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「ちょっとディアルー! 出てきなさいコラー! 出ないとあんたのそのお綺麗な顔、二目と見られないぐらいぼこぼこにしちゃうんだからッ」
出ていかなければ済むのではないかという疑念を抱えつつ、彼は枝の上から顔だけを覗かせた。
「何かなユリア」
「何かな、じゃないわよ! ちょっと降りてらっしゃい」
ぷんすかと怒っているらしい少女は、服のあちこちにかぎ裂きを作り、髪の毛には木の葉をくっつけて仁王立ちしていた。首を傾げ、ディアルは自分の緑色の髪をかきまわした。
「すんごい格好だね。折角の美少女が台無しだよ?」
「そういうことをさらっと言えちゃうあんたが、私、大っ嫌いよ」
ユリアは毎日姿を変えていく青年に違和感を覚えながら指をつきつけた。ディアルの髪と目は先日はメインカラーが紫で今日は保護色のような緑なので、多少は森の中にいるときに効果的と言えた。
「早く降りてきて。相談があるの」
「僕に?」
青年は、ふ、と口元をほころばせる。
「悪巧みなら喜んで手伝わせて貰うよ」
人を魅了してやまない笑みだ。神さまというものの考えることは分からない、とユリアはこの姿だけは良い男を眺めやった。この男は人間のことを暇つぶし程度にしか見ていないけれども、ユリアは彼に救われたのだ――完全に逃げ切るまでは、利用させてもらわねば、損である。
「ディアル、貴方に貰った指輪、なくしちゃったの。探してくれる?」
これまでなら「いいよ」で済んでいたのだろうが。
ディアルはこのとき、かたまって、声を押し殺した。
「――何だって?」
「なくしたの、指輪」
「なくした?」
うん。
悪いなとは思うが、装飾品という持ち慣れないものを持ったユリアは、知らない間になくしてしまっていたのだ。神域に自在に侵入できた者、それは神しかいないと思って、ディアル=レセナと名乗った男を神の一人だと思っていたユリアは、このとき、神はわりと人間よりは何でもできるのだろうと能天気に考えていた。
これまで必死で一人で探してはみたものの、見つからなかった。だから、自分より使えそうな者に助力を請うてみたのである。
ディアルは慌てた様子で地面にふわりと降りると、一人難しい顔をして考え込んだ。
「……ヤバイ、アレは僕が……あ、いや、いいのか別に――これでもっと面白くなるし」
「何一人でぶつぶつ言ってるのよ」
ディアルは急に先程の取り乱しようが嘘のように落ち着きを取り戻した。あまりに綺麗に笑みを浮かべられ、ユリアはなぜか寒気を覚える。
「いいさ。探せば良いんだ――どこかの野心ある者の手に渡る前にね」
「――何ですって?」
ユリアはなるべく静かに、片手を青年の襟首に伸ばした。
「吐けコラ」
「ゆ、ユリアちゃん怖い」
ディアルはあからさまに怯え、ユリアに即座に白状する。
「アレはね――」
*
「ニイルだね、初めて見た」
きらめく黄金。ランプにかざして検分し、マイラ=ガイズは指輪をテーブルの上に置いた。
「しかし君は何でこう、次から次へと変なモノを拾ってくるんだい?」
「はは、何でだろー……」
着替えてすっきりしたエリアンは、顔を拭きながら乾いた笑いを返した。
足下で、魔剣の少女が猿の首の付いた犬(尾が蛇)と戯れている。
「エリアンはマジックアイテムに近づくとそれにまつわる不運まで一気に引き寄せるタイプですわね」
「アイテムなくても充分不運だったと思うがな」
「しかし抜けて良かったね。この犬? 犬? 犬が噛みついたおかげかな」
わふっ、と怪しげな犬もどきが魔剣とじゃれあいながら顔を上げる。この犬もどきが指輪をはめたエリアンの手に噛みついたのは、森を突っ切る途中でのことだ。
最初、見たこともない生き物に度肝を抜かれたエリアンだったが、魔剣が蹴り飛ばした獣の口から指輪が現れ、獣は一転、「助けてくれた恩人」となった。魔剣がこの犬と仲良くなり、エリアンは今はもう、噛みつかれることはない。
「この犬、魔物かな?」
「そうだろうねぇ。飼えないんだけど、魔剣がなついてるから殺すに殺せないし」
ぼやいたマイラが、剣を鞘に収める。ライザとエリアンが戦っていたときに途中で二人を留めた剣――それがマイラだ。エリアンを傷つけたのもマイラの剣である。
何故勝てないものなのか、と痩身のマイラの背を見、エリアンは頬をふくらませた。
「指にはめてると徐々に自我が食われるというニイル――僕、鳥肌立つなぁこれ。気持ち悪くて……おえ」
「世界を支配できるんだよな」
「まぁねー……興味あるの? やめときなさいよ、君じゃろくな王様になれない」
「悪かったなーっ」
魔法アレルギーのマイラは、出来るだけ指輪から離れて座った。袖口からのぞく腕には、確かに鳥肌が立っている。神聖騎士団の騎士がこうでは、成る程、仕事は続けられそうにない。
「あんたのアレルギーもひどいよな」
それが原因で騎士をやめたと聞いているが、多分、アレルギーを起こさせる事件のほうが元凶だとエリアンは思っている。心配そうな彼の視線に気付き、マイラはふと苦笑いした。
「これはねぇ、封じの魔法をくらってるから原因は思い出せないんだけど――多分、魔法がらみでよっぽど嫌なことがあったんだろうなとは思ってるよ。剣は持てるし神聖騎士とかを見てても何ともないもの」
「封じ……?」
初耳だ。エリアンが復唱すると、マイラは慌てて言い訳した。
「や、だってね、何の事件かっていうのは知ってるんだけど自分の記憶がないから――多分魔法で消されてるんだろうな、って思って」
エリアンは、恐怖で記憶を奥底に押し込めたような自己防御ではないかと疑った。しかしそれはすぐに否定される。
「ライザも陛下も、『反逆者と戦った』ことは知っているのに、そのシーンを思い出すことはできなかった。僕に至っては『功労者だ』と言われても何をしたのか分からなくて――今の司より一代前の『魔術の司』が、すべてを取りはからったと後で聞いた」
「そっか……それって」
歴史――といってもつい最近、十年ほど前の有名な事件。
「『王弟の反乱』?」
エリアンがおそるおそる言うと、マイラは目を逸らし、当たり、と呟いた。
「王弟がどこへ行ったのか分からない……。死んだことになってるけどね。僕は思い出せないんだ、王弟が誰なのか。ただ、戦った相手だということは分かる――アレイシア三世の弟……史上からは抹消されて、すでに名前も消されているけれど、それも多分魔法の所為だ。そうまでして消したい男だったようだね」
王族から出た「危険人物」――面汚し。
「剣の腕がすごくて、戯れに人を斬りまくってたって聞いた」
史上から消されても、未だ生きた証人が居てさすがに噂は残っている。
みたいだね、と答え、マイラはふと眉をひそめた。
「戦った気はするけど。覚えてないな」
「どっちが勝った?」
「さぁ? 負けたにしては僕はまだ生きてるし」
「じゃあ」
「――勝ったにしては」
敗北感が強すぎる。
荒れた部屋――広間。
赤い絨毯を汚す黒々とした染み。
累々と積まれた衛兵の骸。
突き立てられた剣の数々。
鈍く光を跳ね返す己の剣に、血塗れた自分の顔が映る。
「……あのとき一体、何があったんだろう」
戦ったことは分かる。分かっている。それなのに。
大広間に飛び込んで、すぐさま玉座の向こうへ走った。後ろから控えの間を通って、それから――。
「ごめん、マイラ」
呼ばれ、マイラは我に返った。
「ヤなこと思い出させたよな。ごめん」
「いや、別に……だってそのとき、玉座で亡くなられていたアレイシア三世殿下とは違って、ちゃんと、廊下を生きて駆けていらっしゃる現国王やライザが居たし」
「ライザ!? あいつ偉いの!?」
国王と行動を共にしていたというライザ。マイラと知り合い(友人)のライザ。
頷いたマイラに、エリアンは頭を抱え込んだ。
「どうしようっ、俺すっげえ馴れ馴れしかったよな」
「いいじゃない、怒ってなかったし」
妙に律儀なところのある養い相手を一瞥し、マイラは飄然と肩をすくめる。
「全然気にしてはいないと思うよ」
「だってよ……偉い地位の人は敬え、地位に見合うだけの力があるから、って母さんが言ってたんだ、破ったのがバレたら……!」
あぁ、とマイラはぬるい笑みを浮かべた。確かにあの母親は気合いで息子を怯えさせるに充分な威勢の良さだった。教会に預けられて生活の場を遠くした息子へも、扱いはそう変わらない。
「まぁ、ライザは子供好きだから平気だよ。本人が気にしてなきゃ叱られないって。多分」
「多分かよ!」
「ライザねぇ、仕事中はびしッとして周りを仕切るのが上役の務めだからって言って、いつもあんなカチコチに固まってるけれどね。かなり子供好き人好きお人好しなんだよ。その証拠に知り合いになった途端、わりとバカそうだったでしょ」
失礼なことを何食わぬ顔をして言い、マイラはひょいと犬もどきの頭を足でなでた。
「ハイハイ、良い子だから僕の足噛もうとしないの」
「ウゥうう、わふっ」
犬もどきは威嚇するようなうなり声をあげている。魔剣がふと、天井を見上げた。
「そういえばその話題の人物はどこへ行ったんです? わたくしの分かる範囲には居ませんけど」
「あー、そういやライザ、俺よりも先に帰ってる筈じゃないか? あれ?」
「え? ライザ、王都に帰ったんじゃないの?」
三人(?)と一匹が我知らず雨音に耳を傾けたとき、唐突に天井が揺れた。
「何だ!?」
慌てたエリアンは、いち早くテーブルの下に入った魔剣の少女に足を引っ張られる。
「上から変なモノが降ってくる気配がしてましたの、さっきからずっと」
「早く言えよ! つーか何でマイラまでテーブルの下に居るんだ!」
「だってぇー」
小さく丸まって無理矢理テーブル下に収まっているマイラが、語尾を伸ばした。
「地震かなぁーってぇー思ってーえ」
「気色悪い声出すなよッ」
叫んだエリアンだが、マイラが自分の肩を抱えて少し震えているのに気付き、息を飲む。
「魔法か!?」
「みたいだな。体中の力が抜ける――くそっ」
だんっ、と遠慮のない落下音、足音が響く。
「――騎士じゃないな、こんな無粋な真似はッ」
勢いをつけてテーブルの下から飛び出し、マイラは壁にかけた弓矢を背負うと剣を帯びて扉に近づく。
「待機してろっ! 二人とも! ――それからエリアン、君は緊急事態以外戦わないこと。以上ッ」
「おい待てよっ! こらあっ!!」
先程の症状は収まらないどころか、魔法を使った者に近づけば近づくほど悪化するはずだ。それなのに一人で外へ出て行ってしまったマイラに、エリアンは半ば呆れる。
「そんっなに、一番に村を守りたいのかよ……さすがは元神聖騎士だな」
神聖騎士は本来、神殿専属の守り手であるが、あちこちの神殿や教会(いわば神殿の出張所のような、神職者が一人しか居ないようなところ)はおろか、貧しい村々をも訪れて慈善事業もこなす。盗賊に悩む村を救い、戦争や災害の被災地に手助けをしに行くこともある。
まだマイラには、力を持つ者が戦って守らねばならないという信念が残っているらしい。
「俺だって……戦えるんだ」
実戦経験はまだ無いけれども、互いに真剣同士でうちあっても怪我をすることもさせることもない。力加減が出来る程度には上達したのだ。
エリアンはため息をつき、自分の剣を手に取った。魔剣も背に吊し、重さに少しよろめいたが、それでも踏ん張って扉を開ける。
「あんたはいつも――弱いと思ってる奴らの力を、甘く見すぎてる」
「何だって?」
――と。
入口に、マイラが立っていた。右手が前に伸ばされていて、今まさに扉を開けようとしてドアノブに手をかけようとした、という感じである。
「べ、べべべ、別にッ」
ばっと扉を閉め、慌ただしく剣を片づけたエリアンは、疑問符を浮かべたマイラのために再びその扉を開けた。
「何だったんだ? 今の」
「気っ……気にすんなよっ! 細かいことをさ! それより早かったな、さっきの音、何だったんだよ?」
「ん?」
まだ腑に落ちないといった表情のマイラは、首を傾げながらも背負った荷物に親指を向ける。
「これ、上から降ってきたみたい。森の天然記念物トカゲオオワシにやられたらしいよ、空飛んでて」
「空!? つーかトカゲオオワシって何!?」
「ううぅ~頭うったあっ……!」
さら、と肩口で切りそろえられた黒髪が揺れ、マイラの背の人物が顔を上げた。
「エリアン、すまないが――」
「水だろ」
「あと、タオルもね」
頷いたエリアンが駆けていくのを見てから、マイラはふうとため息をついた。
今日はやけに来訪者が多い。