第五話「幸せ」
「わー! わー!! 部屋から出られた!! あははは! 十五年ぶりの外だー!!」
部屋から出られないと思っていたため、空中をふよふよと浮かびながら喜ぶ水瀬さん。
「あー、でもあまり俺から離れないでくださいね」
「どういうこと?」
「あんまり俺から離れると強制的に元の場所に戻されてしまうようなんです」
「なるほど。つまり君は、私のことを縛っているってわけだね?」
「その言い方は誤解を……って俺以外聞こえてないから意味ないか」
「私は、そう簡単に縛られない女だから!!」
いや、あなた十五年間も部屋に縛られていたんですが。
なんかいつも以上にテンションが高いな。
まあ、それもそのはずか。
十五年超しに外へ出たんだから。
「それで、どうしますか?」
「……うん、行く。お母さんのところに」
今日は休日。
用事がない限り、まだ家に居るかもしれない。
「おー、やっぱ十五年も経てば変わるものだね」
道中、子供のようにふわふわと周囲を物珍しそうに眺める水瀬さん。
すると、とある電柱のところで止まる。
「その電柱がどうかしたんですか?」
どこにでもありそうな普通の電柱のように見えるが。
「ふっ、あの裏切り者と初めてデートの待ち合わせをした場所」
「あー」
こういうことがあるとは予想していたんだが、まさか早々に。
「えっと、水瀬さん」
「ねえ」
どうしようかと考えながら声をかけると、突然電柱の前に立つ。
「ちょっと駆け寄りながら、ごめん! 待った? って言って」
「あ、はい」
水瀬さんの圧に押され、俺は周囲に誰もいないことを確認した後に言われた通りのことをする。
「ごめん! 待った?」
「ううん、全然! そんなことよりデートを楽しもうよ!」
そう返事をし、俺の右腕に抱き着いてくる。もの凄い笑顔で。
まさかこれは。
「……この調子で、忌むべき記憶を塗り潰していく」
やっぱりかー。
その後、俺は本来の目的地へと向かう中で、水瀬さんの忌むべき記憶を塗り潰していった。俺は、常に周囲へ神経を張り巡らせていたから、なんかどっと疲れた。
「す、すっかり日が暮れましたね」
「えへへ。楽しかったー!!」
「そ、それはよかった」
おかげで、水瀬さんの機嫌はすこぶるよくなった。
さて、後は母親のところに……ん? あそこに居るのは。
「……」
河川敷にある橋。
そこに一人の女性が悲しげな表情で立っていた。
静依さんだ。まさか家に行く途中で遭遇してしまうとは思わず、水瀬さんへ確認をするために振り向くと、先ほどまではしゃいでいたのが嘘のように立ち止まっていた。
「お母、さん」
確か、今年で四十八歳になるそうだが、後二歳で五十歳になるとは思えないほどの美人だ。
彼女は、十八歳の時に子を身籠ったらしい。すでに高校は卒業しており、大学には通わず就職をしていたが、両親は問題視していた。
そして、彼氏の方は彼女が身籠ったと知るやいなや逃げるように彼女の下から去ったと言う。それからは、両親とも相談し、色々あったが育てることを決意した。
「水瀬さん」
予想外の出会いだが、本来の目的はここで果たせそうだ。
「……大丈夫。ここまでいっぱい君に甘やかしてもらったから」
えへへ、と子供のように笑い俺の隣に並ぶ。
その決意を聞いた俺は、ゆっくりと佇む静依さんのところへ歩み寄る。
「こんばんは」
「え? あ、はい。こんばんは」
突然挨拶され、少し驚いた様子だったがすぐ返事をする。決意したが、やはりまだなにを、どう話せばいいか迷っているらしく水瀬さんは俺を壁にしてちらちらと静依さんを見ていた。
「どうかしたんですか? なんだか思い詰めた様子でしたが」
とりあえず、水瀬さんが大丈夫になるまでなんとか会話を続けよう。
「……実は、この先にあるアパートにずっと行こう行こうって思っていたんだけど。いつもここで立ち止まってしまうの」
突然現れた怪しい少年、と思われてもしょうがないのに、彼女は俺の問いに答えてくれた。
「そのアパートに、なにかあるんですか?」
知っているくせに、俺は再び問いかける。
「もうずいぶん昔の話なんだけど……そのアパートに娘と二人で住んでたの。裕福じゃなかったけど、とても楽しい日々だったわ。けど……」
そこで言葉が詰まる。
しばらくの沈黙の後、静依さんは涙を流しながら踵を返す。
「ごめんなさい。私、そろそろ帰らなくちゃ」
まるで逃げるようにアパートとは逆方向へ歩を動かす。
「待って! お母さん!!」
「え?」
しかし、すぐに止まる。
本来なら聞こえるはずのない娘の声を聞いて。
そんなはずがない。
ありえない。
静依さんは、そう思っているだろう。そう思いつつも、ゆっくりとこちへ振り向く。
「……響華、なの?」
震える声で、静依さんは問いかける。
俺の横には、ぎゅっと手を繋いだ今の水瀬響華が夕日に照らされながら立っていた。十五年ぶりに聞いた母親の声に、娘は。
「うん。私だよ。響華だよ。えへへ、髪の毛は真っ白になっちゃったけど」
笑顔で問いに答えた。
一歩、また一歩と近づいてくる。
「響華!!!」
そして、一気に駆け出し、溢れんばかりの想いを込めて抱き着く。
その勢いが強く、思わず握られた手が離れる。
ふわりと宙に浮きながら、母親を抱きとめた娘は……静かに目を瞑る。
「ごめんね、お母さん。勝手に死んじゃって……」
「いいの。いいのよ……なにがあったのかは知ってるから! お母さんの方こそごめんなさい。あなたが苦しんでいるのに、それに気づけなくて!」
「ううん。お母さんは悪くない。悪いのは裏切った二人。そして……お母さんに何も言わずに死を選んだ私なんだから」
しばらく空中で抱き合った後、地面に降りる。
そこで、やっと娘の体が冷たいことに気づく。
「……響華。あなたは」
「本来なら、触れられない幽霊なんだけど。そこに居る清太郎くんのおかげで触れられることができるんだよ」
「あなたが……」
「どうも。今は、あなた達が住んでいた部屋に居座っています。峰野清太郎です」
「響華の母親の静依です。……清太郎くん。本当にありがとう! もう、会えないと思っていた娘に……こうして会わせてくれて。本当だったら、私の方から会いに行くべきだった。でも、アパートに近づけば近づくほど……響華が死んだあの日を思い出して」
トラウマになるよな。
帰ったら、娘が部屋で死んでいたなんて。
「……じゃあ、そのトラウマ。なくしちゃおうよ」
「え?」
母親と再会できたテンションのまま、そんなことを言いだす。
それからというもの。
「公園に寄ろう!」
と言って公園に寄り道したり。
「スーパーで買い物していこう!」
と言ってスーパーで買い物したり。
アパートに向かうまで色々と寄り道をしながら、これまでのことを楽しそうに話し合っていた。
ちなみに、静依さんにも見えるようにした方法は、俺が霊力を流し込み霊体を強化したんだ。
「到着ー」
「……」
時間がかかったが、なんとか到着した。
静依さんは、黙って自分が住んでいた部屋を見詰めている。
「改装されているって聞いたけど、随分と印象が変わったわね」
「中も大分変ったんだよ? ワンルームなのは変わらないけど」
ここは、駅や商店街からも割と近いし、物静かなところなので良い物件だとは思う。
「……」
「大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫よ。さあ、行きましょう。二人ともお腹減ったでしょ? 今日は私が腕によりをかけて作るから。楽しみにしてて」
「わーい! お母さんの手料理久しぶりー」
橋で出会った時は、かなり沈んだ雰囲気だったが、今はそんな雰囲気はない。
娘に再会できて、話せて、色々と回復したんだろう。
「―――でも、驚いたわ。幽霊なのに、食べられるなんて」
「この体の良いところは、いくら食べた分だけ力が湧いてくる! そして、トイレにもいかなくて良いってところ!」
「こら、響華。食事中よ」
「にへへ」
静依さんが作ってくれた手料理を三人仲良く食べた。
まあ、俺は一歩引いて、二人が楽しそうにしている光景を眺めていたんだが。
「それじゃあ、残ったものは明日の朝食で食べます」
「ごめんなさいね。こんなに長く居座っちゃって」
「良いんですよ。それよりも本当に大丈夫ですか? 一人で」
静依さんが帰る頃には、すっかり太陽は沈んでいた。
時刻にして、二十一時。
月の光があるとはいえ、ここからだと大分距離がある。
「大丈夫よ。昔は、夜遅くに一人で帰るなんて当たり前だったから」
静依さんは、いくつものアルバイトを掛け持ちしていたらしく。昼夜訪わず働いていたらしい。
「……響華」
「ん? なに?」
一度、娘の名を呼んだ後、俺達のことを交互に見る。
「今、幸せ?」
「うん! もちろん!!」
そう言って水瀬さんは俺の腕に抱き着く。本当に幸せそうな娘を見て静依さんは、優しく微笑んだ。
「あ、ところでお母さん。今度会う時は妹を紹介してよ!」
「ええ、もちろんよ。でも、どう紹介したら」
「大丈夫」
「え?」
「や、夜子ちゃん!?」
これまた予想外の展開。静依さんを迎えに来たのか。夜子ちゃんが、姿を現す。父親らしく人物はいないから一人で来たのか?
「や、夜子。一人なの? お父さんは?」
「家に居る。お父さんには、内緒できた」
「もう。だめじゃない。こんな遅くに一人で外に出ちゃ」
静依さんはここへ来る前に家族へ連絡をしていた。知り合いの家に遊びに行くので、帰りは遅くなると。その時、連絡を受けたのは夜子ちゃんだったようだ。
「……」
「お、おぉ……この子が、私の妹!」
ま、まあいずれは紹介しようと思っていたから良いんだけど。夜子ちゃんは、じっと空中に居る水瀬さんを見詰めていた。
水瀬さんは水瀬さんで、妹の姿を見て感動している。
「夜子。信じられないかもしれないけどね。この子があなたの」
「お姉ちゃんだよー!!」
静依さんの紹介を中断し、水瀬さんは夜子ちゃんに飛びつく。
そのまま空中で熱い抱擁をし、俺と静依さんを唖然させる。
「こ、こら響華! 危ないわよ!」
「浮いてる……」
「にへへへ。私の妹ー、妹ー」
幽霊という存在を見て、抱き締められ、宙に浮いているというのに夜子ちゃんはまったくの冷静沈着。
俺と静依さんは、慌てているというのに。
「本当に、お姉ちゃん?」
「そうだぞー。私が死んだはずの姉の響華だぞー」
「……」
完全にデレデレである。しかし、夜子ちゃんも夜子ちゃんで水瀬さんに抱き着いていた。
「……嬉しそうね、夜子」
「ですね」
その後、夜子ちゃんから中々離れない水瀬さんを引き剥がすのに手間がかかってしまった。
けど、本当に幸せそうだったから、よかったと言えばよかった。
彼女の第二の人生はいい方向へ進むことだろう……いや幽霊だから幽生? いやそもそも生きていないから……って細かいことはいっか。
彼女が幸せなら。