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   *

「どこどこ~? 私の可愛い指輪ちゃん?」

 少女は、自分の長い茶金髪が前へ垂れ下がるのを鬱陶しげに払いのけた。

 街道沿いを四つんばいになって進む少女は人目をひいたが、逆に誰からも声をかけられることがなかった。

 少女は、簡素であれ裾の長いスカートをまとい、かわいらしい顔立ちでいて、まるで世間を知らないように見える。どこかのもの知らずな貴族の娘が、家出してきた、という線だ。

「ちっくしょー、どこ行った?」

 しかし、セリフは行動と共におおよそ周りの期待を裏切っていた。

「もーっ!! アレがないと困るのよ! ディアルもいなくなっちゃったし」

 ぶつぶつ言いながら、少女は草むらを抜けて街道を逸れていった。


 と。

 急に、日差しが弱まった。

 空を見上げると、そこには常に天を移動する天空都市が存在していた。

「やっば!」

 ばふっと草むらに伏せ、少女は息を潜めた。そこまでしなくとも距離がありすぎて姿など気付かれはすまいが、彼女は天空の都市がすっかり見えなくなるまで微動だにしなかった。

 ユリア=バーク、16才。

 只今、逃亡の身の上である。

   *

「……」

 掘っ建て小屋の扉を叩き、返事がなくて、エリアンは途方に暮れていた。

「来いっつったんは誰だコラ」

 せめて、一番親しいリリィが居れば(こき使われてしまうのだが)何とかなったのだが。生憎、周囲には人影すらもない。

 仕方がないので、エリアンは誰か居ないか探るべく畑のほうへ向かった。

   *

「居ないんだーっ、んだからさ、ゴメン、ホント!」

 片手を立てて謝ってみせる「魔術の司」に、「将軍」はため息をつく。

「思ってもいないことを言うな」

「あっ、分かる?」

「何年お前の兄弟をしていると思っている」

「フフ、そうだね♪」

 青年は、自室に呼んだ将軍に笑いかけた。

「タイラー、国王陛下はなんて言ってた?」

「仰っていたか、だろう。まったく。あの方はお優しいからな、別の贄でも構わないとのことだ」

「ふん、お優しいだと? 違うだろ、物の道理が分かってないだけだ」

 あからさまな軽蔑の色を浮かべ、シェーラは自分の胸にかかる首飾りの石をつまんだ。何のためらいもなく引きちぎり、青い石を、タイラーの手のひらに落とす。

「それでどうにかしろ。最高神を騙すのは僕には無理だが、人間である王ぐらいは簡単にごまかせる――しばらくソレをちらつかせて、僕の不在を悟られるなよ」

「――待て、お前、地上へ降りる気か!?」

 それは許されないことだ。

 彼は、人間において右に出る者のない、魔法を操る、最大なる魔法使い。魔術と魔法は違うものだが、音がいいので「魔術の司」と呼ばれている。代々継がれていく役職名でもある司は低く笑うと、雪よりも白い髪を後ろへ払い、銀の目を鋭くすがめる。

「分かってんのか? いっくらバカなゲームだとしても、だ、相手は『神』だぞ? 神へ捧げる娘がどう考えても『別の神』にさらわれたんだ。これは、さらった神からの挑戦と見たね。人間代表として僕が行くしかないでしょう」

「プライド、か」

 タイラーは足を組み替えた。人払いの済まされた部屋にはカーテンが引かれ、夕闇にも似た影が横たわっている。

「まぁね。こうもあっさり僕の作った機構に侵入しやがって! という気持ちはあるね」

 否定せず、シェーラ=ベルガザードは頷いた。口はこれだが、その身からあふれる威圧感と自信は人を圧倒するものがある。タイラー=ベルガザードは頬の傷に無意識に触れ、弟を睨み付けた。

 それにしても、地上に降りるのは許可できないことではある。

 シェーラはおどけたように肩をすくめ、「後はよろしく」とだけ告げると、瞬きの内に姿を消した。

「――面倒だな」

 残されたのは、宝玉と厄介ごとだ。

「こんなとき――殿下がいらしたら」

 それは、望んではならない夢。

 あのときあの人は歴史上から抹殺されたのだから。

 タイラーは傷跡から手を離し、苦笑する。

 それは古傷に対する己の感傷への、鈍い嘲りだった。

   *

「へくしッ!」

 急に、小屋の後ろの土手からくしゃみが聞こえた。

 エリアン=スロイドはそれが誰なのかには気が付いていたので、あえて無視しようと歩をはやめた。しかし、

「おや? エリアン? どうしたんだいこんなところで?」

 人の警戒心を解かせてしまうような、穏やかな低音がエリアンを脱力させた。案の定エリアンの父が土手に寝転がって片手を振っている。

「――何してんだオヤジ」

「昼寝。どうしたの。エリアンこそ珍しいね、うちに来るなんて」

「野菜を取りに来ただけだよ!!」

 妙に喧嘩腰の息子に、父は首を傾げた。

「それは……行き違ったかな。あまりに神父さんのところの使いが遅いから、皆礼拝がてらに野菜を届けに行ってしまったよ」

「何!?」

 エリアンは思わず空っぽの荷車をひっくり返した。

「俺は……っ! なんてついてないんだッ……くそう」

 頭を抱えたエリアンに、彼より幾分背が高く、安定した気風を持つ男が土手から起きあがって近づいてきた。マイラより年上であるのにどこか青年然とした雰囲気があるのは、ヴェスティアの国民が十年程度外見上の青年期を長く維持するためだろう。

 接近してくる父親に、エリアンは苦いため息をつく。

 父そのものを小さくしたような容姿のエリアンは、一度も母親に似ていると言われたことがない。今の母とは血が繋がっていないが、それにしても、一度も父以外の誰かに似ているとは言われたことがなかった。遺伝的な「母」をエリアンは見たことも聞いたこともないために確かめようがないが、父が「母」の面影を見出すような言動をしない以上、エリアンはまったくもって父親似なのである。

 それはけだし奇妙なことだった。

「なぁオヤジ。俺の母親ってどんな人だった?」

「なんだい急に? 私に一度も訊いたことがなかったよね、そういうこと」

「そうか?」

 それは多分、父が忘れているだけである。

「君の母は、ここにいるだろう?」

「いや、そうじゃなくて……名目上とか育ての上の事じゃない、そりゃ気分的にはあいつが母さんだけど」

「……」

「何にやついてんだッ!」

 緩んだ表情に、エリアンはパンチを繰り出す。それを軽い音を立てて受け止め、父は華やかに笑った。

「エリアン」

「何だよ」

 急に恥ずかしくなって、エリアンは父に背を向けた。

「エリアン、私はどの子も愛しているからね」

 だから、一人だけ母が違っていても、気にするな。

 実際気になっていたこととは別なのだが。エリアンは勢いよく振り返ると、

「やかましい」

 と頬をそめて言い返した。てっきりふわふわと笑っているのだろうと思っていた父は、しかしやけに険しい顔をしていた。真剣な眼差しに射抜かれて、エリアンはびくりとする。

「エリアン=スロイド」

 初めて見るような父の真剣さに、エリアンは初め、父が冗談を言っているのだと思った。

「どきなさい――お前の後ろに、用がある」

 自分の後ろを見ると、背高い男がこちらを見ていた。

「何してるんだ、ライザ」

 今日来たばかりの客人の姿に、エリアンは首を傾げる。ライザは呆然とこちらを見て、それから慌てて口を開いた。

「いや……私は、お前の家族が教会へ着いたから、それを知らせるようにとマイラに頼まれて――」

 教会とこことではかなり距離があるため転移魔法で現れた正装の騎士は、厳しく見つめられてたじろぎを見せた。

「あ、あの、この御人は?」

「俺のオヤジ」

「そっくり……だな」

 さく、と草を踏み、エリアンの父はライザに近づいて相対した。その瞳に敵意を認め、ライザは自然と息を詰める。

「し、失礼だが私は貴方とどこかでお会いしただろうか? 申し訳ないが名前を思い出せぬのだ」

「……私はスロイド。それ以上の名はない」

「オヤジ?」

 人見知りという単語とは無縁だった男の豹変ぶりに、エリアンは目をしばたたいた。

「スロイド……?」

「思い出さないがいい。過去はお前を作るが、同時にお前の未来を阻むことになる」

 言い切って、父はライザから視線を外した。草原の向こうを睨み、大きく、長く息を吐く。

「困ったな……何も覚えていないのは私のほうなのに。妙に……腹が立って、しまって――旅のかた、申し訳ない」

 途端、場の空気が緩み、ライザとエリアンは目を見合わせた。

「ゆっくりしていって下さい、何もない村ですが」

 ふわりと笑んだ男は、もう人畜無害にしか見えない。

「お前の父親は一体どういう人なんだ?」

 ひそひそと聞いてくるライザに、

「いつもはへらへらしてるんだけど……お前、一体何をやらかしたんだ?」

 と、エリアンがささやきかえす。

「何!? 私はそんな、他人に恨まれるようなことはしておらんぞ」

「じゃあ何でオヤジが切れてたんだよ」

「知るか――お前の父親は何も覚えていないと言ったろう、私に似たヤツだったかもしれないじゃないか」

 風が、急に逆風になる。

 スロイドが穏やかに顔を上げた。

「一雨来そうだね」

 彼の予言通り、エリアンが一人で教会へ帰る途中、雨が降り出した。


 ライザは一人、先に魔法で帰ってしまった。魔法アレルギーだと言っていたマイラだが、エリアン関係のことなので使用を許可したらしい。「魔法」という得体の知れないものに頼るのが嫌でエリアンは徒歩を選んだのだが、雨に降られてぬかるみに足を取られ、自分のミスを激しく呪った。

「ばかばかばかッ、俺のばかっ」

 呟いてから、ふっとため息をつく。何を言っても後の祭だ、徒歩と決めた以上それをつらぬきとおすより他に手はない。

 背の剣が雨の所為で更に重く感じられた。いつでも連れ歩くようにしなくてはいつこの魔剣が人に牙を剥くか分からない――マイラに脅されて、エリアンは大抵、移動するときに魔剣を背に負っている。必然性は疑わしいが、それでもこれが魔剣である以上、人をたぶらかして殺戮を行なわないとも断定は難しかった。

 べしゃりと前のめりに水たまりにつっこみ、エリアンは口から泥を吐き出した。何も神さま、ここまでしなくたって良いじゃないですかと心の内で呟き、体を起こす。

 すると光るものが視界の端をちらりをかすめた。

「ん?」

 土砂降りの中、視界はすこぶる悪かった。森の緑でさえも濁った灰色に見えている。

 そんな中で、薄暗い景色をはじくように輝く何かが、森を貫く小道の上に落ちていた。

 前進し、手を伸ばしてそれを掴もうとして。

 エリアンは慌てて手を引っ込めた。

 ――なぜだかひどく嫌な予感がした。

「こういうのは大体ろくでもないんだよな……」

 魔剣の時と似たシチュエーションだ。エリアンは輝く黄金の指輪を見なかったことにした。しかしそのまま通り過ぎようとすると背の魔剣が鍔鳴りの音を響かせた。

「え? 何だって?」

 ぬかるみを巧みに避けつつ帰路につくエリアンは、魔剣の声に足をとめた。

「聞こえない」

「だから言ってるんです! これはまずいって!」

 いつの間にか、この雨にも濡れず、一人の少女が目の前に立っていた。真っ直ぐな金髪に色とりどりのビーズを飾り付けた幼い少女は、エリアンの顔を見上げながら指輪のほうを指さした。

「このままにしてはおけませんわ!」

「どうせどこかの盗賊が落としていったんだろ?」

 一刻も早く家に帰りたくてエリアンは放っておくように言うと少女の頭をがしがしと撫でる。少女はその手を振り払い、鮮やかな刺繍の入った民族衣装を振って大きく怒鳴った。

「ダメです! これは、あンのバカ神が作った指輪ですもの! 昔話を覚えているでしょう!」

「昔話?」

 指輪についての神話?

 エリアンは首を傾げ、おもむろに指輪を拾った。泥水に汚れた指輪を服でぬぐうと、あらわになった黄金の身に激しく雨粒が当たってはじけた。

「んー、名前書いてないか。彫りもなければ宝石もはまってない。誰の持ち物かな」

「だから! それはニイルの指輪なんですわ」

 貴石のように透ける紫の瞳がすがめられている。見つめ返し、エリアンは指輪を彼女へ放った。

「ニイル? そんな訳がないだろう、『神々の争い』の元凶になった、あの支配者の指輪だなんて。そんなの、神話時代の話じゃないか、今更何でこんなところに落ちてるんだよ」

「だからっ!」

 少女は細い指を伸ばして指輪を受け取ろうとしたが、指輪はきらめきを残して彼女の手を通り抜けた。

「わたくしには持てません、魔法系統が違うのよ! 違う魔法同士をぶつけるだなんて……! わたくしが弱っていたから良かったものの、ヘタをすれば大破壊が起きていましたわ!」

 このバカバカバカ、と言い募り、少女はエリアンと同じ目線まで浮かび上がった。それに対してエリアンは暢気に言い返す。

「いいじゃないか、大破壊にならなかったんだから」

「結果論を言うんじゃありませんわ!」

「餌やらんぞ」

「うっ」

 おとなしくなった魔剣に、エリアンはやれやれとため息をついた。指輪を拾い直し、毒を食らわば皿までよ、と教会に持ち帰ることにする。このまま放っていくことは、魔剣が許しそうにない。それに、長い時を越える魔剣がこの指輪のことを『ニイル』だと言うのが気になった。

 三千年前、世界を支配するという万能の指輪が生まれたという。それを巡り人や神や、今では滅んだといわれる巨人族が争った。

 ニイル。

 それは最終的には誰の手に渡ったとも知られていない。

 神々も語らず、それを伝える文献も残っていない。神は矜持が高いから、不利になるようなことをいうこともない。

「これがニイルねぇ……俺はもっとこう、王様って感じの豪華な指輪だと思ってた。たくさん宝石とかついててさぁ」

 何の細工もない指輪を眺め回し、エリアンはふと、それを指にはめてみる。

「きゃー!? なんてことするんですの! 魔力を食われますわよッ」

 べしィっと魔剣がエリアンの頭をはたいた。一瞬意識が飛んだエリアンは、目の端に涙をためながら指輪を抜こうとした。確かに、これがもし本当にニイルならばうかつな行為は慎むべきだ。

 エリアンは指輪を引っ張り、それから、ざっと青ざめた。

「ぬ、抜けない……かも」

「どうして貴方は! そうバカなんですの!」

 しっかりと隙間無く締まった指輪は、指からいっこうに外れることがない。エリアンはぶらぶらと手首を振ってみて、とりあえずそのまま、教会に戻ることにした。

   *

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