第1次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン 2
やっぱりこれから後の時代のプロイセン軍はやばいわ。
8ヶ月という短いが貴重な休戦期間を両国は得たが、その代わりに軍事行動は制限されることとなった。
しかし、シュレースヴィヒ=ホルシュタインの自治獲得運動は継続されていたため、これを看過できなくなったデンマークは休戦期間を2か月残したまま独断で軍事行動を起こしたのだ。
1849年4月5日にはデンマーク海軍がシュレースヴィヒ公国のエッカーンフェルデ湾を襲撃し、艦隊4隻で艦砲射撃を行ったが、守備隊のドイツ連邦軍砲兵と湾内で撃ち合いとなり、デンマーク艦隊の2隻が降伏し、ドイツ側指揮官のザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト2世が名を挙げることとなった。
ここでエッカーンフェルデの戦いについて詳しく説明すると、急速にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の支配下に入ったエッカーンフェルデ市に対して1849年4月5日、戦列艦「クリスチャン8世」、帆走フリゲート艦「ゲフィオン(Gefion)」、小型汽走艦「ガイザー」及び「ヘクラ(Hekla)」から構成される艦隊がエッカーンフェルデ湾に進出した。
これは、エッカーンフェルデがデンマーク王国軍の上陸作戦の目標となったことを表している。
これに対し、当初、ドイツ連邦軍の指揮下でヴェルナー・フォン・ジーメンスにより沿岸に配置された、16門の大砲を装備する二個の砲兵隊は、いずれも投錨した艦隊を射程に収めることができなかった。
4月5日、デンマーク王国艦隊は風向きが悪かったにもかかわらず、町を攻撃した。その際、「クリスチャン8世」と「ゲフィオン」はドイツ連邦の砲兵隊から反撃を受けた。これは、湾内での、艦隊の操艦は困難だったからである。
一方、ルートヴィヒ・テオドーア・プロイサー 指揮下の砲兵隊は「ゲフィオン」の錨索を撃ち抜くことに成功する。これによって両艦は、ドイツ連邦の砲兵隊の近くに流されることになった。
両艦は操舵不能になるまで射撃を受け、降伏に追い込まれた。降伏後、「クリスチャン8世」は爆発するも、その原因は完全には解明されなかった。
なお、この時点で乗員の大部分は、陸に逃れて救助されていた。拿捕された「ゲフィオン」は修理の後、「エッカーンフェルデ」と改名されてドイツ連邦海軍に編入された。
これにより、ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト2世の名は、ドイツ連邦の部隊の指揮官としてドイツの大衆に他の誰よりも知れ渡った。
同時に、エドゥアルト・ユリウス・ユンクマンとルートヴィヒ・テオドーア・プロイサーも軍功によって有名になった。
この勝利は、ザクセン=コーブルク=ゴータ公を「エッカーンフェルデの勝者」として国民的英雄へと押し上げたのである。
それに対し、デンマーク王国軍の指揮官、フレドリク・アウグスト・パルーダンは、母国の軍法会議で有罪となったが、国王フレデリク7世の温情によって「三ヶ月間の軽度な城塞禁錮」に減刑された。しかしそれ以後、指揮権を与えられることはなかった。
この戦いはセンセーショナルな事件とされたものの、軍事的に大きな意義を持つことは無かった。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン両公国の、デンマーク王国全体に対する反乱は二年目に入っていたが、そちらに及ぼした士気への影響の方が重大であった。
休戦が破られたことでドイツ連邦軍は怒り、ザクセン軍とバイエルン軍はシュレースヴィヒへ侵入し、デュッペル堡塁を攻撃して陥落させた。
時を、同じくしてエードゥアルト・フォン・ボーニン将軍のプロイセン軍も前進してデンマーク領コリングでデンマーク軍と戦って撃破した。
シュレースヴィヒ=ホルシュタインの軍も追撃を行ったがフレゼリシアで敗北した。戦局がドイツ有利に進んでいたこの局面でもイギリス・フランス・ロシア諸国の外交干渉があった。
イギリスの調停案はシュレースヴィヒをデンマーク、ホルシュタインを分離独立させるものであり、プロイセンは賛成し休戦を望んだが、デンマークおよびオーストリアは反対した。結局、休戦のみ成立したためプロイセン軍は撤収する事となった。
プロイセン軍が撤退した後も、シュレースヴィヒの軍は戦備を保持していたため、1850年7月にデンマーク軍と交戦した。しかし、イドステッドの戦いで撃破され、シュレースヴィヒは再びデンマークの勢力下に置かれた。
ここにも諸国の干渉があり、イギリス・フランス・ロシアの調停案によるデンマークの領土保全にオーストリアは賛成、プロイセンは反対した。
当時のドイツ統一問題ではオーストリア派が優勢であり、オルミュッツ協定などと同じように今回もプロイセンは妥協を強いられた。
終戦交渉は続き、1852年5月8日にロンドンで最終的にロンドン議定書として妥協が成立した。戦争終結は、デンマーク王フレデリク7世を英雄に仕立て上げ、スウェーデン王オスカル1世に名声を与えたが、事実は勝者無き休戦であった。
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