅か2割増で買える。
「誠に失礼ですが詐欺などでは。」
「この様な馬鹿げた詐欺をする様な人間がいますかね。」
デンマーク王の紹介を持ってしてもこの価格は幾らなんでも信じる事は出来ない。しかし、これがもし本当であったら。頻繁なレールの交換がなくなり交換費用と列車のダイヤの乱れが大幅に少なくなる。
本能が叫ぶ。千載一遇の機会であると、神の助けであるとさけぶ。しかしそれを理性が拒絶する。貴族でもない、一般人に一国の王が紹介状を出すか。この様な価格で本当に利益が出るのか。考えれば考えるほど怪しく考えてきた。
残された時間は少ない。一か八かの大勝負に出るか。それとも守りを固めるのか。稀代の山師は、
「カールセン殿残念ながらこの話は上手く出来すぎているように感じる。私はこの状況で博打を打つことは出来ない。」
「それは残念だ。ではまたの機会に。」
ハドソンは、守りを選んだ。今ある地位や金を守らんと本能を理性で押さえつけた。カールセンは粘ること無くあっさりと引いた。その姿がまるで自分の理性が正しかった事を物語っているように感じる。
後日、ハドソンは自身が裏切ったミッドランド鉄道がカールセンより鋼鉄製レールを仕入れ保守費用を大幅に押さえたことを新聞で知った。大慌てで連絡を取るも足元を見られ、交渉はまとまらず元鉄道王は、イギリスを追われる運命を辿るのであった。
詐欺はダメ絶対。
1847年6月26日にデンマーク最初の鉄道路線としてコペンハーゲン - ロスキレ間が開通したのが始まりなのでデンマークにはしっかりと鉄道があります。
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