准看護師養成所の減少がなぜ地域医療の危機になるのか?
医者になった同級生は、親の医院を継がなかった。故郷のマチは人も店も何もかも半分以下になってしまったから、誰も責めることはできない。
地元新聞に「准看護師養成校が急減」「地域医療の担い手減 懸念」という記事が載った(北海道新聞2023年12月29日)。
准看護師養成校の募集停止が相継ぎ、北海道内で残り3校になった、というものだ。
記事の要旨は、
①准看護師養成校が減ると地域の医療機関へ就業する看護師・准看護師が減る。
②社会人になってから看護師・准看護師を目指す人の受け皿が減る。
というものだ。
昔、看護の仕事は女性の仕事とされていた。
近年では無いと思うが昭和の時代は、高校を卒業する時に進学希望の人に対し、女性には看護学校進学を第一に勧める、という進路指導がされていた時期があった(もしかしたら私の周りだけかもしれないが)。そういう指導をする先生は、理系の男性には診療放射線技師や臨床検査技師の学校を滑り止めに勧めてきた(つーか、された)。それぞれ高校卒業を入学要件とする3年制の養成校である。なおこの時代、精神科病棟以外に勤務する男性の看護師は極めて少なかった(看護は女性の仕事だった)。
で、看護学校進学を選択すると、「(正)看護婦」の養成校を受験し、滑り止めで「准看護婦」の養成校を受験する、という指導がよくされていた。その際に、「准看護婦の学校なら病院で働きながら学べるから学費が要らない」という甘言がセットになっていた。
また一旦社会に出た女性が手に職をつけようとした時に、看護の仕事は世間体もよく、(准看護師になる場合は)看護学生・看護補助者として医療機関に雇用され且つ准看護師養成所進学・通学の便宜を得ることができ、セーフティーネットの一つとして貴重であった。
准看護師、以前は准看護婦(士)、という資格制度をどのくらいの人が理解しているのだろうか。
看護師、以前は看護婦(士)という制度は、高校卒業を入学要件とした3年以上の養成校・短期大学または大学を卒業し国家試験に合格して得られる国家資格である。一方の准看護師は、中学校卒業を入学要件とした2年以上の養成所を卒業し都道府県知事試験に合格して得られる知事免許である。
准看護師という制度は歴史的には、高校進学者が少なかった時代に看護師不足を充足するために中学校卒業者を2年間で促成栽培するために作られた制度である。一部に高校の衛生看護科(3年制)があったが大部分は2年制であり、卒業後に進学コースといわれる昼間部2年制または夜間部3年制の養成校を卒業して看護師国家試験に合格することで看護師免許を得ることができた。しかしその後、高校進学がほぼ100%となり、准看護師の養成所への進学者もほぼ高卒者、現在では定員割れが珍しくない状況になっている。准看護師養成所は看護師を養成する3年制の養成校(専門学校)に転換されたり、3年制の短期大学(21校)、さらには4年制の大学(301校、うち北海道内13校)が相次いでできたこともあり、現在では182校(募集停止を含む)となった。また高校の衛生看護科は2年間の専攻科を併せて5年間履修し、准看護師を経ないで(正)看護師国家試験を受験する課程が主流となっている(准看護師免許を取得できるのは10校?)。
うろ覚えであるが、2000年頃の看護師70万人、准看護師40万人が、2020年には看護師132万人、准看護師30万人となっている。この数字は准看護師から看護師に資格転換した人を含む。
看護師と准看護師の仕事に違いがあるのだろうか。
業法である「保健師助産師看護師法」(昭和二十三年法律第二〇三号)では、
第五条;この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。
第六条;この法律において「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師又は看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者をいう。
とあり、看護業務を行うことに関しては違いがない。但し、看護師は「医師、歯科医師の指示を受けて」であるが准看護師は「医師、歯科医師、または看護師の指示を受けて」とあり、看護師と准看護師の間には指揮監督関係が存在する。そのため診療報酬および患者から見れば両者は同一であるが、制度面では違いがあるため初任給で3万円程度の差がつけられ、また准看護師は師長(婦長)や副師長(主任)などの管理監督職に昇任昇格する事はない。「ほぼ同一の仕事なのに給料には差がつけられる」という事態が発生する。
上記の給料・待遇の差が、医師会を構成する開業医にとっては手放せないものだったのだろうか。准看護師養成校の入学に開業医に雇用されていることが条件だったり、在学中及びその後数年間の就業が条件だったり、更には在学中に開業医宅に住み込んだ学生を体のいいお手伝いさんとして使う、という話まであったのが、1990年頃の話であった。この時期より看護師の職能団体である日本看護協会が准看護師制度の廃止運動を行い、関連政治団体の看護連盟が自由民主党所属の国会議員を擁立したりしたが、医師会・医師連盟に負けて制度廃止はならなかった。のちに神奈川県知事になったフジテレビキャスターの黒岩祐治が、これら准看問題に精力的に取り組んでいたのもこの時期である。
またこの時期、公立の准看護師養成所が(正)看護師養成校に転換されるケースが相次いだが、当該地域の医師会が改めて准看護師養成所を設立する例もあった(のちに閉校が相次いでいる)。
准看護師養成所はどうして募集停止・閉校が相次いだのか。
簡単にいえば、①少子化、②高学歴化、③開業医の減少・体力低下、が挙げられる。
①少子化はどの業界でも大きく影響している。子どもが減る、一方では看護師・准看護師の養成数は増えているため、看護師養成校(専門学校・短期大学・大学)へ入りやすくなった。看護の仕事・世界を志す男性も増えているがまだ少数であり、准看護師養成所に入る人が相対的に減った。
②高学歴化も同様である。以前は専門学校・専修学校に限られていた養成校が1967年の大阪大学医療技術短期大学部設置(付属看護婦養成所からの転換)、1975年の千葉大学看護学部設置を経て3年制短期大学21校、4年生大学301校と大学教育への転換が進んだ(これは他の医療技術職種も同様である)。パイが大きくなり、少子化で高学歴化が容易になったため、相対的に准看護師養成所が軒並み定員割れすることとなった。そうすると、
③開業医自体が高年齢化、患者及び新規就業者の大病院指向、当然ながら地域の人口減も重なり、地方の開業医の経営は困難になる。結果として無床診療所化、また閉院となることで医師会としての体力も削がれ、定員割れした准看護師養成所を維持できない地域が多くなった。
となるとこれは、「准看護師養成校が急減」したから「地域医療の担い手減が懸念される」という話では無い。人口が減り(同時に少子化高学歴化)、医師会を構成する開業医が減った(=地域医療の担い手が減る)から准看護師養成所が維持出来なくなった。原因と結果、因果関係が逆である。
黒岩キャスターが准看問題に取り組んだ当時、「准看問題にメス!」という特集番組に看護協会と日本医師会からそれぞれ代表者を呼んで、ディベートしたことがあった。多分、1989年か90年。この時も両者の主張は平行線のままだった。ローコストで准看護師を雇用し続けたい医師会、准看護師制度を廃止することで看護師の待遇改善を図りたい看護協会、両者の主張は相容れず、「牛乳点滴事件」などの医療事故も露呈したが、准看護師制度は維持された。お礼奉公の解消、医師会の原資でなく公的な原資による奨学金制度の拡充はなされず、名称のみが「准看護婦(士)」から性差のない「准看護師」に改められただけであった。
変わらなかった(変えられなかった)制度を、少子化が押し流して行く。