入院が長引くことになった
南大陸の魔王城に、その報せが届き受け取ったのは四天王の一人であるマクスウェルであった。
ちなみに、今さらだが四天王というのは俗称というか通称で、正式な役職名は南大陸担当魔王補佐役という。
イメージとしては副店長が四人いると思ってもらえば良いだろうか。
「それは、また何でだ?」
マクスウェルの当然の疑問に、通信画面の向こうにいる樹里は苦笑しながら説明した。
『いやぁ、あははは。
あの、私がわざと殴られたのは知ってますよね?
実は、思ったより中のほうにダメージがあったみたいで、網膜剥離になったっぽくて、手術することになったんです』
網膜剥離とは、目の病のひとつだ。
網膜剥離は、加齢や糖尿病網膜症などの一部の病気、事故などによる頭部や眼球への物理的ショックが原因で引き起こされる。いずれも網膜の裂け目ーー網膜裂孔が網膜剥離の一歩となるらしい。
眼球の中は硝子体というゲル状の物質で満たされていて、何かのきっかけでこの硝子体に網膜の一部が引きずられ、網膜に小さな裂け目ができてしまうことがあるとのこと。
裂け目をそのまま放置しておくと、この小さな穴から網膜とその下の層との間にどんどん水分が入り込んでいって、最終的には網膜が剥がれてしまうらしい。
放っておくと失明する危険があるらしい。
ちなみに、自然に剥がれる場合もあり、この場合は医師の診断次第だが前者と違って失明の危険などはないらしい。
今回は失明の危険があるとのことで、手術となったらしい。
「わかった。では、そのようにこちらも仕事を調整しよう」
『すみません』
「気にするな。それよりもミルがいるだろ?」
『あ、はい。
えっとお知り合いですか?』
「姉だ」
『お姉さんですか。へぇ』
そこで、マジマジと樹里はマクスウェルを画面越しに見てくる。
『何て言うか、マクスウェルさんの方がお兄さんっぽいですね』
「この歳になると、ほぼ誤差だけどな。
あと、姉と言っても向こうの方が年下なんだ」
『あ、なるほど。じゃあ血は繋がってないんですね』
「まぁな。それよりもお嬢ちゃん。
何事も程々にしときなさい。
さすがに、今回のはやりすぎだ」
自分よりも、はるかに歳上の部下から言われてしまう。
それがどれを指して言われたことなのかは、樹里にはわからなかった。
『その加減を、誰も教えてくれなかったんですよ』
だから、苦笑のままそう言った。
「これから覚えて行けばいい。迷った時は、それが合図だ。
迷うっていうのは、実は違うんじゃないか?と疑問に感じているということだからな。
迷いを基準にすればいい」
『中々、難しいですね』
「そうでもないさ。自分の好きにすると良いだけだからな」
『それが一番難しいんですよ』
「どうしてだ?
誰も文句は言わないだろう?」
『そうでもないんです。
絶対に誰かから失敗したりした時に、『それ見たことか』と上から目線で言われることが多かったもので。
あとは『せっかく注意してやったのに』とか『言ってやったのに』ってのも多かったですね。
まぁ、ようは公私ともに下に見られることが多かったんですよ。
その度に、『納得して行ったことだから』って言うと『せっかく心配してやったのに』ってこんな感じでマウントを取られるというか、否定しよう、支配しようって人と出会う機会が多すぎて。
もうそれが嫌すぎて、注意だと認識出来なくなってるんです。
だから、私は基本、自分が正しいと思ったことは黙って実行するタイプになってるんでしょうね。
好きを公言して、正しさを公言して動くのが悪のように言われて来たんで』
「押さえ付けられるのは、誰でも嫌なものだ」
『ですよね~』
「ただ、ひとつ言えるのは。
少なくとも、南大陸のこの城には、お嬢ちゃん自身をそうして攻撃する者はいない。
君は仕事の上でなら他者の意見を聞く耳と、考えを持っている」
『買い被りすぎですよ。
私は、そんなに頭は良くないです』
「仕事の上で、その手を血に染めた。
それは、決して間違いではない。
君は、少ない犠牲で人を救った事実がある。
受け入れにくいだろうが、それもまた事実だ。
人知れず悪と戦った英雄だよ。だから、誇っていい」
『気にするな、ってことですか?』
「人の心は、今の神の加護で耐性がついていたとしても、そう簡単に割りきれるものでも操れるものでもない。
それは言霊使いにだけ許された特権だ。
俺も、お嬢ちゃんもそんな特別を持っていない。
だから傷ついていいし、誇っていい。それだけだ」
『説教くさいですね』
「爺だからな」




