一日目 生存記録、開始
頭が猛烈に痛い。
どうやら強く打ち付けてしまったらしい。
身体をゆっくりと起こすも当たりは暗くまともに見渡すこともままならない。
一体何があったんだっけか。
そうだ、俺は勇者パーティの一員として破壊の限りを尽くす邪竜を滅ぼしに迷宮に来ていたんだ。
一つのことを思い出すと芋づる式に記憶が蘇ってくる。
あれは邪竜との戦いもあと少しになったところだったか。
「ブレスが来る、気をつけろ!」
迷宮内に勇者の声が響く。
凛と透き通っていてとても美しい声だ。
「氷壁!」
俺は簡易魔法媒体を開き、作戦通りに邪竜のブレスを防ぐ氷の壁を創り出す。
氷で創られた壁はとてつもない熱量で溶かされるがその一撃を辛うじて凌ぐ。
「流石、氷魔術だけは一人前だ」
パーティメンバーの一人から冷ややかな皮肉を浴びせられる。間違ってはいないから否定出来ないのだが。
「……褒め言葉として受け取っておく」
「駄弁る暇があるなら攻勢を緩めるな、畳み掛けろ!」
勇者からお叱りの言葉が飛んでくる。これ以上無駄なことをしているとあとが怖いので再び攻撃魔法の詠唱に入る。
確かブレス後はかなり大きな隙ができるのだと作戦会議で聞いた。今が仕留めるチャンスか。
俺は集団魔術を一人で詠唱する。
足りない穴は簡易魔法媒体で埋める。
こうして極限まで詠唱時間を縮めた大魔法を目の前の邪竜へと叩きつける。
「絶対零度!」
何もかもを凍て尽くす。
白銀の魔法は邪竜を飲み込み、その動きを完全に止めてしまう。
理論上でだけ可能な魔術だったがぶっつけ本番でも起動してくれた。
「……勝ったのか?」
パーティの一人である剣聖が小さく漏らした。無意識中の小さな言葉は、動くもののいない静まり返った迷宮内で反響し、よく聞こえた。
仕留めたはずだ。世界を絶望へと陥れた魔王でさえもこの魔術の前にはなすすべもなかった。あの邪竜もひとたまりはないだろう。
「……油断するな!」
勇者が強く言い放つ。
念の為に俺は氷像と化した邪竜の魔力を探る。
……なんだ、これは。
「……まずい、離れてッ!」
俺は咄嗟に叫んだ。
次の瞬間には形勢は逆転していた。先程まで静止していた邪竜は元に戻っており、俺の放った絶対零度がこちらへ迫ってきている。
勇者が聖剣で剣戟を入れ、白銀の波動を消滅させ僅かな逃げ道を作る。
「急げ、撤退だ!」
あの勇者も珍しく焦りを隠しきれていないようだ。確かに集団魔術を弾かれるとは思ってもみなかった。
ただ、勇者はどこまで行っても勇者であって、決して諦めや絶望と言った雰囲気を感じさせない。
跳ね返された白銀の波動は尚も俺達に迫り来るが、勇者の聖剣がそれを寄せ付けない。
しかし、迷宮脱出もあと少しと言ったところだった。
俺の足元が爆発し、迷宮が崩落する。
「罠!?」
勇者は咄嗟に落ちていく俺の手を取ろうとするが、微量に魔力を含んだ不自然な風が邪魔をする。
「スコル!」
勇者は俺の名を叫ぶが俺は崩落に巻き込まれ、下へ、下へと落ちてゆく。
どうやら爆発の崩落に巻き込まれているのは俺だけらしい。勇者や他の仲間は狙っかのようにすんでのところで助かっている。
ただ、落下している時に俺は仲間であるはずの賢者と神官が笑みを浮かべていたのを見逃さなかった。
要するに、嵌められたわけだ。
これが事の顛末。
そして真っ暗闇の現在に至るというわけだ。
辛うじて持っていたランタンに明かりを灯す。点火具共々かなりひしゃげてはいたが運良く機能はしている。
魔道具であるランタンのおかげで辺りは明るく照らし出され、俺のおかれている状況がはっきりとしてくる。
まずは俺がなぜ生き残ったのかだが、それはお守りとして持っていた指輪が身代わりとなっていたらしい。
小指にはまっていた指輪の宝石が跡形もなく消えているため、恐らく効果が発動したのだろう。
この指輪は勇者が肌身離さず持っていた魔道具だったが、邪竜との決戦前にお守りとして譲り受けたものだ。
とはいえこんな状況だ、あの指輪もかなり高価なものだったし手放しには喜べない。
次に近くに透明度の高い水たまりがあること。これは生きることにおいて重要なことだ。人間は水が無くては生きられない。こうして飲める水があることは幸いだ。
もうひとつの懸念として食料の確保だが、水と食料は神官が一元管理していた為に俺は最低限の装備と道具しか持ち合わせていない。個人用の小さな水袋は用意しているが、きついことには代わりないだろう。
ここで大人しく野垂れ死ぬのも一つの手だが、残される双子の片割れの為にも死ぬ事は出来ない。それに最後に見えたあの賢者と神官の笑みも気になるところだ。邪竜も倒せていないし、早めに戻らないと勇者諸共この世界がどうなるか分かったものじゃない。
その次に、俺の装備は短杖を除いて健在だ。愛用の短杖はどこかに紛失してしまっている。
短杖は片手で持てて短剣と合わせて使うことで接近戦もできる便利な武器だ。なくても魔術の行使は可能だが効率や出力は大幅に落ちるだろう。
どこかで調達しなくてはならなそうだ。
最後に、ここからは一本だけ道が見える。どうやらここは行き止まりのようで、ここを進む以外の選択肢はないらしい。上に登るのは魔術師である俺の体力が保たないのでナシだ。
「……問題山積みじゃないか」
それは呻きにも似た小さな呟きだった。
あの時に並ぶレベルで最悪な状況だ。いや、それ以上かもしれない。
とにかく、まずは探索からだな。
俺は落ち着けていた腰を持ち上げると先の見えない暗闇へと歩みを進める。
極限とも言える状況ながら、俺の頭は驚く程に落ち着いている。
まあ、取り乱したところで死が早まるだけなので、これは不幸中の幸いだ。
水たまりのあった場所を起点として周囲を探索した結果、俺の取れる選択肢は以下の通りになった。
まずは何もせずに死を待つ。これは言うまでもなく論外だ。
次に分かれ道を左に行き、坂道を下っていく。ちなみに下った先には太くて長い蛇のような何かが一面中に蠢いてた。言った居所ではなく複数体いることから数の暴力に勝てそうにないのでそっとして置くことにする。
……地獄かなにかか、ここは。
ちなみに右の道は下ることも登ることもなく平坦な道だった。そこから進むと縦に空洞が伸びており、下るか向こう側に飛び移ることができる。
下は流石に調べてはいないが、向こう側には目を持たない人間の形をしたナニカがいた。
数にして三体ほどで、音や光に反応するでもなくなにか一定の規則性を持って徘徊しているようだ。魔術で創り出した小さな氷塊を目の前に投げたが気にする素振りは見せなかった。
排除してしまえるのではないのかと思ったのだが、手に長杖を持っていることからある程度の魔術知識があるものだと推測される。
下手に抵抗され反撃されるのも厄介なので手出しは控えることにした。
かと言って友好的かも怪しいので近づくのもナシだ。まともなコミュニケーションを取れる自信が無い。
あとやれる事としては耳につけた使い捨ての魔道具で生存を報告することくらいだ。報告すると言っても地上にいる双子の片割れにであって、勇者パーティや帝国自体に報告することは出来ない。
そのための魔道具を保有していないからだ。
話せる時間は体感として2分ほど。アイツにはこちらに何かあれば掛けるからそちらからはかけないでほしいと伝えている。なのであちらから掛かってくる可能性は低いだろう。
まあここで使っても生き延びれなくては意味が無いので、脱出できた時か生きることを諦めた時だけに使うことにしようか。
うん、まだ甘えちゃいかん。
ひとまず行動範囲を広げるために未探索の縦穴の下に降りてみることにした。防寒対策として羽織っていたマントを短剣で裂き、それらを結び合わせて簡易的なロープにする。
うむ、魔道具なだけあってロープにしても頑丈だ。
竪穴の高さについてはあらかじめ魔術で創り出した小さな氷塊を落として確かめているので抜かりはない。
降ってみたところ、人一人が通れそうな通路に降りた。
幸運なことに坂道の先の蛇もどきがひしめき合った空間とは繋がっていないらしい。ただ青白く光る結晶が途中途中で飛び出してきており、これが鋭くて危ないこと限りない。
治癒魔術の使えない俺では回復手段を自然治癒にしか頼ることしか出来ない。ダメージを負うのはできれば避けたいものだ。
一応、水晶を短剣で切り落とせないかを試したが下手な精霊銀よりも硬いらしい。短剣の刃が欠けてしまったのは驚いた。使い物にならなくなるのは困るのでこれ以上の手出しはやめておくとしよう。
僅かに流れる魔力を辿ってみたところどちらもそれぞれ別の広い空間に繋がっていそうだ。
上にある迷宮よりもこっちの洞窟の方がよっぽど迷宮らしいぞ!?
これからやることと言ったら二つある広い空間の探索だ。
嫌だなあ、行きたくないなあ。
まあ、こんな所で野垂れ死にするのも嫌なので行く他ない。
水晶の密度の薄い方と濃い方があるので、通過する危険度の低い、水晶の密度が低い通路を通っていく。
通路の先には予想通り広い空間があり、壁や地面には仄かな光を放つ小さな水晶が所々に見える。
明るさとしてはランタンを使うことで何とか視界を確保できるレベルと言ったところか。
広い空間の壁や天井には大の大人が3人くらい並んで通れるレベルの大穴が空いており、それがまた不気味さを醸し出している。
暫くの間何かないか調べていると、この空間の中央になぜか一つだけ置いてある豪華な宝箱を見つけた。
いやいや、あからさまで怪しすぎるだろう。
慎重に近づいて確認すると、鍵穴がついていることが分かった。安全を確認し、試しに開けようとしてみるがビクともしない。
……また後で来てみることにしようか。
大穴については調べているとキリがないし、迷いそうなので調べないことにする。
宝箱を諦めて、もう一方の危険な道を通っていく。
だが、ある程度進むと通路が水晶で埋め尽くされ、通ることすらままならないとこが分かった。
こっちはこっちで修羅の道らしい。
一旦、最初の地点へと戻り水たまりから水をすくってそれを飲む。
ひんやりとした水は俺の体の火照りを奪っていく。
時間もどれだけ経ったのかが分からない。邪竜戦と探索で立て続けだったので疲労がピークに達しているのも確かだろう。
無茶をしすぎた。
今は休んで今後に備えるとしよう。