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女子高生探偵とバラバラ事件

作者: 懸ねがい

人は死にません。

 探偵の叶本愛奈かなもとあいなは独り言を言っていた。

「人に嫌われるのが怖い、というのは誰でもそうだと思う。誰かに好かれるのと嫌われるのとなら、ほとんどの人が前者を選択するよね。通りすがりにいきなりありがとうを言われるのと、いきなりあっかんべーをされるのとでは前者のほうがマシだろうし」

「それならば、誰かが自分のことを嫌いでも好いているふりをされるのと、面と向かって嫌われる場合ではどうだろう。例えば自分には親友がいたとする。自分達はお互いにお互いを親友だと言い合っている。しかし相手は実は自分のことを嫌いだった。相手のそんな気持ちを自分は知らない。そんな状況のとき、相手にはどうして欲しいかな」

「『嫌いなら嫌いではっきり言ってほしい』という意見を持つ人が沢山いるだろうけど、はたして、それは本音なのかな。確かに、自分が嫌われているということを知っていて、それでも相手が自分のことを好きだと言ってくるのは辛いだろうね。騙されていることに気付いてしまっているのだから。しかし自分は相手の気持ちを知らない。相手が自分を嫌っている可能性を知覚できないんだよ。それならいっそ、最後まで騙されたほうがいいんじゃないかな」

「騙されていたことに最後まで気付かないのなら、それは騙されていないこととほぼ同義であると、私はそう思うんだよ」

「……そんなことより、まともな依頼人はまだ?」


 ここは叶本愛奈の探偵事務所だ。こじんまりとした部屋に、折りたたみ式の長机や、同じく折りたたみ式の椅子が置いてある。そしてその椅子には一人の女子が座っていた。綺麗な黒いミディアムヘアー、目深にかぶったベージュの帽子。探偵ごっこに使えそうなこの帽子は、彼女の小さな頭には大きすぎるようだった。

「はぁ。なんでなの」

 今日で探偵事務所を設立して一週間。探偵の叶本愛奈はため息をついた。いや、彼女は探偵ではないのかもしれない。まだ事件らしい事件を一つも解決していないのだから。

 今すぐにお金が欲しくて学校を辞め、探偵業を始めた愛奈。つまり、やたらと推している「女子高生探偵」という肩書きは嘘になる。

「あいつら、覚えてろよ」

 愛奈は机を拳で叩いた。ダン、と大きな音が狭い部屋にこだまする。

 ここに持ち込まれる依頼はどれもふざけているものばかりだった。告白して下さい、とか、食事に行きませんか、とか。用はありません、ただ見に来ただけです、という客もいた。それでもちゃんと報酬を払ってくれるならいいのだ。しかしそういう野次馬共が提示する報酬は微々たるものだった。高くて五千円、安くてワンコインである。

 愛奈はその全ての依頼を断った。はした金のために使っている時間はないのだ。キレて帰っていく客や土下座で粘る客など色々いたが、どうにかして全て断り事なきを得た。

 そしてまだ普通の依頼は受けていない。

 別に殺人事件などでなくてもいい。迷子のペット探しや浮気の調査なんかができれば満足だと思っていた。まともな探偵を雇うには普通十万円ほどかかるだろうが、愛奈はある程度の仕事なら五万円程度で請け負う覚悟はできていた。それなのにワンコインである。いい加減にしろよ、そう思うのも当然だ。

 と、なんの前触れもなく、キィ、と音を立て事務所のドアが開いた。

 申し込みの電話が無いということは、おそらくまた、探偵を馬鹿にしたような内容の依頼なのだろう。ふざけやがって。愛奈はそう思っていた。

 部屋に入ってきたのは女児だった。年齢は小学校中学年ほど。長い髪をツインテールにした彼女の顔はとても可愛かった。子供は誰でも可愛いが、この女児はその中でも群を抜いて可愛い顔立ちをしている。女児は愛奈をからかうつもりなのだろう、大きなリュックを背負ってニヤニヤしながら小さな歩幅でこちらに歩いてきた。

「あのー、ひやかしは辞めてもらっていいですか。帰った帰った」

 愛奈はだるそうに女児を追い払おうとする。

「ひやかしじゃありません。じけんをかいけつしてくれるんですよね」

 女児は首を横に振りながらたどたどしい口調で言った。それでも愛奈は子供を疑いの目で見ている。

「ちゃんとお金持ってきたでしょうね」

 人差し指と親指を繋げて丸を作り、お金のジェスチャーをする愛奈。それを見て子供はバッグから何か紙の束を取り出して掲げた。

 札束だった。

「よんじゅうまんでいいですか」

 女児の手にはおよそ四十枚ほどの一万円札が握られている。それを見た愛奈は目の色を変えた。

「やっとまともな客、来た!」

 愛奈は机から身を乗り出し女児に呼びかける。

「こっち来て」

 愛奈は素人がパソコンのアプリで適当に作って印刷したような(というか実際にそうである)契約書を、棚にしまってあったファイルから取り出して長机に叩きつけてこう言った。

「ここに名前を書いて」

 女児はバッグから鉛筆を取り出した。

「待って、ペンじゃなきゃ駄目。あ、ペンがない!持ってくるの忘れたかも」

 女児は鉛筆を筆入れにしまい、そこからペンを取り出した。

「ペンならあります」

「よかった。じゃあ名前書いて」

 女児は鉛筆の持ち方を間違えつつ、汚い字で名前を書いていく。

「西園寺りおん(さいえんじりおん)でいいのね」

「そうです」

 女児はペンを筆入れに乱雑に仕舞った。

「ずいぶんお嬢様っぽい苗字なんだね。

そのお金も親から貰ったの?」

 りおんは札束を愛奈に差し出す。

「おかねはママにもらいました」

「ああ、やっぱりね。お金持ちなんでしょ」

「わたしはおかねもちですよ」

 腰に手を当てキメ顔をするりおんを見て愛奈は吹き出した。

「それ、自分で言うの辞めときなさいよ」

「わかった」

 と言いつつもりおんはドヤ顔を続けたままだ。愛奈はそれを持ち前の適応力でスルーして尋ねる。

「じゃありおんちゃん、事件の内容を聞かせてもらえる?椅子に座って」

 愛奈は壁に立てかけられた折りたたみ椅子をりおんの隣に置いた。

「わかった」

 りおんは椅子に座ってこくこくと頷いた。その素早い動きはまるで小動物のようだ。

「とりあえずこれをみてください」

 りおんは背負ったリュックから何かを取り出した。愛奈は目を疑った。それは、バラバラの物体だった。


 りおんがバッグから取り出したのは、バラバラに破られた小さな本だった。手でちぎったのだろうか、切り口は緩やかだ。唯一原型を留めている帯には「全350種アイテムコンプリート!」と書かれているので、これはゲームの攻略本だろうか。

「この攻略本がどうしたの」

 心底どうでもいいといった口調で尋ねる愛奈。バラバラの死体だったらもう少し興味を持てたかもしれないが、ただの攻略本だ。

「やぶられました。やぶったやつぶっころしてやる」

 りおんは物騒な言葉を口走る。腹が立っているようだ。そりゃあ自分の持ち物を破られたら腹が立つだろうが。

「誰に?」

「それをしらべてほしいんです」

 なるほど、と愛奈は頷いた。殺人事件ではなくとも一応これは事件だ。人のものを壊すのは犯罪である。やっとまともな依頼人が来たか。しかしその愛奈の思いはりおんの次の一言で打ち砕かれることになる。

「がっこうにもっていったらやぶられました」

「ふーん、学校ねえ……。って。いや、学校に持っていくなよ」

 あまりのくだらなさに愛奈は下手くそなノリツッコミをしてしまった。こいつはゲームの攻略本を学校に持っていき、それを破られて腹を立てているのだ。確かに人のものを勝手に触って壊す奴も悪人だけど、持っていく奴も馬鹿だろう。

 いや、そもそも攻略本を破いた人は悪人ではないかもしれない。学校にこんなものを持ってくるとこうなるという前例を作り、規律を正そうとしただけなのだ。実際、これが騒ぎになれば学校におもちゃを持ってくる馬鹿は減るだろう。というか、先生の仕業かもしれないし。

「あのね、りおんちゃん、学校に攻略本持ってっちゃ駄目だよ」

「だって、友達に見せたかったんだもん」

 もうこいつは駄目だ。こいつはただの自己中心的なクソガキであって依頼人ではない。愛奈はりおんに「申し訳ありませんがお帰りください」と告げた。まともな依頼人などいない。もう探偵はやめよう。愛奈はそう思った。

 するとりおんはさきほど愛奈に手渡した札束をささっと奪い取りバッグに仕舞った。

「あ」

 愛奈はりおんが大量の報酬を持ってきていたことを今更思い出したようだ。

「やっぱりやります。事件解決します」

「やっぱりおかねがあればなんでもできるんですね」

 りおんは意地悪く微笑み、札束を愛奈に渡した。

「じゃあ、事件に関係ありそうな出来事を覚えてる限り全部話して」


 りおんはランドセルのナスカンにリコーダーのケースをぶら下げて、友達の佐藤すみれ(さとうすみれ)と下校していた。電柱のケーブルにとまった烏は、車が近づくと間抜けな鳴き声を発し、どこかへ飛んでいく。ギラギラと照りつける太陽は歩く度に歩道橋や高い建物の後ろに見え隠れしている。

「はあ。はやくゲームがしたいよ」

りおんは呟いた。

「りお、最近ゲームハマってるね。私も買おうかな」

「いや、すーちゃんには難しいと思うよ」

 りおんは笑いながら言う。すみれはりおんのこういう見下した態度に慣れているようで、ただ「そっか」と言った。実際りおんはすみれより頭がいいしスポーツもできる。すみれが落ちこぼれというわけではなく、りおんが良く出来た子供なのだった。

 しかしすみれには一つだけりおんと比べて圧倒的に秀でているものがあった。それは優しさだった。すみれは誰にでも優しい。そのおかげて平均的な成績でも学級委員になることができた。クラスの三分の一ほどが彼女を推薦したらしい。

 それに比べて、りおんの性格の悪さと言ったらない。休み時間には嫌いな男子を木の棒で小突き回したり、イジメの主犯になったり。そのおかげで教師の間での評判はそこまで良くなかった。

 そんな対照的とも言える二人はとても仲がよかった。りおんが悪さをした時はすみれが止めに入り、すみれにできないことがあればりおんが助けてあげる。りおんは嫌いな人には態度がきついが、気に入った人には普通に接することもあるのだ。

 そんな仲良し二人組はたわいない会話をしながら家に向かう。学校に家が近いのはりおんのほうだった。

 りおんの家は豪邸だった。小さなお城と表現しても差し支えないだろう。さすがお金持ちを自称するだけある。

「じゃあね」

「バイバイ」

 さよならの挨拶を交わしたりおんは鉄製の門を小さな体で開けると、庭の飛び石を無視して歩き、家の扉を開けた。広い玄関ホールではハシゴにのぼってシャンデリアの掃除をしていた執事が出迎えた。

「お帰りなさいませおじょ」

「うるせえしね!」

 何を思ったかりおんはハシゴを思い切り蹴った。ハシゴはグラグラと揺れる。執事はバランスを崩してハシゴの上から落ちた。

「辞めてくださいお嬢様。死んでしまいます」

「しなないじゃん。うそつき」

 どうやらりおんはこの執事を嫌っているようだ。執事は手にハタキを持ったまま項垂れている。端正な顔が埃で台無しだ。

「あ、そんなことより、こうりゃくぼんかってきた?」

りおんは執事を軽く蹴りながら急かす。

「買いましたよ。私の書斎にあります」

 世のお金持ちは普通、執事に書斎を与えるのだろうか。

「はやくもってこい」

「承知しました」

 執事はそそくさと逃げて――いや、その場を去り、書斎へ向かった。書斎には鍵がかかっているようだ。執事はポケットから鍵を取り出してドアを少しだけ開け、するりと中に入っていった。まるで部屋の中を見せないように気を使っているようだ。

 りおんはそれについて行こうとしたが、執事は中から鍵をかけた。

「おい、へやのなかをみせろ、しつじ」

「お嬢様にはまだ早いです」

 りおんはドアを蹴ったがびくともしない。

「あとじゅうびょうでもってきてください。じゅう、きゅう、はち、なな……」

「急かさないでください、すぐに見つかりますから。ええと、どこだっけ」

 執事の声音は焦っているように聞こえた。りおんが十秒を五回ほど数えたところで執事が「見つけました」と言った。

「これですよね。攻略本」

 執事の手には「モンスタークエスト攻略本」と表紙に書かれた本があった。半透明の破れにくそうな素材でできた帯には「全350種アイテムコンプリート!」とある。

「それだ!はやくよこせ」

「ど」

 執事がどうぞ、と言おうとしたところでりおんが執事の攻略本を奪い、二階へと駆けて行った。広い家にドタバタと走る音が響き渡る。

「全く、騒がしいお嬢様ですね……」

残された執事が誰にともなく呟いた。


 部屋に着いたりおんは今から寝るまでのスケジュールを考えていた。

「しゅくだいは……あとでいいか。まずはゲームだ」

 りおんはランドセルを床に放り投げ勉強机に置かれたゲーム機を手に取った。攻略本片手にゲームを進めていく。

「これ、邪魔」

 りおんは邪魔くさい帯を本から取るとゴミ箱に捨てた。

 ゲームの内容は、モンスターを仲間と一緒に倒していくアクションゲームだった。モンスターを剣で切り払うと、咆哮を上げ血を吹き出しながら倒れていく。女子小学生がやるには少し残虐すぎる気もするゲームだ。

「このステージは女子供にも赤紙を送って兵力強化すればいいのか」

 これはかなり不謹慎なゲームのようだ。進んで協力してくれる心優しい仲間を見つけるのではなく、嫌がる人々を無理やり狩場に連れていくのだ。まあ人間同士殺し合う戦争ではなく、狩りをするだけなのでまだマシかもしれない。

「よし、そろそろしゅくだいをしよう」

 しばらく経つとりおんはゲームを中断し、小さな伸びをした。

 机にワークと解答を並べ、答えを見ながらワークに書き込んでいく。

 答えを見ながら。

 こんなことをやっておきながらテストで高得点を取るとは見上げたものだ。本人曰く授業はちゃんと聞いているし、宿題がプリントのときはどうしようもないので自分で解くらしい。

「しゅくだいおわったー」

 りおんが時計を見ると、短針は五時を指していた。ちなみにこの時間はほぼ宿題ではなくゲームに使ったものだった。


 小鳥が優しくさえずるさわやかな朝。しかし照りつける太陽は暑ぐるしい。

 西園寺りおんは家の前ですみれ達を待っていた。登校は同じ地区の生徒全員で一緒にしなければならないのだ。

「はやくこないかな」

 りおんが外に出てから五分ほどですみれ達がやって来た。

「りお、おはよう」

「おはよ、ねむいね」

 りおんは目をこする。

「私は目が覚めてるよ。もしかしてまた夜遅くまでゲームしてたの?」

「うっさい」

 りおんが笑いながらすみれをバシッと叩く。すみれは痛そうだがりおんはそれに気づいていない。気づいてもやめないだろうが。

 登校は縦一列に並んで行うようだ。高学年の班長が一番後ろで、三年生であるりおんとすみれは二年生の後ろだ。登校中は私語をつつしむことを先生に言われているようで、班の誰もがほぼ話さずにただ歩いていた。

 信号を渡ったり歩道橋を渡ったりを何回か繰り返すと学校に着いた。

「すーちゃん、きょうしつにはしっていこう」

 りおんはすみれに手を差し出す。すみれはその手を握るが、心配そうに「転ぶと危ないんじゃない?」と言った。

「えー、じゃあやめよう」

 りおんはすみれと手を繋いだまま教室に向かった。教室に入ると女子数人が二人におはようのあいさつをする。

「二人とも今日もラブラブだね」

「お熱いね」

 りおんとすみれは仲が良すぎてからかわれているようだった。男女ならよくあることだが、同性でこれは珍しいのではないだろうか。

 りおんとすみれは自分の席に座る。りおんの後ろがすみれの席だった。普通仲が良すぎると席を離されるが、この二人の場合、りおんのヤンチャな悪事をすみれが見張るという役割がある。りおんの隣には、クラスメイトの佐々木陸ささきりくが座っていた。陸は運動が得意なクラスのムードメーカーだ。

「あのさ、陸」

「何?」

 呼び捨てで話しかけられた陸はりおんに応じる。りおんとすみれほどではないが、この二人も仲が悪くはないようだ。

「モンスタークエストのこうりゃくぼんがほしいっていってたじゃん」

「うん」

「もってきたよ」

 りおんはランドセルから攻略本を取り出した。

「マジか。貸して」

「いいよ。もうラスボスおわったし」

 それは嘘だった。もしかしたらりおんなりの気遣いなのかもしれない。りおんは攻略本を陸に手渡した。

 先生はまだ来ておらず、咎めるクラスメイトは誰もいなかった。成績優秀なお嬢様とスポーツ万能な根明男子のやっている事だ。そのくらいなら許してもらえるのかもしれない。というか、許さざるをえない。ここでこのことを先生にチクったりしたらイジメの標的になるかもしれないのだ。

 真面目なすみれが後ろで見ていたが、りおんの「このことは先生に内緒ね」という言葉に同意したのでひとまずは大丈夫だろう。……大丈夫だと、誰もが思っていた。


 部屋に着いたりおんはゲーム機の電源を付ける。ゲームが一段落して、ふと窓の外を見てみた。自転車に乗った小学生が学校方面に向かっている。目を凝らしてよく見ると、今日のすみれと同じ服装をしていた。

 どこかに出かけるのだろうか。りおん以外の学校の他の友達と遊ぶのだろうか。りおんは腹を立てた。すみれが自分以外のクラスメイトと遊ぶなど許されてはならない。自分が一番のすみれの友達だからだ。

 しかし、よく考えてみれば、友達と遊ぶ以外にも外出する目的はたくさんある。すみれが向かっている方向にはたくさんの店があるのだ。その中の一つにりおんがよく通っている書店がある。幅広いジャンルを扱っている書店で、りおんはゲームの攻略本や漫画を買うためにそこに行くのだ。陸に貸した攻略本だってあそこで買った。そうだ、書店に行くのなら納得だ、すみれは真面目だから分厚い活字だらけの本を買うのかもしれない。そう思って心を落ち着けた。


 りおんは自分の部屋のベッドで目を覚ました。いつも通りのつまらない朝だ。部屋を出てリビングに行くと執事が朝食を作って待っていた。執事はもう食べ終えたようだ。

 目玉焼きにサラダに焼いたパン。至って普通の朝食だが、この豪邸には似合わない。もっと珍しい料理が出てきたりしそうなのだが。何事もそつなくこなす執事だが、料理とりおんは苦手なようだった。

 りおんは手を合わせていただきますを言い、目玉焼きをのせたパンにかぶりついた。

「うわ、これちょっとなまだよ」

「そうでしたか。すみません」

 執事は申し訳なさそうに謝る。

「ふざけんなよクソが」

 りおんはパンを食べながら喋る。実に汚い食べ方だ。お嬢様の食事とは思えない。

「申し訳ございません」

 朝食を食べ終えたりおんは歯磨きをしたり今日の授業で使う教科書をランドセルに入れたりして学校に行く準備をした。

「きょうはすうがくがいちじかんめか。めんどくさ」

 りおんは教科書を乱暴にランドセルへ放り込んでいく。最後は荷物を無理やり押し込む。

 準備がひととおり終わりソファに座ってくつろいでいると電話が鳴った。執事が受話器を取る。

「もしもし、西園寺です。お嬢様ですか?いますよ」

 執事はりおんに「電話です」と言って受話器を渡した。

「もしもし、西園寺りおんです」

「りお、今日は先生からの頼まれごとがあるから先に行ってていい?」

 先生からの頼まれごととは何なのかがりおんには少し気になったが、快く快諾した。

「じゃあ失礼します」

「じゃあね」

 電話が切れた。

「おいしつじ、すーちゃんががっこうさきにいくって」

「そうですか」

「そうですかとはなんだよ、もっとなにかリアクションしろ」

 りおんは理不尽な理由で怒り、執事の足を軽く蹴った。ゴッ、と鈍い音がした。

「いたた、お嬢様は蹴るのがお好きですね」

「おまえがうぜえからだ」

 それから十五分ほど、りおんは執事を追いかけ回して蹴っていた。


 いつも通りの登校。いつもと違うのはすみれがいないということだけだ。それだけなのに、りおんは寂しさを感じた。

教室に着くとやっとすみれに会うことができた。席についたりおんは後ろのすみれに声をかける。りおんの席近くで騒いでいた男子が気を使って場所を移動した。

「すーちゃん、ひさしぶり」

 すみれは一瞬ぽかんとして、それから苦笑いをした。

「いや、昨日会ったよね」

「まあそうだね」

 そこでりおんは陸に貸していた攻略本のことについて思い出した。陸の肩をトントンと軽く叩いて声をかける。

「ゲームどこまですすんだ?いつまでかりてる?べつにいつまででもいいんだけど」

 すると陸は手を合わせてごめん、と言った。

「それが、見たいとこコピーとって今日返そうとしたんだけどよ、委員長に没収されちゃったんだ」

 りおんは少し驚いたようだ。

「いいんちょうってすみれ?」

「うん。昨日は見逃してくれてたんだけどな。やっぱり駄目だとよ」

 真面目なすみれのことだからそういうこともまああるだろう。私への嫌がらせなんかではない。りおんはそう自分に言い聞かせた。そして後ろを振り返ってすみれに「こうりゃくぼん、やっぱりだめなの?あとでかえしてもらうことってできるかな」と聞いた。

「攻略本?昨日の?」

すみれは自分がりおんの攻略本を没収したことなど知らん顔だった。

「ぼっしゅうしたんでしょ?」

「してないよ。注意しただけ」

「え」

 すみれが攻略本を没収していないのに没収されたと嘘をついたということは、陸は攻略本を返したくなかったということなのか。それなら素直にそう言えばいいのに、以外とセコいとこあるんだな、とりおんは思った。

 そしてりおんはランドセルに詰められた教科書類を机に移動しようとした。その時気づいてしまった。

 机に入ったバラバラの攻略本に。

「え……これ、誰がやったの?」

 りおんが驚いて大きな声を出すと、それに気づいた陸が声をかけてきた。

「どうした、りおん」

 りおんの目線を真似て机の中を見た陸は凍りついた。破かれた攻略本は、たしかにそこに存在していた。

 攻略本は一切の躊躇なくめちゃくちゃに破られている。唯一残っているのは破りにくそうな半透明の帯だけだ。もともとポケットサイズだった攻略本は破かれたことでさらに小さくなっていた。

 陸はその時「それ」に気がつかなかった。破けた紙切れに気を取られていたのだ。もし気づいていれば、この時点でこの事件は終わっていたかもしれない。

「これ、陸がやったの」

 りおんは恐る恐る陸に問う。もし陸がやったのだとしたらりおんは絶望するだろう。これは明らかにりおんに大しての嫌がらせだ。既に自分のことを嫌っている人物に嫌がらせをされたところでりおんは何とも思わない。失うものは何一つないのだ。しかしそれが自分のことを好いていると思っていた人物ならどうだろう。自分は一人の味方を失ったことになる。

「違うよ」

 陸は言った。その言葉にりおんは安堵したが、しかしそれならば「委員長に没収された」と嘘をついたのはどうしてだろう。何もやっていないのならわざわざあんな嘘をつかなくてもいいじゃないか、とりおんは思った。それなら、これをやったのは誰だろう。すみれが陸から攻略本を没収し、破ってこの机に入れたのだろうか。そんなはずはない。すみれはりおんの親友なのだから。それなら、二人以外の誰を疑えというのか。りおんは真犯人を突き止めるべく、休み時間に聞き込み調査を行うことにした。


「田中くん」

「な、なに」

 普段話さない女子、しかもお金持ちのお嬢様に話しかけられたらこんな反応をしてしまうのもしょうがないだろう。田中勝(たなかまさる)は、遊びに誘われるのかな、今日ダサい服着てきちゃったな、付き合うことになったらどうしよう、などと思いを巡らせたが、そのどれもが杞憂だった。

「あのさ、たなかくんはいつもあさはやいじかんにとうこうしてくるんだよね、いいんちょうのつぎに」

 なぜそれをりおんが知っているのかというと、ほかの生徒に聞き込みをして情報を得ていたからだ。しかし勝はその不自然さに気づくこともなく、「そうだけど、何かな」と言った。

「あのさ、きょうのあさのことおぼえてない?」

「今日の朝?」

 勝にとって、今日はいつもと変わらない平凡な朝だった。みんなが普通に登校して、あいさつを交わし、数人のグループで集って駄弁る朝の時間。勝はこの平凡な時間が好きだった。それはりおんも同じだ。

「今日の朝は、何も無かったよ」

「いいんちょうが、陸のもってるものをぼっしゅうしたりとかしてない?」

「知らない。でも二人で外に出てた」

「なるほど」

 そうなると二人の言い分はどちらも通用する。外で注意をしただけかもしれないし、攻略本を没収したのかもしれない。前者なら、注意されたあと陸が攻略本を破り教室に戻って机に入れる。後者なら、すみれが攻略本を没収したあと同じことをすればいいだけだ。つまり、犯人はどちらにしろ、りおんの机に攻略本を入れているということだ。

「じゃあ、わたしのつくえになにかいれてたひとはいなかった?」

「なんで?」

 勝は不思議そうにりおんを見た。

「いいから」

 りおんは勝を急かす。

「それは多分ないよ。俺より先に登校してたのは委員長くらいだし、俺は西園寺さんの席の近くで友達と話してたからね、そんなことがあれば誰か気づく」

 つまりあの破かれた攻略本をりおんの机に入れるのはほぼ不可能なことなのだった。すみれが先に学校に来たところで攻略本を持った陸はまだ学校に来ていない。陸が学校に来る前に田中が机を見張ってくれていた(この言い方はおかしいが)のだから、陸が学校に来たところでビリビリに破かれた攻略本をりおんの机に入れることはできない。二人が共犯だとしても不可能。聞き込みをしても謎は深まるばかりだ。りおんは舌打ちをした。


「と、いうわけです。どこのだれがはんにんなんでしょう。せんせいのせいなのかもしれません」

 りおんは長く話しすぎて疲れてしまったようで、くたくたになっていた。

「なるほどね」

 愛奈は顎に手を当てて悩んでいる。

「どうしたものか」

「やっぱりはんにんはわからないですか?」

「違うの、犯人を教えようかどうか迷っているの」

「なんでですか」

 りおんは怪訝な眼差しで愛奈を見た。お金を取っておいてわざと犯人を教えないとはどういうことだ。

「おしえないならおかねかえして」

 すると愛奈はハッとして、「教えるから、教えるから」とりおんをなだめた。

「これはトリックなの」

「とりっく?」

「そう。単純で、簡単なトリック」

 愛奈は人差し指を立てて説明する。まるで事件を解決する探偵のようだ。って、そういえば本当に探偵だった。

「それはてじなのようなものですか?」

「そう。まず、この攻略本を見て、あることに気がつかない?」

 愛奈はバラバラの攻略本を指差した。

「きがつきません」

「りおんちゃんは、とっても細かく色々話してくれたよね。家で攻略本の帯を捨てたことも」

「あっ、このこうりゃくぼん、おびがついてる」

 りおんは破られていない帯に気が付き目を丸くした。どうしてこの攻略本に帯がついているのだろうか。間違えて捨てたように記憶していたのだろうか。それは帰ってゴミ箱を調べてみればわかるだろう。りおんはたしかに帯を捨てていた。

「どういうことですか」

「まず、りおんちゃんが陸くんに攻略本を貸しているところをすみれちゃんが目撃します」

「はい」

「次に、その日の夕方すみれちゃんが本屋にそれと同じ攻略本を買いに行くの。ほら、夕方本屋の方角に向かうすみれちゃんを見たって言ってたでしょ。ここまではわかるね?」

「はい」

 震える声で相槌をうつりおんの目は涙に潤みはじめた。

「そして次に」

「もういいです」

りおんが愛奈の話をさえぎった。

「すーちゃん……ほんとうにすーちゃんだったんだね、大嫌い」

 りおんは札束を置いて事務所を出ていった。


 札束と一緒に取り残された探偵の叶本愛奈は独り言を言っていた。

「新品の攻略本を買ったすみれちゃんはそれをバラバラに破いた。そして次の日朝イチで登校してその攻略本をりおんちゃんの机に入れたんだね。その後陸くんの攻略本を没収した。そうすれば陸くんに罪をなすりつけることができるからね。小学生がよくこんなことを考えるなあ。でもどうしてすみれちゃんがそんなことをしたかって?それは」

 愛奈は笑う。

「佐藤すみれは、西園寺りおんが嫌いだったからだよ。りおんちゃん、君は、とっくに気づいていたはずだよ。人の悪口を言ってばかりの君をすみれちゃんが好きになるはずないもんね。そして大好きな陸くんを奪おうとするりおんちゃんが邪魔でもあったんだ。だからすみれちゃんは君と陸くんをくっつかせないように、君に取り入って媚びへつらった。君はそれに騙されているふりをしたんだよね。そっちのほうが楽だったから。しかし今日、ついにそれに耐えられなくなってここに来たんだ。……まあ、どうでもいいことだけど。きっと執事にも嫌われてるんじゃないかな。いや、世界中のみんなに」

 愛奈はため息をついた。

 叶本愛奈の探偵事務所には長い沈黙が訪れた。

何か誤字や間違いがあったら言ってくれると嬉しいです。

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