7
*
翌日。
エリアンは、昨日の見間違いが現実であったことを知った。
「よりにもよって……なんでここに」
いつもマイラと打ち合いをする広場で、一人の少女がうつぶせに倒れていた。
この辺では見かけない刺繍の施された裾の長いスカートをはいた、エリアンとそう年の変わらない少女だった。
「おい、大丈夫か」
そっと抱き起こすと、かすかに呻く。まだ息はあるようだ。
「……なんでまた、俺ばっかりヤバイもん拾うんだ」
頭を打っていたら動かさない方がいいのだろうが、げんなりしつつエリアンは少女の頬を張った。
「おい! 起きろ!!」
「う……」
意識が戻る状態か確かめる意味もあって、エリアンは容赦ない。
「起きろ!」
耳元で叫ばれ、少女が跳ね起きた。
「うるさいっつってんのよ! このろくでなし!!」
パン! と勢いよく平手打ちされ、エリアンは涙目になって反駁した。
「あぁ……そりゃ悪かったな! けどよ、死にかけてるなら手当が要るし! あんたは大丈夫そうだがな」
「あら……? ここ、どこ? 貴方、誰?」
今更だが、少女はおとなしくなって辺りを見回した。エリアンは立ち上がると、少女の手を取って立たせる。
「その分じゃあ、ここを目指してきたわけでも、この村の人間でもありえないな。とりあえず家へ来い、教会だからメシも食える」
「あ、ありがとう……って、あ、あああ!!」
と、少女が急にエリアンを指さした。
「それっ! その、指輪っ」
「へ?」
マイラが鎖を通してエリアンの首にかけておいたニイルの指輪をひっつかみ、少女は叫んだ。
「これ、私が貰ったヤツ! さてはドロボウねっ」
決めつけた少女に半ば呆れつつ、エリアンは指輪を奪い返した。
「本当にお前のか? 俺は森の中で拾ったんだ」
悲しいかな、嘘をつく人間が多いので、エリアンは少女をまず疑ってみた。
そして。
「あれ? エリアン、何ソレ」
「別に」
少女にばかすかに殴られて更に泣かれ、指輪を渡した途端に眠り込まれたエリアンは、彼女を背に負って教会へ戻った。
「別に、じゃないでしょ。ほっぺた赤い上に後ろ、女の子じゃん。何、やらしーこと考えて返り討ちにでもあったの?」
「いやらしいこと考えてるのはお前だ」
不機嫌だが、エリアンは客用のベッドに少女を投げ出すと、水を持っていって側に置いてやる。それから、朝食の支度に取りかかった。
「何、今日は早いね。いつもなら今から一戦やるから、僕が家を出る頃だよ」
「別にッ」
少女は何一つ荷物を持っていなかった。この分では、飲まず食わずで最低でも一晩は過ごした筈だ。
「ふうん」
良い子だなぁ、とにやにやしていると、マイラは鍋のフタを投げつけられて追い払われた。
*
地に伏せる。
否、
「――ディアル」
形の美しさ、とでも言うべきか、呼ばわりの声を纏う主は、麗として真白き壇上に立っていた。その唇を視界にかすめ、ディアルは床に押さえつけられたまま無言に徹する。
床に映り込んで見えるのはディアルの影だけだが、高みから見下ろす声の主以外にもこの広間には気配がある。ディアルから見えないだけのことで、おそらく振り返れば多くの神々がこちらを観察していることだろう。
「ディアル、お前にはつくづく、失望したよ。たった百年程度では変わらないということか」
減らず口も大概にしろよ。
ディアルは目を閉じ、這いつくばったままで、息を吸い込む。
刹那、
「ガッ……! はァっ……」
「人の話は、真面目に聞け」
圧力でつぶされかけ、ディアルは体に力を入れてしのいだ。筋肉をゆるめた途端に仕掛けてくる――良い選択だよ、と、青年に身をやつした彼は皮肉げな笑みを浮かべた。
「お前は本当に――」
まるで反省の色のないディアルに、まだ声変わりさえ迎えていないような相手の声が途切れる。呆れ果てているのだろうか。ディアルは、それはこちらのセリフだと内心で罵った。
一体、何百年、何千年とヤツの変貌を目の当たりにしてきたことだろう。
押さえつけてくる力が緩み、ディアルは、余裕すら感じさせるほど平然と顔を上げた。
空の青より濃い、他の色を寄せ付けない強い光を秘めた瞳で、彼は何ら罪のない者らしく、最上段に座す少年を見据える。
ひた、と、相手の漆黒の瞳も、一点の曇りもなくディアルを見つめていた。
長い髪、精霊らにも似る長くとがった耳――。
彼を、ヒトと神々は、
「神々の王、さすがは慈悲深くいらっしゃる」
――神々の王と、呼ぶ。
ディアル、とさしあたり呼ばれ続けている男は、王の冷やかな視線を受けて肩をすくめた。どうやら、ディアルの遊びに応じていられるほど、事は簡単ではなく、時も少ないらしい。
「で、今回の贄がないことでどこに不都合が出るんです?」
「いっそお前が代わりをつとめるか……!」
今回の王はそう気長ではない。舌を出し、ディアルはしばらくの間をおいた。
折角シェーラと一戦を交えていたというのにいきなり強制的に神界に戻され、邪魔をされた身としては面白くない。退屈で仕方がない世界の中で、多少の無茶は許されてしかるべきだ。しかし、自分のやったことで何が起こるのかを考えると、ここはこちらの非を認めた方がいいだろう。
「そうだなぁ、百年に一度くらい、ほころびは繕わなければならない、分かっていますとも、この僕も充分に。熱量、この世界の構成の全てが、百年に一度は帳尻を合わせないとおかしくなることぐらい知ってますって、何でしたっけね、生まれる者と死ぬ者、あることとないことのバランス」
「――分かっておらぬようだな」
十四、五歳ほどにしか見えない少年が、玉座からディアルを見下ろす。ディアルは可笑しくてしかたがない。
「『繰り返す者』よ、分かっていないのはお前のほうだよ」
悠然と笑む。何年ディアルを閉じこめようが同じ事だ。滅びは内より出でて、外よりも現れている。それに抗い続けるものたちが、ディアルは不思議でたまらない。
どうせ約束されたことなのだから。
――まぁ、彼にしても、死ぬのは真っ平御免なのだが。
「なぁ、レフィリスタ。エリスが死んで何年経つ? その前はガレヴィス、その前がミーシェ、その前が」
「何が言いたい」
ディアルが並べたのは、以前の『神の花嫁』の名だった。女たちは皆『神々の王』に捧げられた――世界の帳尻を合わせるために。
「どこかが壊れれば、どこかで別のものが作られる。死ねば構成要素は別の形を取る。たまにそうできなくなったものが居て、変に偏るとバランスを失って世界ごと滅んでしまおうとするが――それでも、僕らはずっと自然だ。王よ、何故僕らの分を、彼ら『人』に払わせる必要がある?」
足下は大理石――に似た石、の姿をとる床だ。音も立てずに、ディアルはそこに一人立つ。
「ディアル、本気でお前が代わりになる気か? はッ、笑止」
「当たり前だ、僕らはあまりに多くの力を持ちすぎている――子供らに分散していっても、僕ら『神』は物体とは違うもので出来、その『力』そのものの身ゆえに滅ぶことは困難だ。失うのは識格だけときてる。だから神の死は人より重い、なぜなら僕らの意識をなくした純粋なただの『力』は、世界に唐突に投げ出されることによって天秤を大きく傾かせてしまうから」
「――抽象的な話は終わりだ。神力を現実の世界へ持ち込み、人の姿をとることの罪を、忘れてはおるまい」
「あぁ覚えてるさ! 自分の出生と同じくらいにはっきりと自覚しているよ」
今いる場所は、何千人も一度に収容できる広さを持ち、廊下や庭へと壁の抜けた、丸い柱だけで支えられた格好の白の部屋。天は高く、やはり白すぎる白が、まるで真実なる天のようにごく自然に広がっている。外からは木々のざわめきや小鳥のさえずりが聞こえる。しかし外は光が強く、姿は影も形も見えない。
本当に良くできているよ。
ディアルは返答のない間中、漠然と物を思う。
人は精霊の国のことを常若の国とも呼ぶ。神への認識も似たようなものだ。
だが、この世界での『神』は『力』そのもの。しかも自らその『力』の方向を見つける存在である。戯れに人に仕掛けるのは、力の湖から川が流れ出すのに等しく自然な現象の一つである。――と、ディアルは思っている。
余りある力は、力だけではつまらない。力が働くためには、あってないような神界よりも、物体という存在のある人の世へ、形を持って現れる方が都合がいい。
神聖魔法などで呼び出される以外、基本的には暇で暇でたまらないのに、こんなところでくさっているのはつまらない。
「ディアル」
お前も、そうだろう。
ディアルは、神々の王を見て嘲笑う。
「僕は約束は守る」
もっとも、相手である『王』は忘れているが。
「――何の話だ」
「フン。巡る王よ、お前は何度も老いて、また幼子より記憶の石を積み直す。そのお前が何故敬われていると思う? ――王だからだ」
そこまで言って、ディアルはふと耳を澄ませた。つられて王が、塞がった天へ目を向ける。
「そうそう」
ディアルの声が、広間に響く。
「言っとくがな! 引きずり戻されたのは、魔術の司とのゲームに夢中になっていたからであって、断じて! 本気の僕の力が弱かったからっていうんじゃあないからねっ」
目を離した一瞬。
それだけで。
消えたディアルに、王は舌打ちする。すぐさまディアルを連れ戻さねばならなかった。放っておけば人を混乱に陥れるのは目に見えているからだ。
しかし彼はまだ、戦乱の先駆けに気付いていない。
――指輪は未だ、少女の手にある。
「百年では、すまないな……シヴェリを呼べ!」
ディアルは再び狡猾に逃げることだろう。殺すわけにもいかない――面倒だ。
先程ディアルを強制的に収容した神は、力負けして寝込んでいる。王もまた、真っ向からディアルとやりあうのは出来れば避けたい。
「地上に降りっぱなしのアレの情を信じるのもばかばかしいが――やってみよう」
王の言葉に、神々は静かに、名を呼ばれた者への連絡係の姿を探した。
*
「うわちゃあッ!」
べしゃ。
ライザ=ナノルグ=ファスは、森の中に現れたかと思うと、地面に墜落した。雨が止んでいるが、空は未だ雲を含んでいる。転移の方向を間違えて一度馬車のところへ出てしまい、それから何度か変なところへ飛んでしまった。ようやく村の中に戻ってこられたらしい、見覚えのある小さな家々が森の向こうにかすかに見えた。疲労困憊、ライザはとりあえず歩いて教会へ行くことにする。
マイラの近くに出るのはまずい、と転移するとき手加減をしたのがいけなかったのだろうか。
いや――むしろ。
「磁場が、狂っているようだな」
顔をしかめ、支給品とはいえども騎士団の礼服を汚してしまった自分を恨めしく思ってみたりする。
「やれやれ――」
二剣は重い、それには慣れているが、その重みで肌に押しつけられた濡れている服がどうにも気持ちが悪かった。やはり自分は儀式向きではない――身動きが楽ですむ、身分もへったくれもない格好の方が好きだ。
服の丈はいつもよりも長くてひらひらしているがために低木の枝葉に引っかかる。裾を、破らないように枝から慎重に外すのも、ライザの苛立ちをあおっていた。
もー、引き裂いちゃおうかな。
でも、陛下から直々に賜ったわけで。
しかも、国民の税で出来ていて。
「うぅ……」
ライザは苛つきながら、努めて慎重に森を進んだ。
と。
「あれは――」
鎧と雨で黒く濡れたマントが、木立の向こうにかいま見えた。
軍がかぎつけてきたのか、とむっとしたが、軍はつまり国王命令でしか動かないのだから、ヴェスティア国王が派遣したとしか考えられない。
そういえば、一日でカタをつけるつもりが、転移中に日付変更が変わった気がしないでもない。いつまで経っても帰ってこないので探しに来られたのかもしれない、と一瞬にして青ざめ、ライザは慌てて軍人たちの方へ走る。
「おいっ」
私はここだ、と叫ぼうとして。
ライザは灌木の茂みに身を潜めた。大柄なのだが、向こうからは見事に隠される。
(アレは――)
ヴェスティア王国の王国軍の軍服は、黒に近いほどの濃い赤を基調とする。肩の飾りなどは黒、マントは白だ。それが正装である。戦場では異なることが多いが、赤もしくは白を基調とすることが多い。
しかし、遠めでは分からなかったが、今、村の端に集う軍人たちは、深緑色の衣をまとっていた。一人、金髪の少年が、同じ深緑の軍服だというのに、やけに目を惹いた。
その、少年の左腕――。
(あれは!!)
ライザは口をおさえた。
少年が、ふと、振り返る。
「誰か――居る!」
その一声で、軍人がネジを巻かれたようにこちらへ駆けた。
(どういうことだ!?)
服の、左腕に。
美しい縫い取りがある。
「何故、ノヴェスタ=リー=ガイストが進軍している!?」
地面に落ち始めた波紋に、少年が顔を天へ向けた。両眼を覆う白い布が、きっちりと頭の後ろで結ばれている。
「殿下」
「分かっている」
軍人たちは、一言を待っているのだ。
誰かに知られた以上、一刻も早く事を成さねばならなかった。ヴェスティアとは事実上、休戦状態にある。この均衡を破る以上、早いにこしたことはない。軍を動かしたのは、相手がそれだけ脅威だったからだ。
たとえ、ヴェスティアを敵に回しても、つぶして置かねば後が恐ろしいと判断されたのだ。
「世界に闇をもたらす者に破滅を与えに、我々はやってきたのだから」
少年は、布が巻かれていることを確かめてから、言い放つ。
「――行くぞ!」
雨が。
止まない。




