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転生令嬢マユラと弱者男子の結託〜ねじ込まれた顔合わせで運命的な出会いがありました〜

作者: 嘉幸

私ってこういうタイプだから。


 そんな言葉を耳にした事があるだろうか。

 私はある。遥か彼方の自分が言っていたからだ。そんな事をふとマユラは思い出していた。


 しかしながら、昔言っていたからといって今言えるかというとそこには多少の問題がある。


 それは何か?

 周りの環境だ。


 階級で言えば、かなり裕福。

 時代の流れで言うとかなり幸運。

 伯爵家に生まれたマユラは、自分の状況をよくよく理解していた。

 理解していたが故に、幼少期からずっと疑問が続いていたのである。


 マユラは転生者だ。

 5歳という幼い頃に頭に稲妻が落ちたような衝撃が走った。

 何かきっかけがあったわけではない。

 突然それはやって来た。

 

 実際頭に落雷したわけではないが、パニックになるには十分な衝撃と情報量だった。5歳という小さな体には耐えられない情報量だった為に三日三晩熱にうなされて寝込む事になったわけだが。

 小さな体に前世日本という国で過ごしそれなりの年齢を謳歌した日本人、という人間が出来上がったわけだ。

 体は子供、脳内は大人というやつだ。

 このマユラという人間に突然別の人格が入り込んだわけでもなく、思い出した、が正解だった。



 そこから十年。



 ドレスにコルセット、過剰なほどの香水に化粧が美しさの基準という国に転生し、疲弊していた。


 初めはなんとか頑張った。

 マユラは頑張ったのだ。「人それぞれ」が通じない状況。自分自身が培ってきた価値観が1ミリも通用しない常識感。その中でも頑張った方だとマユラは思う。


 前世で貴族だ、なんだ、が身近に無い、平民皆平等の世界で生きてきた中でこべりついた横並び主義と、私は私で良いじゃないだって1人の人間なんだものという感覚を持っているのだから、生きにくい事この上ない。

 

 ゴッテリとした化粧に鼻を突き刺す香水。


 この香りや化粧は、やはりどうやってもマユラには合わなかった。特に、きつく締め上げてウエストを限界まで細く見せるコルセットとドレスは何を置いても合わなかった。

 ゆるいゴムパンツ、スウェット、Tシャツに短パン、簡単に着脱できる魅惑の服を知っているだけに、より一層合わなかった。


 マユラはもう一つどうにも合わないと思う事があった。男性の結婚基準だ。


 男は筋肉、寡黙で質素に。

 豪快な漢の中の漢がモテる。縁談もものすごく進む。男は男らしくが合言葉の様だ。


 これにどうにも違和感があった。

 強いとモテるはわかる。わかるのだが、職業も趣味も個性もそれぞれの環境で育った経験からそれだけが全てだと思えなかったのだ。性格は?相性は?ご趣味は?全てが強さと筋肉と繁栄力だ、はちょっと受け入れ難い。


 それが常識。それが価値観だとはわかっている。

 けれど……それでも、受け入れるには難しい問題だった。

 

 適齢期を迎えて、この条件を外れあぶれた人間はよっぽどのことがないと縁談なんてやってこない。


 しかし時は大縁談時代。

 結婚しないなんてありえないのよ時代だ。

 国は長い戦争が終わり、経済が回復して十数年。安定して平和。

 世の中は人を増やし、雇用を増やし、より一層の豊かさを求めていた。


 そんな時代の真っ只中。


 異世界転生を果たしたマユラはと言うと。


 結論から言おう。

 放棄した。

 

 詳しく言おう。

 周囲に合わせて婚活をしてこの世界におけるごくごく『一般的な大円団』を目指す事を『放棄』したのである。


 そして現在、周囲からは周りの常識や伝統に合わせられない頑固な女、そう『石女』だなんて不名誉な二つ名がつけられてしまっていた。




 そこはそれなりの貴族の屋敷にしては、実に簡素な作りの部屋だった。

 天蓋の付いたベッドに、裁縫道具が散らばった作業机。布の山。開きっぱなしの衣装箪笥いしょうだんす。使用人の部屋と言われればしっくりとくるその部屋は、何を隠そうこの屋敷のご令嬢の部屋である。その証拠に、部屋の至る所に飾られた硝子細工や彫刻に装飾品はどれもうっとりとするほどの出来だった。

 華美な装飾品の数々がこの部屋は使用人のものではないと言う事を物語っている。


 カーテンが開き切って太陽の光が部屋に存分に入って部屋を明るく照らしている中、ドンドンドンと大きな音を立てて扉が叩かれた。


 その容赦ない連打に、布の山がもぞりと動いた。のそりと顔を出したボサボサ髪の女性こそ部屋の主、マユラである。

 

「おい、入るぞ妹」

「どーぞ」


 マユラは何度か瞬きをすると、面倒くさそうに返事をした。仕方なく、という感じが伝わってくる物言いに歓迎していないのが誰にでもわかる。


「『よろしくてよお兄様』くらい言えんのか貴様」


 呆れたように入室して来た体格の良い糸目の男はマユラの兄であるタユタだった。栗色の髪を綺麗に後ろで束ね、今朝も早くから鍛錬でもしていたのか、浮き上がった胸もバキバキの二の腕もどちらも筋肉の調子は良さそうであった。この国において何よりな話である。


 タユタは眉を顰めながらも、床に散らばった布を器用に避けながら慎重に部屋に入って来た。


「しかしこの部屋、どうにかならんのか。年頃の令嬢がすることとは思えないぞ」

「あ、そう。じゃあこのお兄様に頼まれていた楽に着れちゃう部屋着セットは要らないってことで」

「あっ、ちょっ……嘘だ嘘! バッ……! それはずるいぞ」

「ずるいって……」


 なんだそれ、とマユラは思ったが、大事そうにマユラの作った部屋着を抱えるタユタに反論する気になれず、適当に床の布を片付けて部屋の端に追いやっていたティーテーブルセットを引っ張り出した。手のひらでテーブルの表面を払うと少しばかり埃が舞って、それを見たタユタが怪訝そうな視線をにマユラに送ったが無視をする事とした。


 部屋の主は誰だ。そう、マユラである。

 そして侵入者は言わずもがな、兄だ。


 部屋の窓を開けば、真っ新な気持ちのいい風がふわりと部屋に入り込んで来た為に、すぐに埃臭さはどこかへ行ってしまった。まぁしかし埃はまだ部屋に居るのだろうけれどと思うと、やはり掃除をしなければいけないなとマユラは今日の予定を頭の中で整理することにした。

 幸い、今日は午後一番に兄のタユタに部屋着を渡すというタスクのみだった為この後は部屋の掃除に集中できそうだ。

 作業机にある時計を見れば、時刻は8時を指していた。朝の8時だ。


「あれ、お兄様」

「なんだ」


 用意された椅子に窮屈そうに腰をかけたタユタが返事を返した。


「午後一番に渡す手筈でした。今は8時ですよ」

「そうだが」

「私ほとんど寝てない」

「そうか。不健康だな」

「おまえの服を作ってたんだろうが」

「お兄様に『おまえ』とは……嫁の貰い手も無いと言うものだ。お兄様は悲しい」



(くっこのヤロウ……)



 心底残念そうに肩を落とす兄に、怒りで肩が震えたが、そうだった。

 この兄は昔から自己中心的で皆がしている事が通常であると思うタイプの男だった事を思い出した。


 怒ったところで損をするだけだ。


 マユラは自分が転生者で本当に良かったと心から思った。


 転生者でなければこの世界の常識に染れて幸せだったのに、という見解もあるだろうが十二分な人生経験を得てからの再スタートは存外精神衛生上いい事の方が多い。


 そう……たとえばマユラがしっかりガッツリ婚活適齢期を超えてもなお、実家で親の脛齧りで生きていけているという現実。一般的には終わりの始まり。


 しかしながら、マユラには違った。これは完璧な転生者特典。ギフテッド。


 兄タユタが大事そうに抱えている部屋着なるものは現在巷では売っていない、完全マユラオリジナルの『家でダルダルダラダラ部屋着』これがまさにそうなのである。


 この世界、女が儲けるという事にものすごい拒否感があるようで、何でもかんでも男や旦那主導なのだ。ここで一つ、異世界に来たならいっちょ快進撃! と行きたいところではあった。あったのだが、とマユラは思う。


 そうは簡単に扉は開けられるものでもなく、常識を打ち壊すには、『タイミング』と『力』と『タイミング』が全てなのだと知った。

 そのタイミングは1000回に一回やってくるかどうか。

 そこにフィットさせる能力も積極性も力も実のところマユラには持ち合わせがなかったのだった。


(だからと言って、ずっとこのままズルズル脛齧り……? この世界の父にも母にも申し訳ないなぁ)



「時に妹よ、一つお兄様から土産みやげがある」

「え? 土産みやげ?」

「そうとも。縁談だ」


「……は?」


 タユタがスッと立ち上がり、指をパチンと弾いた。そうすればドアがパタンと大きく開き、数人の使用人がゾロゾロと入ってきた。その中には『使用人の服がしんどい』と言うので、こっそりと腹部のあたりを改良し、上下に分けてやった服を着ている者もいた。てへぺろでは無い。


 何やらウキウキしたような顔でニッコニコな使用人達に違和感を感じたが、マユラはそれを無視する事にした。


(——どうせ、早く出てけって事でしょう)


「まぁ、そうガッカリするな。お兄様はお前よりもこの世界をよく知っている。風変わりなのは我が妹だけでは無い事も無論承知している。なぁ、マユラ」


「……なに」


「俺も、やはり妹は可愛い。幸せになってほしいと思うのは罪か?」


「……押し付けは、苦手です」


「知っているとも。お兄様だぞ」


 そういうとタユタはふふ、と一等優しく微笑むとマユラの頭をさらりと撫でた。ぴょこんと跳ね上がった寝癖が一度地面を向いてまた上向きに跳ね上がる。

 それを愛おしそうになでつけるタユタの表情は確かに兄の顔をしていた。


「安心しろ。嫌なら断ればいい。だが時が満ちた瞬間というのは作らねば来ないものだ。その瞬間になる事を祈っている。良き戦をな」


「戦《いくさ》って」


 それだけ言い残すとタユタは颯爽と部屋を出ていった。入ってきた時とは違って、使用人達に綺麗に整えられたおかげで綺麗になった床を豪快に踏み締めていくものだから、カツカツと靴底が大きな音を立てる。


「その通り、お嬢様、これは戦ですわ」

「私達、使用人ともども、お嬢様のお幸せを願っていますわ」

「それは……結婚して早く出ていけってこと?」

「まさか!」


 マユラを取り囲むように使用人が集まって服を剥ぎとっていく。


 (またあのキツイコルセットに露出の激しいドレスを纏うのか)


 マユラはそう思い、ゲンナリしていると、使用人の1人が小さく首を振った。

 マユラが言いたいことなど知っていると言わんばかりに、その手に持っているものを差し出した。


「え、これ……」

「はい。こちらで間違いございませんわ」

「……なに? 破談が目的だ、とでも言うわけ?」


 マユラは、より一層キツく眉に力が入るのが分かった。使用人の手にあったものは、マユラ自身が使用人に頼まれて作ったドレスにとても良く似ていた。

 これは歳のいった使用人に頼まれて、彼女の娘用にマユラが作ったワンピースの形だった。


「申し訳ございませんお嬢様。このドレスを娘は痛く気に入っておりました。このドレスが流行にならないかと懇願すらしております」


「……だったら私が作るじゃない」


「そうですわね、その通りですわ。ですので」


 使用人がにっこりと微笑む。

 その表情は特段穏やかで、何かを確信したような、そんな表情だ。


「ですので、作って下さいませ」


 “流行を”


 その言葉に、思わずマユラは目を大きく見開いた。



「……〜〜あああぁぁ〜無理無理無理無理」

「おいおい何をまた」


 長きに渡る戦争が幕を下ろしたとはいえ、まだ十数年。時代の変貌を望むにはまだ早く、今でもいつでも戦闘に出られるように、残り香に拐かされる事がないようにと鍛錬は繰り返されている。実際にやはり国境ではトラブルや事件はささやかながらも怒っているのだ。


 そのために騎士として登録している男達は鍛錬場で体を鍛えている。


 汗が飛び、怒号と土埃が舞っている鍛錬場の中、その奥に配置されているベンチに腰を下ろす2人の男がいた。


 一方は肉付きがよく、はち切れんばかりの筋肉が胸や腕に付いており、汗がしっとりとその大きな身体を濡らしている。ところどころ小さくついた傷はもう古いものなのか、あざになり皮膚が色を変えている。褐色の肌が強く筋肉の高低を浮き上がらせ強調している。


 もう一方の男は、細い身体をしており線が細い。肩幅もさほどあるわけではなく、背もやはり、隣の男性よりも高いとはいえない。

 隆々とした筋肉を持つ者の隣に居るせいで妙に細く白く見えるものの、ほっそりとした腕にはしっかりとした筋肉は乗っている。腰に模擬刀を携えている為騎士であることは確かではあるが、その様子は可笑しいものがあった。


 絶望。

 それが相応しい表現だろう。

 項垂れた体は直角に折れ曲がり、だらりと重力に身を任せて沈んでしまっている。

 地面に強くくっ付いた足の裏は1ミリも動く様子はない。頭を抱える手の甲には血管が浮き出しており、それは如実に頭が、つまり頭を抱えた手が地面に近い事を表していた。


「いやだって聞いてくれよダイス……


無理だ……僕はできるだけ自分の美しい物を信じたいんだよ……!ごつい体も暑苦しいのもヒゲが生えてるのも嫌だ。あ、違うぞダイス。お前のことでは断じてないから。対象は自分だから」


「ああ、まぁ気にはしないさ」


「ありがとう、てか、男が化粧したっていいじゃないか……!」


「ははは、ロイは身綺麗にしているなぁとは思うな」


「僕は別に女の子みたいになりたいわけじゃなくて、いい匂いがする方が良いじゃないか。眉も少し整っていた方が良いじゃないか。自分で弄って何が悪いんだよ……!」


 ロイと呼ばれた男はまたしても顔を青くして項垂れた。それを見て慰めるように手を添えた傷の大男ダイスは、うーんと唸った。


「嫌がるお嬢様方に大勢当たってきた……いや、なんというか家の方が嫌がるんだ……僕みたいなのは全てにおいて弱者に見えるようなんだと。そうだよなぁ……常識からは外れてるもんなぁ……」


「ロイが腕っぷしがいいのはみんなわかっているさ。少し、変わりものだと思われているんだろうよ」


「変わり者はこのまま滅されるんだ……」


「そうしょげるな。お前も厚化粧が苦手だといっていたじゃないか」


「そ……だけど……」


「どちらも十分とらわれている。ここは一つ、変わりもの同士で顔合わせは如何かな?」



「ちょうど今日、会う都合つけたから。お前も優秀なんだ。あぶれるなんて考えられないよ」


「え?」


「さっ、準備しよう。お前のことちゃんと説明した。きっと馬が合うだろう。婚約とは言わないさ。身を固めた方が精神的に良いだろうとは思うが個人の自由だ。そろそろ、そんな時代じゃないだろう」


「へ?」


「お前は格好いいよ。騎士だろう? ならば戦場を駆ける一番槍のように未来を切り拓けば良いさ」


「ダイス……お前それ……ちょっと待てよ……死ぬかもしれない役じゃないかっ」


「ははは! 試さぬ者に未来はないさ」


「はがっ」


 青い顔をしたロイに、おかしそうに笑ったダイスが彼の背をバシリと叩いた。

 


「う……はじめまして」

「はぁ……はじめまして」



 天気は上々。気温は快適。

 貴族の顔合わせとしては、少々気楽なものであるが、騎士のロイと伯爵令嬢のマユラはそれぞれの兄と友人の段取りで街中の貴族もよく通うような、個室を完備した喫茶店。


 半円型のソファの端に2人で向かい合う形で座り込んだ2人に、店員は頬を赤く染め、夢現の中にでもいる様な目をして、突如ハッとした様に慌てて退室していった。

 その極端な態度に2人は1ミリも気がついていない様で、ロイは床を。マユラもまた自分の服ばかり気にして顔を下げていたのだから。

 マユラは態度こそわかっていなかったが、視線が自分にある事をわかっていた。


(ああ、嫌だな。きっと石女が恥ずかしい格好をしていると思われているんだろうなぁ)


 もうかれこれ、数十分、マユラは地面と見合いをしているのだった。


 準備をして慌ただしく家を出た後、兄から相手の紹介もそこそこにポンと店の前に下ろされて今である。自分の装いと言えば、貴族の妙齢の女性が外で着るには随分と貧相と言われるだろう。マナー違反。シンプルすぎるドレス、いやワンピースで顔合わせだなんて、失礼極まりない。常識はずれ。適齢期をとっくに過ぎた女性が、なんて事だと言われるに違いない。


 遥か昔に厚化粧と香水とドレスを拒否した事で受けた批判は、自分が思うよりもトラウマになっているらしい。相手の顔を見る事ができないでいた。


「あ、あの……」

「は……い……」


(え……?あれ……)

 声をかけられて顔を上げると、そこにいたのは、中性的な美しい男性だった。整えられた眉、剃られた髭。手入れのされている髪。しなやかな体つき。

 それは、それはどこを見てもこの世界の常識から外れた美しさがそこにあった。

 

「あの、僕、その、こんなんですが! 弱者って言われて、格好悪いかもしれませんが……! 衝撃を受けてます……!あなたの美しさに、震えました!」


「弱、え?震え……?」


「うわっすすすすんません! 僕馬鹿で、その……そのドレスも、化粧も、その……すごく綺麗で」


「……流行で、伝統的で常識的じゃないですよ……?」


「そっ……はい、わかってます……でも、僕は、すごく好きだなって」


 その絞り出す様な言葉に、マユラは年甲斐もなく心が揺れて震えていた。どれほど長い人生経験があっても常識が通じない事にストレスと自信をなくして過ごしてきた自分には、どうしようもなく熱い告白に感じたのだ。どれほど勇気を振り絞って出した言葉なのか、マユラには全てを推し量ることはできないが、手に取るようにわかると思った。


「ありがとうございます」


 その返事を聞いてロイはほっとした様に胸を撫で下ろした。

 ロイは確かに細身ではあるが、どうしてこんなにかっこよくて良い人が『弱者』なんて自分で言うのかマユラには理解できなかったが、それこそが常識の壁なのだろうと理解する。


 そうして意気投合した2人は、その後何度も同じ場所で逢瀬を重ねて、見事結婚することとなった。


 なんでもない騎士と伯爵令嬢の婚約話。

 はみ出しもの同士のお見合いから始まった一つの結婚。


 これは、大きな話題となって町中を駆け巡った。『まるで夢物語の中からこぼれ落ちたような恋人がいる』と。



 厚化粧や何重にも重ねられたドレスやコルセットで作る美しさは王家から貴族へ流れて、長い間常識となっていた。

 王家の良しとするものを取り入れないのは恥だ。

 そして親の顔を立てるのもまた義務だ。


 そうして作られてきた常識達。


 マユラの家族、そしてロイの家族や友人は周囲から怪訝な顔をされる事も覚悟していた。


 しかし、この噂話を聞きつけた王女はマユラのコルセットがないのに美しいシルエットのドレスを痛く気に入り、それに似合っている薄づきの化粧も気に入ったそうだ。


 そこからあっという間に川が流れていくように流行は変わっていき、「男は男らしく」「女は厚化粧にコルセット」と言う美の常識は、すっかり形を変えて「自分が一番好きな形」を選ぶように変わっていった。


 男も、女もだ。

 そこに強者も弱者もそんなレッテルは存在しなくなった。



 皆が周囲の反応を気にして恐れていた、『常識から外れる』という行為が、一つ壊された瞬間だった。




 常識とは、世間一般の人が共通に持っている、当たり前の知識と判断力のこと。


 常識というものは、同調圧力から成り立つ物であると思う。当たり前だと思っているものが、何から生まれて、何に判断してもらっているのか。


 それは周囲の反応だったりするはずだ。周りの空気が、常識を作っていく。


 そしてまた一つ、常識というものがこの国で生まれようとしていた。それが……


 『自分らしさを探求する事』





「まぁ、ご覧になって! 素敵なご夫婦! なんのお話をしてらっしゃるのかしら」

「素敵、あのドレス、今流行りのものね! 王妃様もお召しになっていたわ!」

「あら本当!いち早く取り入れるなんて羨まし……もしかして、あのお方って」

「まぁ、マユラ様だわ!」

「ということは、もうひと方は、騎士のロイ様?」

「何を話していらっしゃるのでしょう? ほら、あの方達でしょう?この流行の始まりは!」




 人通りの多い、大きな露店が立ち並ぶ一際賑わっている市場には、もう床ばかり見ている人など1人も居らず、新たな流行が引き金となって商人は大忙しとなっていた。なんといっても今は皆が自分の好きな色、好きな生地、好きな化粧品を求めてあちこちへ出かけている。さらには今まで男性には不要かと思われてきた男性用の服や化粧品が盛んに売られている。


 職業も大きく広がり、美容に力を入れる男性だけがご婦人を相手にする喫茶店も始まっている。


 もちろん、今まで通り、肉体美を誇る男性も人気であるし、コルセットをキツく締めた細いウエストも人気なままではある。

 全ての要素が、『必ず必要』ではなく『好みの一種』に置き換わったのである。



 自分たちにとって、一気に、そして確かに過ごしやすくなった。マユラはそう感じながら、露店を見回す。


「わ、これ凄くいい生地だよ! 肌触りが凄くいい」


 見て見て!と目を輝かせる青年も今では珍しくないのは、実に嬉しいことだ。誰にとっても決して悪いことでは無いところがまた良い。

 なぜ今までタブーのような扱いだったのかもわからない。

 


「わっ、本当! これで寝巻きを作ったら凄く眠れるんじゃ……?」

「めちゃくちゃいいじゃないか……! 僕肌弱くて、チクチクする生地は苦手なんだよなぁ」

「わかる……!」


 ロイとマユラが二人して布を見ていると、その様子を見ていた店主はケタケタと笑った。


「ありがたい話だねぇ、貴方様方がそういってくださると、こっちもやり甲斐があるよ」


 そう言って腰にあるメモ用紙を取り出して二人の言いあう事を書き留めていく。「もっと話してくれよ」と言いながら。



 『自分らしさの探究』とはよく言ったもので、結局のところ前に習えな気質は変わらない。変わらないのだけれど。


 隣で笑うロイの表情は晴れやかで、以前絶望感は一欠片も無い。ニコニコとした表情は、彼の良い部分を存分に表現し、今では、まるでアイドルめいた人気さえ獲得している。


「少し、焼けちゃうな……」


 ———複雑な心境だ。

 あぶれた者同士、はみ出しもの同士、なんて不名誉な始まりだったのに。


「……え?」


 キョトンとした顔がマユラを見る。

 

「なんでも無いよ」


「……僕だって」


「え?」


 突如、真っ赤に染めたロイが大きな声を出した。驚いて瞬きを繰り返せば、ロイの手がマユラの細い手首を掴み、両方の手のひらでそっと包み込んだ。強靭な肉体も、屈強な筋肉も無いように見えるが、目の前に立ったロイはどう見たって十分逞しい男性だった。

 包み込まれた手を見れば、骨張った大きな手のひらが見える。すっぽりと自分の手を隠してしまう手の大きさやゴツゴツした指に、なんだかすごく胸がギュッと締め付けられた。


「あまりにも理想的な人が目の前に現れて、僕だけの理想の人があっという間にいろんな人の理想になっていくのはキツイっていうか、なんていうか……めちゃくちゃ嫉妬してますが!」


 そこまで言い切って、ロイは自分の声の大きさになのか、周りの視線に気がついてしまったのか、「そう思っておりますが何か」と、シオシオと縮こまっていった。


 その情けなさが可愛らしくて、真っ赤になった耳が髪の隙間から見えて愛らしくて、そんなロイの少女のような様子にマユラはつい笑みが溢れる。男性に対して少女のようだ、なんて表現はおかしいのだろう。でも、それがなんともしっくり来てしまったのだ。


「ふふ、聞こえてしまってたんですね」


「くっ男らしくねぇこと言っちまった……!」


「そんなの、『自分らしかったら』なんでも良いじゃあないですか」


「……ッぐやじいっ」


「あはは、大丈夫です——すごくロイらしい」


「うっ」


「えっなに? 倒れっ、え!?」


「もってかれた……僕の…心臓を……」




 こうして、私たち——ロイとマユラは、はみ出し者として婚期を逃していたのだが、下げてばかりで外を見ようとしなかった私たちに足りていなかったのは時代の波や流れなんかではなかった。


 もちろんタイミングは大事だろう。でも、過去や義務、固定概念や常識や目に見えないしきたりに惑わされて顔を上げないのは良くない。


 マユラが見上げた先にロイが居たように、ロイが見つめた先にマユラが居たように。


 そして手助けをしてくれる人の手を借りることを拒まないように。

 いつだって何かが生まれ、始まるのは突然で、意図しないことの方が多いのだから。


 かつて『はみ出し者』や『あぶれ者』と言われていた者たちが、新しい時代の流れる道を作ったそんなお話。



おしまい


(おまけ)タユタとダイス


「俺は実はコルセットは好きだ。脱がすのが醍醐味だ」

「タユタ、気が合うな。俺も実は厚化粧が好きだ。化粧が落ちた顔が一等愛おしい」


 




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