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「戦おうって先に言ったの、あっちだぜ」
切れた口のはしを手当てされつつ、エリアンはむくれていた。手当てしているのは、腰に届くほどの真っ直ぐで長い黒髪を、背中でゆるく束ねた男だった。
「でも、約束破ったのは、キミ」
神父服をはたき、男は手当に使ったものを道具入れの中にしまい込んだ。
「そーだけどよー」
少年は不満げに足をぶらつかせたが、男に振り返られて沈黙した。それを確認し、彼は本日の客人に向き直る。
「まったく。君も君だよ。大概にしなさい子供相手に喧嘩売って」
「す、すまん。だが結果としては剣が好きな相手だったわけだし」
ライザ=ナノルグ=ファスは頭を下げながら言い訳を試みた。それにのって、エリアンが「そうそう」と声をあげる。
「まったく、何が「剣は別に好きじゃない」だ。あんなに嬉々としてのってくるとは思わなかったぞ……」
ぼそりと呟いたライザに向かい、男は顔だけで笑みを浮かべる。
「普通の民間人じゃなく剣術の学習者だったってことだけを言うんじゃないの。結果論だし」
「マイラ、ほんとにすまん」
反省しているのか定かではないライザとエリアンに、マイラはふんと鼻を鳴らし、怪我がなくてなにより、と付け足した。
怪我の内訳はマイラが二人を制止する際につけたものであり、そちらのほうが被害甚大だったような気がするのだが、ライザは旧友の本性を知っていたので黙っておいた。
「エリアン、君もね。まだ十六なんだから保護者の承諾なしにうろちょろしないの」
「今年17だし。それにヴェスティアだけだろ、二十歳成人まで正規に職にもつけないなんて」
椅子に座り、ライザは二人のやりとりを興味深げに観察する。
「……で、マイラ、今はもう、神聖騎士団には戻らないのか」
「うん。今ぼくはこの子たちの面倒見てるし」
マイラ=ガイズに指摘されたので敬語をやめて「友達」に戻ったライザは、ぼんやりと部屋を見渡した。
剣聖マイラ=ガイズは今年37才になるはずだが、あいかわらず飄々としてとらえどころがない青年に見える。神職の正式な免許はないのだが、神聖騎士は神に仕えるゆえ、基本的には神官と同じ知識を有する。ぶらぶらと諸国を渡り歩く内に、この村で神官不在の教会に住み着くことになったらしい。
「そういえばエリアン、昼の仕事、さぼったね?」
にわか神官も、十年近く続けているのでハクがついている。元々文官向きの外見だな、と着やせして見えるマイラについて思っていたライザは、とても神官らしいマイラに、まるで昔の面影を見出すことができなかった。
「べっ……別に!? 羊は今日ユリウスの守備だろ? もう俺のすることなんて無……」
「無いの? 違うよねぇ? 僕のところに来て手伝いしてくれてる彼らとは違って、君は僕の息子なんだから」
「何ィ!?」
がしゃん! とカップが吹っ飛び、エリアンが恐るべき反射神経でコップを宙で受け止めた。突然立ち上がった大男に、ひっくり返ったテーブルを片手で支え、マイラはきょとんとしている。
「どうしたの? お尻の下にサソリでもいた?」
サソリが付近の山の中に居るかどうかは別として。
マイラは花瓶を受け止めたバルティスに向かって、床にこぼれた紅茶を片づけるよう指示する。ティーカップをバルティスに押しつけ、エリアンがやれやれと口を開いた。
「おっさんはよ……俺がマイラの息子だってあんたがいうから、マイラに妻がいたのかって面食らってるんだよ」
「あぁ! そうだよね、重婚は犯罪だよね」
「い、いや、何というか、マイラ? するとナニか、その少年は本当にお前の息子なのか?」
「うん」「違う」
重なった二人の声に、エリアンがじろりと「父」を睨み付けた。対するマイラは慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。おちょくられているようで、エリアンはすこぶる不機嫌だ。
「俺は戸籍上は知らないが体面上はこのバカ神官の養子なだけだ。本当のオヤじゃないよ」
「やだなーエリアン、照れちゃって」
「照れてねえよ!」
「すねてるの?」
「あんたとは喧嘩にならないな……剣やるときのやる気はどこにしまってんだよ」
「つ、つまり、血は繋がってはおらぬのか」
ライザは、やたらと裾の長い服を居心地悪そうにさばいて席に座った。エリアンはにべもなく「当たり前だ」というと、部屋を出ていく。音高く閉められた扉に首をすくめ、マイラはライザに目配せした。
「ほらね……あの子、やることがいちいち可愛くてさ。ホント噛みつきそうな態度だし」
「腕は悪くないな、いい目をしていた」
マイラのセリフを取りざたすることなく、ライザはとりあえず自分の感想を述べた。
「ただし――欠点が分かりやすすぎるな。そこをどうにか克服できれば、私より強くなれるだろう」
「おや? ありがとうございます……ライザが剣を褒めるなんて珍しいな、子供はよく褒めるけど冗談じゃないみたいだし」
面はゆそうに笑い、マイラが椅子を引いて向かいに座った。テーブルに肘を突き、指を組んで、そして笑みを消す。神と神殿に仕えていたあのころのような、冴えた威圧感がライザにのしかかる。
「で、本題をどうぞ?」
「ああ、すっかり忘れていた! 折角十ヶ月ぶりの公務休みを利用してわざわざ来たのだ」
「嫌みいってないでお早くどうぞ?」
十年ぶりとは思えない簡単な再会だなと自分でも不思議に思いながら、ライザは仕事の話に戻った。
「国王陛下が戻るようにと仰っている。魔法では……お前はすぐに気づいてしまうだろう? だから人力で連れ戻しに来たのだ」
「まぁ確かに、僕は魔法にアレルギーがあるから、強制召喚も、いきなり眼前に魔法で人が現れるのも、そりゃあもう大ッ嫌いなんでね。三百メートル以内ならすぐに分かるよ。君には……気づかなかったけどね」
苦々しく言うマイラに、当然だ、とライザは頷く。職業柄、神の力を借りる神聖魔法は多少使えるが、得手ではないライザは、滅多に魔法には頼らない。馬車で来て、徒歩で丘の方へ突っ切ってきたので、魔法に過敏なマイラもまったく気がつかなかったのだ。そこでライザはおや、と首を傾げた。村の少年たちに剣の指導をしているマイラ――その養子の少年が持っていたのは『魔剣』とおぼしき物体である。
「おい、あの少年の剣にはアレルギーは出ないのか?」
「別に? 系統の違う魔法みたいだから平気だよ。僕が魔法ダメになったのは心因性だから――あのとき使われていない魔法の系統であればなんともない」
「系統?」
得手ではないがゆえにほとんど勉強らしい勉強をしていないライザは、難しい顔をして黙り込んだ。種類が違うと言われても、今ひとつぴんと来ない。
「菓子持ってきたぞ」
ひょいと片足でドアを開けて顔を覗かせたエリアンは、室内の重苦しい空気に息を止めた。
不穏だ――。後ろからバルティスは、手にした雑巾を取り落とした。
「はいはいっちょっとごめんよっ! お茶とお菓子ね、ハイッこれで作業終了! んじゃ俺、用があるんでこれでっ」
できる限り明るく喋り、エリアンはテーブルに茶菓子といれなおした紅茶を置くと、すぐさまきびすを返した。すがるような眼差しのバルティスに心の内で謝り、扉の向こうへ踏み出――
「エリアン、ちょっとこっちへ。バルティス、拭き終えたら今日は帰って良いよ」
「ハイ!」
「エリアン、返事は?」
「――はい」
呼ばれた二人は好対照の表情で返事をする。この返事に頷いて、マイラは視線をライザに戻した。片手で隣の椅子を叩き、エリアンを座らせて話を続ける。
「エリィ、やっぱり体力不足見抜かれてたよ」
「エリィって言うな!」
「短距離しかダメなんだよねこの子。何がいけないのかな」
「……なにぶんまだ体が細いしなぁ。二十歳くらいになれば身長も伸びるだろうしおいおい大丈夫になるだろう?」
「ハハ、何で語尾を上げちゃうのライザ?」
「小さくて悪かったな!」
屈強な大人二人に笑われ、これでも村では平均身長はある少年は口の端を不服げに曲げた。
「小さいっていうかね、なんかこう、あんまりガタイがよろしくないというか」
「そうだな、どちらかといえば剣士より魔法使い向きか。しかしアレも体力がないことには無理だな……バネも瞬発力も勘もいいし気力もある、だが実戦は無理だろうな、持久力がなさすぎる」
「悪かったな、そりゃあよ。でも毎日走ってるしこれでも鍛えてんだぞ、これ以上どうしろっていうんだよ」
笑いをおさめ、ライザとマイラは少し考え込む。
「血筋――なのかもね、もともと持久戦向きじゃなくて、一撃必殺型の性質なのかも」
マイラは頭をかき、おかげで髪がかなり乱れた。公務以外では外見に頓着しないのはライザも同じだが、気になって注意する。
「うん? 髪ねー、面倒くさいんだけどさ。伸ばしておかないとばれちゃうから」
「何にだ?」
「――都を出るときに精霊と契約したんだってさ、この髪に惚れた精霊に、望まない客人の目からは『マイラ=ガイズ』が隠されるように」
答えたエリアンは、自分の足下に魔剣を置いて、そこに視線を合わせている。
「って、こいつが言ってる」
「その魔剣、喋るのか?」
「一応は。人が驚くといけないから、いつもは姿も見せないし声も出さないけどな」
「結構有名なのかなぁ僕の契約……だってその魔剣、僕がこの村に来る前にはなかったんだよね?」
マイラは魔剣を見下ろした。見たことも聞いたこともないこの魔剣が、どうしてマイラ個人の事情を知り得るのだろう。『魔剣』には特別の能力があり、人間と同じような「性格」も持ち合わせており、時に語り時に人の形をとって、人を惑わすという。
ひょっとしたらこの魔剣は人の記憶を読むのかもしれないな、と考えたとき、エリアンが肩をすくめた。
「分からないんだそうだ、長生きしすぎて、前の主人と別れる前か後なのかも、人や精霊のしてた噂なのかも忘れたって。……役に立たないな」
「ん? その魔剣、マイラが都を出たときにはここになかったのか? では、どこかから来たのか? どうみてもエリアンが持つには……不似合いというか。父か誰かの持ち物か?」
「いや、拾った」
エリアンは顔をしかめてマイラを見る。
イヤなことを思い出した。
その表情にまずいことを聞いたかと口をつぐんだライザは、拾ったというセリフを反芻して、さらに疑問を深めた。
「マイラ、やっぱり俺にはこれは扱いきれない。拾ったものは仕方ないが、これじゃ宝の持ち腐れだ」
「僕は使えないって。それに元の持ち主に返すっていっても今どこにいるか分からないし。返した先で人殺し多発じゃあやりきれないでしょ。さっきライザと戦ってるところ目撃したけど、この魔剣じゃなきゃそれなりに渡り合えてたし――もう少し腕を上げれば、君でも充分制御できるようになるはずだ」
「そうかぁ?」
疑わしげにマイラを見るエリアンの耳に、そっと、魔剣の声が届く。
私、貴方で我慢しておいてあげますわ。
「お前、態度でかすぎ!」
急に叫んだエリアンが魔剣に足を振り下ろした。何が起こったのかと目を白黒させ、ライザはテーブルの端を掴んで退いた。テーブルをひっくり返す勢いで攻撃しようとしたエリアンの腹に、マイラが素早く膝蹴りを決める。
「はい、急に訳分かんないことしないの」
「――うぅっ……」
うずくまり、エリアンはおとなしくなる。痛そうだなと思いつつライザはのっそりとテーブルを元へ戻した。肩が上下しているから死んではいないが、先刻までの元気さが嘘のように静かである。
「だ、大丈夫なのか?」
「このぐらいで死ぬようなら、剣にとっては育てる価値もない」
マイラは鋭い戦い方をする男だった。エリアンはその蹴りを鎧なしに、しかも防御せずに受けたのだ――内臓がやられていても不思議ではないような、手加減のない一撃。
「ちったぁ手加減しろっての……!」
舌は噛まずにすんだらしい。しばらく床に転がっていたのは、痛みで体がしびれたからだ。痛みで叫び回るものもいるが、この少年はそうはしない。そこそこの矜持はある。
ライザは仰向けになったエリアンと目があった。曲がってはいない、まっすぐな目をしている。マイラと生活したわりにはまともに育ったなと考えていると、マイラがぽんとライザの肩を叩いた。
「何考えてんのかな~君」
「やッ……別に」
「こんの、野郎っ!」
エリアンはまだ反撃を諦めていなかったらしい。大きく足を振ってマイラのほうへ飛び上がった。二、三度綺麗に受け止めて、マイラはおもむろにエリアンの片足を持ち上げた。蹴り足を取られ、エリアンはよろめいて忌々しげにマイラの髪を掴んだ。
「いたたっ髪掴むのは反則だよっ」
「うるさい、長いのが悪いっ」
「いつもこんなふうなのか?」
「まぁ、大体こんなだよ。可愛い僕の後継者」
可愛い、はどこにかかるのだろう。エリアンは目を逸らし、気を取り直してマイラの髪を左右に引っ張った。
「俺はまだあとを継ぐ気はさらさらないね」
「何言ってるんだい、あの日スロイド家から貰われてきたくせに」
「犬や猫の子みたいに言うな」
「――スロイド?」
ライザはそこで何かが引っかかった。重要そうな気配がするが、一体なんだったか思い出せない。どこで聞いたものかと首をひねるのをよそに、エリアンはマイラから自分の足を奪い返した。マイラは素早くエリアンを懐に抱き込み、散々ひっかかれて悲鳴を上げる。子猫か何かのように暴れ、自由を取り戻してからエリアンはライザに後ろに逃げた。
「いったいなぁもう! 暴れるからおとーさん傷ついた、きらいになるからねー」
「なれ! 勝手になれ!」
「でもここ以外に帰るとこないでしょ。村内に家があるとはいえ今更体裁悪いじゃん」
「くっ……!」
エリアン=スロイドは拳を握った。そう――村の中に、彼の家族が居るのだ。
自分とそっくりな外見の、のどかな父を思いだし、エリアンは身震いした。
帰りたいとは、あまり思えない。
「もう少しここに置いてください……!」
いやいやながら、口にする。
「そうだよねー前よりここのがマシでしょう? よしよし、君が一人前になるまで可愛がってあげるから心配ご無用」
マイラは満足げに頷くと、優男らしいその顔に、艶やかな笑みを広げた。
「では今からスロイド家に野菜をもらいに行ってきてください。菜っぱが大量に余っているそうですから、向こうで荷車か何かを借りるようにね」
「ええ!? 今から!?」
日は中天を越え、あと二、三時間で沈まんとしている。
「俺、疲れたなぁ……とか」
「行かないのかな? そうか、今日の手合わせもできないくらい疲れてるなら仕方ないなぁ」
「いやっ! 行ってきます!」
バネ仕掛けのようにとびあがり、エリアンはまたたくまに支度をして出かけていった。
「……あの子ね、毎夕、僕と手合わせするのが生き甲斐のようで」
冷めた紅茶を口に運び、マイラはわずかに微笑んだ。
「――いや、どう見ても生き甲斐にしているのはお前の方だろう」
「かもね」
苦い笑みに変えてため息をついたマイラに、これは連れ戻しにくいなとライザは内心途方に暮れていた。