金稼ぎ
考えれば考えるほどオーストリア・プロイセン連合軍に勝てる気がしない。
1850年 2月
10歳になり、デンマーク語にもすっかりとなれ家庭教師より様々な学問を教えられている。しかし、前世ではしょぼい大学ではあるが、理系として機械分野を専攻した私には簡単すぎる。大学の講義とは行かないまでも高校生レベルの勉強を今はやっている。そこで父にせがんで化学の専門書を取り寄せて貰った。人格に若干の問題のある父上でも今や国王である簡単に取り寄せてくれた。
これで、好き勝手できる口実を得ることが出来た。早速、化学の専門書を持って紙にとある化学式を書き始める。2NaCl+CaCO3→CaCl2+Na2CO3。この反応は直接的には起こらないが、これを幾つかの段階を経て実現した方法がソルベー法である。
本来ソルベー法は、1861年にベルギーの化学者エルネスト・ソルベーが考案するのだが、是非とも金稼ぎの為にその栄光を奪わせてもらおう。早速父より貰っている小遣いを使って特許を申請する。
続けて第2弾、こちらが今回の目玉であるベッセマー法だ。この製鉄法の影響はものすごく大きい。ベッセマー法以前の鋼は非常に高価であり、建材にはつかえずもっぱら錬鉄が使われていた。しかし、ベッセマー法は鋼の値段を錬鉄と同程度にまで押し下げたのである。しかし、これだけだと片手落ちである。
このままのベッセマー法では、高い品質の鋼を安定して作り出すことができない。そこでロバート・フォレスター・マシェットが考案した方法も一緒に特許に出すのだ。とは言っても簡単な方法だ。溶けた鉄中の不純物と炭素一気に燃焼させ、マンガンと鉄の合金であるスピーゲルを正確に投入することで、マンガンと炭素を加えるのだ。こうすることで品質が向上し可鍛性、高温での加工が用意となるのだ。
この2つの特許を申請すると同時に、私は国内で数少ない製鉄工場のうちの一つであり私が買収した工場に改装を命じる。予め作製させていたベッセマー転炉を設置させ、試運転を開始させたのだ。
理論が幾ら正しくても、物事はなかなか理論道理には行かないもの。良質な鋼を安定して生産できるノウハウを生み出すのだ。
何故ここまで、製鉄に関して力を入れているかと言うと、3年後にはクリミア戦争が始まるのだ。戦争が始まれば鉄は高く売れる。特に鋼は大量に売れることになるだろう。そこで、安価に作った鋼で大漁の利鞘を稼ぐのだ。
ちなみにここまで資金源は、コツコツ貯めた小遣いと転生時に渡された金70kg相当のポンドである。大体1万4千ポンド今の日本円にして大体2億円程である。しかし、国家の軍備を整えるためには全然足りない。
そして今のデンマークの基幹産業である農業では、工業に比べて儲けが少ない。工業化の遅れは第二次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争において、旧式のライフルマスケット、前装式の青銅砲という圧倒的な技術格差を生み出したのだ。また、予算の不足により軍の編制・訓練もままならない状態だったのだ。
このような事態を防ぐためには、先進的な技術を持って、工業化の為の原資を稼ぎ、強くならなければならない。ここから第二次世界大戦後になるまでの間の時代は弱肉強食の世界。強くあらねばならないのだ。
鋼最高。




