私生活
この時代のヨーロッパはまだまだ身分社会だから大変。
1852年
デンマークの王子であり、王位継承一位の俺の生活は中々寂しいものである。母親は、俺が産まれてすぐに実家のあるドイツに帰ってしまうし、国王である親父は、1850年にルイーセ・ラスムセンと貴賤結婚をかました。彼女は庶民向け婦人用帽子屋を営んでいたが、元バレリーナであった。それに加えて王とは旧知の間柄であり、長年の愛人であったのだ。一応この人も悪い人ではないのだ。親父は、この愛人に夢中である。
やはり、貴賤結婚ということで王太后であるカロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボーからも公式の場で会うことは叶わなかったようだ。社交界での集まりでも従来の慣習であった乾杯の挨拶を、貴族達は誰もルイーセ・ラスムセンに挨拶をしなかった。いくら待っても誰も挨拶に来ないので親父は激怒し、突然立ち上がり「誰も我が妻に乾杯の挨拶を捧げない!それなら私が捧げよう!」と言った所でやっと貴族達が乾杯を行ったようだ。
このような事例が象徴する様に、親父は社交界に何とかルイーセ・ラスムセンを認めさせようと奮闘しており、俺の存在をすっかり忘れてしまっている。
今現在は、王太后であるカロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボーの計らいにより、クリスチャン9世一家にお世話になっている。親父が俺を預けると同時に委託料で中々の大金を払っているらしい。財政事情が厳しいクリスチャン9世一家にとっては渡りに船だったようで、受け入れて貰うことができた。
そのような経緯があっても、クリスチャン9世一家は分け隔てなく接してくれたし、クリスチャン9世の息子や娘と仲良くなることも出来た。勉強に関しては、王室お抱えの教師団がやってきて、フレゼリックやアレクサンドラ・ヴィルヘルムラと共に学んだ。
極最近のことではあるが、母であるカロリーネ・シャルロッテ・マリアンネ・ツー・メクレンブルクに対してドイツ語で手紙を書くことに成功した。母には前から手紙を書きたいと思っていたのだが、中々親父が許してくれなかったのを、クリスチャン9世が説き伏せてくれたのだ。
かなり拙いドイツ語だったのだが、母は子供からの手紙にかなり喜んでいるようだった。手紙の内容としては、ノイシュトレーリッツでの静かな宮廷生活やデンマークに残していった私への心配などがが書かれていた。親父の話題が一切出ないところを見ると相当に嫌っているのだろう。結びとして、大きくなったらノイシュトレーリッツの宮殿に会いに来て欲しいと結ばれていた。
手紙と一緒に母の肖像画、ドイツ語の辞書が入っていた。これを見て母の姿を思い出し、ドイツ語の勉強に力を入れて欲しいとのことだ。早速この辞書を使って母に返信を書こう。
クリスチャン9世一家との触れ合いが終わると王太后と共に社交界等に出るための練習等が始まる。中小国ということで触れ合う貴族が少ないのが良いところだ。しかし、外国の公使等と会わないといけないなで将来の事を思うとしっかりと勉強しなければならない。
元一般人からしてみると王侯貴族の生活は大変な事ばかりである。娯楽も医療も現代程発達しておらず、戦争がかなりの頻度で起こるこの世界を生き抜くのはとても大変である。
考えれば考える程オーストリアとプロイセンを相手に勝ち筋を見いだせない。




