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3 勇者と後の魔王

 あれから三日経った。


「ぜぇ、ぜぇっ……!」


 現在は朝の走り込み中である。一分も経たないうちに力尽きたが。

 この体に体力が無さすぎるのが一番の問題だが、これに関しては俺にも問題がある。元の体の感覚で動いているせいで、体力の限界を一瞬で超えてしまうのだ。


 十分近くかけて屋敷へと帰宅。一昨日は四十秒走ったあたりで気絶したので、これでも大幅な成長である。


 疲労困憊ながらもどうにか朝食を作る。この体を健康体にするためにも、一日三食きっちり栄養を摂らねばならない。最低でも最寄りの町にたどり着ける程度の体力はいる。そんなに遠くは無いはずなのだが、この体だともう旅に挑むような気持ちで行く必要がある。


 朝食が終わったら魔法の勉強だ。最初はイリスの部屋にある本やメモを参考にしようと思ったのだが、俺はこの世界の言葉を話せても文字はさっぱり分からない。

 解読を試みはしたがまるで上手くいかず、先日業を煮やして半ばヤケクソに「魔法出ろ」と叫んだところ、手から白い光が溢れ出た。どうも、イリスの体が魔法の使い方を覚えていたらしい。意味記憶というやつだろうか。別に脳が入れ替えられたわけではないのだし、そういうことがあっても不思議では無い。かもしれない。

 そういうわけで、午前中のこの時間はインスピレーションと手癖の赴くままにフィーリングでぼんやりと魔法を出す訓練である。完全に行き当たりばったりだがこちとら魔法なんて使ったことも無い異世界人なので致し方なし。


 現在使用可能な魔法は、『飢えの回復』『渇きの回復』『眠気の除去』『肉体の治癒』である。光属性ゆえか全体的に治療系っぽいが、前三つがどう考えても体に良くない。実際良くなかった。飢えの回復は胃に石を詰められたような気分になるし、渇きの回復は口内がドロドロになる。よくもまあイリスはこんな手段を常用していたものだ。何が彼女をそこまで駆り立てていたのか。


 この光魔法が頼みの綱ではあるのだが、俺はイリスと違って魔力が少なく、これらを日に二、三度しか扱えない。

 魔力が少ないのは元の体だった時からそうで、何度かイリスに教えを受けて魔法――その時は闇魔法だった――を使ったのだが、すぐに魔力が切れてしまった。イリスも言っていたが、魔力の多寡は肉体ではなく精神に依存するものらしい。


 昼食を取り、屋敷の探索に移る。この屋敷は広く、物が多い。この体だと一日では十分に探り切れないほどだ。イリスがいる間は家主の手前あまり勝手は出来なかったが、今はイリスもいないし、ことここに及んで家漁りを躊躇する気も無い。


 三時間ほどかけ、大体の探索を終了。今日で屋敷の全ての部屋を漁り終えた。

 数枚の銀貨や、簡素な杖らしきもの、錆びた短剣など、それなりに使えそうな物は見つけたのだが、武器や貴重品と呼べる物が不自然なくらい無い。恐らくはイリスが持っていったのだろう。何が「屋敷は好きにしろ」だ、めぼしい物だけ持っていきやがって。


 夕食を終え、水浴びの後、身体を拭く。この間は根性で風呂を沸かしたが、流石に毎日となるとしんど過ぎる。


 しかし、相変わらず痩せぎすな体だ。そりゃ三日やそこらでそうそう変わるわけもないが。顔が良いのに勿体無い。この間ふっと鏡見た時なんかは美少女過ぎて驚いたほどだというのに。髪を整えたり荒れていた肌に治癒魔法を施したのが功を奏したようで、劇的に顔面偏差値が上がっている。……特に美容に興味の無い男が多少見た目に気を遣った程度でここまで変わるっていうのもどうなんだ。あいつズボラってレベルですらないぞ。


 終わったら服を着替え、その他雑事を終わらせ寝る。とにかくたっぷり睡眠をとる。体調は日に日に良くなっているが、いい加減にこの体になった時から止まない耳鳴りや頭痛とおさらばしたいのだ。全く、イリスは一体どれだけ徹夜していたのやら。早めに健康を取り戻したい。



 さらに七日後。そろそろ食料の備蓄が心許なくなってきた。


 いや、わかってはいた。だって最初にこの屋敷に来た時からもう十日分ぐらいしか食料なかったし。森の山菜やら川魚やらで消費を抑えてはいたのだが、いい加減厳しいものがある。――つまりは、ここを出る時が来たのだ。


 正直に言って、まだ体力に関しては十分と言えない。魔法だってイリスのように多彩な術を扱うことは出来ないし、使える回数だって日に数度が限度だ。

 自分でも事を急いている自覚はある。だが、これ以上イリスを放っておく――ひいては自分の体を他人に使われるのは、精神衛生上良くない。もう毎日不安で不安で死にそう。

 というわけで出発である。荷物を増やすと動けなくなるので、持っていくものは厳選した。


「……よし」


 扉を開けると共に日が昇る。俺は、町の方角に向けて一歩踏み出した。


 ……道程は困難を極めた。

 イリスが言っていた魔獣やら何やらは全く出なかったが、単純に森を歩くというのがキツい。未舗装路をろくに歩いたことの無い現代人にとってはそれだけで辛いものがある。

 当初は貴重な魔法の品だし大事にしようと思っていた魔法杖も、出発後十数分でただの杖として使われ、俺は杖にすがりつくようにして道無き道を進んでいった。

 脚は悲鳴を上げながら笑い、疲労は全身を鉛へと変えた。度重なる休憩を挟みつつも前へ進む。

 「もうこれ駄目だろ」「帰ろう、帰ればまた来れるから」「やめてもいいんじゃない?」などと囁く弱気をどうにかねじ伏せ、ひたすらに歩く。

 もはや根性と執念である。歩き、進み、動く。もう首を上げるのも辛く、俯きながらただただ脚を動かす。


 朝に出たというのに、既に空は赤く染まりかけていた。絶望しそうになったその瞬間――ふっと、視界が開けた。


「……!」


 森を抜けた。

 目の前には小高い丘。そしてその向こうからは煙が立ち上っている。

 もはやゴールは目前だ。俺は、最後の気力を振り絞って丘を登って行った。



 丘から見下ろす町は、魔獣の大群に襲われていた。響く怒号と悲鳴、逃げ惑う人々。


「……は?」


 遠くから見る魔獣の姿は、森にいるという魔獣のそれと特徴が一致していた。奴らは住民を追って町に入ろうとするが、その前に門が閉められる。

 魔獣達は何度も体当たりをするが、門は余程堅牢なのか軋みひとつ上げない。これでひとまずは安心か。


「無駄なことを」


 そう思われた瞬間、魔獣の群れの中から一人の男が現れた。


 魔獣の中でも特に屈強な個体に騎乗したその男は、神をも射殺さんばかりの鋭い視線で町を見下ろしている。髪と瞳は闇を呑み込むような漆黒。さほど体格がいいわけではないが、背は高い。身に纏う風格は覇王のそれだった。オーラのように全身から膨大な黒い魔力を立ち昇らせる謎の――いや、というかあれ、俺だ。正確には俺と入れ替わったイリスだ。

 雰囲気が違い過ぎて一瞬誰かわからなかった。俺ってあんなに鋭い顔出来たのか? 十割増しぐらいでイケメンに見える……何か……ずるい……。


 俺の姿をしたイリスは手の中に黒い光弾を作り出し、躊躇うことなく射出する。

 放たれた魔弾は大砲のように門を突き破り、堅牢だったそれをいとも容易く破壊――って人の顔で何やっとんじゃテメエ!!


 俺(中身イリス)の顔を見て怯える住人たち。これ、体を元に戻したとしても後でこの人らに死ぬほど恨まれるんじゃないだろうか。そんな場合では無いのだが、吐きそうなほど胃が痛くなってくる。


 どうにかしてイリスの凶行を止めたいが、疲弊しきった脚はナメクジじみて遅い。

 町の人々へと飛びかかる魔獣。惨劇の光景を予感して、俺は反射的に目を閉じた。


 血飛沫が上がる音。しかしその後に聞こえる悲鳴は、人のものではなく魔獣のそれだった。

 目を開ける。茶髪の青年が、刀に似た剣で魔獣を斬り伏せていた。

 勇猛な顔つきに、意思の強そうな鳶色の瞳。肉体は鋼のように鍛え上げられており、その立ち姿は虎を彷彿とさせる。


「……勇者か。話には聞いていたが、ここで相見えるとはな」


 (イリス)、声ひっく。いやそれは今どうでもいい。

 勇者と呼ばれた男は不可解なものを見るように顔をしかめ、イリスを強く睨みつける。


「どういうつもりだ、このヒョロ長野郎。ここの人間を殺す気か?」


 ヒョロ長言うな。いや小学校の時とか友達にそんなあだ名で呼ばれたりしたけども。


「ああ、死霊術というのを試したくてな。死体が数百ほど必要なのさ。全く、この力を手に入れてからというもの、やりたいことが多くて仕方がない」


 邪悪な笑みを浮かべるイリス。だから人の顔でそういうことするのやめろ。


 勇者はギリッと歯を食いしばり、剣を構える。


「……命が惜しいなら、ここで止まれ。それより一歩でも進めば斬り殺す」

「やってみろ、できるものならな」


 やってみろ、じゃあないんだよ! お前が死んだら戻れなくなるだろ!


「待っ」


 慌てて声をあげようとするが、この十日間ろくに喋っていなかった弊害か、咄嗟に声が出ない。一瞬の後、勇者の剣とイリスの魔法が激突する。


 (つんざ)く爆音、吹き荒れる衝撃波。瞬きする間にイリスの周囲に数えきれないほどの魔弾が浮かび、矢のような速度で飛来する。

 勇者はそれを剣一本で全て弾き飛ばす。流れ弾を食らった魔獣が吹き飛び、肉塊へと変わった。


 迫る勇者に向けて、余裕ぶった仕草で指を二本立てるイリス。地面から噴き上がった闇のエネルギーが勇者を呑み込むが、いかなる技によるものか、彼は剣を足元に突き刺すことでそれを相殺した。しかし完全に防ぎきることは出来なかったらしく、全身にいくつもの裂傷を負っている。


 イリスはそれを隙と見たか、両手から二条のビーム砲を放った。だが勇者は斬りあげるように地面から剣を引き抜き、片方のビームを両断した。もう一方が直撃するが、勇者は咆哮を上げ突き進む。


「っ、う、ぉおおああああ!」

「チッ」


 腹立たしそうな舌打ち。イリスを中心に全方位へと闇の波動が放たれ、味方であるはずの魔獣ごと周囲一帯を消し飛ばしていく。だが勇者は波動を斬り裂いて前へと進んだ。俺の方にも攻撃が来ていたが、必死で勇者の後方へと回り込んで事なきを得る。

 だが波動を切り裂く瞬間、一瞬勇者の足が止まった。


「消えろ」


 イリスが左手を空に掲げ、数メートルほどはある特大の黒い魔弾を生み出す。

 勇者へと叩きつけるようにして魔弾が(なげう)たれ、炸裂した。爆煙のように砂塵が舞い上がる。

 今のは直撃――いや違う、勇者は低い姿勢で潜り込むようにしてそれを回避し、既にイリスの側方へと回りこんでいる。だが、イリスはそれに気づいていない! 今にも振り抜かれる勇者の剣!


「待っ、た――ッ!」


 このままでは俺(の身体)が死ぬ。全身全霊で地面を蹴った。この体の強度を度外視した全力の疾走。脚から嫌な音が響く。俺は自分でも驚くほどの速さで、燕のように地を駆けた。勇者の背中を突き飛ばすように押し倒す。


「ッ、何を――」


 勇者が突如乱入した俺に対して叫ぶより早く、俺たちの頭上を黒い何かが通り過ぎた。

 何が起こったのかわからない。だが、今のに当たっていれば勇者もろとも死んでいたと直感する。


「外したか……」


 すぐそこから聞こえてくるイリスの声。見れば、奴は禍々しい黒剣を手に持っており、それを俺たちがいた場所に向かって振り抜いた直後だった。


 ……もしかして、イリスが勇者の攻撃に気づいてカウンターを仕掛けていた? そして、俺が勇者を突き倒したことで攻撃が外れた……そのつもりは無かったのだが、結果として勇者をかばってしまった。


 勇者は即座に立ち上がり、イリスへと立ち向かう。

 俺も立ち上がろうと脚を動かしたが、その瞬間激痛が走った。え、もしかして骨折れた? いかん、死ぬほど痛い。痛すぎて逆に冷静になるレベル。全然動けん。


「その女は…………………………ああ、そうか。まさか来ていたとは」


 見知らぬ人物への視線を俺に向けた後、たっぷり数秒考えて理解の色を示すイリス。いや一目で(わか)れよ。自分の顔だぞ。


「しかし不愉快だな。またその目を見せられるとは……大人しくしておけばよかったものを、わざわざ殺されに来たのか?」


 イリスが――俺の目が、俺に殺意を向けている。背筋が凍りそうになった。

 怖い。こいつ、本気で自分の身体を殺す気だ。俺は俺に殺されるのか? パラドックスじみた恐怖が感情を支配する。ドッペルゲンガーに相対した人間はこんな気持ちになるのだろう。鏡の自分が手を伸ばしてきたような恐れ。ついさっきまであった無けなしの余裕が一瞬で削ぎ落ちてしまった気がした。


「お前の敵か? なら俺の味方だ、殺させねえぞ」


 勇者が俺を庇うような位置取りでイリスに剣を向ける。先刻死にかけたばかりだというのに、その顔に一切の怯えはなかった。


 そうだ。俺も落ち着け。相手が自分の姿だからなんだと言うのか。イリスに言う予定の文句だってしっかり考えてきていたのだ、今こそ言ってやらねば。


「ぉま……ィリ………! ……………………。………………!」


 いや俺声ちっさ! ダメだ普通に怖い! イリスのやつ俺の姿なのにめちゃめちゃ顔怖いし、ビビらざるを得ない!


 声が小さすぎて誰にも聞こえなかったようで、勇者とイリスはそのまま会話を続ける。


「敵ですらないな。もはや興味もない……。だが、興が削がれた。今日のところは帰るとしよう。お前の相手をするのも面倒だ」

「お前は……一体、何なんだ?」


 勇者が問いかける。イリスはこちらをチラリと見て、答える。


「……そうだな。私は魔王軍六芒星が一人。闇を束ねし異界の魔星。名は――暗黒将ヒーズリート。今はそう名乗っておくとしよう」


 いやそれ俺の名前だろ! 何が秀津璃斗(ヒーズリート)だよ自分の名前使え馬鹿! 本当に好き勝手しやがるなお前は!


「人の名前をかっ……」


 悠々と歩き去るイリスに対し、今度こそ声を上げようとした瞬間、がくんと頭が落ちた。疲労が限界に達したのだ。

 徐々に暗くなってくる視界。イリスを追おうとした勇者が崩れ落ちる俺を見て歯噛みしつつその場に立ち止まるのを見ながら、俺の意識は闇に落ちた。

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