①本義命子
「分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ——」
中島敦が残した「山月記」の虎はこう語ったが、私が理由もわからず押付けられたのはこのブッッッサイクな顔であった。
人の域を外れるほど醜悪な顔面ではないが、昔、悪意ある者の策略で私に告白されたと錯覚した美男子が、心因性ショックで喀血して死にかけたことがある。
胃が爆発したらしい。
彼はこれで心的外傷を背負いBL趣味に奔ったが、私もまた、私に悪意があった訳ではないにしろ――私の行為によってではなく、私が存在しているだけでここまで人を傷つけねばならぬのかと恥じ、深刻な心的外傷を負う羽目になった。
ちなみに私は心的外傷を背負う前からBL趣味に奔っている。
人は成長とともに顔が劇的に変わっていく生きものだ。
ホモサピエンスは直立二足歩行をするために特殊な骨盤の形状をしており、戦略的に未熟児として生まれてくるためであるが、顔によって個人を認識するほど顔の認知機能に優れた我々でも、子どもの頃の写真と目の前にいる大人とを、同一人物として見分けられぬことがある。
それほどの大きな変化があるのである。
しかし私は徹頭徹尾ブスなままであった。
時に成長とともに顔面にブスさが宿り、昔はあんなに可愛かったのに……、といった失礼極まりない評価をされる人があるが、私はその類ではなく、もう、ずっとブスのままだった。
幼児期のブスな特徴を有する顔面が17歳に至る今まで、不変のまま継続されていた!!
もはやブスであることが私のアイデンティティであり、業であり、私の生きる証と言わざるを得ない状況であった……。
中島の虎は己の身上を誰も理解することができないであろうことに――、また誰にも共感されないであろうことに――、恐しく、哀しく、切なんでいたが、私はこれを理解できる唯一の人間であると思う。
私はこのような顔面をまる出しにぶら下げて生きねばならぬことが相当につらく、故に臆病な羞恥心を——。臆病な羞恥心——?
いやこれは普通の羞恥心だった。
結局私も虎の心を理解することは叶わないと今判明したが、普通の羞恥心が脳中を常に占有し、いつもどこかに穴があれば入りたいと嘆いていた。
しかし通学路や学校にブス退避用の穴を設置している自治体は存在しないため、私は現実を忘れ、心の中に退避するしかなかった。
これは困難を極めた。
‘Don’t Think of a Pink Elephants’と言われるように、忘れようとしたものはかえって、脳裏にちらつく。
世の中には美しい景色や、美しい物語や、美しい文章に溢れているから、私はこれらにあえて酔って夢中になるのだけれども、そこに自分を設置してしまったり、連想できるような場面を見てしまうと、瞬間的に私の顔面が景色や物語や文章いっぱいに広がり、埋め尽くされ、途端に喀血して死にそうになるのだが、それこそ現実において美人の横に並んだり、鏡を見たりすればやはり即死するので、ピンクの象を考えない技術を必死に求めた。
答は性欲にあった。
すけべなこととは、私の肉体の延長線上にある行為のことであるにも関わらず、この妄想に耽る間は、私は私のすべてを忘れることができたのである。
私は元来性欲の強い女のようだった。
そして両性愛にも対応できる体質だった。
というより何でもありだった。
BLはもちろんありだった。
故に私は自身のブスを自覚しそうになると妄想に励んで、すべてを覆い隠した。
そして私はいつも自分の中に逃げこんで、クラス内に居場所も作らず、そもそも誰とも話さず、すけべなことを考えて終始ニヤニヤしている怪物になり果てつつあったがわけだが、腐りきる前に、私を真人間(少なくとも表面上は)に引っ張り戻した女がいた。
それは私の妹、頓子であった。