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折詰世界  作者: SheilaCross
1/2

*1



 朝方、目的地に着く前であったが休憩がてらに車から降りると、うっすら立つ霧があなたを包み込んだ。あなたが育った田舎へと通ずるこの林道はいま、あなたとあなたの所有するこの黒のセダン以外の姿はない。


 木々が造る沈黙が煩わしく、あなたは頭を掻いた。

 あなたはサイドミラーを覗き込んだ。黒いスーツ、黒いネクタイ、数日剃っていない口髭、髪も伸びすぎている。まるで、慌てて知り合いの葬式に出席した若者のような身なりだ。車内へと戻り助手席のグローブボックスを開くと、ヘアオイルを取り出して無造作な手付きでオールバックにセットした。


 あとで髭も剃らねばならない。あなたはふうと大きく息を吐くと、車の天井を見上げた。……朝のミサまであと数時間はある。

 あなたはしばらく目を閉じ、それから思い出したように手帳を開いた。




「あらあら。まあ、よく……来てくれたわね」

 ミサが終わり、別館の小聖堂からまたべつの別館の広間へと向かう途中で、腰が曲がったシスター長があなたに声を掛けた。あなたはとびきり優しい表情(カオ)で振り向き、応えた。

「お久しぶりです。シスター」


 かつて鬼のように恐ろしかったシスターは、歳を取って腰も性格も丸くなった。あなたが手を差し伸べると、シスターはそっとその手を優しく握り、そのままゆっくり、ゆっくりと歩み出す。

「あなたがしっかり勉学に励んでいるのは……、あちらの先生の電話で、いつも聞いているわ……」

 あなたが「努力は惜しみません」と、凛とした声で言うと、シスターはあなたの顔を見上げ、何度も無言で頷いた。


 木造の渡り廊下の差し掛かるところで、あなたはシスターをほとんど抱きかかえる様にして一段だけの段差を降りた。

 高みに移動した太陽は、あなたに温もりと、庭の木漏れ日のきらめきを与えた。シスターの歩調に合わせながら、あなたは顔を上げて、少しの間ただそれを眺めた。


 渡り廊下は一歩踏むたびにギシギシと鳴る。あなたは幼い頃を思い出していた。かくれんぼをしていて、この軋みのせいで鬼にみつかってしまったこと。あなたの妹がこの軋みを悪魔のささやき、この教会には悪魔が棲み憑いていると言ったこと。そしてそれを、あの女が……このシスターに告口して、妹がお仕置き部屋に入れられたこと。


 ふと、シスターの顔が不安の色を示した。

「ええと、それで、今日は……一体どうしたっていうの。何か問題でも?」

 あなたは、今度は首を横に振った。

「なにも。たまたま、この近くに寄る用事があったもので、久しぶりにミサに出ようかと」

「お茶会に顔は出すでしょう? きっとみんな、あなたの近況が聞きたいはずよ」

「いいえ、もう行きます」

「そんなこと言わないで。そんなに時間が無いの? そんなことないでしょう。お菓子でもつまみなさいよ」

「……ええ、では少しだけ」

 


 あなたは広間に着くと、高齢者ばかりの輪に加わり挨拶してまわった。「やあやあ君、久しぶりだね。幾つになった?」「もう三十ですよ」「この間まで子どもだったのになあ。時が流れるのは本当に早い」この会話を、ひたすら繰り返す。


 小一時間ほど談笑をすると、あなたはもう十分だろうと見切りをつけ、それとなく輪を外れた。ほんとうに十分、暇な老人たちに付き合っただろう。日曜のミサなら青少年も多くいるが、平日のミサは昔から変わらない同じ顔触れの老人ばかりだ。


 昼に近付くにつれ広間はぬるま湯のように蒸れる。あなたはスーツの上着を脱いだ。シスターにみつかる前にさっさと行こうと、駐車場へと向かう為に重い鉄の扉を開けた。

 眩しさに、目を細める。

 外の新鮮な空気を吸い込むのと同時に、聖母マリア像の前で立ちすくんでいる女の姿に、あなたは気が付いた。


 あなたは、女の背後に足音を立てずにそっと近付く。


 女の声が聞こえる。女は汗ばみながらも身振り手振りを交えて、懸命に何かをマリアに訴えている。


 あなたはあまりの懐かしさに思わず笑みがこぼれた。それから涙が滲み、堪えるように空を見上げた。

 幼いころからの癖なのだ、この女がマリア像に話し掛けるのは。マリアだけでなく、ヨセフ像であったり、ステンドグラスの聖フランシスコや聖女クララに対しても話し掛ける。

 ミサでは女の姿を見掛けなかったが、来ていたのか。会えて良かった。何年ぶりの再会だろうか。


 そう、あなたは、この女に会うためにこの田舎に帰ってきた。


 聖母マリアをみつめていた女は不意に振り向き、あなたの存在に気が付いた。

 女の瞳は一瞬で憎しみの炎を焚き付け、顎を上げ、蔑むようにしてあなたをみた。


 ……まだそんなエナジーがあるのか。


 あなたは呆れるより、フッと安堵を感じた。そんなに睨むことができるのなら案外元気そうだ。人を憎むには相当な気力がいる。

 あなたは女を力強くみつめ返した。


 クララ会に拒絶された、つまり、女の夢であったシスターへの道が絶たれたのは、女自身の問題であり、決してあなたのせいではない。シスターなるには、女は少し……、狂っている。


 この女が教会で何度騒動を起こしても何食わぬ顔でこうやって此処にいるのは、居場所が此処しかないからだ。

 この教会に居たい気持ちは痛いほど解る。あなたも、女も、この教会で育ったのだから。

 あなたと、あなたの妹、そしてこの女と、女の弟。兄弟同然として、四人で過ごしたあの日々を忘れるはずがない。

 お前もそうだろう、あなたは心の中で女に問いかけた。お前もあの頃を思うのだろう。



 女はあなたの瞳を捉えたまま、引攣ったように口角を上げると、声を震わせながら話し始めた。




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