プロローグ
マイナーのさらにマイナーな分野を突いていく。
忌まわしい上官の怒鳴り声で意識が、現実に戻される。右手に持つドライゼ銃の重みを感じながら上官の話に耳を傾ける。
「兵士諸君、我々はもうすぐ砲兵の援護の元、デュッペル堡塁への突撃を行う!各々準備を怠るな!」
正気では無い。軍上層部は第1次総攻撃の散々たる結果を覚えているのか。鉄条網によって足を止められ、永久陣地に据えられた機関銃に俺達歩兵がなぎ倒された事を忘れたのか?援護する砲兵は数発打った後敵の砲兵に圧倒されて続け、援護する間もなく壊滅したことを覚えているのか?
戦争当初、上官は相手のデンマーク軍はライフルマスケット、青銅製の滑腔砲を使っている旧式の軍隊だと言っていた。しかし現実は全く違っていた。我々のドライゼ銃、クルップ砲の何倍もの威力、射程の武器、兵器を持って我が軍を圧倒しているではないか。
そのせいで、この間まで新兵だった自分がいつの間にか昇進して小隊長にまでなってしまった。これも、無謀な突撃のせいで前任者がことごとく戦死してしまったからだ。今や我が軍には生え抜きの精鋭、古参兵は殆どいない。いるのは数ヶ月の訓練を受けた新兵だけだ。
恐怖渦巻く戦場に放り出された我々に追い討ちをかけるのは塹壕内での生活だ。足元は排水が追いつかないせいで水浸し、冷たい風に晒されている。俺の知り合いは凍傷に罹って足を失った。塹壕の外も内も地獄だ。いや内側の方が生き残る確率が高いだけマシだろう。
考えにふけっていると砲撃音によって現実に引き戻される。我が軍最新の野砲であるクルップ砲が敵堡塁への射撃をおこなっている。しかし、その砲撃も相手からの反撃によりすぐにまばらになる。今日は何門の砲が破壊されたのだろうか。
小隊員へ突撃準備の為に銃への弾薬の装填、銃剣の装着を行わせる。さらに鉄条網を越えるための毛布も用意させる。準備が整った事を確認していると一定間隔に配置された将校がホイッスルを吹き始めた。
ホイッスルを聞いた連隊長がサーベルを振り上げ塹壕を登り前進を始める。それに続くように兵士達が塹壕を登り、銃を構えつつ前進を始める。さらに後ろから、兵士たちの歩調を合わせるために軍楽隊がドラムを叩き始める。
さながら、前時代的な戦列歩兵のように隊列を組み、行進曲に合わせて一定の速度て歩き続ける。隣の人間が死のうが、砲弾で吹き飛ばされようが、ひたすら前に進み続ける。これも散兵戦術を行えるだけの兵士、下士官が損耗してしまったからだ。
堡塁へ向け前進していると、我々に向けた砲撃が始まった。どうやら我が軍の砲兵は壊滅してしまったようだ。敵の砲弾は空中で爆発し、花の様な形の煙出し、周囲に散弾を撒き散らす。そして兵士を薙ぎ払う。忌々しい榴散弾だ。
あちこちで負傷者の呻き声が響き渡る。あるものは手を吹き飛ばされ、あるものは腹を裂かれ苦しんでいる。彼らの悲鳴が軍の士気を奪っていく。
この戦場で、即死できたものは幸せだ。一番辛いのは手足を吹き飛ばされ簡単に死ぬことも出来ず、苦しみもがきながら死んで行く戦友達を腐るほど見てきた。
前進、前進。砲弾の雨をくぐり抜けると、次は忌々しい鉄条網が姿を現す。砲弾で吹き飛ばす事が出来ないので、カッターで切ったり、毛布を上から掛ける事で乗り越える。そこで足が止まる瞬間、敵陣地から機関銃の掃射が始まる。そこへ、駄目押しとばかりに統制された小銃の一斉射撃を受ける。
霧の如く銃弾が飛んでくる。他の部隊では早く鉄条網を超えるために毛布だけでなく戦友の死体を鉄条網の上に乗せてその上を越えていく。
俺達を堡塁へ取り付かせまいと、射撃はますます激しくなる。先頭に立っていた連隊長は、鉄条網に足を取られた時に掃射を受けて戦死している。我が連隊の旗は3回も旗手が変わっている。更に俺の小隊も半分が戦死した。
「退却!退却命令が出たぞ!秩序を保ち退却せよ!」
苦心して、小隊全員が鉄条網を越え終わった時、撤退を知らせる命令が渡ってきた。あと少しで取付けそうだったのだが、我が軍の右翼、中央が損害に耐えきれなくなり、勝手に撤退を始めたらしく、左翼側の我々も取り残されないように撤退するらしい。
それにしても無茶な命令だ。銃弾を恐れなかった古参の精鋭は皆土の下にいる。ここにいるのは、銃弾から逃げ惑い地面に這いつくばり何とか生き残った臆病者達だ。退却時に規律を秩序を維持して退却出来るわけがない。
現に後方の部隊の兵は我らの撤退を援護するどころか列を乱し、我先にと言わんばかりに塹壕に向かって走り出す。
敵は我々の撤退する様を見たのか銃撃が激しくなる。それによって、我が小隊の規律もついに崩壊した。弾丸のシャワーが兵士達を舐め取っていく。早く鉄条網を渡るためにあるものは戦友を蹴落とすなど醜い行為が繰り広げられる。秩序を取り戻すために上官叫んでも誰も聞かない。
第1次総攻撃時の撤退の焼き増しの如く、兵士達は我先にと塹壕へ走る。私も遅れまいと兵士達を追いかける。逃げる兵士たちの背中に機関銃掃射が浴びせられる。そして、ある程度堡塁から離れると再び砲撃が始まる。敵の榴散弾で兵士達が見るに堪えない姿になっていく。
塹壕まであと100m程まで近づいた時私の左腿を敵の銃弾が骨を砕いていった。私はうつ伏せに倒れる。死んでなるものかと感覚のない足を引きずりながら這いつくばって進む。顔の近くを銃弾や砲弾の破片がかすめていく。
抗えない何かが私の顔を敵堡塁へ向けるさせる。そこで私が見たのは死からの迎えの花であった。私の意識は大地に眠る戦友達の元へ送られた。
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