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ロンドン議定書

 この5月8日によって締結されたロンドン議定書によって、第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争は終結した。スウェーデンと当時の列強である神聖同盟によって締結された。


 内容は、戦争終結に向けての外交による妥協であり、終戦条約ではなかった。戦争終結に向けて、スウェーデン王オスカル1世が列強と交渉し、妥結を目指したものである。


 この議定内容は、デンマークが1849年に布告した6月憲法をシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国に布告しないというものであり、係争国プロイセン王国にとっては、妥協とも言える内容であった。


 6月憲法とは、デンマークによる絶対王政を改め、議会政治を開始させるという内容である。これをシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国に布告し、公国の分離を防ぐのが狙いであった。


 しかし議定書では、6月憲法の両公国内への適用を認めていなかった。これは戦争終結に主点をおいたもので、デンマークの目論みが破綻したことを意味していた。


 同時にこの交渉には、デンマーク王位継承者問題も含まれていた。デンマーク王フレデリク7世の後をこの私である、フレデリックが継ぐことが定められました。


 そして、親ドイツ派で戦争の首謀者であったアウグステンブルク家(オルデンブルク家の別の支流)の当主クリスチャン・アウグスト2世は王位継承権を放棄させられた。これはデンマーク側にとっては一つの勝利であったと言えるだろう。しかし一方で、議定書の大半はデンマークにとって納得出来るものではなかった。実情は現状維持であり、終戦を意味していなかった。



 スウェーデン王オスカル1世はこの戦争終結によって名声を得たものの、議定書の内容に納得していなかった。



 デンマークとスウェーデンはこの戦争の仲介により急速に結びつきを深め、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国のさらなる安定を追求していくこととなった。



 この後に、プロセイン王国は軍隊の近代化を推し進め、ヴィルヘルム一世がモルトケ・ローン・ビスマルクの優秀な人材を率いてデンマーク王国に戦いを仕掛けてくるのだ。



 残念ながら我が国にビスマルクのような卓越した外交官は存在しないし、いくら未来の知識を持っている私でも彼には太刀打ち出来ない。よって軍事力を強化することによって戦いを躊躇させなければならない。



 更には各国との連携を深め、ビスマルクの仕掛ける外交戦に耐えなければならない。北欧の兄弟達と今までの遺恨を解決し、連携しなければならない。戦争になった時には、人口の少ない我が国にとって義勇軍は必要な存在だ。



 ロンドン議定書によって父上から私への王位継承権が確認されたが、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国の継承権は曖昧になっている。恐らく私が王位継承をした時に難癖を付けて戦争を仕掛けて来るだろう。恐ろしい。恐ろしい。

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