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誰が為に悠久を謳う

作者: 杭荒矯四

「ここに願いは成就した――」

暗い部屋、土地価格が向上し続けているとある都心部にそびえ立つ高級高層ビルのとある一室。

全面ガラス張りから差し込む人工的なささやかな電灯。

名前は忘れたけど小太りの中年の男性が年甲斐もなく地面に頭をこすりつけて跪いている。

所謂土下座というやつだよね。

「ありがとう、ありがとう」

歓喜あまって泣きながら声を振るわす中年男性。この時ばかりはその愚かさ故に私はつい笑いそうになってしまう。

「感謝の必要はなし。私はおまえから相応の対価を得るのだから??」

未だに礼を言い続けるこの男の滑稽さは同族たちに見せてやりたい。

「本当にありがとう、これで我が社も安泰。相応の礼はさせてもらう!」

ずびっと鼻水を吸い上げる音、ぐしゃぐしゃのみっともない顔を拭きながら顔を上げる男。

「ああ。こちらも対価を貰えれば問題なし。??では、対価を頂こうか」

「わかった。いくらだ?一億か?十億か?」

「……何をいっているんだ。最初に言ったであろう。対価はそのときの願いで変わると」

「ああ?だから金だろう?一流の大企業を破産まで追い込んでくれたんだ…相応の」

「何故おまえが会話の権利を握っている?対価は無論、おまえの会社だ」

「……っ、どういうことだ!話が違うだろう!」

「私は最初の契約時に言ったよな?おまえは契約に承諾した。ならば無情であろうと非情だろうが関係はない。私には無関係だ」

男は恐怖で流していた涙を引っ込める代わりに怒りで全身を振るわせる。

「くそったれが!公平な契約ではない!取り消せ!」

「ならぬ。契約だ。いくら喚こうが泣こうが支払ってもらおう」

「小娘風情が??」

話が堂々巡りだ。早く対価を貰って帰ろう。

「では、対価は頂く。ゆっくりと成就の余韻を味わいたまえ」

手に伝わる対価を頂くなんともいえない感覚。

喚く男を無視して私は用意された召喚陣の中を通ってこの落ち着かない場所から去った。




高層ビルの一室の風景から私の屋敷の内装へと変わる。

そこにはもう元契約者の姿はなく、代わりに一人のメイドが立っている。

「お疲れ様でございます。ルシファーお嬢様」

白く冷たい雪の様にしっとりとした長い髪の毛が身体を折ると艶やかに流れる。

メイドかと問いたくなるようなその姿は幾万の男を虜にした。

「コキュートスか。苦労」

私の専属メイド、コキュートスが抑揚のなく安定を保った声で出迎えてくれた。

「……いつもの口調に戻られてくださな。このコキュートス、いつものお嬢様が一番安心いたします」

コキュートスのその一言で私の仕事モードのスイッチが完全に切れる。

「——ねぇ!聞いてよコキュートス!今回のクソ親父ったらね、対価を支払うのに駄々を捏ねるんだよ!ガキかよって思っちゃうよね!」

「人間とは愚かで下品な生き物ではございましたが、ルシファーお嬢様を困らせるなど万死に値します」

コキュートスは私の仕事への愚痴を嫌な顔をせず聞いてくれる。

今ではコキュートスが居ないと帰ってきた感じがしない。

「今からでも魂を頂いてこられればどうでしょうか?契約の対価としては十分かと……」

「それは駄目よ。私たちは慈善活動ではなくビジネスとして契約をしているのだから互いに利益になる契約をしなければ契約とは言えないでしょ?だって私たちは悪魔なんだから」

そう。私たちは人間の罪を満たす悪魔。私たちは人間の罪を満たしてそれ相応の対価を得ることで生きながらえているのだから本来は文句をいってはいけない。

「お嬢様の仰るとおりでございます。浅慮な私をお許しください」

「いいよ。コキュートスは私の愚痴を聞いてくれるんだから気にしないで」

「お嬢様、感謝致します」

「それより私の不在の間、何事もなかった?」

「いえ。アザゼル様が一度来訪なさいました」

「アザゼル?」

「はい。ですがご命令どおり追い返しました」

むさ苦しい同郷の悪魔の姿を思い浮かべる。

……女に蹴られる光景や罵倒される光景しか出てこない。

「ご苦労」

本当にマイナスイメージしかないやつ……。

「ありがとうございます」

「他には?」

「特に報告すべきことはございません」

「わかった。じゃあ、もう今日は休んでいいよ」

「かしこまりました。ではまた御用の際は——」

「いや、休んでいいっていったじゃん」

「御用の際はお申し付けください」

「……はいはい」

「では、失礼します」

コキュートスは一礼すると音を立てずに部屋から出て行った。

「——ふぅ」

人間の罪は時代とともに重くなる。

ある者は名声を。

ある者は富みを。

ある者は復讐を。

ある者は幸福を。

人間とは多くの欲を抱える生き物である。

欲を持って生まれ何かしらの欲によって死んでいき、私たちはその欲に寄生して生きていく。

彼らは私たちに欲を満たしてもらうこと、人間と悪魔がWinWinな関係だからこそ私たちの商売は繁盛している。

現代風に言うならビジネス、契約通りに遂行しそれに応じた対価をもらう。


ほら、そう考えているうちにまた——

「商売繁盛大歓迎だけど、今はちょっとめんどくさいなー」

天井を見上げると召喚陣が展開されていて丁度私を包む様に光が差し込む。

「コキュートス、行ってくれないかなー」

これは人間が悪魔を呼び出す時に使う、いわば人間で言うところの交通機関の様なもの。

この召喚陣を通して私も含め悪魔は人間に呼び出される時にその召喚主の元まで迷わずに行ける。

一度召喚陣の呼び出しは代理の悪魔を立てない限りは基本ランダムにしろ指名にしろ割り当てられた悪魔が赴かなければならないというルールが存在する。

私は抗う術も抵抗する理由もなく淡々と召喚陣の光に飲み込まれて行った——



――――


「我を呼び出したのはおまえか」

白いカーテン、天井、ベッド、全てが白で統一された不可解な部屋に私は呼び出されたようだ。

部屋を彩るのは飾られた花々と開いた窓から差し込む淡く心地よい月明かりのみ。

「——あなたは」

そのベッドの上で起き上がりこちらを見ていたのは一人の少年。

病的な程に白い肌。身体は不健康な程に窶れていて瞳には生気が宿っていない。

(つまんなそうな人間。本当にこいつ、私を呼び出したの?)

今まで呼び出されたことがない場所で疑問が浮かぶばかり。だが、ここでうろたえてしまえば私の【ルシファー】としての威厳は保たれなくなってしまう。私は必死にお腹から声を出し喉に一層力を入れる。

「人間。我が問うている、答えよ」

「は、はい、僕、です」

身体を強ばらせ怯えながらも意思表示をした少年に不承不承ながらも私は頷いた。

「よろしい。召喚主よ。呼び出されたからには我は等価交換でおまえの願いを一つ叶えてやる。さぁ、遠慮せずとも言うがいい」

「……本当、だったんだ」

少年は何かを呟いた様だが、生憎私はそれに興味がない。

肝心なのは契約をするかしないか。

「さぁ、望みを口にせよ。不老か?不死か?復讐か?それとも金か、名誉か。……どれでも良いぞ。」

「……僕は」

少年は口を開いた。馬鹿め。契約の内容も聞かず答えるなんて契約書を見ず契約するようなものだ。

あえて私が契約に関して口に出さないのはこの少年は騙しやすい馬鹿正直な人間だからだと思ったからだ。最終的な目的の為に突っ走りすぎて過程に出る犠牲を考えもしない怠慢。こんなやつは一番鴨にしやすい。

(別に聞かれれば答えるし嘘をついた訳でもない。ただ契約内容を確認しないのならば【双方の合意の元】で多めに代償を貰うだけ。まだ取り決めてないし不正でも何でも……)

「友達が欲しい」

「ああ、わかった。友人だな……。では、契約の代償は……、友人?」

しまった、ついいつもの流れで返事をしてしまった。

「待て、友人とはどういうことだ。そこはもう少し実現不可能なことをだな……」

「駄目なんですか……」

「駄目の以前に悪魔呼び出しといてそんなちっさい願い事って何ごと!悪魔舐めてんの……るのか」

しまった、以外にしょぼい願い事につい本音と本心を語ってしまった。口調を必死に外向きに戻すが少年は大きく開いた瞼を閉じる気配がない。

「願いを叶えるっていったのに……。悪魔って意外に選り好みするんですね」

(この少年、【弱い】人間の部類だと高をくくってたけど、めんどくさい人種だったのか)

「はぁ……。あーあ。僕の数少ない贅沢な願い事をなんでも叶えてくれるネコえもんのような悪魔を期待したのにー。拍子抜けだなー」

(……というか、私、完全に舐められてない。しかも急にムカつく仕草になったんですけど)

「悪魔って平等でそれ相応の対価を払えば叶えてくれるって本に書いてあったのになー。嘘なのかなー。あなたがポンコツだからなのかなー」

「おい、人間。我をポンコツだと。冗談はその貧弱な見た目だけにしろ。我は地獄の魔王にして超大当たり……んん。傲慢の魔王ルシファーである」

「ルシファーって聞いたことある。確か神話とかに出てくる、堕天使、だよね。ゲームとか漫画とか、めちゃくちゃ強いやつでしょ?」

少年は期待の光を宿した瞳で私を見る。少々照れくさいが誇らしくもある。

「ああ。そのルシファーで相違ない」

「じゃあ、僕の願いも叶えられるんでしょ」

「貴様の願い事なぞ叶えて……やりたいが、無理だ」

「なんでよ、やっぱり君、ポンコツなんじゃない。名前ばかり……」

「こればかりはどうしようもない。おまえにはおまえの願いを叶えたる代償を持ち合わせていないからな」

「え、代償……?それって僕の魂、とか命、とかじゃないの?」

私を召喚した少年は本当に無知な様だ。悪魔を呼び出しておいて契約内容以前に契約の仕様を理解していない。

私は呆れてため息を吐くしかない。

「仕方がない。説明してやるか」

「悪魔は基本的に召喚された人間の願いを叶えなければならないがその代わり願いを叶えた悪魔には相応の代償を支払わなければならない。これは理解しているな」

「うん」

「願いを叶えた代償を受け取る悪魔側は願いに応じた双方の適正な代償しか受け取れない。例えば、人を殺したいという願いであれば殺した人間の本来の寿命分を差し引いたもの。例えば人を生き返らせたいのならば魂という風にな」

「ようは悪魔に支払われる代償は人間で言うお金みたいなものだ。物を買い金を支払う。多く取りすぎてはこちら側がペナルティーを与えられるからな。今回の願いの代償に命は釣り合わない、というわけだ」

「じゃあ、僕には代償を支払うモノを持ち合わせていないってこと、なの……」

「今回の願いは【友達が欲しい】だったな?」

「そうだよ……。友達が欲しい。生まれてから家族と医療関係の大人達以外とは接したことがない。僕は今関わっている人とは関係ない外の世界の、誰でも良いからお喋りできる友達が欲しいんだ」

「おまえの気持ちはよくわかるがその願いの支払いの代償は【人間関係】だ。努力して年数を重ね積み上げて来た他者との関係。圧倒的に外界の人間と関わりの少ないおまえに支払える代償ではないのだ。友人を作るということは友人となる相手の運命もねじ曲げる必要があるしな」

「…………」

少年は想像していた事態とは正反対の予想外の展開に表情を絶望的に歪める。この手の人間は幾度となく見て来たが今日こそは契約者に同情してしまう。

「そうか。……やっぱり、僕は一生このままの生活なんだ。なんの楽しみも得られないまま、死ぬのか」

少年は絶望に脱力してベッドに倒れ込んでしまう。暫く動かないので様は済んだし帰ろうと魔法陣を展開させた時、少年は口を開いた。

「最後に、僕の話に付き合ってよ」

悲しみで喉が震えている声。それ自体に興味はなくすぐ帰ろうとしたが私は気まぐれで思い踏みとどまった。

「……いいだろう」

私は魔法で生成した椅子に座り、暇つぶしで彼の話を聞いてやる。

(この手の人間は合うの初めてだし、ちょっと話聞いてみよ。つまらなかったら帰ればいい話だし)

「僕は小さい頃から心臓の難病でね、運動もしてないし体力もない。親はこの難病のせいで負担をかけた。毎日毎日働いて、募金を募って集まった金で手術したが治らない。学校にも行ったことなければ人とあまり接する機会もない。絶望したよ。本を見てテレビを見て情報を集めて知識欲は満たしたけど外から聞こえてくるのは病院の子供達が楽しそうに遊んでいる声。それが一層僕を嫉妬させ好奇心を刺激させた」

「当然だな。興味を持つことは人間の欲を刺激する方法の一つだ」

「僕は死にたいと感じた」

(——こいつ)


「募金を募っても治らない身体。好きなことが出来ない人生。何もかもがもどかしくなってどうにかなってしまいそうだ」

「そして親にも負担をかけている。僕には生きている資格があるのだろうか。死んでしまいたい。どうせすぐ死ぬ身体なら楽しんで死にたい」

「——だって、今まで楽しいと思えることがなかったから」

「——ふっ」

私はふと笑いがこみ上げて来た。優雅に振る舞おうと我慢するが。そもそも私に我慢の必要はあるのだろうか。

「ふっはははははははははははは」

「ど、どうしたの。この話、結構シリアスなんだけど。笑える要素あった……?」

「あった、あったともよ!貴様、どこまで傲慢なんだ。親に散々金を貢がせてどうせ治らないなら楽しんで死にたい?貴様とんでもない傲慢男だ。欲深い。面白い!」

「ふふふ、こんな傲慢な男、久しぶりに見た。爽快だ。……今の私、とても気分がいいわ」

私はこんな惨めで愉快で愚かで退屈しない男に出会うのは初めてだ。不幸続きと嘆かれる人生を送り、保身的な言葉に隠れた諦めの中にある欲。——すなわち傲慢。

「——いいだろう。気が変わった。ある条件下であればおまえの願い叶えることができるぞ?その傲慢。傲慢の魔王ルシファーが満たしてやろうではないか」

それこそ、私が願いを叶えて上げる人間に相応しい。

「……ほ、ほんとう?でも、さっき叶えられないって……」

「悪魔に二言はない。それに、その方法は【正法】の話でだ」

私の話の答えが見えてこず少年は首を傾げるばかり。私はいちいち答えるのがめんどくさくなって来た。

……ので、論より証拠だ。

「不思議そうな顔をしているな……。まぁ、見ているがいい」

そうして、私は一度少年と明日またこの時間に来ると約束を交わし、魔界へ一度戻った。



――――





――魔界の自室。

「どうよ、これ」

中途半端に長い袖のカーディガンにYシャツを着こみ、短いプリーツスカート。いわば、人間の姿。高校生が着る制服に着替える。

別に趣味と言うわけではない。趣味ならば昔の内にこの制服を着こみ、今頃飽きているからだ。

「お嬢様、大変お似合いでございます」

パチパチと両手を叩き賛美の声を発するコキュートス。例えそれが主従の間柄の世辞だとしても私には嬉しかった。

当然、似合わない、という声より、似合う、という声の方が嬉しいに決まっている。

「ふふん。まぁ、私に似合わない服なんてないし?魔界も卒倒するほどの美少女だし?」

「全くもって仰る通りでございます。魔界の煉獄の炎よりも情熱的で天界の神すら凌駕する輝きを持つ美貌はお嬢様を置いて他におりません」

チェック柄の短いスカートを揺らし、窮屈なリボンを緩めながら私は恥ずかしさに頬を掻いた。

冗談めかしで吐いた自画自賛の言葉をこの悪魔は本気にし、さらには褒めるのだから恥ずかしさを紛らわそうと思った気持ちがさらに悪化していく。

「え、あー。そこまでおだてられると逆にツッコミづらいというか……」

コキュートスはいつもの無表情と一変、目を引ん剝かせ大口を開けて食い入る様に私に言った。

「本当のことでございます!」

コキュートスの珍しい、というかコキュートスという悪魔を知っているものからしたら想像もつかない激しい反応に主人としても長年を共にした悪魔として素直に驚いた。

「……そこまで本気にならなくても……」

「あ……。こほん。失礼しました。お嬢様の【ガクセイフク】というお召し物を来たお姿がとても魅力的で、つい……」

そう、私は取り交わした契約に従い、契約者の願いを叶える為にこの格好をしている。

「いつもの重苦しい服より、こっちのガクセイフクって動きやすいわね。コレがニッポンの服……」

「はい。お嬢様の命に従い、僕共に大至急用意させました。お気に召したようで何よりです」

召喚主の要望は【友人が欲しい】それを叶える為には関係操作といった人心掌握に等しい精神魔法など何十もの魔法を展開させなければならない。

それは私に取っては容易いが先も行った通り召喚主の少年にはそれ相応の対価を払えるだけの勘定はもっていない。

「——ので、私がその【友人役】を買って出たというわけ!我ながらいい名案じゃない?」

「素晴らしいお考えでございます。……しかし、お嬢様、御身自身がわざわざ人間に成り済ましてまで友人役を買って出なくてもよろしかったのでは?」

コキュートスの疑問はもっともだ。彼女はつまり「めんどくさければ元から契約しなければいい」と至極当然なことを言う。

「契約者といっても所詮人間。そんなお手間を取らずとも強制帰還という手段もあったはず……。何故、お嬢様はあんな下等生物と契約を交わされたのでしょうか」

コキュートスは深々と頭を下げ質問の問いを待つ。答えるとも分からないのに。主人に無礼を尽くしながらも礼を尽くして待つその姿勢は全く持ってコキュートスらしい【傲慢】だ。

——だからこそ、私も自身を持って答えよう。

「決まってるじゃない。【退屈しないから】【面白い】それだけよ」

悪魔の行動原理。欲を満たす行為。それがどんな欲であれ満足感を得られるのなら。達成感を得られるのなら。危険だって犯す。それが長年を生きる悪魔の糧。膨大な時間を過ごす娯楽方法だ。

「ありがとうございます。お嬢様。非礼の限りを尽くしてしまい申し訳ございません」

満足が行く回答だったのか無しかない表情には少しだけ輝いて見える。笑っていないのに笑っている様に見えるのは偏に彼女が喜んでいるからだろう。

「……もういいかしら?そろそろ少年と約束の刻限なんだけど」

「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。お嬢様」

私がそう告げるとコキュートスは深々ともう一度礼をして重々しい部屋の扉を華奢な身体で開ける。

鈍い光を放つ扉の入り口に私は一歩、また一歩と踏み出した。

「——では、いってらっしゃいませ」

最後にコキュートスの声を聞いた後、木と鉄の摩擦が生じた音が遠く、後ろから響いた。




―――――






——いた。

病室の前の薄い扉のガラスの向こう側。開いたカーテンから宵闇に輝く月を見ている様子だ。

私は再度、服装におかしいところがないか確認をし、周囲にいる人間に気づかれない様にそっと開けた。

「——君は……」

こんな夜更けの来訪者、しかも見慣れない【少女】が突然現れたら普通は驚きはするだろう。

「……すぅ」

それは少年も例外じゃなかったらしい。私は言ったん呼吸を置き、コキュートスに任せて調達した人間界の雑誌に書いてあった通りの口調や仕草を真似た。

「やっほー。ちょー久しぶりじゃん!どったの?そーんなくらい顔してー。ちょーイケテナイんですけど—。きゃはっ」

「……あー」

少年は私の行動から見ては行けない物を見たかの様に気まずそうに顔を歪め私から視線を逸らす。

そんな腫れ物のような扱いに乗り気ではなかったこういった行動をしでかしたことに恥ずかしさが一気に込み上がって来た。

「る、ルシファー……で、いいんだよね」

挙動不審に私の顔を見ながら確認を取る少年に、私は誤摩化す術もなく一度頭を縦に振った。

「そ、その格好、高校生の格好……で、いいんだよね?」

「あ、ああ」

「……どうしてそんな格好を?」

「それはだな……」

私はそもそも理由については隠す気ではなかったので簡単にこの姿になった経緯を一通り説明する。

すると少年は案外普通に納得してしまい、逆に嬉しそうに口角を上げた。

「僕と、友達になってくれるの?」

【友達】。少年はそう口にした。私自身も代役という軽いノリで言ったがいざ口にすると何故か違和感が湧く。

自分が決めて契約者の代償の対価として行う行為のはずなのに心がもやもやしてならない。嫌なのか。

「どうしたの?僕、なんか変な言葉言ったかな?」

例えそうだとしても私が自身で口にした言葉であり、少年はそれに対して確認の言を取っている。ここまで来て私個人の気まぐれでこの感じた心を理由に断ることも出来るはずがなく。

「ああ。悪魔に二言はない。契約に基づき対価として【いなかった友人と過ごす時間】を叶えよう。代償は一緒に過ごした日数分のおまえの寿命だ」

私は対価と代償の確認を告げてそっと手を少年に差し伸べた。この手を取れば契約は為され、彼は私と正式に契約することになる。

「無論、断ることもできるがな」

断れば私との仮契約は破棄されて私は速やかに魔界へ帰還できる……が。

「勿論だよ!ありがとう、ルシファー。今日から僕と君は友達だ」

彼は迷いなく嬉々として告げると颯爽と男とは思えない両手でやせ細った両手で私の手を握った。



―――――





「で、おまえと私は友達になったが。そもそも友達とは何をするんだ?」

昨日、契約を済ませた私は時間も時間だったので一度魔界に帰り出直して少年の病室に訪問した。

何本かのチューブで繋がれた少年は悩む様に片手を顎に添えた。

「うーん……。お喋りしたり、遊んだり?」

「話なら現在進行形でしているしおまえは外で遊べる身体ではないのだろう」

「といっても、僕友達いなかったんだから何をするなんてわからないし。ルシファー、じゃなかった【瑠璃】はどこへでも行けるし、誰とでも関われるんだから友達の一人か二人、いるだろ?」

「そもそもそれがわかっていたらおまえなどに聞かん。おまえが私を欲したんだ。なにをするかはおまえが決めればいい。私はそれに従おう」

「まず、それだよ」

「……それ、とは」

「その喋り方だよ!全然友達っぽくない。テンプレ的な偉い人の喋り方とか他人行儀すぎる!あと決めればいいって何だよ。友達なら一緒に考えるべきじゃないか」

「おまえ、なんか遠慮ないな……」

「友達なんだから親しい距離感ってある……だろ?」

「そこで私に聞くか……。まぁ、そうだな。……わかった。普通の喋り方にするわ」

「普通?瑠璃、君の喋り方ってそれが普通なのか……?」

「なに?そんな珍獣を見るかのような可笑しな表情は。文句あんの?」

「いや、別に文句はないよ。ただ、本当に普通の女の子みたいな喋り方だから、自分で言っておいてあれだけどびっくりしちゃって……」

「……はぁ。この魔王ルシファーにこんな物言いできる人間なんてあんたぐらいだわ。他の人間は恐怖に戦きひれ伏すのに……変わった人間」

私は彼に抱く好奇心と敬意も何もない彼への言動と態度に呆れつつも感嘆を吐いた。

「瑠璃って僕以外にも沢山の人たちと契約したんだよね」

「まぁね。だって私、悪魔だし」

「じゃあ、話題もないしその人たちの事でも話してよ。僕、知りたいな」

「どうして?聞いてもなんの意味もないのに」

彼の頼みの意図を考えても疑問しか浮かんでこない。

何故自分と関係ない出来事を聞きたがるのか。何故自分の知らない人間を知りたがるのか。必要に差し迫ってもいないのに、私にはその意味がわからなかった。

「好奇心だよ。僕はずっと限られた場所の限られた人間しか見てこなかった。雑誌を見ても、映像を見ても全てが同じに見えてしまう。だから、僕は瑠璃が出会って来た人間たちの話とか聞きたいな」

別に喋ってもいいし喋らなくていい。いつもならそんな些末なことすら喋りたくない気持ちが勝る。……だが。

「……まぁ、いいけど」

悪魔のくせに。少年の生きて来た人生。少年の今まで限られたものしか映らなかった瞳は悲し気だった。

(まぁ、ルシファーの武勇伝を聞きたいって言っているのだから聞かせてあげるのが筋よね)

私は脳裏チラつくプライドにそう言い聞かせ少年が所望した話を覚えている限り話した。



―――――


「すごいね、その舌きりおばさんの話。世の中にはそういう下種な人間も居るんだぁ……」

——話の序盤のキリがいいところで気づけば欠けた月がてっぺんに上っており寂しい程に外は静まり返っていた。

「もう夜か……そろそろ終わりにしましょうか」

「ええ……まだ聞きたかったのになぁ……」

終止楽しそうにキラキラ表情を輝かせていた少年の表情は一変、惜しむ様に悲しげに表情を変化させ夜の青のように暗く落ち込む。

「私の話、そんなに楽しかった……?」

「勿論。様々な場所に行って体験した瑠璃の話はとても興味深かったし面白かったよ」

「……やっぱり、変なやつ。普通、不快感で顔を歪ませる話ばかりじゃない」

「それは自由に行動出来て人と自由に接することが出来る人間の良い分さ。少なくとも自由ではない僕からしたら本を読むより現実味があって楽しかった」

「……そう。よかったわね」

「もう、帰るの?」

少年のベッドの横にある椅子から音を立てて立ち上がる。

残念そうにこちらをみる少年。だが、そんな顔されてもこちらも帰らないわけにはいかない。

「……ええ。そろそろコキュートス……屋敷の使用人が心配するから」

理由を伝えると少年は納得した様に頷いた。

「また、会える?」

心配そうに告げられた言葉。

彼はどうしてそんな言葉を思いついたのだろう。

「馬鹿じゃないの?」

私は率直な意見としてそう述べた。

「私はあんたと契約しているんだからあんたが望めば毎日だって来るわよ」

当たり前だ。私と少年は契約をしている。一度交わされた契約は一部を覗いて破棄されることはない。

そういう意味をこめると少年は表情を綻ばせた。

「——うん。ありがとう」

何故、少年はお礼を言ったのか。

契約内のことなのだから少年は礼をいう理由がわからない。

「意味わかんない。悪魔に礼なんていらないわよ」

「それでも言いたかったんだ。ありがとう。瑠璃。また明日」

また言った。彼は私に向かって二度目の【ありがとう】を伝える。

何故という疑問を抱きながらも私は二度目の指摘はしなかった。

「また明日ね。……えっと」

このままではキリがないと私はこの気持ちに目を逸らしたまま別れの言葉を言う。

少年の名前を口にしようとする。……今更になってだけど私、彼の名前を聞いていなかったことを思い出した。

「言葉……鈴井言葉」

少年、コトハはそんな私の言葉と表情から自分の名前を教えてくれた。

「コトハね。……コトハ、コトハ……。うん。覚えたわ」

私は聞いた名前を忘れない様に何度も言葉にして確認をする。

「じゃあ、改めて。明日また会いましょう。コトハ」

もう忘れないというほどに覚えると私は人間同士の挨拶の言葉を口にした。


―――――


「お帰りなさいませ。お嬢様」

屋敷の一室。部屋へ転移するといつものようにコキュートスが頭を垂れ出迎えてくれた。

「ただいま。コキュートス」

私は持っていたスクールバックをコキュートスに渡す。

「平均帰還時間を6時間もオーバーしております。お帰りが遅いので心配しておりました」

案の定心配していたコキュートスは険しい……ように見える眉を微妙に下げた。

「……待たせたわね。コトハと喋っていたら遅くなっちゃった」

私はありのままの真実をコキュートスに伝えた。するとコキュートスの表情は何故といった疑問の表情となる。

「コトハとは……?お嬢様、人間の元へ言った後にどこかへ行っていらしたのですか?」

私は説明が足りなかったのを思い出しその間違いを訂正して補足する。

「違うわよ。鈴井言葉。私と契約した人間の【名前】」

コキュートスは動きが少ない瞼の筋肉に力を入れる様に目を丸くさせた。

「……どういうことでしょうか。まさか、お嬢様が家畜の名前を覚えていらっしゃるとは……」

「え、珍しいかな」

「はい。少なくとも、今までの契約者の名前は私が聞く限り聞いたこともなければ覚えてもおりません」

「……そう、かも。なんとなくインスピレーションであだ名とかは思い出すけど、契約者の名前、覚えてない……わ」

「珍しいというより初めてのことでございます。……どうしましょう」

「新たなお嬢様の一面を見させていただいたという下等種への感謝の言葉と新たな一面を見出した下等種への嫉妬が入り交じりコキュートスはもやもやしとうございます……」

「あなたってたまに変なところで変態よね……」

「それもこれもお嬢様が罪深い程に愛らしいからです。御身が如何に完璧な存在でカリスマ性に溢れていることをご自覚ください!」

「あーはいはい。……もう寝るわ」

「お嬢様……」



それから来る日も来る日も私は毎日欠かさずコトハの病室に通っては他愛のない話で時間を送る。

といっても私は人間の情勢などわからないのでコトハは私が契約して来た人間、見て来た景色など私が体験したことを聞いてくる。

「毎日、毎日飽きないわね」

人間とは違い悪魔は生きる時間が膨大だ。話を省略しなければ人間の全ての時間を使ってもその話だけで余ある時間を過ごすことはできなくもないほどにはこの手の話題は尽きることはなかった。

「あんたに関係ない話をしてどこが面白いの?」

「言っただろ?他者の話は己の価値観ではなく話し手の観点で話される。だからこそ聞くのが楽しいと」

コトハは病室の片隅に置かれた車椅子に視線を送る。

「僕には好きなものを見て聞く為の身体がない。限られた場所での自由しかないが故に最大限の自由を楽しむ。……その自由も楽しみ尽くしたけどね」

「……外に出たい?」

こんな狭い空間の中で何年も独り。自由に動けないって実際どんな気持ちなんだろう。私はそういう経験をしたことがないが。想像をすれば永い時を生きる悪魔だって絶する苦痛だ。

「考えたこともなかった。僕は一度も外で遊んだ記憶はないから……外は楽しい?」

「それ、悪魔に聞く?」

「今は君の意見しか聞けないから」

「……そうね。そういう観点から見たことないけれど。人間の観点とあなたの価値観を考えれば【楽しい】というより【興味深い】かしら」

私は目を瞑り未だ脳裏に浮かぶ近代の街並みの灯りを思い浮かべる。

「広大に地平線が続く太陽が乱反射した透明で透き通るような海。一日のうちに何度も色が変わる空。人間文明が発達しすぎた電子の灯が彩る都心部とか……」

やっぱり視覚的刺激を受ければ視覚を司る脳に直接影響するようだ。コトハに通ずるようにうまく言葉として伝えようと脳に焼き付く光景を事細かく説明した。

「へぇ……。こうして話を聞いていると僕も好奇心をくすぐられるよ。全て知識とメディアの映像とかで知っているけど実際自分の目でみたことがない」

「興味あるなら今度行こうよ」

そうだ。実際に言葉に表すよりそちらの方が早い。

「……いいのか?」

「あたりまえでしょ。私とあんたは【友達】なんだから」

何を言っているのだろ人間の世界において悪魔にいけない場所なんてない。悪魔の契約しているのだから有効に使えばいい。

「ありがとう……。嘘でも気持ちだけでも嬉しい」

「は?嘘?んなわけないでしょ」

「へ?」

「私が【行こう】って誘ったんだからあんたも行くことは強制。大丈夫。私ならあんたもつれてひとっ飛びで行けるから」

コトハは失礼にも幻を見るようにしぱしぱと目を瞬かせる。これ以上説明して話が平行線に続きそうだ。

それに行くと決めたら「私もコトハと」一緒に外に出たくなった。

「ねぇねぇ、いつ行く?あんたが体調がいい日じゃないといってもつまんないでしょ?今からとかどう?」

「え……、今からは心の準備が……」

「えー、つまんない。じゃあ明日また来る時体調が良かったら行こうよ!どこがいい?」

「強引だなぁ……」

「あったりまえでしょ。私は傲慢の【ルシファー】。あんたみたいなちっちゃい人間の理由なんて知ったこっちゃないわ」

私はコトハの意思一押しするように手を引く。その一押しが良かったのか。渋っていたコトハは期待と少々の不安の色でミックスされた表情で頷く。

「わかった。……じゃあ、好意に甘えようかな!」

「決まり!どこいこうか?都心部?観光名所?地球の裏側まで言っちゃう?」

「ううーん……。あっ、そうだ」

「海。僕、海が見てみたい」

「海?そんなところでいいの?世界の7:3で海の割合が多いのに」

「瑠璃、さっきっていただろ。透明で透き通るような海って。僕、海見たことないし。テレビでみるのも釣り番組でやる濁った海ばかりだし」

「まぁ、あんたが行きたい場所だし。……いいよ。じゃあとびっきり綺麗な海見せてあげる!次いでだから人間では堪能できない楽しみ方で」

「うん。……楽しみだな。外の世界ってどんなんだろう……」

「はしゃいじゃって、子供ね。……ま、いいか」



―――――




私は軽い足取りでコトハの病室を訪れる。

昨日の今日だが。今日はコトハと外に出る約束をした。

「コトハ、来たわよ」

「——けほっ、こほっ。……けふっ」

二本足で床を踏みしめ慣れない手つきで引き戸を開ける。

「コトハ……?」

そこにはいつもの弱弱しい笑顔を浮かべた男はいなかった。

「コトハ、大丈夫?血、血が出てるじゃない」

「あ、瑠璃……」

瀕死の状態といっても過言ではない青ざめた表情で吐血を繰り返すコトハ。

「瑠璃、じゃないわよ!とりあえず横になりなさいよ」

「あ、りがとう。気遣ってくれて……」

「当たり前でしょ。あんたと私は友達なんだから」

「ご、ごめん」

「とりあえず、誰か人間を呼ばないと」

私は人間の身体を【現代医療】で治療する術は持ち合わせていない。

「大丈夫、いつものことだから。……少し安静にしていれ……」

「馬鹿、人間でもコトハは人百倍脆弱なんだから」

「……うん」

気丈に振舞う姿が更にコトハが病人だと告げる現実に少しだけ……。

「私、人間呼んでくるわね」

今は考えてもしょうがない。早く人間を呼んでこよう。

「……瑠璃」

「何よ!急いでいるんだから……」

「この、ボタン。押せば看護師さんが来るから」

「あ。……知ってたわよ!うっかりしていただけだし!……呼ぶわよ!」


――――――


「吐血したくらいで大袈裟だな……」

「具合の悪そうな顔して何言っているんだか」

少し大げさに騒ぎ過ぎたと反省するほど、治療を受けた後の彼の容体は回復しているように【見える】。

それは表面上だ。体面はかわらない。

「それにしてもあなたの母親と父親は来ないわね。こういう時って心配してくるものだって本に書いてあったけど」

「……二人はこないよ。仕事で忙しいんだ。こんな日常茶飯事のことで一々呼び出していたらキリがない」

コトハは無表情に繋がれたチューブの先の液体、点滴を見る。点滴が落ちる様はコトハの表情そのものの様だ。

「私には来るとか来ないの違いは分からないけど。あんたが今、この状況に置いて悲しいって思っていることくらいはわかるわ」

「それも悪魔の力……?」

「ううん。違う。あなたの【表情】」

「君が人の表情から感情を読み取る能力があったとは驚きだった。悪魔の君はもっと人間の感情に疎いのだと思っていた」

少しだけ私を嘲笑うように言葉を呟く。――事実。

「最初の私はね。……でも今は非力な人の身で過ごしてあんたと同じ目線で喋ったからこそ気づけたのかも」

「……え?」

「私ね。あんた以外の人間にはこうしてフレンドリーに接する機会なんてなかった。私と契約する人間なんて星の数程いるし人間も己の利益の為に呼び出したのだから馴れ合いなんて不要でしょ?お互いのことも知らないし知ろうともしなかった。名前なんて論外。こうして互いを呼び合うこともない。一方的に私が【ルシファー】と呼ばれるだけだった」

「確かに僕自身、君がこうして提案してくれなければこういった時間を過ごすことはなかったのかも」

「だからね。自分を人間に話すことも名前で呼び合うこともなれ合うことも新鮮で【楽しかった】」

これは彼と一瞬きの日々を過ごして想った感情。彼と言う人物に興味を惹かれ、彼と言う人柄を好ましく思い、彼の興味が故に人間という生き物と初めて向き合った結果だ。

「僕も楽しいよ。毎日君がここに来てくれて。外の話を聞かせてくれて。嬉しかった。もっとこんな時間を過ごせればいいのに」

「うん。でも、もうおしまい。物語が終わりを迎える様に。あなたの命も終わりが来る」

無情にも彼の消えかかる灯が近い。楽しいひと時も一息を拭くだけで終わってしまう。安寧を覚える時間は時を刻むことを止める。

「……そう。覚悟はしていたけど。こんな流れで終わりを宣告されちゃうとはな。すごく、今までのなかで一番【悔しい】」

分かっていたとコトハは視界を閉ざす。わかっていると何度も言い聞かせて。時が停止する恐怖に目を逸らして耐えて来たのだろうか。

「なんでもっと早く君と出会えなかった。もっと前に前を向くことができなかったのか。今思えば僕はずっと下を向いていたばかりに今までの人生を無意味に過ごしてしまった」

「後悔なんて今更よ。私は悪魔。無慈悲に対価に応じての代償を頂くだけのね。それはあなたの望んだこと。あなたが終わりを早めるのを代償にした夢幻」

そう、その時を止める時間を早めたのは無情、無慈悲の悪魔。私だ。己の為に他者を喰らう。誰が為にと綺麗ごとを並べながら。

「うん。わかってる。だから僕はもう満足だ。一生分の楽しいを過ごさせてもらった。ありがとうルシファー」

「あなたは終わりを告げられたのにも関わらず清々しい顔をしているのね。そんな人間も初めてよ」

「そう?そういって貰えると僕も嬉しいな。それは君の心の片隅に留まれるってことだから」

「……コトハ。あなた、海を見たいって言ったわよね?」

「——え?でも、僕、身体が弱いし……。それに体調も……」

「それとは関係なく、見たい?」

「そ、それは……」

「コトハ。私はあなたの【言葉】が聞きたい」

「…………。うん、見たい」

「そう。なら、最後の手向けよ。お代は頂くけど、行きましょう。海。元気な身体で」

「本当?僕、海見れるの?」

「ええ。あなたの残りの寿命と引き換えに一日だけの自由な身体を与えるわ」

最後の取引。プライベートではなくビジネス。公私混同ではなく公式に。

私の欲の為に彼を喰らう。彼の欲を掻き立て私は満たす。

「どう?拒否権はあなたにあるけど?」

「僕が自由……」

飾らないビジネスの言葉。嘘偽りない公平な取引。そんな取引に彼は。

「行く!僕、外に出たい!」

応じる。

「決まりね」

「——わっ」


――さぁ、与えよう。

「……これ、学生服?」

「そう!私と同じ学生服。あんた、学校言ったことないんでしょ?雑誌で高校生は憧れだって書いてあったし」

「ありがとう。僕、これ来てみたかったんだ」

「あんたが喜んでくれてなによりよ。……それで身体はどうかしら?」

――では、喰らおう。

「軽いよ。羽が生えたみたい、は言い過ぎだけど。自由に不自由なく元気に動けてる!」

徐々に、丁寧に、今までの仕事の中でつまらない願いを丁寧に。

「そう。よかった。ならあとはあなたがいない間の代役を立てるだけね」

「代役?」

「そうよ。流石にあんたがいなくなったら大騒ぎするでしょ。重病患者が逃げたって大騒ぎをもみ消すのも面倒だし」

「あ、そっか……。でも誰が代役するの?」

「それは問題ないよ。——コキュートス」

魔力を掌に込め、ぱん。と手を合わせる。

「は。コキュートスここに。……お呼びでしょうかお嬢様」

するとメイド服に身を包む貴族令嬢のような出で立ちの悪魔。

「——びっくりした!一体どこから……」

「コキュートス。私が見張りをしている間、この人間の代わりを務めよ」

「かしこまりました」

コキュートスは一つ返事で深々と一礼すると自身の魔力でコトハに変化する。

「あ、僕だ……」

「お戻りの時間は」

「未定だ。この者の命が費えるまでには戻る」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」

「いこう、コトハ」

「あ、はい。よろしくおねがいします」

「……あなたに言われずともお嬢様のご命令は絶対遵守いたします」



―――――


「うわぁ、高い」

景色は違うが大体が見慣れた光景。

正直空を飛ぶ行為は日常茶飯事。人間が二本足で歩くようなものだが……。

「人間が空を飛ぶなんてまずないしね。そういう点ではコトハラッキーじゃない?」

人間に合わせて会話を選ぶ。魔力のない人間と空を飛ぶのは初めてだ。

これだけでこのつまらない光景は忘れないだろう。

「うん。……でも男が女子高生のお姫様抱っこされている絵面は残念、かな」

「仕方ないじゃない!普通の公共交通機関で言ったら海に行く前にあなたの命なくなるわよ」

「うう……面目ない」

「と、いうわけでもうちょっと飛ばすついでに移動魔術も使うからしっかり捕まっててね」

「え、——ちょっと!はやっ」


―――――



「ぜぇ、はぁ……テレビで運転が荒い人の隣に乗っている人の気持ちが今分かる気がする……」

「文句言わない!今のあなたは一時的に健康な身体なんだから多少の無茶で体調を崩すなんてないからね」

大袈裟に息を荒げるコトハだがそんな心配は今はしない。

「……そういえば。全然苦しくないし怠くもない……」

だって彼は【今は】病弱ではない。

「それより、ねぇ、見てよ」

「えっ、なに——」

私は遠慮なく手を掴み走る。病室で過ごしていた時は壊れ物のガラスのように扱っていたが今はプラスチックのコップだ。

二人分の重さで砂浜を蹴り上げ、光で乱反射する――

「——青い、透明で海藻が揺蕩って魚が無数に泳いでて……、色とりどりの生物や植物が海を彩って、——綺麗だ」

青い、海を見る。

「人払いの結界貼ったから、海に浸かってみる?」

「うん」

手を離しコトハが一人で海に足を突っ込むのを待つ。熱い湯船に入るようにコトハは恐る恐る片足を海につけた。

「わわ、水がこっちに、——冷たい」

「なんでもかんでも声を上げて。子供ね——わぷっ」

驚き片足で蹴り上げた水飛沫は私の顔に思いっきり降りかかり、口の中は塩のしょっぱさで満たされる。

「ふはは、瑠璃の顔水浸しー」

「やったな!このっ」

「ふふふ、冷たい!ほらっ」

「待ちなさいよ!三倍水を掛けないと気が済まないわ」

「それじゃ僕ずぶ濡れだよ!」

「問答無用!!」


そして、そして、終わりの時まで私たちは悠久のような時間を過ごす。


「ほら、海の中も乙でしょ?」

「すごい、空が歪んで見える。全身真っ青!あっ、サメだ」

「あっ、ちょっとあんまり離れたら魔法の効果切れちゃうってば」

「イルカのお腹も見える!面白い!……あれって船の底でしょ!下から動くのをみるのも面白い」

「えー、海の中に入ってそこ見る?」


「わー!美味しそう。僕、新鮮なお刺身とか食べるの初めてかも」

「あったりまえでしょ。僕呼んで取ったやつ捌いたのそのまま出してるんだから」

「美味しい!このマグロ脂が乗ってて歯ごたえがあるし、なによりお醤油が脂を調和していい味出してる」

「こっちのアワビも美味しいわよ!」

「すごい!僕、アワビとか一回食べて見たかったんだ!」

「じゃあ、こっちも取りなさいよ!あとつぼ焼き焼けたみたい!」

「贅沢だな!でも楽しいし美味しいし幸せ」


――――――



「はぁ、遊んだ。遊んだ!僕、もう動けないよ」

限られた時間で詰め込んで遊ぶ行為はさすがの私も必要に迫られなかったので体験したのは今日が初めてだ。

コトハは息を切らしながら砂浜に身をうずめるが私はまだまだ遊べる。

「なんだ、だらしがないわね!まだクルーザーにも乗ってないし。次行きましょうよ」

「でも、もう夜だよ?時間的にそろそろ……」

「あ、もう月が——」

コトハの指摘で空を仰ぎ見る。今日は中天にかかる月がどこか幻想的で儚く見える。

「そう。私にとっては一瞬きすら出来ない時間だったけど」

――嘘をついた。私は時間を忘れるほど永い時間を楽しんだつもりでいた。

「今日はありがとう。おかげで文字通り。一生分を楽しんだ」

――本当は何回の瞬きでも足りない思い出を……。

私は言葉をぐっと飲み込む。ここで私の本心を告げれば【代償】は成り立たない。

「そう。……楽しめたのなら、よかった。なら、そろそろ頃合いだし。――戻りましょう」

契約に不備があってはならない。最後まで契約を遂行する。それがどんなに無情でも。



―――――




「――到着」

檻の中。静かな時を邪魔することなくで病室に舞い戻る。

行きは少しだけ時間をかけたがどんな時も終わるときは早めがいい。

「お帰りなさいませ。お嬢様」

病室のベッドで寝ていたコトハ――コキュートスは起き上がり元の姿に戻る。

「ありがとうございました、えーっと……」

「コキュートス……」

記憶を手繰り寄せるが名前を思い出せないコトハにあまり私以外とは業務以外で率先して話すことないコキュートスが名前を告げる。

「珍しいわね、コキュートスが人間に名乗るなんて」

「……畜生に名乗る名はございません。ですがこの雄はお嬢様の【ペット】程度には役に立っていたようですので……」

コキュートスは無表情に答えると私の二歩後ろへと下がる。コトハは気まずそうに頬を数度掻いた。

「それは……ありがとう、ございます」

コトハはコキュートスに向けて礼を一度。そして顔を上げて覚悟を決めた瞳で私をみつめた。

「さぁ、その辺にして。時間がないし。――始めましょうか」

私は一度頷き、コトハの肩に手を置く。

「なにか言い残す言葉とかある?」

これから私は結果的に彼を殺すことになる。だから、せめてもの【情け】で私は彼の言葉を聞く。

「――ない、かな。言い残す相手はもう……いないというわけではないけど、悲しいだけだから」

悔いはない。だが別れが悲しいことであるとコトハは表情で語る。前は人間が感じることなんて興味なかった。

「だけど、一つだけ――」

「なに?」

「ありがとう、瑠璃……いや【ルシファー】。君の傲慢に僕は救われた。君がくれた選択肢は僕に希望を与えてくれた」

――なに、それ。悪魔に希望とか、ふざけてるの……。――といつもなら激昂しそうな言葉だが不思議と心は穏やかだった。

消えゆく命が掌で感じられることで怒りが満たないのだろうか。

(――だったら)

最後ばかりは私が言葉にしよう。自分で蒔いた種が芽吹き、咲き、枯れる。

たまにはありのままの【真実】を。私が興味を持った人間に最後の経緯を評して。消えゆく命にひとひらのささやかな――

「——こちらこそありがとう。鈴井言葉。私にハジメテを沢山くれた人間。我の……私の……」

「最高の友人」そんな最後の言葉を聞く間もなくコトハは息を引き取る。

だけれど、その言葉に答えるようにその表情は穏やかで

「――っ……」

一滴の感情が流れ落ちた。



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